アントレイサブル

アメリカで一人の泥棒が捕まった。目的の物品以外に、犯行現場にあったキャンディを持ち帰っている。
哀しいかな、包み紙を捨てながら自宅に食べ帰ったため、その足跡は一目瞭然であった。
このキャンディ好きな泥棒は、包み紙で「追跡可能」となったわけで、あえなく御用となった。
この事件、童話「ヘンデルとグレーテル」の中の、パンくずで足あとを追うという物語を思い浮かべる。
ちなみに、ホームページの末端のページからリストをクリックしていけば元ページに戻れる仕組みのことを「パンくずリスト」とよんでいる。
こんなことが思い浮かぶのは、最近の日本の行政機関が行っていることが、あたかも「パンくず」拾いのようなものだから。
最近の日本政府の「パンくずリスト」は、自衛隊「日報」、森友「交渉文書」、加計「総理の御威光メモ」などがあげられ、その「足跡」を消すことに躍起である。
さて「トレイサビリティー」(追跡可能)に関して、ある地方新聞社の「労作」を思いうかべた。
この新聞社は現場の取材によって、たった一人の一言で、ある金融機関がわずか1週間で「取り付け」の危機に追いこまれた出来事につき、その情報やデマの伝達経路を徹底的にトレイスしたものであった。
それは、1973年12月8日、愛知県豊橋市で起きた、女子高生の何気ない会話から始まったわずか「1週間のストーリー」である。
下校中の電車車内で、豊川信用金庫に就職が決まった女子高校生を、友人が「信用金庫は危ないよ」とカラカッタことからはじまった。
それも同信金の経営状態を指したものではなく、信用金庫は強盗が入ることがあるので危険だという意味で、それさえも冗談でいったことであった。
12日には、街の至るところで、豊川信金の噂の話題が持ちきりとなり、そうした噂を聞いたアマチュア無線愛好家が、無線を用いて噂を広範囲に広める。
その後、同信金窓口に殺到した預金者59人により約5000万円が引き出される。
同信金の支店に客を運んだタクシー運転手の証言によると、昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」、午後の客は「危ない」、夕方の客は「潰れる」、夜の客は「明日はシャッターは上がるまい」と時間が経つにつれて噂は誇張されていったという。
そのうち14日には、「職員の使い込みが原因」から「理事長が自殺」という二次デマが発生し事態は「深刻化」していった。
信金側の依頼を受け、マスコミ各社はデマあることを報道し騒動の沈静化を図る。
15日、自殺したと噂された理事長自らが窓口対応に立ったことも奏功し、事態は沈静化に向かった。
女子高生のなにげない会話から、わずか1週間で地元の信用金庫を「取り付け」の危機に導いたことを明らかにしたものであった。

日本の官僚組織は、ちょうど生き物が巣作りを行うように、独自の煙幕でものを見えなくする本能をもちあわせているようだ。
では、この「煙幕」つくりの本能は、一体どこから来るのであろうか。そこには、日本人の精神構造が関わっているように思う。
「過去の経過」や「将来の予想」からものごとを思考するよりも、「今のこの時・この場」を大事にする傾向があるということである。
こうした「今ココ」傾向は、マスコミの状況を思い起こせばことたりる。
一旦ヒーローとして持ち上げた人物を、何かのきっかで、徹底して貶めるなどのことなどで、同じ人物を手の平を返したように評価を変えるのは一貫性のない話だ。
つまり、「風向き」がかわったと見るや、過去のことはすべて「御破算」となったかのように、今とこの場における「空気」を大切にする。
人々も、そんなコンスチュエンシー(一貫性)のない新聞やテレビを抵抗もなく楽しんいることである。
「今ココ主義」の特徴は、「今」と「ここ」が過去とも未来とも自律していること。
逆に「今ココ」は未来や過去から比較的自由であるということだ。
「今ココ」を生きる日本人は、その精神的態度として、たとえ一人の判断ではあっても、その時その場の全体の空気で判断していることであり、責任の所在が「一箇所」に収まらないという独特の精神的な傾向を生むのだ。
一人の意見の中には、皆の意見をくむなり、上位者への忖度から生まれるということもあるのだから。
それは最近議論がなされている「公文書の管理」の在り方とけして無関係ではなと思われる。
ところで、日本の行政府の重要な「政策決定」の過程には、「審議会」なるものが置かれることが多い。
国民各層の利益を代表する事業者や、実務・学識経験者などから組織される。
民主主義を補完する「国民参加機関」として、重要な政策方針を策定したり、特定の処分を下す際に「意見の答申」を行うものである。
こうした審議会の「人選」は当該役所がすることであり、広く公平に意見を聞くというよりも、実態からをいうと役所の政策を追認するために存在する組織で、この意見を受けた形で幾分民意のお墨付きが頂けることになっている。
大概委員に選任される人というのは、そのことをこの上なく名誉なことだと思い、その協力のかわりに必要な資料を提供してもらったりする「族学者」なる人もでてくる。
自分を審議会に招いていただいたことに対する「忖度」が働くであろうし、こういう人が、原発推進の旗振り役となったりしたのであろう。
こういう審議会は一過性のもので一定の働きをすれば解散する、日本社会の「今ココ」の代弁者のようなものだ。
最近、こうした審議会の議事録は、インターネットで公開もされるようになっているが、突然例えば4回目とか5回目からの議事録の「公開」が打ち切られるというミステリーがおきているらしい。
実はソコこそ最も重要な決定が為されるというその所に限って「公開されない」などという奇怪なことがおきている。
また、豊洲市場における盛り土問題の調査会議などでは、肝心なところで「議事録」が抜き取られたことなどのことも思い浮かべる。
それにしても、東北大震災における「意思決定」における「議事録」への認識と姿勢は、日本とアメリカとの差をまざまざと見せつけた。
「今こここ」主義では、過去と未来が相対的に軽く、過去を未来に渡す「公文書」への意識も低くなるのか。
日本の「公文書管理法」では、政府の「意思決定の過程」を検証できるようにするため、重要な会議の記録を残すよう定めている。
しかし「原子力災害対策本部」を含め東日本大震災に関連する政府の重要会議のうち合わせて10の会議で「議事録」が作成されていなかったことが明らかになった。
議事録がナイでは済まないので、お茶を濁すかのような「議事概要」を震災から1年目にしてようやく明らかにした。
とはいっても、「あの時」の記憶をメモしたものや記憶をつなご合わせて列挙したもので、わずか70ページ程度のものでしかなかったという。
この「議事概要」は、「発言内容の要旨」を箇条書きで羅列するだけで、発言者が誰かさも特定できず、政府の意思決定が、どのような根拠に基づいてなされたか、ほとんど検証することができなかった。
つまり、議事録を通じて「問題点を明らかにして、それを将来の危機管理に生かそう」というのとは真反対。政府が煙幕をはって「責任の所在」を見えなくしておこうという意図さえ感じられる。
一方、アメリカの「原子力規制委員会幹部」と日本政府とのヤリトリが公表されたが、3000ページ以上にわたる記録となっている。
アメリカ当局が事故の発生直後から独自に情報の収集や分析に努め、対応を検討した経緯が詳細に記されている。
アメリカでは、1950年に施行された「連邦記録法」という法律で公文書の保存や管理を定めていて政府機関の会議などのやり取りは「議事録」として残すことになっている。
最近では、オバマ大統領がインターネットのツイッターでつぶやいた内容も保存の対象となるなど、時代に合わせ公文書の保存を「徹底」して行ってきているという。
東北大震災において、アメリカ側の「記録」からアメリカ当局が事故後早い段階で、「最悪の事態」を想定して避難などの対応を検討していたことが明らかになった。

今日はグローバル社会で一つの国ですべてをつくることはしない。
例えば、イギリスのバーバリーのレインコートは、日本で作っているが、バーバリー社は日本の会社を指導し、製品を点検するだけで生産には直接タッチしていない。
しかし「デザイン料」と「ブランド料」はタップリ吸い上げる仕組みができている。
日立や富士通のコンピューター製品も、そのパーツ・パーツはほとん、台湾や中国やベトナムで作っているものである。
外国で作られたパーツを集めて、国内で組み立てて箱にいれれば、後は「商標」を押すノミである。
「ブランド」としての品質が保障サエできれば、それが合理的なヤリ方なのだろう。
さて、政治の世界に目を転じると、「官僚丸投げ」という言葉がある。
「官僚丸投げ」とは、官僚に法律や政策づくりを任せきりにして、一定の注文をつける以外ほぼ官僚が作ったとうりのものを、国会で認めていたことである。
そして、この場面にこそ官僚が有力政治家に「忖度する」絶好の機会となるのだ。
日本の役人の能力について、法科万能という言葉が示すとうり、明治以来、霞ヶ関は法学部出身者が牛耳ってきた。
法科出身者は理系ほどの合理性をもちあわせていないため、与えられた結論を正当化することに大して抵抗を覚えない人たちだった。
実際、霞ヶ関には「カラスが白いといえないと、一人前の官僚とはいえない」というジョークがあるのだそうだ。
与えられた結論の公正さとか、合理性や効率性などは二の次で、官僚は「結論の正当化」のための理屈作りに精魂を傾ける。
この屁理屈作りは、「森友学園」をめぐる財務省の文書改ざんや廃棄。「加計学園」をめぐる文書。
そして自衛隊の日報の廃棄などの答弁で発揮されたように思う。
森友学園問題では、籠池前理事長に9億円の土地が1億円で払い下げられた問題があった。
財務省理財局長であった佐川氏は、「森友学園」に格安で売却された問題を巡り、たびたび国会で答弁に立ち、適正な価格で売却したと説明していた。
しかし森友学園との売買交渉記録についても「記録が残っていない」と平然と述べた。
佐川氏は、優秀な官僚であろうから、1年ばかり前のことを忘れる筈は無いが、取引の不公平さを示すような証拠書類はすべて隠匿し、内容は記憶にないと述べた。
「森友学園」との国有地取引をめぐる文書改竄や廃棄に関する財務省の調査報告書では、佐川理財局長(当時)が、「文書管理を徹底すべきだ」「ルールに従って適切に」という考えを部下に伝えた。
なるほど上司として何の問題もない発言だが、実は森友学園に関する応接録は、財務省内で1年未満保存で終了と定められていたので、それを聞いた理財局総務課長が「政治家関係者との応接録を廃棄するように受け止めた」とされる。
つまり、問題発覚後に「文書徹底管理の徹底」の名のもとで廃棄が進められたということである。
同じような話は、南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報問題である。
日報の保存期間も1年未満とされたが、たまたま省内のシステムに「日報」が載っているのを知った防衛省陸上幕僚監部の部長が「適切な管理」を部下に指導し、その結果「廃棄」されたといことになっている。
「保存期間」がそれほど短いものかと驚くが、それをいざ公にしなければならない段階になって、「ルールに従って適切に」廃棄するとは、その意図は明白である。
となると、今後の制度改正においては、「廃棄の是非」や「保存期間」など省内できめるのではなく外部の目でチエックできるようにすることが必要となる。
制度改革といえば、そもそも「公文書」の定義が曖昧なことが一番の問題である。
「公文書管理法」は、公文書を「行政機関の職員が職務上作成し、または取得した文書で行政機関の職員が組織的に用いるもの」などと定義するが、保存や公開を免れるには、「公文書」を極度に狭く解釈すればよい。
明らかに公務として作成された文書を「個人メモ」「手控え」などどすればよいので、今後「公文書」の定義において、官僚の解釈の余地をどれくらい残さないようにできるかがポイントとなる。
実際に、加計学園の獣医学部新設をめぐる「総理の御意向」などと書かれた内閣府との協議内容が記載されたとされた一連の文書について文科省は当初「確認できない」として、その後再調査で文書が見つかった際は、「個人メモ」「忘備録」と主張した。
そして、報告書では本来は「公表しないこととしている」ものと位置付けた。
日本では、多くのメールが行政文書として扱われず廃棄されているが、アメリカ政府は最低3年から7年は保存して、幹部職員のメールは永久保存することになっている。
今のところ、日本では「メールの扱い」は宙に浮いた状態である。
実は、「公文書管理法」には刑罰の定めはなく、虚偽公文書作成や公文書基偽造・変造などの罪はあるものの、驚くべきことに「改竄」はそれに当たらないとして、財務省幹部の全員を不起訴にして、誰も懲戒処分にならなかった。
「公文書改ざん」など、民主主義の根幹に関わることなので、「懲戒免職」にしてもいいくらいなのにである。
今のところ、以上のような「公文書」の扱いに関する制度改革の議論がなされているが、今から予想できることは、どんなに制度改革をおこなっても、日本の官僚は、あの手この手で政策策定の推移を「アントレイサブル」にすることに知恵をしぼることであろう。
ところで、日本人の「今ココ主義」はその時、その場の空気を感じ取る意思決定を生むが、それは「忖度」という言葉にも相通じるものだ。
日本民族は農耕民族と言われる。稲作等の農耕においては皆で協力し合って仕事をなす事が重要である。
毎年同じような作業が繰り返されるため議論はさほど必要ない。それより和が必要である。
聖徳太子の”和をもって尊しとなす”を始めとして、相手の気持ちを汲みとり、仲良くすることを重視する傾向は、日本の古来からの伝統である。
そこでは、忖度、斟酌、謙譲、惻隠の情、等の相手を思いやる気持ちが美徳とされる。
最近話題の忖度は、国語辞典では他人の心中やその考えなどを推しはかることである。
最近「忖度」が悪い意味で使われているが、本来は、相手がこうすれば喜ぶだろうという意味であり、証拠書類を破棄したり、嘘をついたりすることでは使わない言葉であったように思う。
また、忖度される人は、忖度する人が勝手にやっていることとして、知らぬ存ぜぬと責任を一切負わないのだ。
この日本社会の状況の中、一体いくつのものごとが「藪の中」へと葬られていくことか。

公文書に関するワーキングチームの中間報告で、個人メモの安易な解釈にクギをさしつう、情報公開に当たって不必要な誤解を招くことのないように、組織的に必要な内容確認を行う。としている。しかし、これでは組織に都合の悪い文書を意図的に組織的確認の対象から外したりする一方、逆に組織の決定として個人メモにしてしまう可能性があり、改革に逆行するものでしかない。
せめて党首の間では骨太の議論をしてもらおうと2000年に始まった党首討論でも、安倍晋三首相や枝野幸男・立憲民主党代表が自らの主張を独演会のようにしゃべり続け、「歴史的使命」は終わったと言い放った。
白井さんは「ただでさえ説明会型だった国会が、各党が個別に政府と向き合う『たこつぼ型』の分断国会になってしまった」と指摘する。
一連の政治改革で首相主導が強まった行政をしっかりとチェックするには、まずは政党の枠を超えた議員間の議論を活発化することによって、民意を反映させる「強い国会」をつくる必要があるという。
自民党の小泉進次郎氏ら国会改革をめざす議員たちが、同党若手の「構想会議」や超党派の議員連盟を舞台に具体策の発信を始めた。
立憲民主党も独自の提言をまとめている。国会のあまりの惨状に自ら危機感を抱いての動きであるならば歓迎だ。
ただ、与党の側が改革の狙いのひとつに「生産性の向上」を掲げていることは気にかかる。
政策決定にスピード感をもたせたいとの趣旨だろう。だが、国会がカジノ設置や参院選挙制度のような問題だらけの法案でもすぐ成立させてしまう「効率のいい説明会」になっては本末転倒だ。
国会改革といっても与野党間では利害も方法論も異なる。明治から積み重ねられてきた規則や先例、さらには議員に染みついた習性を改めるのも簡単ではない。自ら安住してきた旧弊を打破できるかどうか。
日本では民主主義が普及しているとほとんどの人が思っているであろうが、決して成熟していないとのことだ。民主主義の基本は皆で決めることであるが、それには議論が土台となる。ところが日本人は一般に議論することに慣れておらず、下手である。特に高齢者が議論を始めるとすぐに喧嘩になり、まともな議論が出来ない傾向がある。最近の若者はどうであろうか。日本では議論下手に起因する民主主義が育ちにくい要因があるのだ。    マスコミは、この事件を忖度の問題として取り上げているが、本来美徳である忖度をこのような場合に使って欲しくはないものだ。ゴマスリと言った方が適切である。  欧米では、忖度に相当する単語が無いとのことだ。上司の命令はすべて言葉で行われるとのことである。忖度は日本文化の神髄であり、残したい伝統であるが、悪用する人間が居るとなれば、民主主義の成熟のためにも悪しき伝統とすべきかも知れない。 脚本家の橋本忍さんが19日、100歳で亡くなった。「羅生門」「七人の侍」など黒澤明監督の代表作のほか、「砂の器」「切腹」「日本のいちばん長い日」など生涯に70本余りの作品を残した。
2人の弟子、山田洋次監督と脚本家の中島丈博さん、そして黒澤組の仲間だったスクリプター(記録係)の野上照代さんが橋本さんを悼む。
「ゼロの焦点」と「砂の器」の脚本を橋本さんの下で書きました。それまで僕は、脚本とは想像力を奔放に羽ばたかせて書くものだと思っていた。橋本さんは構成を大事にします。建築の設計図のように精密。だから観客に知的な喜びを与える。
「芸術というよりも職人ですね」と聞くと、橋本さんは「農民だよ」と答えました。「毎日畑に出て、天候を見ながら雑草を抜いて……。脚本は作るんじゃない。育てるんだ」と。
最近、日本を代表する脚本家・橋本忍が亡くなった。いわゆる「黒澤組」のひとりだが、その弟子といっていいのが山田洋二監督。
橋本忍の作品の一つが「羅城門」である。日本ではそれほど評価は高くなかったが、海外特にベネチアア映画祭で高い評価をうけた。受けた理由は、「」ということ。
黒澤明監督の映画 「羅生門」(1950年大映) は、芥川龍之介の小説 「藪の中」 を原作とし、 同作者の 「羅生門」の舞台あわせて映画化されたものである。
しかし「羅生門」は日本国内では不評で、興業的には「失敗」に終わったといってよい。
平安時代、京の郊外で起こった一つの殺人事件をめぐって、盗賊、殺された侍の霊を代弁する巫女、侍の妻、目撃者の樵(きこり)のそれぞれが証言する。
同じ一つの事件について三つの物語を、それぞれを自分に都合よく語る構成が、シンプルかつ面白い。
時代は平安末期、 若狭の国府の侍(森雅之) は、妻 (京まち子) を伴って、 京を立ち若狭へ向かう。
東海道を下り山科の駅を過ぎた頃、盗賊 (三船敏郎) とすれ違う。
盗賊は行き違いに見た侍の妻の美しさに惹かれ、このを奪いたいと心に思う。
盗賊は侍に近くに古塚があり財宝が埋めてあるので買わないかと言葉巧みに誘い込み、 そして不意に組み付いて大木の根本に縄で縛り付けて、 その目の前で女を手込めにして犯す。
翌朝、男は死骸となって木樵り (志村喬) に発見されるが、女は行方が分からなくなってしまう。
一体そこで何が起こり、何があったのか?。三人の当事者の語るところは、すべて食い違っている。
盗賊が検非違使(当時の警察)にが自白した話では、犯した女は気違いのように盗賊の腕に取りすがり、「二人の男に恥を見せたのは死ぬよりもつらいから、二人で決闘してくれ。勝った方の妻になる」と言った。
そこで、男の縄を切り太刀で斬り合いの結果、遂に男を斬ったが女は居なくなり、その後の行方はわからないという。
また侍の妻が観音菩薩の前で「懺悔」した話では、盗賊は妻を手込めにした後に去ってしまうが、夫はそのことによって自分を蔑むようになった。
こうなった以上、妻は夫と一緒には居られないから一緒に死んでくれと、小刀で夫の胸を刺し自分も喉を突こうとしたが、死にきれなかったという。
さらに、夫である侍が死霊が巫女の口を借りて語った話では、 盗賊は妻を手込めにした後、 自分の妻にならぬかと妻を口説いていた。
妻は応諾すると 「あの人が生きていては、貴方と一緒になれぬから、あの人を殺してくれ」といった。
それを聞くと盗賊は妻を蹴り倒し、夫に 「あの女を殺すか、それとも助けてやるか」と尋ねると、その言葉に妻は走り去った。
盗賊も侍の縄を切って去っていったが、侍は落ちていた小刀をその胸に突き刺して自害した。
以上のような三つの証言が、軽快なリズムの繰り返しとモノクロームの映像をバックとして、人間の心の深淵を次第に押し開くように描かれている。
真実はひとつなのに、語るものが多く情報が増えるほどに、「真実」が遠のいていく。ココでの情報が、各自のユニークな「物語」であるからであろう。
この映画のテーマは、とても普遍的で、人間というものは自らの物語で、無意識に己を正当化したり価値付けたりするものであるにちがいない。
「羅生門」は、1951年ベネチア映画祭で金獅子賞金賞を受賞し国際的評価を得て、黒澤の名が初めて世界に出る「記念碑的作品」となった。
さて、この夏安部首相によって「戦後70年談話」が、どのように語られるか注目が集まるが、映画「羅生門」は国家間の歴史観の相違までも想起させるものがある。
歴史の真相が「藪の中」というのは言い過ぎだが、たまたま朝日新聞の「折々のことば」に紹介されていた言葉を参考にしたい。
それは、フランスの哲学者ガブリエル・マルセルの言葉・・「私の過去は、私がそれを考察する限り、私の過去であることを止める」。
これをうけての鷲田精一氏の説明がよい。
「私が私の過去として語りだすものは、過去の無数の出来事から、いまの私がこだわり、ひっかかるものを選び出したものにほかならない。その意味で、私による私の過去の語りは、常に贋造されている可能性がある」。

ところで、羅城門といえば芥川龍之介の「羅生門」であるが、原作「藪の中」の内容が多く取り入れられている。
日本社会は「アントレイサブル」つまりものごと「藪の中」に収めておくことを安定化の柱にでもしようとしているのか。
最近目に付く出来事~「丸ナゲ」「看板貸し」、それに関連して「なりすまし」である。
これらの出来事は、グローバリゼーションの一つの側面であり、世界同時不況にも関連している。
究極的に、モノの生産拠点が海外に移転すれば、国内に残るのは「ブランド」だけになる。
例えば、イギリスのバーバリーのレインコートは、日本で作っているが、バーバリー社は日本の会社を指導し、製品を点検するだけで生産には直接タッチしていない。
しかし「デザイン料」と「ブランド料」はタップリ吸い上げる仕組みができている。
日立や富士通のコンピューター製品も、そのパーツ・パーツはほとん、台湾や中国やベトナムで作っているものである。
外国で作られたパーツを集めて、国内で組み立てて箱にいれれば、後は「商標」を押すノミである。
「ブランド」としての品質が保障サエできれば、それが合理的なヤリ方なのだろう。
さて、政治の世界に目を転じると、「官僚丸投げ」という言葉がある。
民主党が政権をとった時のマニュフェストの中に「官僚丸投げ」から「政治主導」というものがあった。
「官僚丸投げ」とは、官僚に法律や政策づくりを任せきりにして、一定の注文をつける以外ホボ官僚が作ったトウリのものを、国会で認めていたことである。
これは、自民党長期政権で培われた因習だが、これでは国民から選ばれたメンバーで成り立つ「立法府」としての「責任を果たす」ということは出来ていないという反省の下、民主党が打ち出したものだった。
確かに、民主党は一部「政治主導」の道スジをつけようとした気配もある。
例えば、政府の各省のトップである事務次官を集めた会議をやめさせ、大事な発表は官僚ではなく大臣が自ら行うナドした。
しかし、最近の「エネルギー政策」の揺れ具合を見ると、「政治主導」のスローガンはスッカリ後戻りてしまった感がある。
先日、枝野経済産業相は、停止中の原発の再稼働について、政府から独立した「原子力規制委員会」が安全性を確認すれば、「再稼働」への条件は整うとの判断を示した。
マタ地元などへの説明は電力会社が行うといい、再稼働の「最終判断」は立地自治体が負うことにした。
一方、原子力規制委員会の方は、規制委は「安全基準」を満たしているかどうかを確認する立場にスギズ、政府や電力会社が再稼働の「最終判断」をスベキとしている。
さらに稼働や地元の合意形成は、政府や電力会社が担当すべきだとして、政府による責任の「丸投げ」をケンセイする形となっている。
マルデ「再稼動」という最終責任のボールを投げあっている感じがする。

どんなに「政治主導」の掛け声をあげても、戦後半世紀以上も続いてきた官僚依存の体質がソウソウ断ち切れるものではない。
しかし、変化を望まない「官僚依存体質」では、世界から完全に取り残される危惧がある。
そのことは、政府外交を含む日本の対外的「交渉力」の弱体化として一番よくアラワレているのではなかろうか。
経済学者の佐和隆光氏が、日本の役人の能力について、興味深いことを書いている。
ソノ要旨は以下のとうりである。
「法科万能」という言葉が示すとうり、明治以来、霞ヶ関は法学部出身者が牛耳ってきた。
なぜかといえば、官僚の任務は「与えられた結論を正当化する」ことにあるからである。
実際、霞ヶ関には「カラスが白いといえないと、一人前の官僚とはいえない」というジョークがあるのだそうだ。
与えられた結論の公正さトカ、合理性や効率性などは二の次で、官僚は「結論の正当化」のためのリクツ作りに精魂を傾ける。
昔、海外からのスキー板の輸入を規制するのに、役人が「日本と外国では雪の質が違うから」と言ったのを思い出す。
理屈を考え出すというより、ヘリクツを作る能力といえるかもしれない。
こういう仕事が法科ムキなのは、結論を正当化する「官僚の作業」ばかりではなく、暴走気味の検察の「国策捜査」ナドを考えれば、ナントナク想像ができる。
一方、科学的な勉強をしたものは、合理的・効率的・公正などをナイガシロにできず、こうしたヘリクツ作りは概ね苦手である。
そして、彼らの多くが、日本国の官僚としては「不適格」なのだ。
しかし幸か不幸かこうしたヘリクツが通用するのは日本国内ダケで、国際会議や外交交渉の場では、ヘリクツはヘリクツでしかない。
こうした「役所的土壌」でモノゴトが決められていったら、日本が世界からの孤立するのはゴク自然の成り行きという他はない。
だからコソ「政治主導」が求められているのに、「原発再稼動問題」にみるように、民主党はコウシタ重要度が高い問題に「丸ナゲ」ということをしているのである。

変えられない、決められない政治の流れを断ち切るべく、橋下徹氏が「日本維新の会」を旗揚げした。
「維新八策」の中身は個人的に不勉強だが、要するに「新古典派的」世界観の復活か?という印象以外に特別に目新しいものはカンジない。
タブン、国民が期待しているのは、「政策の中身」ではなく、とにかくヤルと言ったことはヤルという「実行力」なのではなかろうか。
橋下氏の突破力で「決められない政治」と決別して欲しいということだ。
しかし、「ヤル」中身を問わず「ヤル」こと自体を評価するのは、 危険な兆候ではある。
国会議員立候補者がブログに、国会のことは国会議員ダケでやるので、橋下氏の独裁は認めないという趣旨の書き込みをした。
それに対して橋下氏は「妙なパフォーマンスは必要がない」と不快感をアラワにした。
この程度の出来事だったが、国会議員と橋下氏のスレ違いに「維新の風」はアンマリ長く吹きそうもナイことを感じた人の多いのではなかろうか。
ソモソモ大阪市長と県知事が、政党の代表と幹事長であり、自ら立候補もできずに選挙戦を戦うなど、無理な面がありすぎる。
日本維新の会からの立候補者に出された条件に、選挙で必要になる費用をすべて「自己負担」で用意するということがある。
それでも、「維新政治塾」の塾員から立候補可能な大勢の人間を既に確保しているのだそうだ。
それらの人々が国会議員のとしてフサワシイかどうかはオクとしても、橋下氏は次期衆院選での「過半数獲得」宣言を行っている。
しかし彼らが当選して国会議員となったとしても、「金の繋がり」があるわけでもないのに、橋下代表や松井幹事長が「求心力」をもって党をマトメキルなどトウテイできそうもなく、民主党以上にゴタゴタと内紛が起きそうである。
立候補する人々は所詮、日本維新の会の風に乗っかる、つまり「看板借り」でしかないのではなかろうかと推測するからである。

今年の夏、「丸投げ」という言葉がキーワードになった事故が起きた。
群馬県内の関越自動車道で大型バスが道路脇の防音壁に衝突し、乗客7人が亡くなった。
事故の原因は、ひとりで長距離を夜通し運転してきた運転手の「居眠り」であったということでは、スマなかった。
運行していたバス会社「陸援隊」へ取り調べで、我々利用者が知らなかったこの業界の杜撰な安全管理の実態が明らかになってきた。
「陸援隊」は事故を起こした運転手を日雇いの形態で雇用し、仕事がある時にソノ都度依頼していたことがわかった。
運転手の「日雇い」は、無理のない勤務管理や健康状態のチェックができないということで法律で禁止されている。
「陸援隊」はサラニ、この運転手が個人で所有する4台のバスを「陸援隊」の「名義」で運行していたのだ。
バス事業者としての資格がない運転手に「名前」を貸して、売り上げの一部を戻させる、違法な「名義貸し」というものである。
さらに旅行会社も、「陸援隊」に仕事を依頼する際には、間に仲介業者と別のバス会社が入って「仲介料」を受け取るという「丸投げ」も行われていた。
「日雇い」「名義借り」は零細な業者が生き残っていくためのスベかもしれない。
しかし、人命に関わる部分でこうした「無法状態」が起きていて、それが利用者にはマッタク見えないのだから、カナリ恐ろしい話である。
こうした事故の背景には、規制緩和による過当競争で「安全」に関わるコストさえ削らざるをえなくなっているという背景がある。
原発事故以来、外国人観光客が減ったため、バス業界では「正規」の運転手を減らして日雇いの運転手を雇用するケースが増えているという。
もうひとつ気になったのは「規制」の基準である。
ひとりの運転手が1日に運転できるのは9時間まで、670キロが目安とするという基準だが、それは運転手の健康面や生理面を検討して算出したものではナカッタということだそうだ。
大阪からディズニーランドに1日で行ける距離と時間を基準に定めたというのだから、当局の「安全」への意識の低さを物語っている。
航空会社の参入の自由化が著しい航空業界も「格安」を謳い文句にするが、安すぎるのは「安全」のコストが削られているのではナイカという気になって、あんまり利用する気になれない。

ところで「看板貸し」とか「丸投げ」という言葉から一番に連想するのが、大手ゼネコンである。
すなわち「総合建設業者」のことで一流会社で名前がとおっている会社が多いが、意外なことに自らの手でモノを作らないのだそうだ。
ゼネコンの名前の由来からすると、屋根の壁もトイレも作るというイメージがあるのにである。
ゼネコンは、ビルや道路は自分達でつくってはいないのである。
時には別の会社に「丸ナゲ」をすることもあるので、ある種の「銀行」のようなものかもしれない。
ゼネコンは、総合設計、監督、企画、受注をするだけで、実際の工事では、屋根は屋根屋にやらせ、壁は壁屋にやらせている。
屋根の建設を請け負った屋根屋は、さらに下請けに工事を任せている。
ただ「ゼネコン」にはネームバリューによる信用があるので、「注文」をとりやすい。
その「信用」の裏側には、政治との繋がりがあることはいうまでもない。
つまり、法律では丸ナゲは禁止しているのに、実際は丸ナゲが行われて、工事監督料をとっている。
そういえば、茨城県で原発事故があった時に、原子力発電所に「二次下請け」というのがあって、驚いたことがあった。
これでは、高度な安全管理が必要な分野で、「責任の所在」が曖昧ということである。
ある「風刺シーン」がある。業界では、施主のことを「お施主様」といって、「お施主様」が完成したビルを検査に来る。
そのときには、後ろに五人ほど引き連れて歩く。
スグ後ろはゼネコンの責任者である。そして後ろに下請け、孫請けと続いていく。
お施主様が、風呂の栓をヒネッテみて、なかなか温かいお湯が出てこない。
おかしいではないかと後ろのゼネコンを振る向くと、ゼネコンは後ろの下請けを振り向き、下請けは孫受けを振り向く。
結局、五人の人間が次々に後ろを振り返っていくという図である。
黒澤明の「生きる」の中で「公園設置」の認可をタライマシするシーンを思い浮かべる。
一つの工事に五つの会社がカランデいては、それぞれに監督料やリベートをとっているので、日本の建設費はベラボーに高い。
整備新幹線のような広域の工事では、絶対に「一社」にまかせるようなことはしない。
一社でやれば「半値」で出来るのに、そうしない。のは、代議士の地盤ごとにコマギレには発注されからである。
それがさらに県議会の地盤ごとに分割され、それぞれの県会議員の息のかかった下請け業者に工事に仕事が任されるという仕組みになっている。
結局、今のゼネコンは名前だけで、自らの建設能力はないものの、アルのは政治力と談合力で、アエテ「コスト高」にして高いものを国民に買わせているという図式である。
ちなみに、公共事業の業者選定では、一級建築士の数がモノイウらしい。
「一級建築士」という資格を持つものは、驚いたことに30万人弱というくらい多い。
これは人口比からいうと、訴訟社会・アメリカの70万人の弁護士数と匹敵しそうな数である。
しかし、現実の一級建築士の全員が設計の仕事をしているわけではなく、普段の仕事で一級建築士の資格が直接に役に立つ人は、設計事務所に所属している人々ぐらいと言われている。
現実の一級建築士は、建設会社の社員として働いているものが、圧倒的に多い。
最近の一級建築士の試験はだんだん難しくなる傾向にあるが、合格するためには、夜間や休日に専門学校に通って資格を習得する人達も多くいる。
それは公共工事の入札基準となる「経営事項審査制度」が大きな影響を与えている。
「経営事項審査制度」とは、入札に参加を希望する会社の経営規模・状況・技術力等を「点数」として評価する制度である。
入札に参加できる公共工事の規模が、この経審の点数により決まってくる。
その「点数化」において各建設会社が抱える建築物の構造計算が出来る「一級建築士の数」にその評価点(5点)を掛けたものが「技術評価点」となり、結局は一級建築士の数が大きくモノをいうような仕組みになっている。
そのため、公共工事の入札可能な工事の規模を出来るだけ大きいものにしたい建設会社は、技術系社員に一級建築士の資格習得を義務としているわけだ。
というわけで「スーパーゼネコン」は、一級級建築士の数で準大手ゼネコンクラスを大きく引き離している。
したがって30万人弱にもなる一級建築士の多くは、建設会社が公共工事入札をトルダケために資格を習得した人達の数なのである。
実際に、一級建築士を持っているとからといって、建物の設計管理や工事現場の管理が出来るとはいえない。
本当の意味での技術力はそれぞれの会社の有資格者の経歴(現場経験)をも合わせて判断しなければ分からないのだ。
かつて元寇軍と鎌倉武士が戦ったが、元寇軍の「実体」はモンゴルに当時服属していた士気の低い高麗軍や南宋軍だった。
つまり「頭数」はそろえたモノノ、中身は「空っぽ」に近いものがあった。
また「陸の王者」が、海上で船を縦横に操れるハズはないし、海上の天候の変化に疎い面もあったと推測できる。
強いと思われたモンゴル軍の意外なまでのモロサは、その辺に原因があったのかもしれない。
ところで最近、ネット上にウイルスを送りこみ他人に「なりすまし」て脅迫文を書くという新手の犯罪も起きている。
「丸ナゲ」「看板貸し」に次いで「ナリスマシ」も、現代社会のモロサを露呈している。
日本人の「危機管理」や「議事録」不作成のニュース聞きながら、加藤周一の「日本文化の時間と空間」の論考を思いおこした。
日本人は「今=ここ」に生きている、つまり、時間においては「今」に、空間においては「ここ」に集約される世界観に生きているということである。
例えば、ユダヤ・キリスト教的世界における歴史的時間は、始めと終りがある時間、両端が閉じた有限の直線(線分)で表現される。
古代ギリシャの時間は、始めも終りもない無限の時間であったが、「無限の時間」の表現には2つあるという。
1つは、一定の方向をもつ直線で、時間はその直線上を無限の過去から無限の未来へ向かって流れる。
もう1つは、円周上を無限に「循環」するという時間である。
仏教の「輪廻」の思想で、生死は限りなく繰り返されるから、時間は無限に循環するものである。
「古事記」の時間は、始めなく終りのない時間意識であり、無限の直線としての時間は、分割して構造化することができない。
すべての事件は、神話の神々と同じように、時間直線上で、「次々に」生れるものであるから、そこでは人は「今」に生きることになる。
日本人の「時間意識」をもうひとつ加えると、四季の区別が明瞭で、規則的であり、その自然の循環するという"農耕社会"の日常的な時間意識を決定したと考えられる。
かくして、日本文化の中には、3つの異なる「型」の時間が共存したとする。
歴史的時間としては、始めなく終りのない「次々に」の直線的時間であり、日常的時間としては、始めなく終りない円周上の(四季折々)の循環的時間であり、人生の普遍的時間としては、「花が咲き散る」始めがあり終りがある。
加藤氏によれば、この3つの時間どれもが、「今」に生きることに向かったという。
加藤周一氏は、この「今」に生きる態度を、「連歌」から明らかにしている。
連歌の流れはあらかじめ計画されず、その場の思いつきで、主題を変え、背景を変え、情緒を変えながら、続くのである。
その魅力は、作者にとっても、読者にとっても、当面の付句の意外性や機智や修辞法であり、要するに今眼の前の前句と付句との関係の面白さである。
「今眼の前の前句と付句との関係の面白さである。
ソノ面白さは現在において完結し、過去にも、未来にも、係わらない」と。
連歌とは、過ぎた事は水に流し、明日は明日の風に任せて、"今=ここ"に生きる文学形式である。
その文学形式こそが、日本文学の多様な形式のなかで、数百年にわたり、史上類の少ない圧倒的多数の日本人の支持を受け続けたという。
しかし幸か不幸かこうした屁理屈が通用するのは日本国内だけで、国際会議や外交交渉の場では、屁理屈は屁理屈でしかない。
こうした「役所的土壌」でモノゴトが決められていったら、日本が世界からの孤立するのはゴク自然の成り行きという他はない。

さて、