フェアでエシカル

ロンドンの下町で、花を売り歩いていた女性イライザは、通りすがりの大学教授ヒギンズに言葉の訛りを指摘される。
そればかりか、教授の提案で訛りの矯正と淑女になるための礼儀作法を教わるチャンスに恵まれる。
ヒギンズの家に住み込みながら厳しい指導を受け、彼女はやがて上流階級の貴婦人として、社交界に華々しくデビューする。
ところが、ある日イライザは言語学を専門とするヒギンズ教授が、彼女の訛りを「研究対象」にしていたことを知りショックを受け、育ててくれた教授のもとを去っていく。
これは、オードリーヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」(1968年)のストーリー。
1980年代の日米貿易摩擦時代から90年代の金融ビッグバンに至る時代まで「フェア(公正)」という言葉がマスコミを賑わせた頃、唐突に「マイ・フェア・レディ」というタイトルが気になった。
「我が麗しの夫人」ぐらいの意味かと思っていたが、調べてみたところ、「Mayfer」という高級住宅街があって、それが訛って「My Fair」になったのだという。
ということはこのタイトルには、田舎なまりの女の子が、高級住宅街に住む洗練されたな女性に生まれ変わる物語の展開が込められているにちがいない。
さらには、最近のトランプ大統領発の「米中貿易戦争」の経緯に幾分似ていると思い至った。
「経済特区」をもうけてアメリカの企業を積極的にまねき、分野によってはグローバル化のトップにならんとする勢いの中国。それは、田舎出の娘が洗練されて社交界に華々しくデビューした貴婦人。
一方、累積する対日貿易赤字に行き詰まり、当時は田舎風だった中国の懐に入って、内側から中国を教育し育てたアメリカは、いわばビギンズ教授。
ところが突然に、アメリカに余計なことまで真似するなとつき放された中国。
トランプ大統領は、中国がアメリカの知的財産権侵害に対する「制裁措置」として追加関税をかけるのだという。
アメリカによる追加関税が第三弾から第四弾へと進めば、中国の全商品が追加課税の対象となる。
このままでは「報復合戦」を招き、中国は築き上げたアメリカとの経済関係から立ち去る他はなくなる。
ビギンズ教授の真意を知ってしまった婦人のように。
重大なことは、これまでの米中経済の結びつきの強さは、南シナ海における軍事衝突を抑止してきた面があったこと。
ところが両国の貿易戦争のエスカレートは、その抑止力が働かなくなることを意味する。
折しも9月17日、海上自衛隊の潜水艦「くろしお」が、南シナ海で他の自衛艦と演習を行った後、ベトナムのカムラン湾に入港した。
ベトナムに海上自衛隊の潜水艦が寄港するのは初めてで、潜水艦の行動自体を公表することも極めて異例である。こうした動きと米中の貿易戦争の過熱化とは十分に関係がありそうだ。

貿易とは、そもそもお互いに持っていないものを提供し合って、みんなが豊かになるという発想ではじまったはず。
それで自由貿易が大原則となったわけだが、時代が経るにつれ、強いものが弱いものを搾取するという形が生まれてしまった。これをなんとか是正しようというのが「フェアトレード」。
従来、貿易の公正さというのは、経済取引的な「フェアさ」を意味するものであったが、最近「エシカル」という意味をも加味されるようになりつつある。
それでは、「エシカル」とはどういうことか。日本語訳すれば「倫理的」なのだが、それよりも幅広いニュアンスがある。
物事の背景や裏側に思いを巡らして、関わる人みんなが喜んでいるのか、人も自然も、地球上すべての命を大切にすることがエシカルである。
なかでも水は人々の生活に欠かせないだけでなく、環境、産業活動などすべての基盤である。
そして今「水不足」が地球規模で進行している。
現在の世界的な水不足をもたらした主な原因は人口増と灌漑の拡大だろう。
その最も先鋭的なのがインドとパキスタンの水争い。
1947年に大英帝国から独立して2つの国となったインドとパキスタンは、独立以降3回戦争をしているが、核戦争の危機にまで至った。
こんな中、水争いが次の戦争の発火点になる可能性は十分にある。
さて、水資源量は、降雨量から蒸発量を差し引いた数字として導き出されるが、すべて人類が使っていいわけではない。
人類は取水した水の7割を農業に使っている。昔のように雨水に頼った農業では人口増に間に合わない。
大量の水を使う灌漑農法によって高い生産性を維持している。
水の2割は工業用に、1割が生活用に使われているが、これらも経済成長などで大幅に増えるとみられている。
さらに近年、地球温暖化が水への不安を高めている。気温が上昇すれば、蒸発量が増えて雨量も増えるが、より狭い地域で強い雨が降りやすくなり、降らない地域も広がる。
さて、これまでは、「ローカルな資源」と考えられてきた。しかし、実は食料や工業製品の輸出入を通じて、水資源も国際的に取引されているとみなされる。
水をグローバルな資源として考察する時に使われるのが「仮想水(バーチャルウォーター)」という概念。
「バーチャルウォーター」とは、ロンドン大学のアンソニー・アラン教授が1990年代に提唱した考え方で、人間の経済行動をエシカルな観点から考えるうえでも有効である。
なぜなら、貿易は一般的に通貨単位で見るが、水ベースでみると今まで見えなかったものが見えてくるからである。
具体的にいうと農畜産物の生産には、大量の水が必要であるが、それらを輸入することで、間接的に輸入された水を「バーチャルウォーター」とみなす。
その反面、農畜産物を他国から輸入すると、その生産に必要となるはずだった水を国内で使わないですんだことになる。
こうして「仮想水貿易収支」によってグローバルな水の使われ方がよくわかる。
途上国の多くが輸出品としている農畜産物や林産物などは、その生産に大量の水が必要であるため、そうした一次産品の輸出にともなう「バーチャルウォーター」の移動は、途上国の水資源を一層逼迫させることになっている。
雨が多く水資源が豊富な日本だが、日本の「仮想水貿易」の収支を調べてみると、意外にも多くの水を他国に頼っている姿が浮かび上がってきた。
多くの食料を輸入に頼っていることもあり、仮想水の輸入量も大きい。
ある試算では、日本の主要穀物(大麦、小麦、大豆、トウモロコシ、コメ)と畜産物(牛肉、豚肉、鶏肉)についての仮想水総輸入量は年間約60兆リットル以上にのぼり、国内での灌漑に使う水の量を上回る。
日本人1人あたりで計算するとおよそ50万リットルで、仮想水輸入量は「世界一」と考えられるという。

今の時代、「もの」情報が視覚化しつつある。あるショップでは携帯を商品にかざせば商品情報が表示される。そのうち、原産地や製造過程の「動画」まで表示されても不思議ではない。
仮にそんな動画が見られるとするなら、我々の幸せの裏側で、弱者への搾取や地球環境破壊など、誰かや何かが犠牲になっていることを知るであろう。
さて、マイフェアレディの元語「マイファー」の「ファー」は偶然にも「毛皮」を意味するが、今日のアパレル産業は動物の力を多大に借りて成長してきた。
レザーやファーはもちろん、カシミア、そしてウールにシルク。全て動物のおかげで利用できている。
逆にいうと、毛皮のために消えていった動物がたくさん存在する。ブルーバック、シマワラビー、オオウミガラスなどがそれである。
環境に負担をかけないオーガニック素材や自然素材、リサイクル素材などを使用するものを「エシカル・ファッション」という。
その上にたってこそ、正しい労働条件や公正な賃金水準などの「フェアトレード」が意味あるものとなろう。
ところで、20世紀以降、狩猟による毛皮の採取が減少すると、次は飼育場で生産されるようになった。
まずは飼育が簡単なウサギとキツネに始まり、少し遅れてミンクの飼育が始まった。
そして20世紀後半頃からその悲惨な実態が明るみにでてきた。
安価な毛皮を大量に生産している中国では、ミンクやキツネ、タヌキ、そしてウサギなどの動物を狭いケージの中に閉じ込め、多頭・過密飼育している。
そこで「アニマルウェフェア(動物福祉)」などというエシカルな概念が登場してきた。
日本の歴史を遡れば、「犬公方」といわれた徳川綱吉は、動物愛護のパイオニア的存在ともいえるが、江戸時代には「官位」をもらった象もいる。
、 長崎代官を務めていた高木家では、珍しい鳥獣が舶来するたびにその絵図を作成し、江戸の幕府に送って御用伺いをした。
幕府はその図を吟味して欲しいものだけを選び出し、発注し取り寄せていた。
メス・ゾウは上陸地の長崎で死亡したが、オス・ゾウは長崎から江戸に向かい、途中の京都では、中御門天皇(なかみかど)の御前で披露された。
この際、天皇に「拝謁」する象が「無位無官」であるため参内の資格がないとの問題が起こり、急遽「広南従四位白象」との称号を与えて参内させた。
これはエシカルとは無関係の話で、日本人が形式をいかに重んじてきたかを示している。
今日、エシカルであることは、ファッションに限らず、金融・美容・食事・建築・教育・街づくりなど様々な分野に広がっている。
たとえば銀行は、我々の預金を運用して、投融資をしている。その投融資先が、地球環境や地域、社会に犠牲を生んでいないかどうか、そういったことまで配慮している金融のあり方を「エシカル金融」という。
エシカル金融の中で、今最も注目をされている運動が、地球温暖化の原因になる石炭などへの投資をやめる「ダイベストメント(投資撤退)」である。
つまり、インベストメント(投資)の逆のことで、株や債券などの金融資産を引き揚げることにより、化石燃料関連事業を停止させ、脱炭素社会を実現するという運動である。

日本人が幸せを感じる場面は温泉浴や月見などいくつもあるが、そのひとつがお寿司を食べることではないだろうか。
終戦で日本全体が食糧難であった頃、連合国軍GHQは様々な政策を行い、ついに米をつかった飲食店の営業を禁止した。
これでは「寿司屋」ができなくなると、東京の店主が集まり、米をうまい飯にするのが一番得意なのが寿司屋なのだから、しっかりとGHQに陳情しようということになった。
ところが、GHQに何度お願いしてもOKしてもらえなかったため、ある「秘策」を思いついた。
それが「寿司持参米加工」という看板。つまり、寿司屋を飲食店としてではなく加工業、「寿司を作るだけの店」として許可を得たのである。
しかし、もっと大きく本質的な問題は、配給で米や魚がなく、寿司ネタ手に入らなかったのだ。
マグロの代わりにマスなどの川魚がつかわれた。タイは入手できないので、白身はフナ。フナなど川魚は骨が多くさばくのにも一苦労だったが、寿司屋自ら川に行って捕ってきた。
そんな過程で新しい寿司ネタの発見にも繋がった。その代表が、戦後の苦境の中で、キュウリを使った「かっぱ巻き」である。
さて、日本人は寿司ネタの中でも 特にエビが好きだという。その他海老フライやエビ煎餅など世界で最もエビをよく食べる国である。
2位がアメリカ 3位がカナダで、この3つの国でなんと世界の漁獲、養殖されたエビの70%を消費しているらしい。
ところで、東南アジアの「エビの養殖」が環境破壊をもたらしているは従来より知られていた。
エビを輸出してる国は中国、タイ、インドネシア等のアジアの国々とメキシコやブラジル等の中南米や南米の国が多い。
また注目することは、世界の海産エビの総生産の4分の1が「養殖のエビ」で占められている。
実は、東南アジア、南アジアの沿岸を覆っていたマングローブ林が消えた主な理由は最初は皆、燃料確保の為の木の伐採と水田への転化に思われてきた。
しかし、どうやら「エビ養殖」のために作られるエビ池の為のマングローブの大量伐採に他ならない事がわかってきた。
このエビ養殖用エビ池確保のためのマングローブ林破壊により周辺の漁獲高は激減し、周辺住民の漁業に影響を及ぼしている。
マングローブで幼生期を過ごす様々な生き物の生態系に異変をきたしており、またマングローブ消失により台風による高潮の被害が軒並み続出し自然の驚異に住民はさらされていという。
そして最近問題化している環境破壊の意外な元凶がパーム油である。
アブラヤシから生産されるパーム油は、生産効率性が高く、現在世界で最も多く消費されている植物油脂だ。
日本では年間約65万トンが消費され、インスタント麺やスナック菓子といった食品、洗剤、化粧品などに幅広く利用されている。
ところが皮肉な話だが、環境に優しいとされ、食品や化粧品、バイオ燃料の原料などで需要が高い「パーム油」の日本の最大の輸入国マレーシアでは、アブラヤシ農園開発のために熱帯雨林が破壊されている。
労働者や子どもの人権問題といったリスクもある。
マレーシア・サバ州農園では、インドネシア・フィリピンからの移住労働者が85%を占めているが、斡旋システムで労働者に多額の借金を負わせたり、奴隷的な労働が横行したりしているという現状がある。
移住労働者の子どもは政府の教育や医療サービスが受けられず、農園で働かざるをえなくなる。
パーム農園は土地を巡る地域住民との紛争が絶えず、インドネシアでは、パーム農園開発許可を巡り4千件以上の紛争が起きている。
こうしたことから、アメリカの労働省は、パーム油を強制労働や児童労働への関与が認められる製品に指定している。
一方で、日本のパーム油最大の調達先こそがサバ州で、日本人の幸せの裏側にあるその実態を知れば知るほど、エシカルな視点が大切に思えてくる。

近年、イルカの追い込み漁が「残酷だ」として、世界動物園水族館協会(WAZA)が日本の水族館に対し、日本の「伝統的な漁法」で捕獲したイルカの入手をやめなければ協会を除名処分にすると通告してきたため、日本の多くの水族館が依存しているこの方法での入手の禁止を決めた。
それでいうと沖縄の海に生息するジュゴンの掴まえ方もスゴイ。まずは海の中でダイナマイトを爆破させジュゴンを気絶させる。
さっそく人間が海にもぐりジュゴンに抱きつき、いちはやく二つ鼻の穴に栓をして窒息死させるのだという。
「アニマル・ウェルフェア」の観点から、すでに水族館などで行われているイルカショーなども見直しが迫られている。
和食は、世界文化遺産に登録されているだけに、日本の食文化である活造りや白魚の踊り食いなども”俎上”に上がってくる可能性は、十分にある。
1980年代~90年代、グローバル化に対応して「フェア」であることを求められ、日本の経済や金融は根本からの変革を余儀なくされた。
そして今日、「エシカル」であるということは、衣食住に関わる日本文化の奥深いところまで踏み込まざるをえなくなる。