セルフ・マネンジメント

経営という言葉を「マネンジメント」と訳すと急に意味が拡大していくような気がする。つまり日本語でいう「経営」は「会社」という言葉と強く馴染んでいるが、「マネンジメント」という言葉はその結びつく範囲がさらに広いということである。
学生の頃よく読まれていたピーター・ドラッカーの「マネンジメント」と題された本は、経営をする人々の為の指南書であるばかりではなく、様々な分野の「真理」が含まれており、そのためか広い範囲の人々に読まれていたという記憶がある。
そしてドラッカー経営哲学の柱が「顧客の発見」というのではなく、「顧客の創造」ということにあった点に、当時としては新鮮さがあり、「売る」「売れる」が本質的にどういうことかを掘り下げてあった。
ドラッカーの経営書は、目標を達成するためのいわば「人間学」でもあったように思う。 つまりセルフ・マネンジメント(=自己経営学)の本でもあったわけだ。
大学一年の「英文講読」の授業でドラッカーの抜粋文を読ませられたが、そこにとても経営書とは思えないような「認識論」が書いてあった。
唯一憶えているのは、人間に認識されなかった「音」は存在しない、といった内容が「哲学的装い」のもとに書いてあったのを憶えている。
最近では、「高校野球のマネージャーがドラッカーを読んだら」という本が出ているという。
つまり高校野球の「マネージャー」の仕事も、ドラッカーがいう「マネンジメント」と重なるところが多いのに違いない。
結局「マネンジメント」の考え方は、「自己管理」から出発して社会の経営全般に至るまで広い適用範囲がありそうだ。
となると、アリストテレスの「人間は政治的動物である」という言葉になぞらえれば、「人間はマネンジメントする動物である」ともいえよう。
後述のマイケル・ポーターという経営学者は「変化しないことは、死を意味する」といったが、この言葉はある程度、我々自身の人生にも当てはまるような気がする。
また「三分間で人生が変わる」というタイトルの本に、日頃あまり気をつけていなかったことをひとつ丁寧にする習慣を身につけただけで、いろいろな面で変化が起き、それが大変化に繋がるというような趣旨のことが書いてあった。
靴をきちっと並べようという意識し始めたことから、玄関の掃除をきちんとしようと思うし、よい習慣は連鎖的に広がり、それが新たな希望を生み出すのである。
これとて立派な「セルフ・マネンジメント」で、会社経営の考え方にも繋がるかもしれない。
あるスポーツ名門校の部員達は、部の方針として毎日必ず自宅で皿洗いをしているという。
その部活の監督は、「皿洗い」の習慣はスポーツのプレイとは一見無関係にみえるが、その習慣こそがスポーツの姿勢や精神力に繋がるという信念をもっておられ、その信念どうりの結果を生み出している。
「哲学」は人をなかなか変えないいが、「行動」の方が人を変えやすいという部分もあると思う。
「できるところから少しずつでも変えてみよう」という「セルフ・マネンジメント」の一片も、大会社の経営と相似をなしているのかもしれない、と思った。
ところでドラッカーの経営書に「賢い人ほど失敗しやすい」という言葉があった。
ベトナム戦争を指揮したアメリカの軍事的指導者達をデイヴィッド・ハルバースタムというジャ-ナリストは、「ベスト オブ ブライテスト」と皮肉っぽく表わしたタイトルの本を書いた。
この本で「最良の、最も聡明なはずの人々」が、いかにして政策を過ち、アメリカ合衆国をベトナム戦争の泥沼に引きずりこんでいったのかについて、ホワイトハウスの内情を克明に描いたドキュメンタリーであった。
ついでに思い出すことは、イエスを十字架にかけたローマ兵が「皮肉」と「嘲り」をこめてか、あるいは単なる「罪状」を示したのか、十字架上に「ユダヤ人の王」という札を打ちつけたが、その後キリスト教がユダヤどころかローマ帝国を席捲し、ローマを支配するようになるのだから、それこそ皮肉なものである。
また、「ベスト オブ ブライテスト」という皮肉は、世界中をサブプライムローンの泥沼に引きずり込んだ元軍事産業に従事していた金融工学の創造者達にもピタリと当てはまる。
人間の「賢さ」とはとても、「限定された範囲」での賢さに過ぎないのだが、その「限定付」「条件付」になかなか気づかないのは、専門分野の能力に比べて「セルフ・マネンジメント」の能力が欠如しているからではないだろうか。
あるいは、ある領域を超えると、「セルフ・マネンジメント」がきかなくなる処にまで迷い込んでしまということなのだろうか。
「理性」や「平等」や「正義」という美名の下で、人間が繰り返す犯す(例えば「ポルポト派」のような)過ちもまた、そうした「セルフ・マネンジメント」のきかない領域に突入してしまった、ということではないかと思う)。
人間ができることはたくさんある。しかし、人間の「セルフ・マネンジメント」の能力を考えれば、やってはいけない領域が自ずからあるのだ。
最近、テレビを見ていて「セルフ・マネンジメント」を超えた領域を最もシンボリックに感じるのが、中東のドバイの町にカエデのような形で広がった人工的な街の風景である。
おそらくは、何兆という大金を投じて人工的に創り上げた中東のドバイの街が、いまやすっかりゴースト・タウンと化してしまっている。
あの街の風景を見ると聖書の「詩篇」の言葉がいくつか思い浮かぶが、同じ地域で生まれたソロモンやダビデの智恵の確かさが、現代石油文明のドバイという「砂上の楼閣」を通じて、かえって固められいくような気がしてくるのだ。
人間はどうして失敗するのかという点に関して、イギリスの哲学者のバートランド・ラッセルは、人間の「思考の欠陥」について面白い比喩を語っている。
"むかしむかし、あるところに鶏がいました。この鶏は卵からかえってこのかた、毎朝毎晩農家のおじいさんからエサをもらっていました。そこで、この賢い鶏は、おじいさんは永久に自分に餌をくれるものだという認識をえました。ところが、翌日、その鶏は小屋に入ってきたおじいさんによってひねり殺されてしまいました。"
観察や実験によって正しい知識が得られるという立場は、今日までそうだったかもしれないが、明日その知識に反する観察や実験結果が得られるかもしれない、という反論に答えられるものではない。
つまり反証が顕われていないに過ぎないことを全面的に真理だと信じ込むという「人間の思考」の欠陥である。
バブルに懲りずに騙されるのもそうした欠陥にあたるし、生まれてから今日まで続いてきた世界が必ず明日も続くと思いこむというのも、それにあたる。

前記のマイケル・ポーターという人が書いた本に「競争の戦略」という経営学の名著がある。
この本こそが自分を成功に導いたいうのが、居酒屋チェーン「和民」の経営者・渡辺美樹氏である。渡辺氏は社内においても幹部候補にある若者にビジネスの指南書として社員に読ませているという。
多くの幹部候補生は、この本の分量と難解さに、これはチョット~オテアゲとネを上げる者達が多いらしい。
しかし渡辺氏はこの本を読みこなせなければ経営者ではないとまで言っている、という。
渡辺氏はこの本を長年読んでいて、「経営者はどうして失敗するか」を学ぶのだという。
すなわち「経営者はこれで失敗する」という失敗の見本市のような本であり、この本に書いてある内容を一つ一つチェックしていくのだという。
そういうわけで、きっとポーター氏は、70歳を超えて成功するまで失敗の連続だったカーネル・サンダースのような人かと想像していたら、実際は真逆で、何をやってもうまくタイプの人だったというから、よくこんな本が書けたものだと思う。
マイケル・ポーター氏は、1969年にプリンストン大学航空宇宙機械工学科を卒業した。高校時代にはアメリカンフットボールと野球で州代表に、大学時代にはゴルフで全米代表チームに選ばれるなど運動能力も抜群だったという。
現在では、ハーバード大学の教授という人物なのである。
また渡辺氏によると、実際に会社を経営し「競争の戦略」を何度も読みかえすうちに、自分の経験と本の内容が一体化して、漫画でも読むかののように字面から具体的なシーンが湧き上がるように読めるようになったのだという。
渡辺氏は、「変化しないということは死を意味する」「大店化するということは画一化を意味する」など、日々「そこにある危機」を感じ取り、それらの問題を解決、取り除くことを考えているそうだ。
そして変化のトレンドを知るために渡辺氏は絶えずメモをもって街中を歩くという。
確かに、居酒屋「和民」は店ごとに個性があるし、手間をかけるところはかけ、新しい店が出来るたびに変化していくのを客も感じ取っていると思う。
そし最近では、ワタミで提供する有機野菜を育てる農場までも経営し、外食産業にとどまるところなく介護や教育にいたるまで多角的に事業を展開をしている。

「失敗の可能性」ということに関しては、最近テレビに出演されたソフトバンクの孫正義氏が語られた「成功の確率7対3で勝負する」という言葉が印象に残った。
成功の確率が9割になるまで待ったら、時すでに遅すぎる。3割の失敗の確率ならば、失敗しても他の事業でカバーできるというわけだ。
孫氏はこの番組の中で、経営哲学ばかりではなくご自身の生い立ちをも語られた。
孫子は国籍は韓国で、生まれた家は佐賀県鳥栖で線路の脇のバラックのようなところで貧しかったという。父親の飲食店経営で生活が安定するようになり、なんとか学校には通えるようにはなったという。
孫氏は久留米大学付設高校卒業後、教員になりたかったが国籍が違うためになれないと思っていたところ、英語研修で短期間アメリカで学んだ経験から、アメリカならば人種など気にせずに評価されるというということを思い立った。
そこで、カリフォルニア大学バークレー校に進む。
しかしその時に父親は病に倒れており、それをおしての海外留学に、回りの反対はとても大きかったという。
孫氏にとって「今しかない」という気持ちで、反対をおしきって留学した。
そして、これ以上はできないというくらい勉強に明け暮れる日々を送ったという。
何かの試験で、正解が判るのに英語が書けない。そこで試験中に、目から火がでるような勢いで辞書を貸してくれと試験官に頼んだら、その目力におされて試験官は辞書を貸してくれたのだという。
わずか19歳の孫氏は、英語翻訳機(今の電子辞書)を発案し、バークレー校のノーベル賞クラスの学者達にもしも成功したらあなたのいい値どうりのカネをはらうが、失敗したらタダ働きになってしまうかもしれないけれど、なにとぞよろしく、などと交渉しているうちに相手が笑い出し、ヤッテヤルカという気持ちにさせたのだという。
もちろん孫氏には「孫子の兵法」ならぬ「孫氏の戦法」とでも言えるような話術や交渉術があるはずもなく、自分の情熱こそが相手をゆり動かすのだということを語った。
そして、超一流の頭脳の協力を得て成功して特許をとり、黒髪豊かだった19歳にして3億円を稼いだというのだから、やっぱりすごい人ですね。
孫氏の何がすごいかというと製品開発能力以上に、それだけの一流学者を説得しえた「交渉能力」ではないかと思う。そしてそうした能力の目覚めの中に、後年の経営者としての成功への道の一端が見えているように思う。
孫氏にとって、グループ全体でビジョンを共有するためのプレゼンテーションが非常に重要な意味を持っている。
ソフトバンク関連会社は800ほどあるが、それらの会社群はビジョンだけを共有していて、後どうやるかは会社に完全にまかせる、つまり独立採算制で「勝手に潰れろ」という方式で行くという。
逆の言い方をすれば、なんとかして生き延びようとする人々の「生存本能」を信じるということなのだ。

失敗者の側から何かを学びたいが、世紀の愚策はたくさんあるけれども、毛沢東の「大躍進運動」などもその代表的なものだろう。
中国では人民公社が全国に組織され1958年に毛沢東は「大躍進運動」に乗り出す。農民自らの手で大規模な水利工事が行われた。鉄鋼の生産量の倍増が掲げられ、土法炉と呼ばれる粗末な製鉄炉が全国につくられた。
人々は炉の中に鉄製の農機具や鍋窯までつぎこみ増産にはげんだ。毛沢東はこの大躍進運動によって、ソビエトの援助に依存せぬ中国独自の社会主義建設を目ざそうとしたのである。
しかし「大躍進運動」の結果は無残なものだった。
土法炉に農民の労働力や資金、資材がつぎ込まれたために、農村は疲弊し食糧生産は落ち込んだ。
この現実を隠蔽する架空の生産報告が人民日報の紙面をむなしく飾った。
しかも造られた鉄のほとんどは、素悪品で使い物にならなかった。溶鉱炉にくべるために木々が切り倒され、寒々とした山肌が残った。
「大躍進」の熱に浮かされ、過労を重ねてきた農民達は次々に病に倒れた。荒廃した農村にさらに旱魃や水害が追い討ちをかけた。「大躍進」の期間に、1500万とも2000万ともいう餓死者がでたという。
理想を掲げた分、中途での軌道修正は政策の誤りを認めることであり、毛沢東のカリスマ性に傷をつけることになる。
そうして「現実を隠蔽する架空の生産報告」がなされたわけだが、それがますます事態を悪化させていった。この点で最近の、日本振興銀行の金融庁検査妨害事件を思い起こした。
中小企業救済を掲げて振興銀行を設立しながら、違法性の高い取引にからむ電子メールを削除した疑いがある として、金融理論界の寵児といわれた元会長・木村剛氏が逮捕された。
この人の本はどれほど多く書店の棚を飾っただろうか、と思いおこす。この人物の失墜は「金融理論界の小室哲也」とでもいっていいくらいだ。
元日銀マンで金融コンサルタントの仕事で満足しておけばよかったものの、自らが日本振興銀行の経営にかって出たのが大きな過ちであったといえる。
どんなに金融の知識が豊富であっても、実際の経営とは別次元だ。
ところで中国の商鞅は、徳治を唱える儒家と対照的に、厳格な法による統治を説く法家の一人で、秦の孝公に仕えた人物である。
国政改革では法にもとづく信賞必罰を徹底した「法家」に属するとされるが、孝公が没すると商鞅は政敵たちの追及を受ける
。彼は都を脱出して函谷関で宿に泊まろうとしたが、宿屋の主人は彼の正体を知らずに「通行手形をもたない者を泊めては商鞅の法で罰せられる」と断ったという。
この故事の現代版が今度逮捕された木村剛氏といえる。
かつての大蔵大臣の竹中平蔵の信任をうけて、金融監督庁で金融検査マニュアルの検討委員を務めた。
その後、銀行の不良債権問題の論客として時代の脚光を浴び、銀行の資産査定の厳格化にむけて強権的な金融検査を促す発言で金融界に恐れられた。
その木村が金融検査妨害の容疑で逮捕されたのだから、実質的に自分が策定したルールによって逮捕されたということになる。
経営不振の理由は、日本振興銀行が進めた中小企業の資金貸し出しの業務に、かつて金融監督庁の委員としてシメアゲタ大手の銀行が進出し始めたからだという。
しかも警察の捜査で、その豊富な知識を駆使した損失隠しや偽装が浮き彫りとなり、そして金額の大きさが次第に明らかになってきている。
「金融のプロ」とたたえられた「賢者」の失墜は、ある領域を超えると、会社の経営以前にセルフ・マネンジメントが破綻することを示している。