不ぞろいの真珠たち

最近、真珠を贈ろうかと思ってネットで調べてみた、というのはウソで、ただ単に心中に棲む「知る楽」のムシが疼いたために真珠を調べてみました。
そこで知った真珠選びは、恋人選びなど何か人間界にそのまま通用しそうな面白味がありました。
真珠とは、まん丸いものかと思っていたらトンデモございません。人間の多彩な表情のようにふくらんだり、にんまりしたり、つんとしたり、へこんだり、えくぼがあったりと色々あって、形状によって専門的な呼称さえもついていたりします。
面白いのはそういう「不ぞろいの真珠たち」だけをつないでチェーン状にした高価な装飾品まで紹介されてありました。
日本では「ミキモト」創設者・御木本幸吉が日清戦争のころアコヤ貝から半円真珠、日露戦争の頃に真円真珠の養殖に成功しました。
時代相からしても、御木本氏の努力に対する世間の目線の冷ややかさが想像できますが、それにめげなかった御木本氏のそうした辛酸の日々が実を結んで、今日では天然物となんら差のない養殖真珠を生み出せるようになっています。
日本はかつて「黄金の国ジパング」とよばれた時代がありましたが、それよりも今日の「真珠の国ジパング」のほうがアタッテいるのかもしれないと思うのです。
さて真珠とは本来、貝に入り込んだ砂粒などの異物を貝自身が分泌液で幾重にも包み込み真珠層を重ねていく、つまり貝自身が時間をかけてゆっくりと作り出す神秘的な宝石なのです。
母貝の色によって白・黒・ピンク・ブルーなどの様々な色の真珠を生み出します。
では真珠の価値は何で決まるかというと、単純にサイズは大粒であればあるほどそれだけ年月がかかっているから価値は高くなります。しかし大きいだけで光沢のない真珠なんてタブン欲しくはないでしょう。
真珠の価値基準の一番の要素は「テリ」つまり光沢のことで、テリは真珠層の結晶が滑らかであるかどうかで決まります。
つまり巻きが厚くきめ細かいほど光沢や輝きが良くなってくるということです。人の肌も角質層がきめ細かく整っていればきれいに見えるのと同じです。
真珠は形状において一般的に「真円」に近いほど価格が高くなるそうですが、「天使の涙」と呼ばれるドロップ型のものや、キズがあったりユガんだりクボんだりするのもアジがあって人気がでたりするそうです。
真円の核を使ってもどうしてこのような形状の真珠が出来るかというと、真珠層を作る真珠袋から分泌される有機物の異常や、真珠袋の中に他の細胞が入り込んでしまったためなどが考えられます。
異常が、アジワイやオモムキを生み出すのです。
真珠のキズといってもキズがついてしまったのではなく、真珠は生き物が生み出した石ですから多少のクボミがあって当然で、「真珠のエクボ」なんてよばれているそうです。
私は何もわからないくせに、真珠の市場評価またはプロの格付けは別として、人それぞれの「美学」にもとづいて貝が生み出した自然の造形を楽しめるのが、真珠の魅力ではないかと思っているのです。

真珠のことを思いながら、日本人はシンメトリ-(左右対称)よりも「ユガミ」を愛好しているように思えますが、その美意識は一体どこからくるのだろうかという疑問が、またもや頭をもたげてきたのです。
しかし西洋人がシンメトリ-を愛するというのは単純化しすぎるかもしれないと思うようになりました。
なぜならばヨ-ロッパで17世紀頃より普及したバロック芸術の「バロック」は、ポルトガル語で、「歪んだ真珠」のことをさすのです。
今回のネット調べで驚き知った事実のひとつは、真珠の形状は業界では「ラウンド」、「オ-バル」、「ドロップ」、「サ-クル」、「ケシ」、「バロック」に分類されているということで、実は文化としての「バロック」から冒頭に書いたような「真珠」へと関心がむかったのです。

ルネサンスはイタリアで始まりましたが、人間と世界が永遠に調和している絵画、たとえばラファエロの「聖母子像」のような穏やかな雰囲気の絵画から、次のバロックの時代には、カラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」にみるような劇的で動的な絵画に代わっていきます。
また「聖マタイの召命」のように、歴史のある断片を切り取ったような「ある劇的な瞬間」を描いた絵画がたくさん描かれるようになりました。
そうした絵画からは、そこにいたる近い過去とこれから起きんとする近い未来に想像をはたかせるためにある程度までは状況を拡大して推し量ることができるだけのダイナミズムをもちあわせているということはできます。
しかし流動感はあるものの全体像の中から部分を描いたようなものではなく、独立した部分だけがそこにあるのです。
あえて数学をあてはめるならば「微分」の世界で、ちょうど17世紀「バロック」の時代にデカルトからニュートンへと「微分・積分」いうものが完成していった時代とも符合しているのです。
1676年に微積分の功労者・ライプニッツは「新接線法」というものを発表しています。
またバロックの時代は、建築デザインとしては円ではなくて楕円が使われるようになり、楕円は二つの中心を使って作図されることからも一元的な中心によって描かれる静態的な世界とは異なる雰囲気を醸しだしています。
NHK「日曜美術館」に登場した福岡出身の小説家・村田喜代子氏は耳に「歪んだ真珠」のイヤリングをつけておられたのですが、文学でも複数のサブテーマが絡み合いながら一つのテーマにむかって展開する姿を描くというダイナミズムはバロックと共通するところがあると言っておられました。
バロックの時代は何よりも、ガリレオが天体が動いているのではなくて地球が動いている宣言した「大転換の時代」です。
人間がそれまでよって立った根本的な土台(認識の前提)が代わってしまうことを「パラダイムの転換」といいますが、パラダイムの転換が起きることは人々の世界観がうってかわることであり、そうした大転換から芸術が免れうるはずがありません。
一番わかりやすい例は1637年にのデカルトによる「方法序説」で、最も確かなこととして「神の存在」から始めるのではなく、「われ思うゆえにわれあり」つまり「自我」から出発し世界の認識をしようとしたことです。世界理解を「我」の一点で微分したというのは、ヘンな言いグサでしょうか。
17世紀初頭のヨーロッパといえば全土で激烈を極めた宗教戦争などあらゆる闘争が起こり、国家や社会が分裂し、まさに「流動感」あふれる時代でした。
1688年はイギリスでは名誉革命がおきその変化に満ちた時代において、人々の間になんとか変動と秩序とのしかるべき関係を見出そうとする努力がなされたことでしょう。
バロックとはそうした時代の独特な心情的表現とみることもできます。
そこには、激烈な印象を与える変化と光のコントラストなど人間の動的感情から見出された新しい表現であったともいえます。
ヨーロッパがルネサンスで再発見したギリシャの芸術は均整が取れ美しいといえば確かに美しいのですが、変化の時代には行儀がよすぎて人々の心ををひきつけることができなくなったということでしょう。
つまり人間がたよってきた静的なルネサンス教的世界観からではなく、現実におきている変化や流動の相の中に真実を見出していこうというのが「バロック精神」なのだと思います。
そこには全体との調和などというものは消え、ダイナミックに変化していく「一瞬」が強調されているように思えます。
ところで人間の時代観というものは、日本ならば欧米列強という「坂の上の雲」をめざしたり、戦後の「所得倍増」を目指したりと国民全般がそこに向かっていく心情の共有が出来ている時代から、大きな変動期にはいって先が見えずにその時々のかすかな変化を読み取りながら生きていく他はないなどの時代相があると思います。
今我々は将来像や世界像が描きにくい時代にあって、今日明日のかすかな変化を読みとリながら生きている、つまり我の一点から「微分」しながら生きていくような時代でもあるのではないかと思ったりするのです。
ちなみにバロック音楽について、ある評論家は「その特徴は「音の大胆さで聞くものを驚かせ、急速さや雑音でもって歌の代用とする」と説明しています。
雑音(空間でいえば歪み)も美の一部を構成しているという考え方は面白いですね。
もうすこし歴史に即していうと、バロック芸術は建築においてカトリック教会の反宗教改革運動やヨーロッパ諸国の絶対王政を背景にして、教会や王宮の建築においてうねった造形や凝った装飾の多用さ強烈な光の対比など、劇的な空間を作り出そうとする動きとしてあらわれました。
それは芸術運動としては一過性に終わったものの、調和のとれた明快なルネサンス美術はほぼ破壊されたといえます。
「永遠の相のもと」がルネサンスの理想であり、「移ろい行く相のもと」がバロックの理想であるともいわれています。

「歪んだ真珠」にはじまって「バロック」のことを書いていると、日本の歌舞伎なんかはまさに「バロック」にあたるのではないかと思ったのです。
先述したように真珠のユガミ方もいろいろあって、真珠業界ではある特別の形にユガンダものを称して 「バロック」 というのだそうです。
その「バロック」という真珠をネットで探したのですが、その形はまさしくペイズリーの形、日本流で言えば 「勾玉 (まがたま)」 の形にゆがんだ真珠が 「バロック」 といわれるものでした。
あの 卑弥呼も身につけていた 「勾玉」 です。
さらにバロックは西洋の固有文化ではなく、実はオリエンタルの影響なしには出現し得なかったものであることがわかりました。
ペイズリーとは、インド北西部のカシミール地方で織られたカシミア・ショールに付けられたパターンが起源で、19世紀にヨーロッパでカシミア・ショールのコピー製品が作られるようになり、その代表的生産地がスコットランドの町ペイズリーだったので、一般的にも 「ペイズリー」と呼ばれるようになったのです。
この呼称のせいでペイズリーは西洋のものだと思われていますが、実は東洋起源なのでありました。
また論者によってはバロックというのは「かぶき的心情」の現われそのものだという人もいます。
江戸初期のかぶき的心情は、安土桃山期のダイナミズムと自由を享受し一度は実現したかに思われた個人のアイデンティティーが江戸期の狭苦しい枠組みのなかに急に押し込められた為に起こる憤懣ややりきれなさから生まれたものだそうです。
かぶき的心情に発する行動はユガミ屈折しているそうですが、歌舞伎においては誇張され大仰になり、要するに「バロック的」な芝居となり芸術にまで高められていったのです。
ヨーロッパでバロック様式が最盛を極めた17世紀は、イギリスやオランダの東インド会社が設立により東洋の産物がどっと西洋に流れ込んだ時期でもあり、実はオリエンタルの影響が非常に強い時期だったのです。
そして、はじめ「バロック」は侮蔑的な響きさえある呼称であったそうですが、20世紀に入ってから突如、再評価されるようになったのだです。
その時ヨ-ロッパでは「ジャポニズム」の風潮も広がっていました。

バロックとは、17世紀を中心にヨーロッパ各国に広まった美術・文化の様式ですが、広くは同時代の生活態度全般を特徴づける言葉で、ヨ-ロッパの人々の意識の中に生まれた閉塞感から抜け出すために取り入れられたのが東洋美学です。
その東洋美学の中でも左右非対称を旨とする日本の美学に共通点を感じます。
実は日本は鎖国の時代でありましたが、東インド会社を通じて日本の文物はヨーロッパにかなり拡がり「ジャポニズム」とよばれる文化現象も起きています。
評論家・加藤周一氏の「時間と空間の文化論」には啓発されますが、氏は日本文化の特性のひとつとして「此岸性」をあげています。
日本の民族信仰の中に「彼岸」の考えはほとんどなく、神々の影響は「いまここ」に現れるのであって死後において作用するものではない、 仏教は「彼岸」の観念を持ち込んだが、神仏習合と現世利益の強調はその彼岸の観念を弱めた、多くの日本人の関心は、彼岸との関係よりも、此岸の、「いまここの」状況にむけられてきた、と指摘されています。
また氏は日本文化の特徴として「部分主義」をあげています。
日本人は全体から部分をみるという発想ではなく部分を積み重ねて全体ができるという発想をする、日本の町は街道筋にあるいは城下に「おのずから」発達した、つまり部分を重ねて全体ができることで左右対称にはならない、左右対称というのは意識的な計画のもとで初めて実現するものである。
茶室の露地の敷石は、故意に複雑に左右対称を破るようにつくられている、苔の上に散る楓の葉の美しさは偶然性にあるのであって全体との調和にあるわけではない、と指摘されています。
要するに、日本文化において「左右対称」は人工のものであり、達成されないのではなく意図的に排除されなければならないものなのです。
また「茶の湯」の世界では、一期一会という言葉があるようにその「瞬間」へと意識を凝縮させます。
以上の加藤氏の論を読むうち、ヨーロッパで一時期栄えたバロックには日本文化の影響がまったくないとはいいきれないと思うようになったのです。

冒頭で述べたように、真珠のチェーンは左右対称つまり一粒一粒のマッチングを考えつくされた「整形美人」がある一方で、あえて美しいが不揃いの形状の真珠がつながった「バロック・チェーン」というものがあります。
バロックの楽しみとは結局、デコボコが作り出す様々な形の光の輝きを楽しむことにあるみたいです。