パノプチコン

鳩山前首相がかかげた「友愛社会」、そして菅現首相がかかげた「最小不幸社会」、奇しくも哲学の二大潮流を連想させるものである。
人間を「経験の産物」と見るか、「元々何か備わった存在」と見るかは、哲学の二大潮流といってよい。
カントは、先験的(経験以前)な形式にのっとって経験を整理し認識するとして両者を統合した点で、近代哲学の完成者といわれる。
つまり近代哲学はカントで完成したといってよい。
(あとはツケタシと言っては失礼でしょうか)
ところでイデオロギーというものは、人生のある時点で「学習」して身につけるものであるが、それに含まれる観念は、 人間が先天的にもった「イデアの発見」にすぎないと見ることもできる。
フランス革命の理念(イデア)は、「自由 平等 博愛」なのであるが、前首相の鳩山氏は、自由主義はヒットラーなどの独裁者に道を明け渡しダメになり、平等主義も社会主義国家の崩壊でダメになったといった。
残ったのは「友愛」であるといい、「友愛社会」を唱えた。というか、それが鳩山家の家訓である。
となると鳩山氏は、どちらかといえば「イデア」の政治家であったといえるかもしれない。
一方、菅氏が表明した「最小不幸社会」という言葉は、イギリス経験主義の大成者の一人であるベンサムの「最大多数最大幸福」を想起させる。
ベンサムによれば、人の幸福と不幸を直接的に知るのは快楽と苦痛という「経験」でしかない。
ベンサムのユニークさはその割り切った考えではなく、快楽と苦痛を計測できるとした点である。
ベンサムは実際に、快楽と苦痛を「強さ」「確実性」「遠近性」「多産性」「純粋性」などを基準にして、物理的に計算することに異常な興味を示した人物であった。
つまり社会正義の実現の為には社会全体の「快楽」と「苦痛」を天秤にかけてみよ、というわけである。
「苦痛」といえば、マウスに電流を通して苦痛を味あわせ、その行動を観察するような実験を連想してしまうので、あまり感じのいい哲学ではない。
実際にベンサムは化学の実験をしたり、自分の死後にはミイラにすることを遺言するような相当な変わり者であった。(博物館でベンサムのミイラと会えます)
菅氏が「最小不幸社会」と言ったところで、まさか「快楽」と「苦痛」の帳簿計算みたいなことをやろうというわけではない。
「経験」で確かめられることのみを根拠としてそこから結論を導こうというベンサムの方向性は、理念からではなく「市民の声」を出発点として政治活動をはじめた菅首相と符合する要素がある。
菅氏が学生時代に、市川房枝氏に師事し市民運動に飛び込んだということだが、市民運動は直接に「市民」の声を聞きつつそれを結集し政治に反映しようという運動であるから、理念先行ではなく、「経験主義」から育った政治家といえるのではないだろうか。
菅氏は、社民連から初当選して以来、厚生関係の仕事との関わりが深かった。
記憶に新しいのは、菅氏が厚生大臣として取り組んだ薬害エイズ問題であった。
ちなみに、菅氏が「薬害エイズ調査委員会」を結成し厚生官僚に切り込んでいく際にタッグを組んだのが、現幹事長の枝野幸男氏である。
血液製剤の輸入をめぐり厚生省に大きな過ちがあることは、もはや誰の目にも明らかであった。
官僚の立場では、裁判所が行政に責任があると判断して初めて行政として対応するということらしいが、400人がHIVの被害をうけ亡くなっていく人も増える中、官僚はペナルティは課せられないまま短期間に担当部署変わっている状態では、長期間要する裁判は実質的な意味で弱者を救済することができない。
また、菅氏が厚生大臣の立場で一人「謝罪」したら一時的に英雄視されるかもしれないが、「あれは大臣の個人的見解で厚生省の見解ではありません」と言われればどうにもならない。
そこで菅氏は、厚生大臣の前例のない「文書」を役所に出して、薬害エイズ関連の資料を調査させた。
単に「探してみたがありませんでした」ですまないように「誰がどのように調査したかという点」までも明らかにさせた。
そして、厚生省に過ちを認めさせるだけの「郡司ファイル」とよばれるエイズ研究班の資料に到達するのである。
理念どまりに終わらない菅氏の「経験主義」または「実証主義」の政治手法がここに表れていると思う。
さらに関わりのあった厚生省の官僚にはそれなりの降格や減給の処分が課せられ、関わった官僚達にしっかりと「苦痛」を味あわせた。
「信賞必罰」というのは、おそらく経験主義の路線でしょう。
これによって被害者が味わった「苦痛」の一部は救済されることになったし、何よりも行政不信が「郡司ファイル」の公開などによりぬぐわれた「快」が大きかった。

ところでベンサム流の経験主義の立場は、「功利主義」ともよばれる。
「功利主義」の社会思想的特徴は、道徳や民主主義を「人権」からではなく「功利」の観点から、捉えた点である。
つまり「人権」などという抽象的な観点からではなく、「快楽」「苦痛」といった人間が経験として認知できるところから、社会論を展開したところが、イギリスの「経験主義」の伝統に根ざすものであった。
ベンサムは、化学実験をするなどして自然界の法則にも強い関心をもっていたが、人間も自然における「快楽」「苦痛」の法則に隷属し、それによってその行動を決しているとしたのである。
そして、「最大多数の最大幸福」を実現する制度こそが、社会的に望まれる制度であるということを主張した。
ベンサムのいう「最大多数」の部分は、具体的には「参政権の拡大」と読み直すとわかりやすい。
この点からも、ベンサムの功利主義は「民主主義」の実現を支持するものであり、市民革命にも少なからず影響を与えたに違いない。
しかし、フランスの市民革命が新興のブルジョワ(金持ち)の自由や財産権への戦いに限定されたのに対し、イギリスにおける労働者の選挙権獲得(拡大)運動すなわち「チャーチスト運動」に与えた影響の方がはるかに大きかったにちがいない。
ベンサムの思想が具体的に生かされたのは、長年イギリスの植民地ななっていたスリランカ(当時、セイロン)の解放と新しい社会制度つくりといわれている。
ベンサムの功利主義は、人間社会や道徳の由来を実体験できるわけではない「自然権」や「自然法」あるいは「社会契約」などなどから思考を出発することをヨシとしないので、かえってスッキリする面もある。
人間は、宗教や道徳にせよ「経験」によって学習したものとして確立させたものにすぎない、ということになる。
つまり、人を害すれば何らかの形で自分にも返って来ることを経験によって学び、人を害する気持ちを押さえ正しく振舞おうというその気持ちがおきる。
その気持ちを多くの人と共有できれば、そこに「道徳」が生まれることになる。
ベンサムは唯物論者ではないので信仰心を否定することはしないが、信仰の姿勢としては人に幸福をもたらす限りでの「信仰」ということになる。
宗教も人を満足させ幸せにできないのならば否定される。
功利主義は、あくまでも「人間中心主義」であり、「結果重視」の立場であるといえよう。
管首相は、ロッキード事件への怒りから政治をめざしたそうだが、社民連という少数政党の議員であった時に、当時自由党の小沢氏(元田中派)と手を組むことになったわけだから、目的の為には手段を選ばないリアリストであるともいえる。
一方、鳩山氏は善意から「普天間問題」に踏み込んだにせよ、結果が沖縄の人々の不満に油を注ぐよう結果となった。
動機は美しくとも、結果重視の「功利主義」の立場からは、当然否定されるべき行為である。

ベンサムが功利という面から、民主主義の思想を支えたとしても、自由とか民主主義とかいわれる先進国世界で最近ムキダシになったのは、「最大多数の最大幸福」どころか、「最少人数の最大幸福」というような社会の有り様なのだ。
それは、「ハイテク金融資本主義の台頭」で「最大」の部分を「最小化」する強い流れが起きていることを意味する。
他方、ベンサム流の「最大幸福社会」と合致するような「岩清水」のような流れが最貧国といわれる国でおきている。
ノーベル平和賞をうけたバングラデッシュの貧困へのマイクロファイナンスのあり方は、サブプライムローンなどに見る貧困層への関わりとは違う、善意と創意あふれるものである。
フランスの歴史家ジャック・アタリ氏は、「合理的博愛」への目覚めた人々すなわち「トランス・ヒュウマン」ともいうべき人々が未来を招き寄せる最大の希望であるとのべている。
そして自らアフリカの貧しい人々のために数万円単位の小額の融資システムを考案し実践している。
アタリ氏が実践しいるのは、無償の援助やボランティアではなく、あくまでも資本主義のシステムを使ったビジネスによる支援である。
金利は13%と高いが返済が滞ることはないという。
つまり返済率100%なのだ。
三万円程度の出資で、蜂蜜の店を持つことができた人がテレビが紹介されていた。
つまり通常の銀行のように金が返せるか返せないかを「審査」するのではなく、金を貸すと同時にその金を増やし返せるようになるまでの事業のあり方を指導するまでしているのである。
このような形で、従来の金融機関が取引の対象としてこなかった貧しい自営事業者等を主な対象として、小規模な金融サービスを供給する事業を、「マイクロファイナンス」と呼ぶ。
またハマド・ユヌス氏はバングラデシュにおいて、農村地域等の貧困者層をターゲットに事業を展開している金融機関であるグラミンバンクを創設者し、2006年のノーベル平和賞を受賞した。
ユヌス氏は、フランスのヨーグルト会社と合弁企業を立ち上げ、低価格のヨーグルトを子供達に販売して、子供達の様子はすっかりかわったという。
ジャック・アタリ氏は「合理的な博愛」を持った人々の「超民主主義」を唱えたが、そんな「博愛」までには至らずとも、「友愛」の人々ならば現実にたくさんいる。
「マイクロファイナンス」は、そういう人々の気持ちのはけ口をも提供したことになる。
一方、「ハイテク金融資本主義」の台頭は冷戦の終結と大きく関わっている。
軍事産業から金融界へと「最高の頭脳」が解き放たれたのを背景にしてデリバティブなどにみる「金融工学」が創出されたからである。
近年、世界全体を混乱に巻き込むことになった「債権の証券化」は、コンピュ-タ(IT)を駆使して収益の危険度を分散化する技術である「金融工学」の発達に負うところが大きい。
アメリカでは十年ほどまえに住宅ブ-ムがおき、住宅ロ-ン会社はロ-ンを増やした。返済能力が低いと返せなくなる(焦げ付く)ので貧しいものに対しては当然金利は高くなる。
住宅ロ-ン会社は貧困者がおカネを借りやすくするために最初は低金利で、数年後には変動性の高金利に移る仕組みをつくった。
これが低所得者向けのサブプライムロ-ンである。
金融工学の妙はリスクの組み合わせで金融商品をつくるということであり、格付け会社からトリプルAの評価をうけた。
しかし、いかに負債を証券化しても負債(ロ-ン)が「焦げ付く」可能性は形を変えて残っており、実際に住宅ブ-ムが去ると住宅購入者の資産価値は減るし、高率の変動性に転じた金利が生活を圧迫した。
結果からいうと、「ハイテク金融資本主義」者たちは、貧困者に一時的な夢を見させ、経済の趨勢が変わるや後は野となれ山となれ、という態度だったともいえる。
マイクロファイナンスが貧困者が貧困から脱出する出口に導く「金融」を提供したのに対して、この金融工学は貧困者をさらなる貧困にたたき落とした。

「最小人数の最大幸福」ということならば、最近のユーロ危機と関わったアメリカの投資会社を思いおこす。
1971年のニクソン・ショックでアメリカは金とドルの交換を停止した。アメリカの威信は低下したものの、金から解放されてアメリカは欲しいものをドルの印刷によって購入できるようになった。
他の国のように輸出をして黒字を生み出し、そこから輸入するといった制約がなくなったのである。
一方、ドルの大量流出は、ドル不安をまねき、不安定になったドルとは一線を画した「ユーロ経済圏」が出来たわけだが、その「グローバリズム」がギリシア危機をまねいた。
実はギリシア破綻には、サブプライム問題で悪名を馳せたアメリカ最大の投資会社ゴールドマンサックスが大きく関わっている。
ゴールドマン・サックスは、もともと投資銀行事業部というものが非常に充実した会社であった。
智恵と人脈を使い(資本金は使わず)顧客にアドバイスする部門」が本流中の本流であったのだが、今ではこの部門があげる収益は全体の一割で、単にスクリーンを見て「安く買って高く売る」もしくは「高値で空売りして安くなったら買い戻す」行為に長けた人々に変わった。
端的に言うとバンカーの会社からトレーダーの会社に変わったという。
ゴールドマン・サックスは、財政赤字をGDPの3%未満に抑えるというルールをなかなか満たせないで困るギリシア政府に、「債務隠し」の手段を提供して巨額のフィーを手にした。
一方で空売り業者と結託してギリシア国債の値下がりを進め、そこで巨額の利益を上げたといわれている。
その過程で、ギリシア国民は、失業率が高まり、給料や年金が減額され、極めて困難な生活を強いられている。

ベンサムは「パノプチコン」というとてもユニークな刑務所を考えた。(後年これをモデルに建設された)
数階建ての円形の建物で、真ん中は吹き抜けにして、そこに監視塔をたてる。そして周辺に円形で囚人房を配置する。
この建物は刑務所としては最高の効率性を持っている。監視塔に一人看守がいれば全貌を見渡せるからである。
それどころか、囚人房から監視塔の内部を見えないようにすれば看守さえいらない。
「看守はここから見ているぞ」と 思わすことができればよいのである。
ベンサムが生きていた時代に、公開処刑が見世物になっていた時代から、監獄のなかで「見られる」ことを通じて教育を受けるという理念に変わった。
つまり監獄は、処罰の場から更生施設に転換したといえる。
ベンサムは、「最大多数の最大幸福」の理念のもとに、罪人の更正のための施設を考えたのである。
その点からいえば、ベンサムは弱者の視点に立った「功利主義」を唱えていたともいえる。
現代の思想家であるミッシェル・フーコーは、社会そのものをベンサムのパノプチコンにちなみ「監獄の誕生」ととらえた。
つまり、フーコーは、パノプチコンに閉じ込められた受刑者とは実は我々一人一人のことではないかという。
一人一人に法が植え付けられるということは、何かの視線にさらされながら「過ち」と「罰」(損失)の繰りかえしによって学習していくというのである。
人間は、常に何がしかの「監視塔」を意識しながら自己を形成しているともいえる。
監視塔からはなたれる視線は、時代によって、神のものであったり、王のものであったり、独裁者のものでもあったりした。
また家族の目もあり地域の目もある。
監視塔の中身が何ら実体のないものであっても、猜疑心や疑いなどを抱くと、人々はまるで監視されているかのように恐れながら生きることがある。
すぐに思いつくのは、1950年代に熱病のようにアメリカを吹き荒れた「マッカーシー旋風」(赤狩り)である。
最近、世の中は、金の裏づけのない紙幣や、その実体がアヤフヤな金融商品が溢れ、最少人数の為の「最大幸福ゲーム」の格好の舞台となっている感じがする。
こうしたゲームを主宰する「闇」の視線が、どこかの監視塔から光っているのかもしれません。