世にも微妙な話

太平洋に浮か岩塊。島なのか、岩なのか、それが問題である。
一応、「沖ノ鳥島」という名がついているが、本当に島と呼んでいいのか、写真でみるととてもビミョーという感じがする。
この島は、1543年スペイン人が発見して「アブレオジョス」という名前をつけた。
その意味は「目を開いて見よ」で、目を開いてみないと座礁の心配があるほど小さな島なのだ。
しかしこの島は潜在的に、日本に膨大な経済的価値をもたらす可能性がある。
島なのか岩なのか、問題の発端は2004年4月、日中事務レベル協議の場で、中国側が「沖ノ鳥島は、国連海洋法条約121条3項でいう"岩"であり、"排他的経済水域"を有しない」と発言したことによる。
「排他的経済水域」とは、漁業・鉱物資源などへの権利が認められる範囲で、沿岸国は200海里(約370キロ)にわたって設定できる。
ちなみの領海は12海里(22.2キロ)だが、領海とはいえ沿岸国の安全を害しないかぎり、外国船の通航を認めなければならない。
排他的経済水域には、外国の船自由に立ち入る事が可能だが、地下資源や海洋資源に関しては「排他的管轄権」を有するので、沿岸国に無断で資源を採る事ができない。
沖の鳥島はわずか周囲10キロの島だが、その「排他的経済水域」はなんと日本の「本州」並みに面積に広がっているのである。
そしその範囲内には、ニッケル、マンガン、コバルトなどレアメタルを含む金属鉱が豊富に存在している。
排他的経済水域で沿岸国は、漁業について漁獲量の分配、漁期、魚種などを決定することができる。
具体的には、外国船は「漁業協力金」を支払うことによって、決められた範囲でイカ漁が認められたりする。
沖の鳥島の近海にはマグロの産卵場所はあり、日本の「初鰹」はこの排他的経済水域でとれたものが多い。
ここで生まれたマグロは、黒潮に乗って北上し三陸沖で釣り上げられ、最高級近海マグロとして東京・築地でセリにかけられる。
したがって、この沖の鳥島がもしも中国の主張どおりに「岩」と判定されれば、日本はその膨大な潜在的「経済価値」を失うことになる。
というわけで、このなんともタヨリないビミョーな「島」が、どんな時もどんな時も島が島らしくあるために、涙ぐましい努力がはらわれてきた。
国連海洋法条約によると、「島」として認められるためには、人が住んでいるか、経済生活をする必要がある。
逆に人が住めない経済生活を営めないような場所は、島とは認められないのだ。
沖の鳥島は、日本最南端に位置する孤島で、緯度でいえばハワイのホノルルよりも南に位置する「島」である。
そして驚くべきことに、何と東京都に属している。
住所は、北小島が東京都小笠原村沖ノ鳥島一番地で、東小島が二番地であるが、郵便物は届いたことはない。
さらに驚くべきことに、「本籍」を沖の鳥島に置いている人がいる。
何しろ人が住めない島は国際的には「島」と認めてくれないならば、ナニガナンデモという戦略的意図があるのかもしれない。
日本で生存権の実質的な意味を問うた朝日訴訟(1957年)で、原告の朝日茂さんの死亡によって裁判が打ち切りにならないように、支援者が朝日さんと養子縁組をしたのを思い出す。
戦略的、「養子縁組」である。
また同時期に大分県と福岡県の県境の室原知幸らを中心とした起こった「下筌ダムの攻防」を思い起こす。
国はダム建設のための「土地収用法の適用」にあたり、測量に当たり已むをえない必要があれば障害となるモノを伐徐を出来ることになっていた。
しかし法ではその障害物を「植物若しくは垣、柵等」と限定していた為に、室原らは小屋という厳然たる構築物なら法的に撤去できないハズだと考えた。
住民等は民法上の権利を設定すべく、生活できる小屋を次々と増やしていく戦術にでたのである。
これが、いつしか黒澤明の「蜘蛛の巣城」にちなんで「蜂の巣城」とよばれるようになった。
つまり小屋は実用よりも法的戦術のために存在したのである。
さすがにこの沖の鳥島に住居を移す人は今のところいないが、もしそうするならば「ロビンソンクルーソー」志願者にしかできないソーダンである。
いや、それ以上に過酷な生活になるかもしれない。
国際法上に「島」となる為には、何らかの「経済生活」をする必要があるが、世界的に見たらアホウドリの糞を集めてきて肥料として売って、「島」と認められているケースもあるという。
沖の鳥島は、現在いくつかの調査や実験が行われてるが、それが果たして「経済活動」といえるかどうかはビミョーである。
その調査というのは、魚類やサンゴなどの生物調査や気温や水温、潮位や波高などの気象・海象観測、そして塗装・コンクリートおよび金属材料の耐久性調査などである。
つまり、陸地の影響をうけない孤島であることを利用して様々な実験が行われているということだ。
今後、中国などの圧力が強まってくると、沖ノ鳥島における調査とか観測活動が、国際法上の「経済活動」として認められるかが、重大な問題となっている。

しかし、沖の鳥島の最大の敵は中国の圧力ではなく、それ以上に「地球の温暖化」であるかもしれない。
今世紀中に海面が40センチ以上上昇すると予測されているが、世界ではモルジブ諸島などの観光資源が温暖化によって水没しようとしているし、イタリアの水の都・ナポリも今世紀中には危機に瀕しているといわれている。
というわけで現状を放置すれば、沖の鳥島が「水没」するのは時間の問題である。
島が水没すると、「排他的経済水域」どころか領土や領海さえも主張することができなくなる。
では、そうならない為にどうするか。
日本の建設省は沖の鳥島を守るために護岸工事をした。
コンクリートできた護岸で島をグルリとかこんだのである。
護岸部と沿岸部との間に水路をつくり海水と接するようにしたのは、「人工物」でかこまれると、「水で囲まれる」という海洋法条約でいう「島」の条件を満たさなくなるためである。
沖ノ鳥島が、正々堂々と「島が島らしくあるため」には、自然に陸地を「再生」するような工夫をしなければならない。
「沖の鳥島再生計画」には様々な意見が寄せられているが、なかには島の上に鳥小屋をつくって海鳥を飼いたくさん糞をさせて陸地にするなどという意見も寄せられているそうだ。
このアイデアは、少々実効性に欠ける感があるが、ある東大助教授が、サンゴや有孔虫の「自然培養」を利用してサンゴ礁の砂浜を作るなどの試みをしているという。

ところで、「大陸棚」とは、沿岸国の領海を越えて延びる海域で、そこに眠る天然資源の開発のために主権的権利を持つ区域のことである。
大陸棚は陸地の自然延長だから、沿岸の基線から200海里を超えて350海里まで排他的経済水域を設定できる。
日本の大陸棚には、コバルト、ニッケル、銅、マンガンなどレアメタルとよばれる鉱物が多く含まれ、 日本の産業や科学の発展にとって欠かせざるものがある。
ここで重大な懸念がある。
中国は東シナ海に広がる自国の大陸棚を、「尖閣諸島が自国の領土である」との考えから、日本との中間線をはるかに超えた沖縄トラフまでとしていることである。
日本の文化的特質は、曖昧さや微妙さをどこか残しておいた方が、平和であるという意識からもたらされたものが大きい。
国の主権がおよぶ範囲という部分で、陸と陸が接した隣人をもたなかったことが、海洋における「曖昧さを」を許容してきたという歴史的な背景があるのかもしれない。
中国の発展の勢いからすれば、なりふりかまわぬ資源の確保こそが国是であるために、「領有権」の主張をもって日本近海の「海」への圧力をさらに増していくことが予想される。
ところで、国際法のなかにあって「領有権」を主張するとはどういうことだろう。
国内法と国際法の最大の違いは、裁判でどんな審判が下されようと、後者にはそれを執行する「強制力」がともなわないということである。
1994年に、様々な海洋法を集大成して国連海洋法条約が結ばれた。
領海を12海里、排他的経済水域を200海里、ただし大陸棚が200海里をこえる範囲では、一定の範囲で沿岸国にその権利が認められる、と決まったのはこの条約によってである。
そして、各国の管轄権の外にある深海底の鉱物資源は、人類の「共同財産」としていかなる国も勝手に開発できないことになった。
しかし「海のバイブル」といわれる「国際海洋法条約」は140カ国以上が批准しているものの、「世界の警察」といわれるアメリカが批准していないのである。
海の国際法の「強制力」がアヤフヤなのは、こういう事実によるのである。
こういう裁判の「執行力」あるいは「強制力」を考えると、土地の権利や財産権が明確ではなかったビミョーな時代である鎌倉時代の御家人の「一所懸命」を想起させる。
鎌倉幕府ははやくから領主間の紛争の調停を行い、裁判機関の設置を積極的に行ってきた。
そこには、近代的司法制度の萌芽さえ認められる。
御家人達は、自分達の所領(土地)について争いがおきれば、幕府に出向いて土地争いを問注所などによって裁いてもらうのだが、そのさいに様々の文書を提出した。
鎌倉期に完成された時期の裁判制度では、「三問三答」といって、訴人(原告)と論人が文書を三回ずつとりかわして、最後の引付衆の前に出頭して対決し、その結果、評定会議で裁断が下されることになっていた。
その際、訴人・論人はみずから、自分の主張を証拠だてる文書や法令をみつけて提出しなければならず、幕府も提出された証拠についてのみ審理を行ったのである。
その文書で重要なのが、誰が開発した土地であるかであり、開発した者に土地の領有権が属すのである。
743年の有名な「墾田永年私財法」はそういう発想の法令であるが、御家人らは自己の権利を正当づけるために文書を大切に保管し、またさまざまなツテを頼って幕府の出した法令を探したのである。
現代の国際法も、鎌倉の御家人が「一所懸命」に証拠文書を集めたように、国と国との条約や覚書の類いが、ビミョーな国境を定める有力な根拠になっている点で、そしてまた判決がでても「執行力」が確実ではない点で結構似ている、と思う。
最近見た「東京島」という映画では、たった一人の女性と数人の男が南海の孤島でどのようにサバイバルしていくかという話である。
この話実は、1945年から1950年にかけて、マリアナ諸島のアナタハン島で起きたアナタハンの女王事件をモデルに創作された作品だそうだ。
映画のサブストーリーとして、島に流された日本の若者達と島に流された密輸中国人の違いが描かれた点では、現状の双方国民性をアラワしているようで面白い部分もあった。
中国人は智恵をしぼりあるあらゆるものを材料に帰国用の船を作って海に乗り出し帰国をはかろうとするが、同じく流されたフリーター中心の日本人は与えられた温暖さと食うに困らない程度の島の環境に「適応」することを考える。
外へのアキラメが早く、最近の「ガラパゴス化」などに見られる「内向き」傾向を思い浮かべた。
国家の「主権」というのは本質的にゆずれないもので、歴史上多くの戦いはそこから起こってきた。
そして今後、国境という「主権」問題がますます前面に出てきそうな情勢の中、ビミョーな領域では武力で奪い取られ「実効支配」される可能性も低くはない。
今の日本政府は、国の「主権」に対する「一所懸命」という点で希薄な気がしたのが、今年9月に尖閣諸島でおきた中国漁船の巡視船衝突事件である。
この事件以後、よく論者がいう「尖閣列島は日本の固有の領土である」という言い方は少々気になる。
つまり「固有の領土」というのは一体どこまで相手に通じるかという疑問である。
「固有の領土」の基準が相手と共有できなければ、それは無意味な主張となるからである。
事実に即して言えば、尖閣列島は、1895年に日本の領土になったのである。
明治政府は、無人島であること、中国をはじめとした諸外国の支配が及んでないことを慎重に調査した上で、領土に編入する閣議決定を行い、翌96年に沖縄県八重山郡に編入した。
実は尖閣列島は日本に編入される10年ほど前に、福岡県在住の実業家・古賀辰四郎がすでに調査団を派遣して開発をはじめていた。
古賀はアホウドリから羽毛を採取する事業に成功していたので、沖ノ鳥島とちがって尖閣諸島では「経済活動」を一応やっている。
中国がこの国の領有権を主張し始めたのは、1971年以降のことで、東シナ海の海底に世界第二のイラクの埋蔵量に匹敵する油田が存在するという調査結果がでた直後であった。
1951年、日本の独立がきまったサンフランシスコ平和会議では、明治維新以降、日本が幾度かの戦争により獲得した、支配地域に対する領有権の放棄が求められた。
だから明治維新以前に、言葉をかえれば「歴史的に支配した」地域だけが「固有の領土」となったのである。
だからこの条約で「放棄せよ」という領土以外は、日本は自分の領土として思ってヨシ、ということである。
そして「放棄せよ」といわれたところに、尖閣列島、北方領土、竹島もはいっていないので、これらは日本の領土であるとこの時点で「国際的」に承認されたと思いたい。
ところが、話はそう簡単ではない。
サンフランシスコ平和条約は日本が51カ国と「まとめて」結んだ条約なのだが、中国もソ連(現ロシア)も韓国もサンフランシスコ平和会議に出席していない。すなわち条約締結国ではないのである。
そこでソビエトが北方領土を「実効支配」し、中国が尖閣列島の領有権を主張し、韓国が竹島の領有権を主張するということは、当該国の立場に立つ限り、サンフランシスコ平和条約違反でもなんでもないのである。
さらに、明治以前に時代を溯れば、中国が尖閣列島の領有権を主張する根拠となる「日本側」の文書がある。
それが林子平が書いた「海国兵談」である。
海国兵談は、日本近海に出没する外国の船に危機を抱いた林子平が、海岸の警備の必要を幕府に訴えるために書いたものであった。
この林にはもうひとつ「三国通覧図説」があるが、この中で尖閣列島は中国の領土として「色づけ」されている。
江戸時代に、日本が人も住めず、米もとれない絶海の孤島にどんな価値を見い出しうるであろうか。
またこの書の地図は、地理的な意味での正確さをメザシたものではなく、その形状はあまりにも事実とはなれたものとなっている。
林子平が世情を乱すものとして処罰された一因は、この地図の形の不正確さによるともされている。
したがって、これを根拠に中国側が「尖閣列島」の領有権を主張するのも滑稽な話である。
しかしもし「固有の領土」の「固有」の意味が、長い歴史に基づく民族の文化にかかわることであるなら、尖閣諸島は「日本の固有の領土」というのはそれほどの説得力のあるものではない。
その島々は1895年以来、たかだか115年間、国際法の次元いおいてのみ、日本の「先占」が承認されたものにすぎないからである。