中国人のファイル

中国が今年中にGDP水準で日本を抜き世界2位になりそうだ。まだまだと思っているうちにいつの間に!という感じがする。
はるか眼下の敵機(競争相手)が、いつのまにか目の前に急浮上してきた感じだ。
福建商人に代表されるように、中国人は世界を相手に「ものを売る」ことに関して、伝統的に日本人よりも優れた国民性を持っている。
ただ「ものを作る」という点に関してはいまなお日本人の方が優位にあるのではないか。
偽物やまがい物が横行する中国社会に、モラ-ルの高いもづくり文化が養われてきたとは思えないし、少なくとも日本人のような「職人気質」というような言葉は聞かない。
実際に中国経済発展の最大の理由は、もの作りの能力における優位性ということではない。
中国発展の最大の理由は外国からの直接投資の大きさで、諸外国が安い労働力をもとめて生産基盤を中国本土に移してきたためである。
つまりモノを安くつくる場所を提供する、すなわち「世界の工場」になることによって発展した。
世界的な経済的低調は、中国の安い労働力市場をさらに魅力的にしたと思われる。
しかしマックス・ウエ-バ-の所説にみるごとく資本主義のエ-トスは一朝一夕で出来上がるものではないし、一国が資本主義的発展軌道に乗るのはそうたやすいことではない。
発展に必要な物資を購入する外貨が必要だが、日本の高度経済成長は新幹線はじめ合計31件の大規模事業が世界銀行からの借り入れによって行われた。
しかし中国の場合、日本やアメリカから工場建設や合弁という形の直接投資を受けいれ、日本の成長のように対外的な借り入れに依存することはなかったし、その過程で技術移転も行われた。
ただ、今尚「共産主義」を標榜する中国がそれだけの直接投資を引き寄せたという点が一番不思議に思われる。
多大の直接投資は、必然的に労働コスト(生産コスト)を上げざるを得ず成長を鈍らせるからだ。
だいたいこの国はそれでも共産主義国家といえるのかと問いたくなるが、政治的には中国共産党の一党独裁が行われているので、表向きはそう呼ばざるを得ない。
しかし経済的な実態はどうなのだろう。
結論からいうと、中央集権的な土地配分と労働者の差配という共産主義的要素が資本主義的な発展と奇妙にかみ合った社会といえる。
日本では今「派遣」という言葉がよく言われるが、中国は国をあげて派遣事業のようなことをやっていると見えなくもない。
農村部から都市部への労働流入のコントロ-ルこの巧みさで「労働賃金」を賃金の高騰を押し留めているといえよう。
中国は、国家が世界最大の大地主で、地方機関を出先とする一大派遣業者と見るのはどうだろう。
労働派遣事業を大規模に展開する巨大地主が中国という国の実際の姿ではなかろうか。

中国共産党は世界最大の地主であり、学校の教科書通りの「土地は全人民所有」のままである。
土地に関しては私有の観念はいまだ未発達であるといってよい。
取引されるのはあくまでも消滅時効つきの「利用権」にすぎない。
おかげで中国政府は好きなように土地利用計画をつくることができる。そしてひとたび計画を発表すると土地の「利用権」価格が生じる。
中央政府高官は、無から有をいともやすやす生み出す事もできるわけだ。
中国では農村部に多大の余剰労働力を保持しているために低賃金でいくらでも労働者を雇うことができる。
これが外国資本にとって最大の魅力で、中央政府高官は土地の「利用権」をどう外国に売るのかを腐心しているといってよい。
一般的に一定の賃金で無限の労働供給がある場合には、貿易財産業で一般的におきるインフレがおきず、インフレを相殺するような為替レートの上昇はおきないのである。
中国は平等よりも成長を優先させ、少なくとも1990年代はじめ沿海部都市を先行離陸させた。
鄧小平の改革開放路線の考え方は、豊になれるものを先に豊にさせ、その余禄を根気よく奥地へ回していくことによって全体として発展を図ろうとした。
今から10年ほど前、世界のマスコミは北京におけるマクドナルド開店を改革開放のシンボルとして放映した。
私は20年前と10年前に北京を訪れたことがあるが、東京の銀座あたりとそれほど遜色はなく、もはや別の国になったという印象をもった。
しかし今なお、中国社会には都市部と農村部との間には明瞭な差別があり、その差別的な使い分けが一番大きな特徴といえる。
農村戸籍しかないものは、最低賃金制の対象にならないし、企業の採用面接をうけることができず、子供を公立学校に通わせるのに高い学費を払わせられる。
そのおかげで農村部から高賃金を求めて都市部への人口の流入がおきない。
農村出身者は普通、地元政府機関の斡旋によって集団として都市に上り、多くは機関監視のもとで一定期間労働をする。
彼らがその間に蓄えた貯蓄を懐に地元に戻ると、彼らの後を襲って別の農村出身者が上って来る。
そして賃金は、再び最低ラインからスタートする。
中国がいまなお共産主義国家とよぶべきもうひとつの理由は、「档案(とうあん)」とよばれる個人ファイルの存在である。
ファイルという言葉はプロフィ-ルという言葉と響きあうが、共産党の地方機関はまるで「档案」をベ-スにした派遣業者のような役割を果たしているのである。
「档案」は就職、労働契約の締結、社会保険事務、出国手続き、国家公務員登用などにおいて不可欠な個人ファイルなのだそうだ。
小学校時代の成績、鉄棒の逆あがりができるか否かまで、職歴とその勤務評定の仔細にいたるまでが記されているという噂だ。
日本で成田空港の滑走路をひとつやふたつ作るのにも20年以上を要するのに、中国ではそれよりずっと大きな空港を短期間に3つもつくることができた。
それは農村部の人々に都市戸籍をあたえるといって集団の立ち退きをすることが可能だったのである。
こういう人々の大規模な移動を可能にするのが「档案」である。
逆に人々を都市から追い出す場合には、かわりに「档案」という国家による人事評定なのだ。
中国共産党は一党独裁を堅持することこそ至上命題であるから、あるとき職場に共産党の地方の幹部が来て一人ひとり聞き取り調査を行い、「档案」のような思想カルテを兼ねたファイルで人民を監視してきたのである。
共産党独裁は、今でもこうした個人ファイルの力にものを言わせて成り立っているという側面がある。
人々は都市から立ち退きを命ぜられると、一生のファイルに傷がつかないように唯々諾々と従うのである。

中国の経済成長は、安価で製品を作れること(=労働単価の安さ)で支えられている。言い換えれば、製造コストが上がっていけば、成長は鈍化する。
このコストの安さを貿易に活かそうと中国政府は必死に為替介入をして、人民元の為替レートを固定し、元高=ドル安相場を阻止している。
為替相場が元高になれば、輸出産業の利益は目減りするからである。
しかし、アメリカなど輸出先の国々から中国製品が安価なのは不当な為替相場(元が安すぎる)だからだという、強烈な圧力がかかったために、2005年6月、中国政府はついに人民元の切り上げに踏み切った。
今後は徐々に元高の為替レートに向かっていく可能性が高い。
この経済の流れは、戦後日本の経済復興の歩みと酷似している。日本も米ドルと(円安)固定レートを武器に、輸出産業を拡大する事で、年10%レベルの高度成長を遂げてきた。
それが変動相場になったことと、庶民の経済レベルが豊かになったこと(=労働単価が上がっていった)が重なり、経済成長は大きく鈍化した。
中国社会はいかに資本主義化したとはいえ、相変わらず「機会不均等」の社会である。
都市部戸籍者と農村部戸籍者の大きな格差がそれを物語っているが、それ以上に言われてきたことは中国共産党幹部と一般庶民との格差(=機会不均等)の問題である。
中共指導者、高官の中には、子女を驚くほど早くから海外へ送っているものが多い。狙いは彼らなりのリスク分散である。
すなわちいざという時に備え、一族の中からアメリカやオ-ストラリアで根を育てておき、いつでも財産を移せるようにしておくわけだ。
資本逃避の事態に陥ったら真っ先にするのは中共高官である可能性は高い。
中国共産党は地方の出先機関の監視が行き届かないせいか、地方官吏の汚職や腐敗は相当ひどいものがある。
日本の歴史でいうと「今昔物語」に出てくる「受領は倒るる所に土をつかめ」の世界である。
科挙の伝統のために官尊民卑の意識が根強く、それが地方役人と庶民との「機会不均等」を数多く生んでいる。
中国人は優秀と言われる人つまり有名な学校で優秀な成績を修め、共産党の青年団などに属している人ほど利益ばかりを考えているともいわれる。
学校の中にも共産党の組織があり、成績上位者は共産党の青年団に属すので将来も大きな保障がある。
このことが地位へのこだわり、自分は他の一般人とは違うという気持ちを早くから植えつけるという。

中国社会と日本社会を相互に鏡にして比較するうちに気になりはじめたことは、やはり国家が人々を思うように動かす中国人「個人ファイル」つまり档案のことである。
私は「QRコ-ド」の入り組んだデザインを見るうちに、身分証明書のなかに当人の経歴や遺伝子情報が気づかぬうちに埋め込まれ、様々な場面で「差別的に」利用される社会を想像してしまった。
2002年より住民基本台帳ネットワークの第一次稼動に伴い、市民が個々の個人情報について深く感心を持つようになり、個人情報の保護の認識が高まっている。
現行の住民基本台帳法では、何人でも住民基本台帳の閲覧を請求できることから、ダイレクトメールに利用されることが多いのが現状である。
個人の意志に反して郵送されるダイレクトメールを送られて迷惑を受けている人や、ストーカー等の被害により住所を知られたくない人がおり、閲覧を申請する業者等の文書審査だけでは完全に防ぎきれない状況にある。
またヒトゲノムすなわち人間の遺伝子情報の解読はほぼ可能となっており、保険会社などはそれの積極的な活用を考えている実態がある。
技術的には、国家がこういう情報を入手し国民を一つの方向に操作することも可能な社会となっている。
個人情報に「遺伝子情報」まで挿入され活用されるようになると、「優生学社会」といってよい不気味な社会に道を開くことになる。
そう考えると、中国社会の今後の展開は、日本の未来の鏡像とも受け取れないこともないのである。

中国は天という宗教的概念をもっているものの、あくまでも人間至上主義の社会である。
面子や形式を重んじるのもそこからきている。
日本人のように「人為」や「人工」を排する美学はなく、人口の美やシンメトリ-の美を尊重している。
散りゆくもの、滅びゆくものへの美学はない。
中国人は人格神は信じないが、聖人信仰は強い。
はるか先史の時代から、中国人は人間の力で自然をおさえてきたから、堯・舜など治水の成功者は聖人といわれた。
神の力を借りず治水によって自然をコントロ-ルしえたので、人間はオ-ルマイティであるという大変な自信をもってしまったようだ。
中国人は神よりも聖なる人間を崇めるようになった。
最近、ドバイ・ショックというバブル崩壊で価格が低落した不動産を集団で買いあさる「中国人御一行様」をえがく番組があった。
中国の人間至上主義に伝統的な商売技法が加わり、最近では新たに「拝金主義」が付加され、いまやチャイナ・マネ-世界を席巻しようとしている。
チャイナ・マネ-がタ-ゲットとしたのは高さ600メ-トルにもおよぶ世界一の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」周辺の不動産だった。
あくまでも人間の力を信じて作られた建造物という点で、超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」の姿が万里の長城のイメ-ジと重なって見えた。