経済的「ひきこもり」

長年、デフレーションは、インフレーションとは異なって、言葉の上で知っていればよい現象だと思っていた。
つまり「商品一般の物価が持続的に下落する現象」は、実際には起きない「理論上」の言葉にすぎないものであり、デフレ(傾向)とはせいぜい、「インフレ率の低下」を意味するものだと思っていたのである。
ところがである。ここ3年連続で消費者物価が下落したというニュースが飛び込んできた。
日本経済に、まがうことなき「デフレ」つまり全般的な物価下落が起きているのである。
学校の「公民」で学ぶ「価格の下方硬直性」という性質を粉砕してさえ、それが起きているのであるからして、驚くべきことと言わざるをえない。
日本経済は、終戦直後のインフレ収束策いわゆる「ドッジ・ライン」が効き過ぎて倒産・解雇がつづくというデフレ体験をしたが、それは朝鮮戦争による特需のために本格化せず1年あまりで終息した。
日本経済はまた、1970年代に石油ショックで不況を体験したことがあるものの、その時はむしろ物価は上がり続けており、デフレ体験とまでは至らなかった。
つまり、戦後日本はデフレを体験したことはないといってよい。
したがって、日本は今、完全な「未体験ゾーン」に突入していることになる。
そのためか、物価が下がり続けることは、家計にとっても(自然環境にとっても)有難いという認識さえもあるくらいである。もちろんその面も大きい。
しかしながら、経済が健全なのは、むしろ緩やかなインフレ基調にある方で、デフレが深刻化・長期化すれば破局的なことになる恐れもある。
そして最近思うことは、このデフレの原因は心理的な要因がとても大きく、その意味で日本は経済的な「引きこもり」状態にあるということである。

まず、日本でデフレは先進国に先がけて起きているということを知るべきである。多くの国は不況は体験しているものの、真正のデフレつまり物価の持続的下落には至っていないのである。
ところで、経済は一つの事象が複数の経路をたどって影響が広がるので、総体としての結果を予測するのがなかなか難しい。
その主要な経路を見出して数式化し、統計データによってパラメ-タを与えれば経済モデルが出来上がるのだが、現実のの経済はそうした「内生」変数だけで決定されるものではない。
モデルの外生変数、すなわち国際情勢や戦争や天候など「与件の変化」によって大きく修正を迫られるのである。(現実には、こういう外部要因は、株価が敏感に感じ取って「内部化」されるといった方がよい)
例えば金利引き上げひとつをとっても、何がおこるかは単純ではない。
金利水準が設備投資や住宅投資に直接影響を与えるのは言うまでもないことであるが、ある消費者は、預金金利が増えたのに余裕を感じ消費を増やすかもしれなし、別の消費者は金利が上がったのなら今のうちに貯蓄を増やそうと、むしろ消費を減らすかもしれないのである。
金利は土地や株や為替にも影響し、遠い国からやってきた津波のように影響を与えてくるから、話はヤヤコシクなってくる。
結局、金利上昇は消費にとって資産効果によるプラス要因となるのか価格効果によるマイナス要因となるのかは、その時々の様々な経済条件により異なる。
つまり街中で商売をする人のように、人の流れをよく見極める他はない。
今から30年ほど前に大学で学んだ経済学からみて、今の経済学が進んでいると思うのは、「期待」という心理要因や「情報の非対称性」などが経済外の要因として理論にとりこまれていることである。
例えば「期待」要素つまり将来の物価上昇期待や金利下落期待などは、投資水準の決定を左右する要素には見られていたが、それ以外の部分ではあまり表だってとりあげられていなかったような気がする。
ところが今、デフレが深刻な病と化しつつあるのは、消費生活における「期待」や「情報」の不確定さが大きな要因になっているように思える。
消費者にとって不安に思う「情報」は、銀行などの負債状況などである。
「インフレ・マインド」という言葉があるが、「デフレ・マンド」という言葉はいまだ聞かない。
インフレマインドとは、物価は必ず上昇するという思いが一旦定着すると、人々は早く早くものを買おうと店におしかける。
中には預金を切りくずしてまで買おうとするかもしれない。するとその行動がさらにインフレを加速化させ、ますます消費者を店に殺到させ、ハイパー・インフレが出現する。
デフレ・マインドはそれと逆で、物価がどんどん下がるならば、人々はもっと下がるのを待つために、ますます買い控えをするようになる。
というか、下がった価格が当たり前になると、もっと安くなるのを待つといった「スパイラル」が起きていく。
しかしながら、物価の下落(価格破壊)は起きたとしても上昇ほどには加速化しない(その前に店がつぶれる)ので、こうしたデフレ・マインドによる「ハイパ-・デフレ」現象なんていうことはほとんど起こりえないと考えてよい。
ただ、今日本で起きていることはこうしたデフレ・マインドとは別種の「スパイラル」現象で、この現象は「先行き観」の悪化という心理要因が大きいのである。

今日本で起きていることは、色々なモノの物価の下落である。長年、春闘などでは業績が不振であるからといって賃金に反映されることはなかった。
2003年になってよやく賃下げが議論されたくらいだから、1990年代以降の不況期にも、賃金は必ず右肩上がりという幻想が根強く残っていた。
物価が下がり賃金が上がるのだから、実質賃金上昇を意味して企業経営を圧迫する。
そこで企業はワ-クシェアリングがまだ定着してないために、理論的にはリストラで社員の数そのものを減らすことにより、支払う賃金の総額を減らす他はなくなる。
一方、消費者である従業員は、給料が上がらないうえに、クビになるかもしれないという不安から、モノを買い控えて預金に回す。
こうしてもともと貯蓄性向の高い日本人に、さらに消費をきりつめて貯蓄に回そうというモチベーションが生まれるのである。
これにより、ますますモノが売れなくなり、ますます値段が下がっていく。供給者である企業は業績があがらないから、なんとか利益を出そうとして更なるリストラを繰り返すことになる。
この悪循環がデフレをますます悪化させている。デフレ・スパイラルとは、この悪循環を繰り返しながら、不況がどんどん深刻になっていく現象をいう。
企業の業績は改善傾向にあるとは言いながら、日本経済はいまだにデフレ・スパイラルの只中にあり、リストラ等の将来の不安により、消費増の方向へ解放できずにいる。
いわば経済的な「ひきこもり」の状態にあるわけだ。

ここで問題になるのは、日本人の消費性向の高さである。江戸では火事が多くお金は早めに使ってしまおうという傾向があった。「宵口の金は持たない」というきっぷのよさだ。
アメリカの国民性は所得よりも消費の方が高い、すなわち借金してでもお金をつかおうという傾向にあるために、不況には悩んでも深刻なデフレに悩むことはない。
日本人は伝統的に子孫に財産を残そうという儒教倫理もあったし、経済活動を単に享楽の為ではなく、「商いの道」とかいう道徳的に捉えている面もあり、労働でさえも宗教的な意味合いを持つものであった。
ただ同じく、儒教の国の韓国では常に他国から頻繁に侵略された記憶のせいか、江戸っ子と同じくお金を早く使おうとするために貯蓄性向はそれほど高くはない。つまりデフレはさほど深刻化しないということである。
日本人の儒教倫理などの精神的傾向は、今日著しく衰退しているものの、貯蓄を重んじる傾向は諸外国に比較して相当高いことに変わりはない。
ただ、残念ながらこうした「貯蓄の美徳」という美徳は、資本主義社会ではありえない。
たとえそれが一個人の美徳として当てはまっても、社会全体の美徳とはなりえない。
これが論理学でいう「合成の誤謬」の典型例で、今の時期すべての人間がそうした「貯蓄」傾向を強めたならば、日本経済はいよいよ破局的な方向に向かうことになろう。
ところで、皮肉なことにそんな貯蓄好きの日本人が戴く政府の方は借金財政に苦しんでいる。
比較の為に、最近破綻した夕張市の財政状況をあげると次のとうりである。
標準財政規模(2007年3月)=43億円
借入金地方債(2007年3月)=632億円
夕張市は、借金残高は収入の14.3倍ということである。
夕張市の数字をそのままに単位を億から兆に変えるとたまたま日本政府の借金状況に近くなる。
日本政府は、税収は49兆円で借金は838兆円であるから、借金残高は17.1倍となり夕張市の14.3倍に比べてもさらに危険な状況にあるのである。
日本政府の借金状況は、ごくおおまかにいうと年収500万円程度のサラリ-マンが8500万円程度の借金を背負っているということだ。
ところで、中高校でも考えつくくらい単純な政府の(部分的)借金救済策が存在する。
日本人の資産保有の大きな特徴は、金融資産におおくの割合を保有していることである。
日本人の家計の金融資産は、1500兆円に達するそうだが、全国民の平均1人あたり(赤ちゃんから老人まで)1200万円以上の預金・株・債権というものすごい金融資産を持っていることになる。
個人金融資産総額の約1500兆円はなんと世界の個人金融資産総額の60%にあたるのである。
日本人の貯蓄性向の高さを思い知らされる数字であるが、これを有効に使わないテはない。
日本人は1500兆円のうちの半分である750兆円を現預金でもっており、内現金は約50兆円であるから、700兆円に金利がつくことになる。
この700兆円に仮に預金金利3%をかけると21兆円となる。
つまり日本の預金金利が現在の微々たる1%未満程度から3%に上がると、なんと20兆円に近い利子収入が増え、家計が潤うことになるということになる。
なおこの利子所得のうち現行の20%を税金としてとれば、税収は4兆円も増えることになるのである。
現在の消費税の税収が現在約10兆円で消費税率が5%だから、単純計算をすると消費税1%あたり2兆円の税収となるから、消費税2%で税収は4兆円になる。
つまり預金金利2%増加と消費税2%で同様な税収を期待できるのである。
(以上の試算は、柴山政行という公認会計士の方の試算です)
消費税を上げるのか、たとえ税金で一部とられるにせよ不労所得になる預金金利を上げるのか、どちらが国民にとって有難いかは言うまでもないことである。
ではなぜこうした単純な方法では借金を解消する方法がとれないのか不思議なのだが、経済には素人にはわからない複雑な絡みがあるといわれれば、そうなのかもしれない。
しかし、それをいうならば経済には様々な「思惑」が渦まいていると言ったほうがよいのかもしれない。
不況期に金利を下げれば資金調達に苦しむ企業を救うことは常識であるが、最近までの「ゼロ金利」などというのは、何かとても異常のような気がする。
政府の経済政策の視野が、企業の財務体質の改善にばかり目線がいっているということではなかろうか。
政府はなぜ家計にとって不利益な面が多い「超低金利政策」をとり続けるのか、あまりよくわからない。
預金金利といういう不労所得の上昇は家計を救うし、或る程度家計の「引きこもり」状況からの開放をもたらし、景気回復にプラスになるかもしれないのだ。
現行の貸出金利が高くなると企業負担が増えるという面もあるが、むしろ企業の設備投資にプラスに働く要因は、消費を中心にした経済の「先行き観」(期待)の改善なのである。
「先行き観」というのは従来、投資についていわれる言葉だが、最近では消費も「先行き観」に左右されている感じがする。
もちろん「先行き観」が一向に改善されないために、低金利にしようと設備投資はあまり向上していない。
また異常な低金利の大きなネライは、低金利により土地や株の資産価格を維持し、それによって企業の財務体質を改善しよう、不良債権の解消を推進させようというものであろう。
さらにBIS規制、つまり金融機関は自己資本比率を8%以上に維持しないといけないという国際基準をクリアするために資産価値を維持する必要からゼロ金利政策が必要なのかもしれない。
しかし企業の財務改善がそれほど日本の不況克服に役立っているのだろうか。不良債権は不況の結果であって原因ではないような気もする。
不良債権解消を最優先しているうちに、相変わらずデフレ・スパイラルは進行していく。
家計から預金金利収入を奪い取り、企業の救済ばかりに視点を置いたサプライ・サイドに偏った政策では、いつまでたっても国民全般に広がる経済的「ひきこもり」状態からの離脱は難しいようにも思えるのですが。