荷馬車の子牛達

「ドナ・ドナ」と言えば日本では知らぬ人もいないほど有名な曲だが、もともとは1938年にユダヤとポーランドの俳優たちの共同演劇のためにつくられた曲であった。
アメリカで1960年代フォーク・リバイバルが巻き起こっていた時代に、「フォークソングの女王」と呼ばれたジョーン・バエズが歌ったことで世界中に知られた。
「大切に育てた子牛が市場に売られていく」という歌詞は間違いなく物悲しいものだが、その悲しみの由来は詞の中で、単に「子牛との別れ」以上のものは語られていない。
ところが、原詞では売られた後の「屠殺」という逃れようのない子牛の運命まではっきりと言及されているという。
生まれてそう月日もたっていない子牛が屠殺場に送られるという内容は、当然にユダヤ人の状況と重なってきて、その哀しみをいやがうえにも増す歌となっている。
題名となった”Dona、Dona”の意味合いであるが、一説によるとヘブライ語のアドナイ(わが主)と関連があるかもしれないということがわかった。
その「アドナイ」をナチス当局に悟られないように、「ドナ」と短く縮めて表現して、戦争の不条理を神に嘆きつつ、悲しみのうちに「主よ、主よ」と歌ったものかもしれないが、正確なところは分からない。
日本語の歌詞は、最近なくなった加藤和彦さんの元妻である作詞家の安井かずみさんである。安井さんは、1970年代に数多くのアイドル歌手に歌詞を提供しておられる。
「安井かずみ」作の歌詞(訳詩というよりも作詞)を紹介すると、次のようになている。

「ある晴れた昼下がり 市場へ続く道
荷馬車がゴトゴト子牛を載せてゆく
可愛い子牛 売られてゆくよ
悲しそうな瞳で見ているよ
ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ 子牛を載せて
ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ 荷馬車が揺れる」

ところでこの「ドナ・ドナ」という音の響きから、また詞の内容から「悲しみのドロローサ」というミサ曲を連想する人は多いかもしれない。
ヴィア・ドロローサとは、イエスが死刑の判決を受け、茨の冠をかぶせられ、自ら十字架を背負って歩いた道のことである。
現在、旧市街イスラム教徒地区からキリスト教徒地区へと続くおよそ1キロほどの道のことで、いまや歴史事跡の保存または観光の為にヴィア・ドロローサには、聖書の記述や伝承に従い、「14留」(14ステーション)が指定されている。
ヴィア・ドロローサの出発点は、イエスが裁きをうけたローマ総督ピラトの官邸で、終着点はイエスが十字架にかかったゴルゴダの丘である。
ゴルゴダの丘とされる場所には、現在、聖墳墓教会がたっている。
ヴィア・ドロローサの14留(14ステーション)の説明文を紹介すると次ぎのようになっている。

1 イエス、死刑判決を受ける
2 イエス、十字架を背負わされる
3 イエス、十字架の重みで倒れる
4 母マリアが十字架を背負ったイエスに出会う
5 キレネ人シモンがイエスに代わって十字架を背負わされる
6 女性ヴェロニカがイエスの顔を拭く
7 イエス、2度目に倒れる
8 イエス、悲しむ女性たちを慰める
9 イエス、3度目に倒れる
10 イエス、衣を脱がされる
11 イエス、十字架に付けられる
12 イエス、十字架上で息を引き取る
13 アリマタヤのヨセフ、イエスの遺体を引き取る
14 イエス、埋葬される

こう並べて書くと時間の推移に従ってその場面場面がうかんでくるが、この場面の中の5番目、キレネ人シモンがイエスに代わって十字架を背負わされる場面があるが、映画「ベンハー」の中で主人公のベンハーがイエスと共に十字架を背負ってゴルゴタの丘を登るシーンがあったのを思い出した。
クレネ人シモンは聖書に記載ののある人物で、マルコによる福音書15章21節によれば、過越祭のためにリビア(クレネ人)からエルサレムに来たところであった。
つまり人物像についてはこの「田舎から出てきた」ということと「ルポスという人の父」という以外に何の情報も無いのである。
「ちょっと居合わせただけの異邦人」であるこの人物が、途中からイエスに代わって十字架を担うハメになったというのは、きっとこの男の人生に重大な転換をもたらしたにちがいない、と推測せざるをえない。
しかも、聖書で単に「男」や「女」ではなく、名前までも記載されているのは、何らかメッセージを含む場合が多い。
ひとつ言えることは、「イエスを十字架につけよ」と叫んだエルサレムの在住の人々の中から、十字架をイエスに代わって担う仕事を押し付けるのは、支配するローマの兵卒といえども難しかったのではなかろうか。
そこでこの地に住んでおらず事情にも疎い「田舎出」のシモンが徴用されたということだろう。 シモンからすれば、思わぬとばっちりで人目にさらされつつイエスの十字架の重さを引き受けたということになる。
しかし、この人物の運命はどうなるか気になるところである。何らかの報いをうけたのであろうか。
聖書は「悟る者は悟れ」と言わんばかりに、思いがけぬところにその答えを用意していることがある。
実は、ローマ人への手紙16章13節に、ほんの一行だけシモンの息子ルポスのことが記載されているのである。
この「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく」というパウロの手紙の一節から、ちょっと立ち寄っただけでイエスの十字架を引き受けてしまったシモンの一家が、信者になっていることがわかった。
聖書には、「だれでも私についてきたいと思うなら、自分をすて自分の十字架を負うて私に従ってきなさい」(マルコ福音書8章34節) という言葉があるが、クレネ人シモンのような歴史的役割を担わせられた人物が、その後において徒(アダ)に人生を送れるはずはない、というのを確認したのである。

さて、イエスの最後の道程を歌ったミサ曲「悲しみのドロローサ」の方であるが、その歌詞を紹介すると以下のようになる。

わたしの罪のために 重い十字架負わされ
あざける人の中を 耐えて行かれたイエスよ
ドロローサ ドロローサ カルバリの丘へ
ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道
わたしの胸の中に 刻まれた主の十字架
いばらの冠つけて 祈られる主の姿
ドロローサ ドロローサ 悲しみの丘へ
ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道
わたしは行こう今日も 主の歩まれた道を
血潮の跡をたどり 十字架を負って続こう
ドロローサ ドロローサ よろこびの丘へ
ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道
血潮の道はつづく 十字架の跡のこして
あがないの丘こえて 父なる神の御座に
ドロローサ ドロローサ なつかしの国へ
ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道

やはり内容的に「ドナ ドナ」を連想させるものがある。
イスラエルには古代から罪の許しの為に生贄を捧げなければならないという風習があった。
実は、旧約聖書の「レビ記」にはその「捧げ方」が事細かく書いてある。
例えば、そのささげ物が牛の全焼のいけにえであれば、「傷のない雄牛をささげなければならない。 それを主に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。」とあり、
「その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置き」、その目的は「それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである」とある。
さらに、「その人は、主の前で、その若い牛をほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。」とある。
つまり「罪の贖いの為にいけにえ」を捧げ、贖いの為つまり罪が許される為には「血を流す」ということが必要であったということである。

「屠殺」をテーマにした作品を書く作家に佐川光晴という人がいる。
「生活の設計」という自伝的小説で屠殺工場の現場を生々しく伝えており、芥賞候補に五回も上がっている今注目の作家である。
佐川氏は北海道大学法学部を卒業し出版社に勤務したが、上司と喧嘩して会社をやめて埼玉県の大宮食肉荷受株式会社という会社に就職した。
彼が、最初に屠殺場で出会った衝撃シーンを「牛を屠る」の中で次のように書いている。

”最初の豚が顔を出した途端、台の上のオジサンが豚の耳を掴んでこめかみにスタンガンを当てた。
グワッというという呻き声と共に豚は四肢を突っ張り、50センチほどの段差を落下した。その刹那、下にいた男が ナイフを一閃すると豚の胸が大きく裂かれて血がふきだした。
ショックで覚醒した豚はこちらにむかうベルトコンベアの上を海老ぞりになって何度も跳ねた。血が飛び散り、はみ出した腸がうねっている。
しかし十秒もすると痙攣を起こして、豚は動きを止めた。
私を連れてきた男は豚の後ろ足に鎖を巻くと、チェーンから下がった鈎に引っ掛けてた。
うしろ足一本で吊るされた豚は体を揺らせながら二階の作業場に昇っていった。"

ところで、聖書の中に聖い動物つまり「食べ物」や「捧げもの」に適う動物として、「ヒズメの分かれた動物」とか「にれはむ動物」という条件がある。
佐川氏の本の中で、どうみても見た目には美しくない「にれはむ」いいかえると「反芻」、つまりは食ったものを一度吐きだしてまた食べることの生物学的な意味が書いてあり、草しか食べない牛や馬がどうしてあれほど大きくなるかについての疑問がとけ、目からウロコが落ちる気がした。
牛や馬は草の栄養で成長しているわけではないということなのだ。
草は体内に生息しているバクテリアを繁殖させるための媒体に過ぎないのであって、反芻されるうちに発酵が進んだ草を養分に、バクテリアが爆発的に増殖する。
そのバクテリアつまり動物性タンパク質を消化吸収することで、牛や馬は大量の栄養を得ているのだという。
新約聖書には、「人はパンのみに生きるにあらず、神から出る一つ一つの言葉によって生きる」という言葉があるが、神の聖きに与るとは、神の言葉を「反芻する」ことを通じて、聖霊が活発化していくということかと連想した。

ところでイエスが十字架にかかったゴルゴタの丘はもともと「モリヤの山」とよばれる場所であた。
イエスの時代よりも2000年も前にアブラハムが神より命じられ「神への生贄」として自分の子イサクを捧げようとした場所である。
神は、「死人の復活」にさえ希望を抱いたアブラハムの信仰を認め、イサクを捧げることを踏みとどまらせたという、有名なエピソードの場所である。
ところでそこにはたまたま竹薮に引っかかった「身代わりの羊」がいたのである。
アブラハムは、その子羊をイサクに代わって神に捧げた。
この出来事があったモリヤの山をヘブル語でゴルゴタとよんでいるが、 「人類の罪の身代わり」としてのイエスの十字架の刑の予兆がこの同じ場所で起きているのである。
聖書にしばしば登場するこういう時間と出来事の構造に驚きを感ぜざるをえないのであるが、宗教学者の中沢新一氏は、聖書について次のように書いている。
「聖書はほかのすべてのテクストをはるかに凌駕するマスター・ホログラムである。それはなによりも何千年にもわたる時間軸にそって自らを変形し、たえず自らを生成すし続ける動的な全体構造をないしているためである」として、聖書は「ホログラムの動的な全体構造を垂直に貫いていく、横断的な読み取りが可能である」とも言っている。
中沢氏の文章でよくわからない部分もあるが、聖書のスゴサは各時代時代の筆者がそれぞれの時代の出来事を独立して書いたにもかかわらず、あたかも何らかの意思で統合された形で常に進展していくような感じを与える点なのである。
今おきる出来事が、将来の出来事の相似的な「予兆」または「ひな型」であったとするならば、われわれは現在を注意深く見守ることにより未来を垣間見れる、とはいつも思うことである。

ところで「フォーク・ソング」の女王ジョーン・バエズは、1960年代に「風に吹かれて」などを歌ったボブ・ディランを世に紹介したシンガーでもあり、若者からみればディランとともに「反戦のシンボル」となった人物である。
またジョーン・バエズの父親のアルバート・バエズは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、そのことはジョーンの19600年代から現在まで続く公民権運動や反戦活動へ強い影響を及ぼしている。
ベトナム戦争に多くの若者が送られた当時の時代背景からすれば、「ドナ ドナ」も「反戦歌」としてうけ入れられた面もある。
当時から、戦争に出兵したのは「貧困層」の若者が多かったのかもしれないが、2004年マイケル・ムーア監督の「華氏911」は、市場経済がもたらした貧困を背景にそのへんの事情をよく取材していた。
イラクでの米兵の死者は今3000名を超えたが、イラクで死んでいった若者の多くは、製造業が死に絶え荒廃し、仕事も無い地方の学歴に低い若者である。
海兵隊は、そうした仕事の無い街にネライを定めて「誇らしげな」海兵隊リクルーターを派遣する。
仕事の無い若者にとって、給料も払われ奨学金をえるチャンスもあり、大学に進学する機会もある軍隊は、階層社会を登る唯一のハシゴといってよいのである。
そのチャンスに賭けて、多くの若者が「荷馬車」に乗せられていったのである。