どう説く「道徳」

小中学校の教育では「道徳」の時間が設けられており、高等学校でも公民科を中心に何らかの「道徳的」内容を盛り込まなければならないようになってきた。
戦前の反省もあり従来「道徳教育」については様々な疑問が投げかけられてきた。
もし「道徳」というものを人に教えなければならないならば、私が一番問題に思うのは「インセンティヴ」の問題である。つまり人はなぜ道徳的でなければならないかということである。
頭脳を鍛えることや肉体を鍛えることのインセンィヴは伝えやすい。その鍛練はほぼ確実に自分帰ってくるからである。
しかし政治家のトップにあるような人まで脱税や金銭的不正が問題になっている時代である。道徳的であることは、正直者が馬鹿をみることだと反論されてもいたし方ない。
道徳教育は幼児におこなう「しつけ」とは違い教える側も教えられる側ももっと自覚的な精神的な「やりとり」がなされて成り立つものだと思う。
生来「道徳的」に育っていく人間にそれを教える必要ない。
生来「道徳的」に育っていくとは善悪をわきまえられる人間であり、人から信頼され受け入れられる為には「道徳的」である必要があると自ら学ぶことができる人間のことである。
しかし、反対に一定の年齢に達してもなお道徳的でありえない人には、道徳教育をほどこすよりも先に「道徳的」でありえなかった理由の方を知りたくなる。
ずっといじめ続けられた人とか、社会的な事にとても敏感で虚無的になっている人とか、人に騙されつづけた人とか、何らかの事情でこの世の「道徳」に疑問符を付けてしまった人間に、どんな道徳的インセンィヴを持たせうるのか。

広辞苑で道徳の意味を調べてみた。「人のふみおこなうべき道」で、道徳心とは「正邪善悪を判別し、善行を行おうとする心」のことである。
道徳心をこれくらいのレベルでとらえるならば、みんが善行を行えば、人々が気持ちよく快適に暮らせるように道徳心をもつのですよ、というのが一番わかりやすい。
しかし成人式を荒すような道徳心のない青年に、道徳のインセンティヴおしえることができるだろうか。
なぜなら成人式を荒すのも彼らなりの一時の「快楽」ならば、快と不快を超えた心に届く「何か」の糧が必要なのだろう。
世の中の成り立ちから教え、その世界にあっては人間は道徳的にふるまうようになっている、そうすべきである、というような形である世界観を元にして道徳心の喚起をはかることも不可能ではないだろう。
皆がかつての天皇制のような世界観を共有し、こういう世界観を元に儒教の教えなどを引き合いに出して道徳を教えるならばいざしらず、今日の公教育で特定の世界観を教えることは許されていない。ちなみに「教育勅語」は天皇側近の儒者によって書かれた。
ということは公教育の場で特定の世界観をバックにした道徳を伝えることはできないのである。
このことが道徳教育の難しさなのだろう。
思想や宗教の背景がなく道徳を説くには、ベンサムの言うところの「最大多数の最大幸福」という「功利主義」で攻めるほかはない。
つまり「道徳的」にふるまった方が得でしよ、という形で説諭するのである。
まして見返りのない無償の行為などというのは宗教の土台なくして教えることはできないし、それは「道徳」の範疇を超えたものだと思う。
政教分離を建前とする今日、私学以外の公教育の中でそれを行う事は許されることではない。
そこで道徳を教える実践的方法は人々に感動をあたえるような「説話」または「講話」ということになろうが、その「講話」の引き出しを教える側がたくさん用意しておくことが大切になる。
ソクラテスや仏陀や孔子の教えもあろうが、歴史的偉人の話よりも地域の偉人の話の方がいいかもしれない。
そこに「感動」をよぶ何かがなければ、あまり道徳的ではない人間に道徳心を届かせる可能性は少ない。
「百の花束」という仏教の講話集みたいなものがあり、人々がいかにも「いいお話ですね」といいたくなるような話が百のっている。こんな話の中から道徳教育の「説話」につかえるものもあるかと思った。
心温まるの話の一つに私のすぐ近くで起こった「桧原桜」の話がある。
昭和59年3月、南区桧原の道路拡張工事にともなって、道路沿いの桜の老木10本が開花を待たずに切り倒されることになった。そのことを嘆いた市民の一人が、当時の進藤市長にあてた短歌を短冊に記し枝につるした。
花あわれせめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え。この詠み人知らずの一首をきっかけに、次〃と花を惜しむ歌や句の短冊が桜につけられその中に、
桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん、という一首があった。
花の心は「香瑞麻」 という名で記されたこの歌は、進藤市長の返歌だった。
進藤市長は道路拡張計画を再検討し、担当者は工期の遅延は役人としての資質が問われることであり苦悩したが、桜を守ってほしいとの社会の声に工事計画の変更の決断をしたのである。
こういう地域の身近な話ば、命を大切にする気持ちを植え付け得る話だと思う。
ところで学校でボランティアが取り入れられるようになった時に、自発的になすべきボランティアがなんで学校で強制的にやるのかと疑問をもった子供達の中にも、何の見返りのない行為が何と気持ちいいことか、ということに目覚めたものもきっと多いのではないかと思う。
こういう「ボランティア精神」や「貢献心」は多くの人々に眠っているもので、機会さえ与えれば目覚め道徳心の涵養に繋がるものではないかと思う。
自分がうれしく、人が喜んでいくれる場や機会を与えることによって、人は幸福になりうる視野や想像力が増すにちがいないのだ。
受験勉強で自分のことに専念するばかりではこういう視界はひらけない。
つまり、人にいいことをすることが自分にもうれしいという発見。これは絶対あるのだが、従来こういう体験をする機会が学校や地域の場であまりにも少なかったからではないだろうか。
だとすると「貢献心」は無償の行為などではなく欲求もしくは自己表現なのであって、なんら「美徳」ではない。美徳かもしれないが、賞賛されるほどのことでもない微徳なのだ。
ただ「貢献心」は自分をも満足させるものであるから、「偽善」にならない、相手が何を望むかを的確に知らない限りは愛の行為にもとることになってしまう。
また、スポーツの世界におけるフェアな戦いも感動を呼び道徳教育の材料となる。
どうあってもライバルを倒すのではなく、異なる国籍のスポ-ツマンがライバルを助けた話などは何度聞いても「感動」をもたらすものだ。
例えば、ロサンゼルスオリンピックの柔道で金メダルをとった山下は、決勝の試合前に足を負傷していたのだが、決勝のエジプトの対戦相手はけしてそのひきずった足の方を攻めなかったという。
このフェアなスポーツの精神の話を聞いて、あたりまえの善悪の判別といった次元からもうひとつ高いレベルで道徳というものを考えるのことに繋がるもしれない、と思った。

ところでキリスト教は日本に、戦国時代にカトリックが入り明治期にプロテスタント諸派がはいった。ルターによって宗教改革がおき300年もたってプロテスタント諸派が生まれ、まるで宗派の出店のように同時はいってきたのである。
そのなかでもアメリカ経由のキリスト教は日本人のキリスト教に対する一般的なそして固定した観念を植え付けたのではないかと思う。
アメリカ的なキリスト教として最大のものはバプテスト派があるが、日本の福岡に西南学院を設立したCKドジャーやクリントン大統領、カーター大統領、そしてマルチン・ルーサー・キングなどが(南部)バプテスト派に属している人々である。
アメリカ経由のキリスト教の最大の特徴は、「救済」の宗教から「道徳」の宗教になったといってよい。
良い行い、善行こそが「救い」という「行いの宗教」に転じたということである。
そしてこの「道徳的キリスト教」は、アメリカ建国の士・ベンジャミン・フランクリンという人物に最もよく体現されている。
ベンジャミンフランクリンは印刷業から身をおこし政治の世界で多大の貢献をなし、アメリカ独膣宣言を起草した人物であるが、彼の中にものごとを「功利的」なものとにみる、後にプラグマチズムの兆しを読み取ることができる。
目ざす目標はこの世における「幸福」で、「幸福」の構成要素は、健康・富、知恵であり、その目標に達成するためには実用性の原理をあらゆる生活場面に適用した。
ある信念や行動が幸福を獲得するために役立つならば善で、役にたたないならば、悪なのである。
つまりキリスト教への「信仰」をさえ人々を幸福に導くかぎり是とする考え方である。そして幸福を約束すると思われる「道徳的」な要素のみを切り取り自身の生活の原理とした。
実際にこの道徳心こそが彼に成功をもたらし、この世における成功のみが「神の証し」としたのである。
いいかえると彼にとって、宗教の究極的目的は神を礼拝することでも、人間を救済することでもなく、この世で幸福に繋がる成功をすることである、と割りきった。
まずフランクリンは「道徳的完全に到達する大胆で難儀な計画」を思いつき、十三の徳目をたてた。
節制、沈黙、秩序、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、落ち着き、節制、謙譲である。
この徳目を守る自分の進歩の度合を測るために、毎週一枚の表を作り、そこに成果を記録した。一週間を13の徳目の一つに捧げ、年に4回その過程をくり返した。
アメリカに渡ったピューリタン達は同時に開拓者魂にあふれていた。アメリカ人はピューリタン達が自らに課した救世主的役割を失う事をよしとしなかった。
荒野における努力に尊厳と意義与えるために、自分達こそは文明の最後に世界をよりよい世界に導く選別された民である心浮き立つ気持ちを失いたくはなかった。
そこで生まれたのが自らを恃むところの多い「道徳的強者」たるところのクリスチャンなのである。
この「道徳的強者」たる開拓者魂をもった人物にフランクリンがいたのではないのかと思う。
そして実際にこの人物は、印刷工から身を起こし政治家に転身し植民地議会に送られたことによって、貴族や紳士が政治を支配するアメリカにおいて一代にして貴族になりうるのだというアメリカ社会の流動性を示したのである。
ところで日本人が好きな「天は自らを助けるものを助ける」という言葉はあたかも聖書の言葉のように広がっているが、実は聖書の言葉ではなく、フランクリンの言葉である。
アメリカ経由のキリスト教の主流は、魂の救済ではなく、自由を目標として、社会的成功をインセンティヴとするものであった。
成功者の話を集めたスマイルズの「自助論」はそのことを最もよく表しており、日本では「西国立志編」として翻訳された。
彼らが聖書のおおおきなテ-マである歴史観を語ることや死後を語ることはほとんどなない。
実は、明治期に内村鑑三がアメリカの神学校のアマースト大学で学んだキリスト教もこの類のキリスト教であり、内村は日本人としての武士道的とキリスト教を結びつけた。
いいかえると儒教倫理とキリスト教を結びつけたといってもよいかもしれない。
自らを恃む「道徳的キリスト教」をつくりあげた点で、内村鑑三はベンジャミン・フランクリンと共通している。

アメリカ経由のキリスト教により、道徳的なことが救いであるかのごとき誤解を日本人に与え続けているようだが、聖書の中でイエスに最後まで寄り添った人々は「道徳的強者」とは到底思えない「心貧しき人々」であった。
アメリカ的キリスト教を体現したベンジャミン・フランクリンは信仰を否定したのではなく、信仰を自分の都合すなわちこの世の幸福のために仕立て直したといってよい。
聖霊に従って幾たの迫害や苦難を乗り越えたパウロやペテロの信仰と何と大きな隔たりがあることだろう。
フランクリンにとってこの世における幸福には繋がらない「殉教」などは最悪のものであっただろう。
ところがイエスが一番攻撃したのは当時の律法学者であり、パリサイ人であったのである。
つまりは当時の「道徳的強者」なのである。
要するに「掟の遵守」をもって神に変えようとした「道徳的な」人々。
道徳的で真面目でありさえすれば、神の前に何ら落ち度はないと思っている「道徳的富者」のことだ。
しかしイエスが愛し、またイエスを最後まで愛したのはある意味「道徳的」(or律法的)たりえなかった人々であったのだ。
こんなことをいうと非道徳的なことをすすめているように誤解されるが、パリサイ人たちはイエスに言った。「取税人、頼病人、罪人の頭と何ゆえ共に食事をするのか」と。イエスも誤解されたのだ。
小中学校の時間に道徳の時間は宗教教育でかえることができるそうだ。
しかしながら、世にある宗教の中で、道徳的な説話をキリスト教に求めることほど、スジ違いな事はない。