鏡の向こうのフィンランド

かつて島国日本のことを「鏡がない国」と評した評論家がいた。鏡に写してみなければ自分の姿はよくはわからないということらしいが、では何を「鏡」にして自分を写したら本当の姿が見えるのだろう。
最近フィンランドの子供達が3年連続で学力世界一となったニュ-スを聞いて、フィンランドを鏡として日本を写してみたらどう写るのかと思った。
日本とフィンランドは何から何まで全く対照的かと思っていたら、意外や共通点が多いのに驚いた。
フィンランドの先住民はアジア系で、位置はヨ-ロッパで日本に一番近い国ということがわかった。これは意外だったが、飛行機でヨ-ロッパに行くときは北極圏を通過するので、そのことを実感をもって体験できる。
実際、フィンランドは国土の4分の1が北極圏内であり夏は「白夜」となる。
国土面積は日本とほぼ同じだが人口は520万人と少なく、フィンランドの名は18万にも達するという湖の数の多さから「沼の土地」という意味であり、広大な森の恵みに満ち溢れている。
高齢化がとても早く進行している点で日本と共通している。フィンランドはEU諸国の中でも、最も速いスピードで高齢化が進んでおり2030年には高齢化率25%に達するといわれており、日本もOECD諸国中でそれが最も速く進んでおり同年には28%になると予測されている。
それにともないフィンランドの福祉施設は大型収容型から小規模生活型に移行し、「在宅ケア」が非常に充実している。
また風呂好きの点も両国は共通している。ただフィンランドで風呂といっても日本のようにザンブとはいる風呂桶などはなくシャワ-とサウナである。そのかわり目の前の湖が風呂桶がわりになったりする。
フィンランドには1500年もまえから「スモークサウナ」と呼ばれサウナがあり、本来は麻の乾燥や肉を燻製にするためなどに使用されていたという。
熱気の変わりに煙を室内に充満させ入るものであった。
温度は低く、薪で温めるので、入れるようになるまで8時間もかかるというものである。
フィンランド人の生活にサウナは欠かせない。ほとんどの家にサウナはあり、サウナはフィンランド人にとって、家族団欒の場所、リラックスできる社交場ともなっている。サウナの後に森の湖に飛び込むのもさぞや爽快でしょう。

OECDによる学習到達度調査(PISA)三年連続「学力総合」世界1位のフィンランドと読解力で8位から14位に転落の日本との学力の開きはどうして生じたのだろう。
日本はフィンランドのような国にならって押し付け教育をやめ「ゆとり教育」をとり入れたというのに。
私はフィンランド人の女性と何度か話したことがある。
見上げるばかりの長身の彼女は日本の高等学校でALT(Asistant Language Teacher)として働いていた。
彼女によると、フィンランドでは10人~20人の学年の違う生徒が同じ教室で学力に応じて与えられた課題を互いに教えながら学び、分からないことがあるとブ-スに入って先生から教えてもらうのだそうだ。
彼女が日本で教えていたのはいわゆる「進学校」だが、なぜこの学校の生徒のレベルが進学校なのか信じられないと露骨に訴えていた。
彼女からみて生徒達の意見のなさや行動の子供っぽさが信じられないという印象だったようだ。
彼女の思う「学力」と日本の生徒の「学力」に観点のズレがあるからかもしれないが、少なくとも自国の生徒と日本の生徒を比較してどうしても低く評価せざるをえない何かがあったようだ。
フィンランドの教育の最大の特徴はテストや順位付けなどという手法で勉強を強制するという動機形成はしないということだ。
授業形態はグループ学習、少人数学習、個別指導が多く、生徒の自主性や協調性が重視されている。グループ学習は4人1組で机をくっつけ、生徒たちは自分たちのペースで学習し、教師は支援に徹する。
生徒たちが自ら学び教え合う。また、授業中には立って歩くことも自由で、水を飲みに行ったり、一人で勉強したりと色々できる。
厳しい受験勉強もなく、夏休みの宿題もなく、塾もなく学校間の格差もないという。受験にかたよった「特殊な勉強」をさせずあたりまえの学力をつけさせる普通の努力を丹念にしているだけだ。
明日のテストのために公式を何でもかんでも詰め込もうという勉強の仕方ではないので、うわっつらでない知識を自分のものとすることができ、その結果応用力もつく。
フィンランドの教員や生徒たちに、学力世界一ですよといっても、えっほんと~?ぐらいの反応しかかえってこないに違いない。
フィンランドの教育で特別のことといえば、教師は修士号をもたなければいけないことである。それがために職業としての教師の人気は高いが、フィンランドでは「大卒」=「修士号取得者」というのが一般的な認識であるために、単純に日本との比較はできないという。
フィンランドでは、生徒間、学校間、家庭環境の違いによる学力の格差が他国と比較してみても断然少ない。
この国の学力の高さが示しているのは、教育の重点が特別に優秀な人間をみつけて能力を引き上げているのではなく、落ちこぼれを出さないということにあるということだ。
成績や経歴によって生徒を選別することは好ましくないことと考えられており、16歳までは他人と比較するためのテストはないし、長期的な能力別指導や順位付けも否定されている。
周りの勉強についていけない生徒がいれば、一時的に2~5人のグループを作り、週1~3回程、学校に常駐している専門の特別支援教師が補習を行うようにしている。
少人数クラスでわからないことを補習授業で徹底的に教えている。
結局、教育において生徒一人一人への優しさが感じられる。こういう優しさは、どこから生じるのだろうか。

フィンランドは国土をおおう森と湖の国であり、サンタクロ-スのふるさとである。幻想的な白夜やオーロラをみることもでき、国のキャラクタ-ともいっていいのがム-ミンである。
高学力に繋がる客観的なデータの一つは図書館の利用率が世界一といことで、そうした読書体験をよく家族で話すという。
これは小さな頃から寝る前に親が色々な話を読み聞かせるという習慣があるからかもしれない
また1980年代以降、フィンランドは行政改革の中で、中央集権的だった教育制度を大転換させていった。教科書検定の廃止、カリキュラムの大綱化が実施され、国家による教育規制を大きく緩和し、決定権を地方自治体や学校に与えた。
授業料が小学校から大学まで無料であることも大きな特徴である。
フィンランドでは受験勉強の競争の世界で厳しさは感じられず、森と湖の自然の環境とあいまって子供達の脳裏にファンタジ-の世界が広がっていく感じがする一方で、現実の世界の過酷さをはやくから教えられる。この国の人々は民族の生き残りを日本人以上に真剣に考えてきた人々でもある。
フィンランド平和でのんびりといった感じの国だがその歴史には重いものがあり、実は徴兵制のある国の1つなのだ。
フィンランド人の男子は基本的に短くて6ヶ月は義務で軍で訓練に就き女の子の場合は志願制となっていて、希望すれば男の子と同じように軍で過ごすのだそうだ。
先述の女性ALTが兵士の姿で森の中を機関銃をもって走っている姿の写真をみせてもらったことがある。
かつて、フィンランドックス(「フィンランド化」)という言葉があった。
フィンランドックスとは、議会民主制と資本主義経済を維持しつつも、共産国(ソビエト連邦)の勢力下におかれる状態を意味した言葉で、旧西ドイツの保守勢力が、共産主義諸国との対話を重視した首相ブラントを批判する際に用いられた造語に由来する。
1939年ソ連のスターリンはフィンランドへ侵攻し、フィンランドは敗戦国の立場に立たされたが地理的にも西側の支援は期待できずソ連と友好協力相互援助条約を締結し、独立および議会民主制と資本主義の維持と引き換えに国際的には事実上の東側の一員として行動することとなった。
軍の装備もワルシャワ条約機構と互換性のある物が採用された。
また、マスコミにおいて自主規制が行われ、冬戦争におけるソ連の侵略などに対する言及はタブーとなり、これらの現象を示す「フィンランドックス」という言葉は西側諸国において、政治的に否定的な意味合いをもって用いられた。
実際に1980年ころまではソ連に批判的な言論はできない雰囲気があったという。
日本の中曽根首相が「フィンランド化」という言葉を安易に使って批難を浴びたことがあった。
フィンランドとしてはむしろ東西融和の一環として働いたという誇りをもっていたからだという。

フィンランドを舞台にした日本映画「かもめ食堂」(2006年3月公開)が静かなるブームをよんだ。フィンランドの首都ヘルシンキは青い空にのんびりとかもめが空を飛び交う。
このヨーロッパ各地からの客船が行き交う美しい港町の街角にできた日本人経営の食堂で、 生い立ちも性格も年齢も違う3人の女性による奇妙な巡り合わせの話である。
日本人女性サチエ(小林聡美)が経営する「かもめ食堂」が開店した。そんなかもめ食堂を舞台にそれぞれの登場人物の、日常的なようでそうでもない、平穏なようでどこがやるせないような物語で、会話も少なくストーリーといえるものもないのだが、見るものを飽きさせない不思議な映画であった。
この映画は、主人公がかもめ食堂にやってきた日本かぶれのフィンランド青年に「ガッチャマンの歌の歌詞」を質問されるが思い出せず、たまたま町の書店で日本人女性を見かけ唐突に「ガッチャマンの歌詞を教えて下さい!」と話しかけると、彼女(片桐はいり)が見事に全歌詞を書き上げる、そういうエピソードではじまる。
ガッチャマンの歌をそらんじていた彼女も日本でいやなことがあってどこかに旅をしようと世界地図の前で目をつぶり指した所がフィンランドだったのだが、主人公はそんな彼女を家に招き入れ、やがて食堂で働いてもらう事になった。
かもめ食堂で出す料理の中に日本的でフィンランド人にも喜んでもらえる料理として簡単なサラダが添えられてあるスモーク・サーモンというのも印象に残った。
また両親の介護を終えた一人の女性が息抜きにフィンランドにたどり着いたものの、手違いで荷物が紛失してしまい、航空会社が荷物を探す間にかもめ食堂へとたどりつく、という出会いの偶然性がいい。
そんなどうってことないエピソードが織り込まれて淡々と時間がすぎていく。言葉がほとんどかわされず、フィンランド人がかもめ食堂で交わす言葉にも日本語訳がつかない。なんかとっても人間の無意識に訴えかける映画であった。

最後にフィンランドの影の部分を紹介しよう。1990年に劇的な経済的はリセッションにみまわれている点や自殺者が多い点が日本と共通している。
フィィンランドの自殺率は、同国が好景気に沸いた1965年から1990年の間で3倍に膨れ上がったという。翌1991年には十代の自殺率が世界ワースト1となった。
森と湖の国民性はこうした経済的活況とは必ずしも適応しなかっのかもしれない。
またフィンランドでは離婚率が非常に高くキャリアの女性の離婚率は70%といわれている。
日本に比べれば女性が働くことのできる保育のシステムな、社会制度の整備が進んでいる。女性が独立して仕事ができ、経済的な面で男性に依存することがないためか、離婚率が高いといわれている。
 実は政治の世界ですべての女性が参政権を得たのは、フィンランドが世界で初めての国である。国会の議長も女性、大統領も女性、総理大臣も女性で全国会議員の33%が女性であったという。
自殺率の高さの特徴は男性が女性の4倍にもなっている点である。「男はつらいよ」の国なのだろう。
女の子は早い段階から友達などに相談するのに比べ、男の子は問題を一人で抱えてしまい、周囲が気がつく頃には手遅れになりがちなのだそうだ。
専門家はうつ病や疎外感、および私的問題や失業など従来のリスク要因とは別に、アルコール依存症が最大要因だと指摘する。
典型的な自殺者像は、40代無職の男性でアルコール依存症、健康状態も悪く、また離婚経験者だという。
フィンランドは学習到達度調査で科学リテラシ-で1位、読解力で2位、数学リテラシ-で2位で、総合学力世界一位という驚くべき結果を出し、学校での落ちこぼれは出さないという一方で、学校から出た後の若者の自殺が多いのである。
ただフィンランド政府はそういう自殺の原因の分析を行い、かなりその率を世界平均にまで低下させえたことは評価すべきことだと思う。
日本も少子高齢化化が進行し、ある時点から人口も減少し小国化していく運命にあるのだろう。最近「衰退途上国」などとも揶揄されるようになってきた。
フィンランドは政治の面では政治家や役人の汚職もすくなく、行政はきわめて透明度が高いという。
高負担・高福祉であるが、負担した分は自分に返ってくるという政治や行政への信頼度は高いという。
フィンランドは多くの問題点を抱えながら、その問題を分析し転換しうる点で日本は学ぶべきた。
成長を謳い続けた「日本」が軟着陸する新しい国のイメ-ジを求めるのならば、鏡の向こうのフィンランドも一つの選択肢かもしれないと思った。