ハザード

昨年全国的に広まった「新型インフルエンザ」、宮崎県の「口蹄疫ウィルス」や最近大学病院でおきている「多剤耐性菌」による院内感染などが重なり、上映中の映画のタイトルも相俟って「バイオハザード」という言葉が少々意識されるようになった。
本来、「バイオハザード」とは、バイオテクノロジーの時代において「遺伝子組み換え」によって未知の病原体が出現し、それによる感染・発ガン等の新しい公害が発生するなどの危険性があるところから生まれた言葉であるという。
加えて、今年日本がいまだ経験したことのない「猛暑」により、日本が仮に「亜熱帯」と化すようなことになれば当然に、生存が従来考えられなかったような生物種やウイルスが国内で広がって行く危険も高まることになる。
そういう事態に対しての「危機対策」が、日本でどれくらいなされているはよくわからないが、少なくとも法的な整備は充分でないように思う。
しかし、いくつかの機関で「取り扱い指針」ぐらいは定められている。
国立感染症研究所の「病原体等安全管理規定」のして、人および動物に対する危険度を基準にした「バイオセイフティーレベル」やそれに基づいた日本細菌学会の基準があるが、法的に定められたものではない。
国立感染症研究所の「病原体等安全管理規定」では、その危険度が次のように分類されている。
「レベル1」~ 人に疾病を起こし、或いは動物に獣医学的に重要な疾患を起こす可能性のないもの。
「レベル2」~ 人或いは動物に病原性を有するが、実験室職員、地域社会、家畜、環境等に対し、重大な災害とならないものだが、有効な治療法、予防法があり、伝播の可能性は低いものである。ワクシニアウイルス、インフルエンザウイルス、ブドウ球菌、サルモネラなどがそれにあたる。
「レベル3」~ 人に感染すると重篤な疾患を起こすが、他の個体への伝播の可能性は低いもので、ヒト免疫不全ウイルス、炭疽菌、ペスト菌などがそれにあたる。
「レベル4」~ 人又は動物に感染すると重篤な疾患を起こし、罹患者から他の個体への伝播が、直接又は間接に起こり易いもので、エボラウイルス、マールブルグウイルス、天然痘ウイルス、黄熱ウイルスなどである。
そして、それに応じた「取り扱い指針」も示されている。
予備的知識になるが、医療廃棄物(感染性廃棄物)であることを識別できるように「バイオハザード・マーク」というものもあるという。
このマークは、「赤」、「橙」、「黄」色の三種類があり、廃棄物容器に貼付して関係者が一目で「感染性廃棄物」であることを識別 できるように色別してある。
例えば注射針やメス等の鋭利なものには相対的に危険度の低い「黄色」のマークをつけなければならない。
さて、「遺伝子組み換え」によってアラワなるかもしれない本来の意味での「バイオハザード」については、政府は一応、1979年に「組換えDNA実験指針」というものを発表している。
しかしこれはアメリカのの「指針」を踏襲したもので、それらの制定には、実験推進側の学者と財界・行政関係者ばかりが関わり、「危険」を憂慮する生物学者、公害・環境問題研究者、住民運動家らは排除されたという経緯がある。
しかもこの「指針」は、その後、緩和されつづけており、有名無実と化しているというのが実情であるそうだ。
つまり、わが国における「生物災害予防政策」は、ほとんど無きに等しいといってよい。
外国の事例をみると、アメリカでは、州知事・首長に、災害に伴う「地域内非常事態」を宣言する職権があるという。
口蹄疫ウィルスは県レベルでは収まったとはいえ、宮崎県で「非常事態宣言」が発せられたのにはさすがに衝撃をうけたが、国家レベルで行われるとどういう形で行われるのあろうか。
一般に「非常事態宣言」とは、国家等の運営の危機に対し、緊急事態のための「特別法を発動する」ことである。
対象には、武力攻撃、内乱、暴動、テロ、大規模な災害などのほか、鳥インフルエンザやAIDSなど疫病も含まれている。
具体的な措置としては、警察・軍隊など国家公務員の動員、公共財の徴発、最高責任者による政令の発布や検問、令状によらない逮捕、家宅捜索などを許すことのほか、集会の自由やストライキなどの行為の制限までもある。
ちなみに2010年5月18日、東国原宮崎県知事の「非常事態宣言」は、特別法の発動をするまでには至らなかった。

ところで、昨今の「ハザード」といえば、「バイオハザード」以上に重大な「ハザード」があるといってもよい。
それは「モラル・ハザード」とよばれるもので、直訳すれば「道徳的危険」ということになる。
この用語は意外に古くから使われており、1800年代終盤にはイギリスの保険業界で広く使われていた。
つまりモラル・ハザードは、本来は保険業界で使われていた用語であり、保険加入者側の詐欺や「非倫理的な行為」を指していた。
たとえば、自宅に放火するなどして、保険金詐欺の発生する危険性をさしている。
しかし、今日の「モラル・ハザード」というのはそうした犯罪的な行為をさすものではなく、字義どうり「道徳的」「倫理的」な問題に絡んでいる、といってよい。
さらに「ハザード」と「クライシス」は同じ「危機」でも少々ニュアンスが違う。
前者には「潜在的なものが表面化する」といったニュアンスがあるのではないだろうか。
厳密には、「危険回避のための手段や仕組みを整備することにより、かえって人々の注意が散漫になり、危険や事故の発生確率が高まって規律が失われる」ことを指す。
火災保険をかけたために、注意義務を怠り、結果として火事のリスクが高まるなど、リスク回避をおろそかにすることなどが有りうる。
また、クレジットカードで限度額以上に借金しても「自己破産」すれば借金返済を免れる仕組みあるのなら、「自己破産するまで借りてもいい」という考えに陥る。
自動車保険において、自動車保険の目的は事故にあった時に備えて加入するが、事故にあっても自動車保険で保険金が貰えるから、危ない運転しても大丈夫という様に本来の安全目的に反した考え方をすることである。
そして、加入者の注意が散漫になり、かえって事故の発生確率が高まるといった具合である。
似たものに、医療保険において、診察料の多くが保険で支払われるために、加入者が健康維持の注意を怠って、かえって病気にかかりやすくなる場合や、受診の際の自己負担が軽いために、加入者がちょっとした病気でも診察を受けてしまうようなケースも起きる。
治療費が安ければ、ムシ歯にならないようにするために努力をすることより、ムシ歯になってから治療することを選んでしまうなども考えられる。
実際に、日本のような健康保険制度がないアメリカでは、歯の治療にお金がかかるため、ムシ歯にならないために努力する人が多いといわれている。
もちろん、保険制度がないことは、経済的に苦しい人が歯が痛くても、治療できないということも起きるわけである。
以上見たように、保険をかけたり、セーフティーネットが整ったりすると、そのことによってリスク回避の「インセンティブ」(誘因)が低まり、該当するリスクがかえって高くなることを意味する。
金融において、巨大金融機関の倒産に伴う連鎖倒産等を防ぐために行う政府の「資金投入」を予見し、金融機関の経営者、株主や預金者等が、経営や資産運用等における自己規律を失ってしまうこともある。
似たようなケ-スに失業保険や生活保護が必要以上の充実は、多くの人の働く意欲の減退をまねく可能性があるが、この場合も広くいえば「モラルハザード」といってよいかもしれない。
モラルハザードというのは、結局リスクを回避する行動が、結局はリスクを引き寄せるという意味だから、あまりピタリとは当てはまらないようにも思う。

現在「モラルハザード」という言葉は、節度なき利益追求など広い意味で「節度なく」使われえているようだ。
というわけで、新聞の「給食費を払わない親が増えたのは近年のモラルハザードだ」といった言い方もされている。
これでいうと、石油ショック時代のトイレットペーパーや洗剤の値上がりを期待した商品の出し渋りが思い浮かぶ。
さらにバブル経済時で土地の値上がりが確実に思われ、審査が甘かった住宅専門金融会社から資金を借りて土地を買い占め、さらにその土地を担保にカネを借りてさらに土地を買い、地価の異常騰貴を招いた「節度なき利益の追求」のことが思い浮かぶ。
最近でいえば、「親方日の丸」航空会社の経営危機もそうした放漫経営という「モラルハザード」のツケが回ってきたといってもよい。
しかし、社会主義国で見られるような努力しても努力しなくても生活水準に変化や差があまり生じないので全体として生産性が低下することもまでも「モラルハザ-ド」ということには少々抵抗を感じる。
なぜなら、「サボる」「怠ける」も経済主体の合理的な行動の結果であるからして、自己中心的な行動であったせよ「倫理」とか「リスク」とかとは、あまり関係がない。
我々は歩合制で働く場合にはそうでない場合よりもよりも働くし、それは経済的に見合う行動をとっているという意味では、自然な行為で「反倫理的」でもなんでもない行為だからである。
なぜなら人間は、自分と利益が直接に結びつかないことについて、それほど一生懸命になるとは思いえないからである。
そして、サボるもナマケルも、ガソリンの値代が高くなれば車を運転しなくなることや、親が電話中に泣けばキャンディをもらえると知った子供が電話中に泣き始めるということと、それほど大きな違いがあるとは思えない。
以上、書いているうちに「モラル」という言葉の中にある「偶然」に気がついた。
「モラル」(moral)という言葉は、英語で「倫理」「道徳」だが、「モラール」(morale)というのはフランス語で「士気」つまりやる気を意味する言葉である。
「モラール」とは、困難に立ち向かう「士気」「やる気」を意味する語で、企業や軍隊など組織や集団で、「社員のモラール」「モラールの向上」のような使われ方をする。
「モラル」はもともと習俗、風習を語源とする言葉なのだが、社会主義やイギリス病や「親方日の丸航空会社」の場合には、「モラルハザード」よりも「モラールハザード」という言葉の方が適当かもしれない、と思い至った。

松本清張は社会派推理小説の開拓者といわれているが、推理小説の最大のテーマは犯人の異常性でもなんでもなく、まっとうな人間の犯行の「動機」(モチベーション)であった。
その動機こそは、条件や環境さえそろえば、人間である以上誰しもが持ちうるものであるという恐ろしさを描いたといってよい。
ところで、世の中にモラルやモラールが「ハザード」状態にあるとするならば、人々が物事をやろうという「モチベーション」あるいは「インセンティブ」というものに注目するべきである。
例えば、保険業界では「モラルハザード」を防止するためにインセンティブの「組み込み」などが行われている。
自動車保険においては、たとえ保険会社が保険の支払いを行う場合でも、通常一定金額(5万円なり10万円なり)を保険加入者側で負担しなければならない。
この負担があるために、保険加入者はリスクを意識せざるを得ず、危険な運転を行わなくなる「インセンティブ」が生じる。
また、「保険等級」もモラルハザード防止策の一つである。
無事故のまま保険期間が経過すると、次の保険期間における保険料が安くなる制度だが、事故を起こせば保険料が上がるため、保険加入者はなるべく事故を起こさないようにするという「インセンティブ」が生じるといった仕組みである。
ひるがえって、政府の政策が何でも「バラマキ」ですまされるならば簡単だが、それだけでは「達成すべき」目標に対して効果が期待できないばかりか、それに反する結果を招くということにもなりうる。
高速道路が「無料化」するのは有り難いが、人々が皆高速道路に殺到すれば「低速道路」と化し、この世に本来の高速道路は一つもなくなってしまうのだ。
物流を活発化したいのならトラックなど営業用の車だけを無料化するという手もある。
娯楽用は娯楽で高速料金をはらわせればよいのではないか。

モラルハザードは、経済学のテーマにもなっているが、これは「情報の非対称性」との関連で論じられることが多い。
中古車会社では、客が売りに来た車について情報がないので、よほど安くしないと買ってくれない。
したがって客はまだ価値が充分にある段階で車を持ってこようとしないので、中古市場には粗悪な車ばかりが集まることになってしまう。
すなわち人々が本当に欲しい「良質」の中古車市場が成立しないのである。
これは買い手のリスク回避が招いた別種の「リスク」すなわち市場が成り立たない事態が生じるという意味では、本来の「モラルハザード」と近い構図である。
また、我々が日常に体験するところでは、医師が不必要に多くの薬を患者に与えて「診療報酬」を増やそうする場合も、それにあたる。
これは、医師が処方する薬の量が医学的に適切なのか否かが患者には判断できないという、「情報の非対称性」(情報の遍在)に基づくものであるが、結果的に患者の健康に悪影響を与えるリスクを高めることになる。
実際に、かなりの「医療不信」広がっていると思う。
また、政治家と官僚の関係でいえば、政策課題の問題状況、既存の政策の実施状況、新しい政策と法案を立案する上での専門知識などについて、官僚(エージェント)は政治家(プリンシパル)よりも情報優位者である。
そこで、政治家自らが法案を起草するよりも官僚に委ねた方が、立法作業にかかる多大な労力を省くことができ、政治家にとっては合理的である。
しかし、こうした「情報の非対称性」を利用して、官僚が政治家の当初の目的から逸脱した法案を作成し政策を実施してしまうと、結果的にそれが政治不信にも繋がるのである。
これなども政治家の(法案作成の)リスク回避の合理的な行動ハズが、別の意味のリスクを生むケースである。
つまり専門家(官僚)によって民意から外れた法律が作成されるリスクが高まるのである。

現在の政府は、消費税と法人税の増減税の組み合わせ、円高と金融緩和の関係、セーフテーネットの形成と自己責任の関係など様々な問題に直面している。
結局、人間の「インセンティブ」のツボを上手に刺激してモラルとモラールを高め、人間の「合理的」な選択の結果が、ピタリと政治的「ターゲット」(=マニフェスト)に導いていくようにしなければならないという、かなり難しい局面に立たされるているということである。
それにもかかわらす、国会のネジレもあり「何もきめられない」ハザードの只中にあるようにも思うのです。
それでこの状況を、英語の"decisive"(「決断力のある」)の反対の言葉"indesicive"(「どっちつかず」)から、「インディサィシブ・ハザード」とよびましょう。