1Q93

村上春樹氏の「1Q84」というタイトルの小説が出て、高校でならったジョージ・オ-エルが書いた「1984」という小説を思い出した。
そんなわけで、妙に西暦の数字に意識が向いたせいか最近のマスコミ記事に「1993」という数字が頻出するのに目がついた。
1993という数字は、一度意識し始めると蛍光塗料でもぬったように紙面で光りはじめた。
これは何を意味するかというと、昨年2009年におきたことは1993年を起因する事が多く、出来事の遡及のための必要上、新聞記事に出てくる度合いも大きくなったと解釈できる。
つまり2009年-1993年の16年の間に「因果がめぐる」ような事が比較的多かったということである。
では1993年はどんな年だったのか、2009年と対比しながらふりかえる。
まずは1993年には「非自民」の細川連立内閣が誕生しており、2009年、「非自民」の鳩山民主党連立政権が誕生している。両年は「非自民」の連立政権誕生の年という点で共通している。
1993年という年は、自民党の建設族のドン金丸信氏に関わるゼネコン汚職や佐川急便事件の後であり「政治改革」という言葉が登場しない日はなかった。
2009年民主党政権はその「政治改革」の行き着いた形での「政治主導」を前面にかかげたが、皮肉なことに今日、金丸氏の弟子ともいうべき小沢一郎・民主党幹事長の金銭問題が取り沙汰されている。
アメリカでは1993年にはクリントン民主党政権が誕生し、2009年オバマ大統領民主党政権が誕生した。
社会面では1993年にパソコン用ソフト(OS)「ウインドウズ3.1」が登場し、2009年は大きく進化した「ウンドウズ7」が発売された。
1993年は、「子ギャル」「不良債権」「リストラ」が流行語となった年だが、2009年サブプライムローン問題で再び日本経済は停滞し「不良債権」や「リストラ」問題が再び深刻さを増している。
芸能文化面では1993年、クレヨンしんちゃんブームでが起きた年であったが、その16年後の2009年、クレヨンシンチャンの作者が事故でなくなった。(ちなみにこの年「負けないで」「揺れる思い」がヒットしたZardの坂井泉水は2007年に事故死した)、エトセトラである。

16年という歳月の間に、勢いをましているもの、死に絶えたもの、歯止めがきかないものなど色々あるが、我々が後に歴史を評した場合に、この16年のスパンは或るカラーに彩られた時代だったと振り返ることができるかもしれない。
そしてこの歳月を総括しうる「カラー」を見つけるならば、その第一は日本における「新自由主義」全盛時代という点にあろう。
2009年に至って「新自由主義」の跳梁跋扈によって多くの人々が傷つき、ついには学問的な良心に耐えきれず「転向」を表明する学者までもあらわれた。
1993年から2009年いう歳月はその意味で、日本の近現代史にとって突出した時代であったといえる。
それは1993年11月に細川護煕首相の私的諮問機関「経済改革研究会」がまとめた規制緩和に関する中間報告書いわゆる「平岩レポート」を土台に、財界(日経連)が「新時代における日本型経営プロジェクト」を立ち上げたことから始まった。
それまでもアメリカの構造改革要求に対して、1986年に「前川レポート」なるものをだしているが、「平岩レポート」の歴史的な意義の大きさは、「国内の指導層」が自覚的にアメリカ型の経済社会を志向するという路線を確立した点にある。
そのためこの「平岩レポート」こそは日本の「新自由主義」路線の幕開けを意味し、アメリカ型経済にある意味「接収」された起点となったように思える。
この「新時代における日本型経営プロジェクト」の基調は、総額人件費抑制の考え方で、派遣労働者や契約社員の活用などを含めた雇用・就労形態の多様化や福利厚生システムの再編・合理化、成果主義に基づく賃金体系の導入などで、その後企業社会を襲ったリストラ旋風の理論的基礎を提供することとなった。

ところで時々私は「経済学者の逆説」みたいなことを思う。
それは世界大恐慌以来主流となった経済学を打ち出したケインズと1980年代以降それに対抗する新自由主義の旗手ミルトン・フリードマンの関係にもっともよく表れている。
ロンドンの高級住宅街(ハーベイロード)に住むJMケインズは、失業救済のために政府の役割を重視する「福祉国家観」をうちだしたのに対して、ニューヨークの貧民街で炭鉱労働者の子供として生まれたミルトン・フリードマンは国家による経済のコントロールよりも、市場の力を重視しそれを積極的に活用しようという「新自由主義」をうちだした。
そして1980年に出版された新自由主義の啓蒙書「選択の自由」は世界中で読まれた。
上述の「平岩レポート」も市場重視や規制緩和をうたっており、結局ミルトン・フリードマンの思想を背景にしたものである。
特に「経済学者の逆説」は、貧民として生まれたフリードマンが弱肉強食を生みだす「市場の力」を信奉した点に対して思うことである。
しかし、フリードマンの次の言葉に出会った時にフリードマンが信奉した市場とは、必ずしも今日のような「弱肉強食」をもたらすものではないことがわかった。
「私が自由な市場に委ねるのが一番いいことを主張するところには、国家も制度も民族も一切、力を持たない、一つのメカニズムが人間社会を結ぶことが最も幸福であるという、ヒットラー治下の、スターリン血下のユダヤ人の血の叫びである」、と。
フリ-ドマンにとっての「市場」とは、もともと差別や因習から人間を解き放つものだった。
フリードマンはニューヨークの貧しい家庭に育ち、幼いころから大変苦労して新聞配達で学費を稼ぎ、奨学金でシカゴ大学に学んだ。
そして世界的に知られるようになってからはサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジがよく見える丘にある高級住宅街に住んだ。
そうした生活をフリードマンに提供した市場経済は、相対取引と対極にあるもので、人間と人間の関係を匿名化する意味では人間を差別しない。
フェアでクールであるために差別された人々にとっては、むしろ望まれる機能でさえあったのだ。
しかし、フリードマンのような一部の才能ある人々を除いては、市場経済が差別された人々にそれほど慈悲深いものであったとは到底思えない。
今日、この市場経済の利益の恩恵に一番あずかっているのは、貧民層ではなくほんの一握りの富裕層なのである。
もっともその富裕層の中にはユダヤの金融財閥をも含んでいるのだが。
ところで先述の細川内閣の下で「平岩レポート」を堤出したのが首相の諮問機関である「経済改革研究会」であるが、この研究会で中心的な役割を果たしたのが、一橋大学の中谷巌教授である。
中谷教授は1998年に誕生した小渕恵三首相の諮問会議「経済戦略会議」にも参加し、そこには後に小泉首相とコンビを組んだ慶応大学の竹中平蔵氏も加わった。
この「経済戦略会議」の方は私的諮問機関というものではなく、国家行政組織法に基づく公的機関で、内閣は最大限その提言を尊重しなければならないという性格のもので、平岩研究会で打ち出されたの同様の思想を強化し、より広範な分野に適用させる内容となっていた。
ということは、日本において新自由主義が普及した大きな責任をもつアカデミズムの人間といえば、この中谷巌氏と竹中平蔵氏が筆頭にあげられるだろう。
この二人に果たして「経済学者の逆説」があてはまるのかどうか個人的にも興味があり、ご両人の個人史を調べてみた。
中谷教授は大学卒業後日産自動車に勤めたが、塩路労組体制の中の幹部候補生として、社宅や交際費、退職金といったあまりにも親密しすぎる関係をもたらす「日本的経営」に対する絶望感を抱いたという。
他方、竹中平蔵氏は同じく一橋大学卒業後日本開発銀行に勤めそのシンクタンクで研究し、その後ハーバード・ビジネススクールの優等生としてアメリカ経済界の知己も多い。
竹中教授はサラリーマン時代に、「この国の安定は個人の犠牲になりたっている。敗者復活戦がなく、サラリーマンは会社で失敗したらおしまいだ。やり直しがきかないから、しがみつくほかなくなる」と中谷教授と同様に「日本的経営」に疑問をもつようになったという。
竹中氏はアメリカで学んだ「新自由主義」の旗手として小泉内閣では構造改革を推進した。一方、アメリカによって金融大臣に据えられたとか、あるスジからすれば「売国奴」などとも揶揄されている。
中谷氏も竹中氏も日本型経営への疑問から「新自由主義」の信奉者となった感じがするのだが、その出自をみるかぎり、彼等はけして血も涙もないオボッチャマ学者ではない。
中谷氏は大阪に生まれ七人兄弟の6番目、父親はプラスチック工場を経営していたという。一方竹中氏は和歌山県の履物商の家に生まれ、日本中どこにもいる野球少年だった。
彼らの経歴からして少なくとも庶民の「生存権」を軽々しくあしらうような人々ではない(と思う)。
中谷巌教授は、「痛快経済学」や「eエコノミーの衝撃」などかなりの売れスジ経済学者であったが、2009年の朝日新聞にみずからが唱えた市場経済万能は行きぎであったと認め、ある意味では学問的に「転向」を宣言された。

市場経済の素晴らしさを発見し、神の「見えざる手」とまで称したアダム・スミスは、実はその社会観が道徳哲学から出発している点はあまり知られていない。
実はスミスは「国富論」以前に「道徳感情論」を書いておりこの本は当時の大ベストセラーになっている。
その中で次のように言っている。
人々の他の人と関わりたいという共感の感情は、自分から家族へさらに隣人から国家へと拡がっていく。
そして自分の持っているもので他の人が必要なものがあればあげたいという感情になるだろう。
互いにそういうものがあれば、自分の豊富に持っているもので相手が必要なものを互いに交換する行為となって現れるはずである。
また、交換行為は人々に他人と関わりあっているという満足感をもたらし、それ自体喜びともなるであろう。
スミスはこういう共感論をもとに分業論を展開し、人間は自分がかわいくその次に隣の他人がかわいい。
だから自分を最も愛する気持ちを前提とした個人的な欲望が、より多くの他人と財を交換してより多く利益をあげようという経済活動を推進する原動力となるといっている。
また人々は自己の利益のために働いて結果的に社会の利益を増進させるが、隣人への共観がさらに社会的利益を増進させるともいっている。
隣人への共感が市場を円滑に働かせるといっているのだ。
経済競争は打倒や殲滅を目的をおこなうのではなく互いのシェアや立場を尊重しつつその中での競い合いを想定し、その上での「レッセフェール」つまり「したいようにせよ」といってっているのである。
今日の「金銭崇拝」と「強欲」にハジケた市場経済とはなんと大きな違いだろう。
アダム・スミスの言葉には「隣人」という言葉がでて聖書の「良きサマリア人の喩」を思いおこすが、 世の中は、オーバーアチーバーがアンダーアチーバーを養っているという側面がある。
しかし隣人を助けるのは、慈善や恩恵なのではなくて、隣人が究極的に自分自身だからではないのか。
誰でもいつしかアンダーアチーバーに転じて人の世話になるという意味で、隣人は未来の自分だったり、幼い頃の自分自身だったりするのだ。

ところで村上春樹氏はオウム真理教や地下鉄サリン事件に関心をもち、小説の中にも取り込んだ。
「1Q84」にもそれが反映しているのだが、QはクイスチョンのQを思わせ、現実の世界とパラレルに進行するもう一つの世界を識別するための記号なのだろう。
村上氏は、月の光も届かない地球の裏側でたったひとりになってしまったかのような孤独、具体的には限りなく善良で良心的なオーム真理教の医師が殺人犯となり滑り落ちたような孤独について描きたかったのだという。
この16年間で、「家族主義」や「終身雇用」や「年功序列」に支えられた既存の日本社会が一気に瓦壊するのを見て、あまりの変わりようにこれは日本の裏側で起こったパラレル・ワールドでの出来事ではなかったのかと思いたくもなる。
その始まりの「1993」はお月様は一つしか出ていなかったものの、「カネ崇拝」と「強欲」で武装した市場が日本社会の根幹を揺らし始めた年で、それを記憶するために「Quake(振動する)」のQをとって、「1Q93」ということにしよう。