現代のハンニバル

厳しい戒律を忠実にまもり神を崇めるおそろしく敬虔なユダヤ人、金相場を操り世界金融を牛耳るユダヤ人、 これが果たして同じユダヤ人なのか、どうも納得できないし腑におちない。
どこの民族だって、信心深い人間もいれば金の亡者もいる。また国々を渡り歩くうちに性格だって変化しても不思議ではないのだが、あまりにも聖と俗の両極端に分裂したユダヤ人の姿をどのように受け止めればいいのだろう。
または両者は、本来ひとつに結びつかないものなのだろうか。また性格が変わったとしても、強いアイデンティイをもつユダヤ人に最も影響力を与えたもの(民族)とは一体何なのだろう。
そんなことを思いながら、「ある直感」をもとにシェークスピアの「ベニスの商人」を読んでみた。
、ちなみにベニスの商人というのは貿易商のアントーニオのことで、ユダヤ人金貸しのシャイロックのことではありません。
「ベニスの商人」から生まれた貪欲なユダヤ人像は、ユダヤ人を敵視したキリスト教徒側から「人間の肉を担保に金を貸す」部分だけをとりあげて歪曲されて作り出された感がある。
実際に「ベニスの商人」全体を読んでみると作者のト-ンはむしろシャイロックに同情的だ。
ところで、ベニスという地名はフェニキア→ベネチアからついた地名であり、ベニスとは「フェニキア人の町」ということである。
フェニキア人は地中海交易で栄えた人々で、旧約聖書に「シドン人」として登場しユダヤ人ととても深い因縁がある。
実はフェニキア人との交流こそがユダヤ人の謹厳な信仰心を変質させていったといっても過言ではない。
紀元前11世紀にイスラエル全盛を築いたソロモン王は、神が禁じたのにも関わらず外国の妻を多く娶った。外国の妻を娶ることは外国の神々をむかえいれることに繋がるため厳に禁じられたことであったのだが、ソロモン王はエジプトの女やシドン人つまりフェニキアの女を娶ったりして、バアル神や女神アシタロテを祭るようになり神の怒りをまねいた。
その結果、ソロモン王の死後にイスラエルは南北に分裂する。
イスラエルの北王国はその後滅び、ここに住む人々はすっかり異教の神々をも信仰し「サマリア人」とよばれ正統派ユダヤ教徒からは蔑視されるようになった。
最後まで残ったのが南王国のユダ族で、この部族名から「ユダヤ人」と呼ばれるようになったのである。
実はソロモンの栄華を最もよくあらわすエルサレムの神殿は、その資材がレバノン杉という良材に恵まれたツロ・シドンの地すなわちフェニキア人の地からもたらされたものであった。
皮肉なことに、このフェニキアの神々への信仰(バアル神、アシラ女神)の混入こそが神の怒りを買いイスラエル分裂のきっかけをつくったのである。
聖書にしばしば登場するカナン人とは、イスラエルがメソポタミアの地からこのパレスチナの地にやってくる前から住んでいた先住の人々で、「ヘテ人」として登場するヒッタイト族と、「シドン人」として登場するフェニキア人が主な人々であった。
つまりフェニキア人とはシリアあたりに住んでいたカナン人のことである。
カナン人は多産の女神であるアシラとその相手であるバアル神を崇拝していた。その信仰はバアル神とアシラ女神の性交によって、肥沃、豊饒、多産をもたらすと信じられていた。
だから神殿に娼婦がいて、男娼がいても不思議ではなく、むしろそれらが推奨されさえしていたのだ。
カナン人(フェニキア人)が子供の血を悪魔に捧げていたことは、考古学的に立証されている。
ちなみに「人食い」を意味する「カーニバル」という言葉の語源は、「カナン」とその信仰の対象であった「バアル神」を合成したものである。
ところでそのフェニキア人とユダヤ人が貿易商人と金貸しという立場でイタリアのベニスの地で出会うというのが「ベニスの商人」の歴史的背景なのである。
ではその再びの出会いとはどういう経緯で起こったのか。

イタリアにおけるユダヤ人集落の存在は、紀元前2世紀ごろより確認されているが、紀元1世紀のロ-マ軍との最終戦争敗れたユダヤ人も商人として住むものが多かったのである。
ユダヤ人集落はベニスばかりではなくロ-マ、ナポリ、ジェノヴァなどイタリアの主要都市や港には必ずといっていいほど存在し、彼らはロ-マ帝国内での東西貿易の担い手として一定の確固たる地位を築いていたといってよい。
はっきりってユダヤ人は、奴隷とするには使い勝手が悪すぎたのである。独立心の強い性格、先祖の信仰の慣習を頑なに守り通す、安息日に働くことも、主人から与えられた食物を食べることもしなかった。
要するに奴隷主が彼らを買っても儲けにはならなかったのである。
そんな彼らにとって共和制で自由の雰囲気のあるベニスは住み易く、ヨーロッパで最初のユダヤ人街を作ったのである。
また11世紀には、十字軍やイスラム帝国分裂の影響で弾圧された中東のユダヤ人がベニスなどに移住し、15世紀には、スペインでキリスト教王国がイスラム王国を倒したことにともない、キリスト教徒に改宗するか追放されるか選択を迫られ、その多くがベニスなど地中海沿岸の商業都市に移住したのである。
さらに中世ヨ-ロッパで異端審問が行なわれていた頃、もともとユダヤ人集落があったベニスに避難してきた者も多くあった。
そしてヨーロッパ社会とイスラム世界の商業貿易金融の独占を志向したベニスには、その最盛期に約300もの金融貴族が君臨したのである。
この金融貴族の多くがユダヤ人というわけではない。ベニスはその地名からしても元来フェニキア人も多く住む町だった。
フェニキア人はかつてハンニバルを大将としてロ-マと戦ったが、それに破れた後にベニスにも商人や貿易商として住むようになったのである。
ところで世界史の教科書にでてくるフェニキア人はカルタゴ国家をつくりローマと地中海世界における覇権を競った国でもあるが、アルファベット文字を作りあげた人々でもある。
ところでカルタゴは、1980年ごろ世界経済で重きをまして経済摩擦を各地でひき起こしていた小国・日本と状況が似ているということで、一時「カルタゴ・ブ-ム」なるものがあったことを記憶している。
カルタゴは戦争に負けても奇跡の復興を成し遂げ大国ローマを脅かしたし、小さいながらも海洋国家として商業で栄え、国民はかなり裕福であった。
カルタゴ人は同時代人から理解されにくかったとか、人生の愉しみを追わなかったとか、自ら血を流すことを嫌い軍備は傭兵に依存したとか、そしてたくましい商才を発揮したとか、日本人の国民性を思わせるものがあったのである。
ベニスに住み金融に携わったユダヤ人はフェニキア人との交流を深めさらに商魂を磨いていったと思われる。
パレスチナ時代のカナン人はベニスの地で再びユダヤ人の性格に強い影響を与えたのである。

ところが1492年のコロンブスの新大陸発見以来、東西交易におけるベニスの地政学的優位は失われこの町で金融や貿易に従事していたユダヤ人は、いち早く拠点をベニスから西ヨ-ロッパへと移していった。
バチカンのキリスト教会がユダヤ人をほとんどの職業から追放し農業をも禁じていたため、ユダヤ人にとって数少ない収入源として残っいたのが、高利貸し、両替商(貿易決済業)など利子を取り扱うことが多い金融業であった。
しかし他人に貸した金から利子をとることはキリスト教が禁止しておりそれに手を染めるユダヤ人は欲深い罪人とされ、一方借りて手あるキリスト教徒はその借金を帳消しにするためにたびたびユダヤ人虐殺にはしった。
ところが宗教改革後に進行した政教分離によって、教会は人々の経済活動に口出しできなくなり、「利子」をとることが悪い事とはいえなくなったため、それまで利子が罪悪だっただけに利子を受け渡ししながら巨額の資金を集め資本として使うという近代経済の技能は、ほとんどの人々にとって未知のものだった。
その技術を独占的に持っていたのが他ならぬユダヤ人であったのだ。
ちなみに聖書では同胞から利子を取ることを禁じている。
しかしユダヤ人が新バビロニアに捕囚として連れ行かれた時代に、カルデアの神官たちが参詣する信者達から金その他の貴金属を預かり書を発行し保有し、一部を引き出し請求のために残してて残りは利子をとって貸し付けているということを学んだのである。
またユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることがあったので、ユダヤ人にとって自らの名前を書かねばならない記名型の証券は安全ではなかった。
そのためユダヤ人の金融業者たちは、無記名の証券(銀行券)を発行・流通させる銀行をヨーロッパ各地で運営していた。
この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行を作り、紙幣を発行する際に応用された。こうしてみると、現在の金融業態のすべてに、ユダヤ人は古くからかかわり、金融システムの構築に貢献したことになる。
もちろんすべてのユダヤ人が金融業者だったわけではない。中世から近代にかけてはユダヤ人の多くは東欧にいたのだが、彼らのほとんどは職人か行商人または貧しい農民だった。
ユダヤ人に課せられた様々なマイナスのカセが近代社会にいたってプラスに転じていることに気がつくが、しかしそのことが様々な迫害をも生むのである。
国家の運営に必要な資金を最も上手に調達できるユダヤ人は、ヨーロッパの各国の王室にとってなくてはならない存在となった。
各国政府の中枢に食い込むことは、差別されやすいユダヤ人にとっては安全確保の手段でもあった。

ところでアブラハムの子孫としてのその祝福が約束された厳格な信仰をもつユダヤ人が今日、世界の金融界を支配している。
いくら金を動かす存在であっても、こういう状態をとうていアブラハムの子孫の本来的な「祝福された」姿とは読み難いものがある。
彼らが歴史的に差別され過酷な生存条件を生き抜いたとしても、多くのユダヤ人の通常の自己防衛の範囲をはるかに超えているようにも思う。
金を動かし世界支配さえ狙っているのかと思うほどのユダヤ人財閥の姿は今や神の意思を敬虔に伺う存在には思えないのである。
冒頭でいった「ある直感をもってベニスの商人を読んだ」というのは、そういう金融界に君臨するユダヤ人は正統なるユダヤ人ではなく、 そこに何か別ものと混交して姿を変えてしまったユダヤ人ではないのか、それがどこらきたのかという観点から読んだのである。
聖書の中では実にその混交こそが、神の怒りとしての「災い」の種となっているのである。
聖書は、ユダヤ人がカナンの信仰(バアル信仰)や風習(アシュタロテ崇拝)を取り入むことに対して繰り替えし警告を発してる。

ところユダヤ財閥の頂点にあるロスチャイルド家の血統はもともとはユダヤ人ラビであたるが、ベニスの貴族(フェニキア系?)の血統とも結びつきその後ドイツのフランクフルトに移住して高利貸し業をはじめ成功した。
1793年に始まったナポレオン戦争の後、ヨーロッパで多発するようになった国家間戦争のための資金調達をあちこちの政府から引き受けることで、急速に力をつけていった。
一族のうちの一人は1797年、産業革命が始まっていたイギリスに進出し、綿花産業への資本提供やドイツなどへの販路拡大を引き受けて大成功し、イギリス政府に食い込んで資金調達を手伝うようになった。
現在でも各国政府への資金提供でも知られているが、古代にカナンで生まれたイニシエ-ションをとり行う秘密結社(イルミナティ)との関係が深いといわれている。
こういう古代イニシエ-ションは、トム・クル-ズとニコ-ル・キッドマン共演の「アイズ ワイド シャット」の中に描かれていた。
そこで奇想が浮かんだ。
現代の世界金融を牛耳っているユダヤ人とは、ユダヤ人の姿をしたカナン人なのかも。
それとも現代に蘇ったハンニバルとでもよぶべきか。