言葉と自然と血

言葉は、世界を歪めたり新たにしたりする。
詩人とはそういう言葉の可能性に敏感な人のことでしょう。もしも「里山」という言葉がばなかったら、田舎の風景は随分違ってみえると思う。
「里山」という言葉で田舎が少しばかり機能性をもってあらわれてくる。
いやな言葉に「加齢臭」というのがある。そんなものが本当にあるかないかわからないが、この言葉があるせいでそれを意識しだす。
もしも「加齢音」という言葉ができたら、骨がきしる音、歯が揺らぐ音、髪の毛がぬける音、脳細胞がぶちきれる音などの体内音が気になって仕方がないに違いない。
かように言葉は世界をカタどり発見する。しかし言葉がなければ存在していないということではない、見出されていないということである。
言葉と世界の関係を深く語るほどの力はないが、この問題でいつも思うことは、日本という国を支配している目に見えぬチカラをどうしても言葉で捉えきることができないということである。
西洋にもなく東洋にもない特異な何か、それが言葉として充分とらえきれていないので、何もないかのように思われている。
日本人は自ら無宗教と思いつつも実はとても信仰心の深い国民であるのだと思う。そういう精神基盤を自覚的に言葉にしえていないだけのことである。
しかしこの言葉として表わせない何かこそおそるべきものである。
日本人は繰りかえし押し寄せてきた外来文化を受け入れたり捨てたり濃くしたり薄めたりすることによって「日本流」に仕立て直してきたが、それを取捨選択してきた強い精神基盤が必ずやあるはずなのである。
例えば儒教を百パ-セント受け入れたとするとその弊害も百パ-セント受けることになろうが、実際にはそれを薄めて受け入れたので、あまりその毒にあたらずに済んだのである。

日本人は世界どこにも見られないユニ-クな精神性をどのようして身につけたのか。
日本人の自然はそれ自体が神殿のようなものであると説明した人がいたが、その自然崇拝のありようが、古代から「かんながらの道」とよばれるようになった。
自然崇拝にむかう態度としてケガレをきよめるミソギなどがおこなわれた。これは身も心も清らかにしてあるいは新たにして神々に向かおうという信仰である。
また日本には独自の精神基盤の要素として「簡素化」や「凝縮化」という言葉があるように思う。それは日本人の生活態度の中にしばしば見られる顕著な志向性である、と思う。
鎌倉時代に中国から伝来し室町時代に発展した禅の文化は、確かに「簡素」の文化にかかわりが深いと思うが、数少ない言葉の中にあらゆる感情を凝縮した「万葉人」の歌などを見ると、「簡素」とか「凝縮」は日本人にとってさらに本源的なものを感じさせる。それらは日本人のDNAに組み込まれたものといってよいかもしれない。
ミソギがケガレを「事後的」に水で心身を潔める儀式であるのに対して、私は「簡素」や「凝縮」という志向性の中にケガレをふせぐ「予防的」なものとして日本人の精神性を規定しているものだと思っている。

日本では古来より「自然」という言葉が大切にされる。海や山や川の流れの「外なる自然」だけではなく、物事がなりゆくありようの中で強固な「意図性」を排除するという意味での「内なる自然」である。例えば万葉の歌人ははばかることなく恋愛感情をごく自然なものとしてうたいあげている。
この自然な気持ちの奔流をさえ大切にする態度の裏側にどのような精神基盤があるのかと思う時に、外界のうごき(外なる自然)も心の内面の動き(内なる自然)も同じように「自然」とらえられるところが日本人の心の特性なのではなかろうか、と思うのである。
西欧文明では自然を分析しコントロールする近代科学を生みだしたが、同時に様々な戒律によってその内面をも統御する強い指向性をもった宗教が生まれた。
そういう外なる自然も内なる自然も統御の対象とするのが西欧の文明であるに対して、内なる自然も外なる自然も「流れのまま、勢いのまま」ということが日本の文化なのである。
つまり日本人の古来からある神道に神社や儀式があるのに根本的な教義が存在しないのはそのためではないだろうか。
つまり心の内面(内なる自然)を教義で規定することをあえてしないのである。
ところで言葉を発することは神を崇める方法であると同時に、言葉は魂をやどして世界を歪めるうる可能性のあるものとして畏れられていたという面がある。
言葉数少なく「簡素」に気持ちを「凝縮」して神々がすまう外なる自然と人間の内なる自然とを崇えようという精神性こそが万葉集に見られる歌の数々を生んだのではないだろうか。
日本人は世界のどの民族よりも言葉の力を知っていたがゆえに「最短の形式」の中に様々な感情をおさめようとしたのではなかろうか。
日本人の宗教性のもう一つの特徴は神そのものを「偶像」としては表さなかったということである。
それは人間の想像の世界に映る像をつくることであり、そうした「人為」こそがケガレを意味すると解したからではなかろうか。
したがって神々を写す鏡または神々が宿る木や石を神体とした。それはシンボルとしてでであって、何か神像を具体的な「形」として表すそんな「ケガレ」たことを日本人は絶対にしなかったのである。

ついに日本人古来の神道は独自な経典(教義)というものを持つことがなかったのであるが、そのかわりに自然にある神々への崇拝の儀礼である「かんながらの道」全体の中にその独自な「信仰心」があらわれている。
そして天皇は日本人を代表して「かんながらの道」の先頭に立つ祭司のような存在なのであろう。
この祭司の前に出たりその正統性(=血の継続性)を否定しようとしたものは、歴史の中に崩落・転落していく事例を多く見ることができる。この事実は驚くべきことであると思う。
世界の歴史の中で王朝の交代つまり「血筋」の交代が頻繁におきているのに、日本の「皇室の継続性」とは一体何なのだろうか。
日本人の高雅な精神性を感じると同時に、そこにこの系統を守ろうというもっと大きな「見えざる力」のようなものさえ感じるのである。
歴史の中には天皇に反逆あるいはないがしろにした蘇我馬子や平清盛や足利尊氏などの数々の事例を見出すが、「王朝の交替」を常に阻もうとする「見えざる手」の背後にある日本人の精神基盤とは一体何なのだろうか。
旧約聖書の中で、古代イスラエルには祭司の血筋というものがありそれが数千年にわたって続いており、その存在を勝手に抹殺しようとしたり、自らその職にありながら軽んじるものは、悲惨な末路が待っていることを明らかにしている。
ユダヤで祭司の職にあった人達はレビ人といわれる人達で、イスラエルの祭儀の中には神に穀物の初穂をささげるというような日本人の古来の文化と共通のものがある。
神はその年とれる作物の初穂や初産を喜ばれるというものであるが、日本人の意識の中にも、人間の手垢にふれぬ自然そのものの中でも最も新しく傷なきものを捧げようとする志向性があることを思わせられる。
もちろん日本人は多神教であり自然崇拝であるから、イスラエルのような唯一神信仰とは大きな隔たりがあるのだが、ものの本にイスラエル十部族の一部が中国を渡り日本にもやってきたということはかなり言われていることであるが、もしこれが真実だとするとこの共通性の背後には両者の繋がりというものが存在することになる。
日本人の信仰心の特質と思う事は、自然の勢いや成り行きを重視する態の中というのは結局神々の働きをそのままにしておく、できるだけ人間の働きが神々の働きの邪魔にならないようにするという態度なのではないだろうか。
それぞれの民族の文化とは、神または神々がどんな「捧げモノ」や「捧げ方」をしたら喜んでもらえるか、さらに神に喜んでもらえることによってどんな祝福がもたらされるかを、どのように解釈しているかということがそれぞれの文化を規定しているのだと思う。
神への「ささげもの」「讃え方」こそが文化の本質であるに違いないのだと思う。
日本人の文化の場合にはそれが「簡素」や「凝縮」という生活態度や志向性を生んだのではないだろうか、と思っている。
捧げものとしてケバイものやコッタものではなく、簡素なものシンプルなもの単純なものこそが神々に喜ばれる。そうしたささげものの選別やその捧げ方こそが古来より日本人の文化を形成したのではなかったろうか。
神々がすまう神社は仏教の影響で次第に手が込んだものになっていくが、本来は囲いだけがしてあるごく単純な聖域を指す場所にすぎなかったのである。
捧げものの中に人間の力や努力や細工を多くとりいれたものよりも、自然の勢いのままに生み出された手付かずの最も新鮮なものものこそが神々がよろこばれるものであり、神々を崇えるにせよ多くの言葉を弄するよりも短い言葉の中に様々な気持ちやや感情をこめうる形式こそが最も神々に通じうるという理解こそが、日本人独自の文化を形成したのではなかろうか。
あえていえば人間側の意匠やはからいを「極小化」していく供え方や捧げモノのあり方こそ日本人の精神の高雅さであるように思うのである。
本居宣長が日本人の古来の文化をそのような素朴な心のありようとみて、外来の文化(唐の文化)を「さかしら」とよんだのは、そういう点をついてのことだったのだと思う。

ところで日本人を支配する目にみえぬ力が捉えきれないのは、そうした古来からあった神道が言葉つまり経典を持たなかったことによるのだが、そうした神道が仏教や儒教と出会い、その言葉や思想をかりて語られたことによって日本人の素朴な信仰心にも変化がおきていったのだと思う。
神道にはいくつかの流派があるが、比較的に早く成立したのが両部神道および山王神道で、いずれも大きな神社の周辺に住む仏教僧によって始められたものである。
仏教と神道の関わりは、「本地垂迹説」や「神宮寺」などカミとホトケの一体化なので比較的なじみがあるが、儒教と神道との交わりによっても垂加神道などが生みだされたのである。
ところで江戸時代の儒教である朱子学は大義名分を明確にし「王者」と「覇者」にわける。「覇者」は力で世を治める悪いやつだが「王者」は徳でおさめる正当な王である。正当性が徳で保証されるのならば、徳を失った段階で王朝は交代すべきものである。
日本の天皇は徳ではなく神の子孫であるという血によって正統性が与えられていて、その血統という正統性がある以上王朝の交代はありえない、とうことになる。
中国では孝や忠や仁などのさまざまな徳目がうまれてきたが、本来の日本人はそれよりも「血」を重視したのである。それでは血とは何か、一言でいって自然のことである。日本人のそうした血統尊重は、結局は自然崇拝の一環として根強くのこっているものなのだ。

神道というのは本来、天皇家だけが中心になったのではなく、出雲の大国主命のようにう土地ごとに色々な神様を信仰していた全体をさすものである。
確かに神話には、この国は天照大神の子孫がおさめるということが書いてあるけれども、それは他の神様を信じてはいけないということではない。
明治の国家神道とはそうした統一性のない状態だったものを国家神道というかたちでピラミッド型に統一、整理し、その頂点に天皇がいるようにしたものであり、 日本人の古来からの信仰心からみればかなり異様な「意図性」「作為性」を感じさせるものである。
国家神道は明らかに「自然」に反するものなのである。
明治の時代に、天皇、国家神道、靖国という確固たる仕組みが作りだされると、天皇が祭司であるよりも「神」そのもののように祭り上げられることによって、「天皇の政治利用」ということさえもが起こり始めた。
「天皇の政治利用」といえば、最近久々にこの言葉を耳にした。
中国から次期国家主席と目される人物が天皇との会見を希望し、民主党政権はそれをうけいれ宮内庁の「一か月ルール」を無視して、首相官邸の強い要請で決定され実施された。
2009年、12月小沢氏が記者会見で「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ。すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」という発言の内容と、その語りっぷりにかなり「違和感」を覚えてしまった。
そして天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が、政権による「天皇の政治利用」かということが問題になった。
民主党の方にも日米関係から日中関係へのシフトという政治的意向の中でこの会見の受け入れが行われたのだと思う。
この小沢氏の記者会見の模様ととテレビで映し出された小沢邸での新年会の様子が重なった。
小沢氏背後には「サクラさく東京であなたは日本の第一人者になられるでしょう」ということが漢詩で書かれた中国から贈られた掛け軸が映し出されていた。
ところで、先述のように日本の歴史のなかで天皇を軽々しく扱おうとしたものの運命を思う時に、小沢氏が今後どのような政治的運命を辿っていくのか、歴史のケーススタディイの一つとしても見守っていきたいと思っている。