数合わせの世界

我々が生きている社会には様々な「数」が求められ、公表され、そして一人歩きしている。
そして「数」さえそろえれておけばば、実態はどうあれなんとかなる、オイシク生きて行けるというような世界が結構あることに気づかせられる。
こういう世界を「数合わせの世界」といいましょう。
こういう「数合わせ」の世界は、昨今の国会における候補者選びとか国会における会派づくりとかについてだけではありません。
いくつか思いつく場面で、数を前面に出して実態をおおい隠しつつ、数をカサに力をふるうなど、「数合わせ」の弊害ともいっていいものを見出し、少々気になるところがあるのです。
同時に、どの分野であれ一旦増やした「数」を減らすとうことが、いかに難しいかということを思い知らされるのです。
最近の「事業仕分け」で、いくつかの特殊法人も仕分けの対象になっているようです。
確かに、ほとんど仕事がなく出勤して一時間程度ですむような、官僚の「天下り先」確保の目的としかいえないようなホージンが数多くあります。
実際に仕事がなく職員は休みばかり取っているという実態があり、その優雅さと怠惰さとは、とてもこの世のものとは思えないものまであるらしいのです。
しかもそういうホージンの実態は、表面的に報告された数で目隠しをされ、なかなかその本当の姿が見えにくくしてあるからして、困ったものです。
あるホージンの一例をあげると、ある女性が新聞のホ-ジンの募集広告に「事務員募集」と書いてあったので、面接をうけ採用されてみると、さっそく渡された辞令は「研究職」となっていました。
いつの間に採用の職種か変わったのかとフシギに思っていたら、名目だけでも「研究職」としておかねば予算がでないということでした。
何しろそのホージンの名前が「○○の研究所」であるからです。
研究員の数は、そのホージンが予算を与えられる重要な基準となっているといいます。
ホージンがやっている業務内容といえば渡された調査ビデオを見て意見を出し、簡単な報告書を作る程度のことであり、この過程で、「真の研究員」はたった一人で充分だということでありました。
しかも調査名目で海外出張も何回かなされるが、それに対する特別な報告もないということであります。
仕事がない日が週3日ほどもあり、実際に、こんなに休んで何をしているんだろうと思うくらいに職員の休みも多いそうです。
以上は、若林アキさんという方が書いた「ホージンノススメ」(朝日新聞社)という本で知った内容です。
こういうホージンはきっと、最近の「仕分け事業」の対象になっていると信じていますが、このホージンの「研究員の数」のように、数合わせをしているだけの「弊害」は日本社会の色々なところに見られるような気がします。

耐震偽装問題で有名になった「一級建築士」という資格を持つものは、驚いたことに30万人弱というくらい多いそうです。
これは人口比からいうと、訴訟社会・アメリカの70万人の弁護士数と匹敵しそうな数です。
個人的なイメージでは、一級建築士の資格は四年制大学の建築学科を出ても容易にとれる資格ではなく、旧制高等小学校出の田中角栄氏が一級建築士の資格をもっていたことが、この人物の大卒に劣らぬ能力の高さを示す証拠ぐらいに思っていました。
しかし、現実の一級建築士の全員が設計の仕事をしているわけではなく、普段の仕事で一級建築士の資格が直接に役に立つ人は、設計事務所に所属している人々ぐらいと言われています。
現実の一級建築士は、建設会社の社員として働いているものが、圧倒的に多いようです。
最近の一級建築士の試験はだんだん難しくなる傾向にありますが、合格するためには、夜間や休日に専門学校に通って資格を習得する人達も多くいます。
なぜに大量の人達が仕事に直接役立つかわからないこの資格を、専門学校に通ってまで取ろうとするのでしょうか。
それは公共工事の入札基準となる「経営事項審査制度」が大きな影響を与えているといわれています。
「経営事項審査制度」とは、入札に参加を希望する会社の経営規模・状況・技術力等を「点数」として評価する制度です。
入札に参加できる公共工事の規模が、この経審の点数により決まってくるのです。
その「点数化」において各建設会社が抱える建築物の構造計算が出来る「一級建築士の数」にその評価点(5点)を掛けたものが技術評価点となり、結局は一級建築士の数が大きくモノをいうような仕組みになっているわけです。
そのため、公共工事の入札可能な工事の規模を出来るだけ大きいものにしたい建設会社は、技術系社員に一級建築士の資格習得を義務としているわけです。
というわけで、清水建、大成建、大林組、鹿島建のスーパーゼネコンは、一級級建築士の数で準大手ゼネコンクラスを大きく引き離して優位に立っています。
実際に、一級建築士を持っているとからといって、建物の設計管理や工事現場の管理が出来るとはいえないのです。
彼らはいわば公共事業入札の為の「数合わせ要員」で、本当の意味での技術力はそれぞれの会社の有資格者の経歴を合わせて判断しなければ、分からないということです。
現実の建築設計には、それほどの数の一級建築士は不要といわれています。エース級が十数名いれば済むことなのです。
したがって、30万人弱にもなる一級建築士の多くは、建設会社が公共工事入札のための、つまり会社の評価点数を上げることだけの為にその資格を習得した人達なのです。

昭和の時代までは、旧国立大学とそれを除く新制大学には色々な差別がありました。
その一番の表れは、新制大学の大学院は博士課程がもてないというものでありました。
したがって博士課程をとりたい人は、修士をとったあとで、旧帝大に移るほかはなかったのです。
というのも旧文部省は新制大学の教授陣には、博士指導の資格がないという新制大学からすれば「屈辱的な」見方をしていたからです。
しかし1970年代に、産業界からの卒業生に研究能力を求める声におされて、旧文部省も大学の学術 研究レベルを上げる必要を感じ、それには新制大学にも博士課程の設置が必要と考えるようになりました。
そうして文部省が新制大学に大学院設置を認める設置条件をつくりました。
それは、その学科に所属する教授のうち、博士論文が指導できる資格のある教授は、7~8割りを超えていなければならないというものでありました。
さらに、資格があるかどうかは文部省に研究業績の詳しい報告書を出して審査を受けなければならないということになりました。
そして審査結果は教授名簿一覧に「合」の記号で通知されてきました。
これは教授陣にとっては、晴天の霹靂、わかりやすくいえばオオゴトであり、博士課程の設置が却下された場合の責任者が明らかにされることを意味しました。
そして教授の誰もが「合」を得るために必死の努力をするようになったのですが、次第に文部省が「合」を出す基準が単に「論文の数」にあることが判り始めてきました。
そして教授陣は、それまで一年に一本しか書かなかったところを、一年に3~4本の論文を書くようになり、皆が 「合」の資格を得るようになったのです。
ここまでは旧文部省の「教授の業績評価」はいいことずくめのようですが、問題なのは論文の数ではなく論文の内容の方であることは、誰しも思うところです。
教授陣の中では、論文の数を増やすためにやたらと「共同研究」がなされはじめ、その際に「名前の貸し借り」までが行われるようになったのです。
そして、論文をコマギレにして提出するようになっていきました。
具体的には、三つの材料で一つの論文を書くところを、三つの材料で三本といった具合にして、論文の数を稼ぐといったことが行われるようになったのです。
そこで当然に「論文の数」ではなく、「論文の質」を評価すべきだという声が上がり始めたのです。
しかし「論文の質」をどう評価すべきか、その方法が見あたらなったなかったのですが、アメリカで論文の質を表す指標として「論文の引用件数」を表すサイテーション・インデックス(SCI)とか、発表雑誌のインパクト・ファクター(IF)が広く使われるようになっていきました。
ちょうどGoogleがWEbページを他のページからのリンク数を基礎にランク付けをし、その表示順位を決定するというものと類似した方法をとっていたのです。
つまり論文の引用件数という「集合知」を利用して「論文の質」として表すようにしたのです。
日本でも1990年代より、これらを「論文の質」を表すものとして採用されるようになっていったのです。
誰か忘れましたが、理系の日本の大学教授がある分野で、世界における「引用件数NO1」になったのを新聞で読んだことがあります。
もちろんこの引用数が必ずしも「質」を表すとは限りませんが、それぞれの人が独立した判断で蓄積した「引用件数」が「集合知」として生き、「論文の質」に近似すると見なすのはなかなかのグッド・アイデアといえると思います。
もちろん論文の引用数は、論文の質というよりも、「有用性」とか「便利性」を表す指標に過ぎないということもあるかもしれませんが、何よりも「低いコスト」で「論文の質」に近似できるというメリットがあります。
そこで思いついたのは、経済学の分野で「フィップス曲線」という失業とインフレ率のトレード・オフの関係(背反関係)を示したグラフは、ケインジアン対マネタリスト論争盛んなりし1980年代に、実に頻繁に数々の論文に引用されていたことです。
この「フィリップス曲線」を世に示したウィリアム・フィリップスは、もしあの頃にSCI(引用件数)の指標がつかわれていたならば、間違いなく世界NO1の論文の書き手としての評価を得たことでしょう。
しかしこの「フィリップス曲線」は有用な統計データではあっても、これが果たして「質の高い」研究データといえるかどうかは、少々疑問のあるところです。
ところでこのフィリップスには、「フィリップス曲線」以外に、もう一つ意外なモノを生み出してします。
そして、それを生み出すにあたっては、彼自身の波乱の人生が大いに関係しているようです。
フィリップスはニュージーランドの酪農家の息子ですが、オーストラリアで仕事をするために、学校を卒業する前にニュージーランドを離れ、ワニのハンターや映画館のマネージャーなど、様々な仕事をしたといいます。
戦争中にフィリップスは中国へ向かいましたが、日本が中国に侵攻してきた時、ロシアへ避難しなければならなくなり、シベリア横断鉄道でロシアを横切り、イギリスへ着くとそこで電気工学を学んだのです。
フィリップスは英国空軍に入隊し、シンガポールへ配属されシンガポールが日本軍によって陥落した時に、彼はジャワ島へむかいましたが、その途中で日本軍に捕らえられ、インドネシアの収容所で3年半あまり捕虜として抑留されました。
この間、彼は他の捕虜から中国語を学び、秘密ラジオを修理・小型化したり、またお茶の「秘密湯沸し器」を作り、収容所の照明装置に吊るしたりしました。
戦後、彼はロンドンへ移り、ロンドン スクール オブ エコノミクスで当初社会学を学びますが、ケインズ理論に興味を覚えて経済学に転向したといわれています。
そして、フィリップスがロンドン スクール オブ エコノミクスの学生だった頃に、イギリス経済の動きをモデル化するために、水力を用いたアナログコンピュータを開発しました。
これは「貨幣的国民所得自動計算機」(Monetary National Income Automatic Computer)省略して「MONIAC」と呼ばれましたが、それはタンクとパイプを通る水の流れで正確に経済を巡る貨幣の流れをモデル化したものでした。
税率や利子率といった経済変数の捕らえ難い相互作用をモデル化するMONIACは、当時の経済学者に好意的に受け入れられました。
こうした波乱の人生を送ったフリップス氏が、電気工学と経済学の知識を駆使して作ったのが、MONIACであったといえましょう。
ところで、そういうMONIACづくりに没入したアイデアマンのフィリプス氏が生みだした「フィリップス曲線」は、その内容の「質(学術性)の高さ」とよりも、その「視点の良さ」あるいはアイデアの故に多くの論文に引用されたと言えましょう。

江戸時代には各藩ごとに石高というものが一律に定められており、わが福岡は52万石ということになっていたのですが、様々な経緯で多くの藩の場合に、「表向きの石高」と「実際の石高」には大きな開きがあったといいます。
いまの金融機関にも表向きと実質にはそういう開きがあるのではないかと思われます。
こうした数字の信憑性を確かめる能力も方法もないというのが、我々がいつもぶつかる壁であります。
気になるのは企業の発表する財務諸表や収支決算というものであり、それこそ「数合わせの世界」であり今の金融機関が正直にそれを発表したら、それこそマズイ結果になるかもしれないわけです。
銀行の大統合も、実質「数合わせ」の為に行われたとみなしても過言ではないかもしれません。
ムーディーズという格付け機関は、日本の銀行側の発表を元にその格付けをおこなってきたようですが、さすがにそのへんのマヤカシに気づいたせいか、アナリストによる精査を行い1990年代頃から日本の金融機関の格付けを落とすようになってきました。

旧約聖書には、「数」をめぐる興味深い話が残っています。
これは通常「ギデオンの三百」といわれる出来事で、聖書を無料でホテルに置いたり、配布したりしている「ギデオン協会」の名前はこの故事にちなんでいます。
通常、戦闘が起こった場合には数が多いほうが圧倒的に優位です。
したがって数で劣る側は、なんとか大軍に見せかけて相手を怯えさせるように様々の工夫をするわけです。
1180年富士川の戦いで、平家軍が水鳥の飛ぶ音を聞いて源氏軍の襲来かと思って逃去ったという話がありますが、数が少ない側がもしこのような状況をつくり出すことができれば、大成功であるわけです。
そういう「数がモノいう」戦場において、これからミデヤン人と戦わんとするイスラエル軍に、神はこの戦闘に参加しようとする兵士の数を問題にします。
多すぎるというのです。そしてその兵士を極度に減らすことを命じます。
「主はギデオンにいわれた。あなたと共におる民はあまりに多い。ゆえに私は彼ら(イスラエル)の手にミデヤンびとをわたさない。おそらくイスラエルは私に向かって自ら誇り、”私は自身の手で自分を救ったのだ”と言うであろう。」(士師記第7章)
そこで神はギデオンを通じて、戦いに恐れを抱く者は帰れと語り、その結果、帰った者は二万二千人で、約一万人の民が残りました。
それでも神はその「数の多さ」に満足せず、一万人の民を上述の「水のみ場」における「行儀の良さ」よって300人にまで絞込みます。
この数の絞込みにおいて「強そう」というのが基準ではないのが面白いところです。
そして選ばれた士師ギデオン以下300人の精鋭は、ミデアンの大軍を打ち倒すことになります。
この世の中では、少しでも己の価値を高く見せようと様々な「数合わせ」が行われているのですが、その「数合わせ」の結末は、案外と問題を拡大する形で我々にいつしかツキツケられるかもしれません。
この「ギデオンの三百」の話は、人の世の「数合わせ」と神の「数合わせ」が全く逆方向にあったことを物語っています。