ドルが食券になる日

「ドル」は、世界中の取引を介する通貨である。
ある通貨を外の通貨と交換するときも、とりあえずドルに交換をしておけばよい。
こういう通貨を基軸通貨(キ-・カレンシ-)という。
ドルはかつて一定の重さの金(金1オンス=35ドル)との交換が保証されていた。
アメリカの圧倒的な経済力に加え、「いつでも金交換可能」の価値保証こそが、ドルを世界の基軸通貨にのしあげたといってよい。
要するに、「基軸通貨」とはあらゆる通貨と交換可能な通貨で、しかも間違いなく「価値の保蔵」を約束してくれる通貨といっていい。
ドルはいつも高級車(GOLD)で淑女を迎えに来るプレイボーイのようなものだ。
(ヘンな喩えだが、淑女とは「セブンシスタ-ズ」とよばれる欧米の石油大資本などを考えていただきたい)
資産と華麗なる交流、その資格がある稀代のプレイボ-イこそドルなのである。(「資産と華麗なる交流」とは、金の裏づけと通貨の交換性をさす)
1971年のニクソンショックで金との交換が停止され、さすがのプレイボーイ「ドル」も値を下げた。
もはや淑女達を迎えに来るはずの金ピカの車を失ってしまったのだ。
以後、世界の通貨は碇を欠いた船のように漂い揺れ、そして変動していった。
ところがドルは、その価値保証を失ったにもかかわらず、プレイボーイの面影を完全に失ったわけではない。ドルはいまなお基軸通貨として華麗にふるまっているようにも見える。
しかしながら、少なくとも第二次世界大戦にドルがポンドに変わったような新たな基軸通貨はいまだに登場していないという意味で、いわば「過去の栄光」にすがっているようにも見える。
しかしそういう慣性が働いているにせよ、決定的な「何か」を失えばドルといえどもその地位から追われるに違いない。
ドルを本質的にその地位に留まらせているものは、一体何なのだろうか。
従来ドルは、アメリカの圧倒的な経済力に支えられてきたといってよい。
世界各国の首都にはアメリカの銀行がおかれ、アメリカの企業は工業プラントと設備、原料を海外で買い付け、国防省は海外基地とそこにアメリカ軍隊の費用としてドルを送金した。
ヨ-ロッパの復興や日本の経済成長もあり、しだいにドル以外の通貨でも取引も行われるようになり、ドルは世界でダブつくようになった。
果たしてドルをもっていれば金との交換が本当に可能なのかという不安がひろがり、対アメリカとの取引で、各国はドルではなく「金」でうけとる場面が増えていった。
アメリカのフォ-トノックスにある岩盤の下の金庫から次第に「金」が消えていった。
さすがのプレイボ-イも弁舌(購買力)だけが頼りになってしまった。
1971年、ついにニクソン大統領は金とドルとの交換の停止を宣言、ドルの価値は急落し、以後世界は「変動相場制」へと移行していったのだ。
以上の経過をわかりやすく理解するには、職場や学校の食堂で売られている「食券」をイメ-ジしてもらいたい。
ドルはもともと金を価値の裏付けとして流通してきた。ドルは「金との引換券」であった。
「食券」もそれでもってその券に応じた「食べ物」に変えてくれるという意味では、ドルと同じく価値の裏づけがあるものである。
或る食堂で大量に食券を大量に販売したとする。しかしたくさん刷ればするほど、食券が出回れば出回るほど、食券は本当に食料にかえてくれるのか、ということが不安になる。
早く食べようとランチ時には、朝11時半ごろから食堂の前に行列ができるかもしれない。
実際の食堂では厨房にある材料、あるいはすぐに取り寄せられる食材の必要の予測にもとづいて食券の印刷をやっているハズなので、現実にこういうことはないのかもしれないが、何しろ「比喩の世界」の話なので、そういうことにしておく。
人々はあまり行列が長く不安になるし、待ち時間も長いために他の人に食券を売るものも出てくるかもしれない。
しかし、食券を売る時には、額面どうりの「うどん300円」どおりには売れないかもしれない。200円ぐらいに値引きして売らなければなかなか買ってはもらえないかもしれない。皆同じように食券に不安を抱きつつあるのだから。
長く行列をつくる客、または潜在的なお客に存在にネをあげて、厨房ではついに食券の要求に対してこれ以上料理を提供できないことを宣言をする。
この時点では食券はまったくの紙くずになるが、食堂では現金を払い戻すかもしれないし、この券で翌日使えるようにする手配ぐらいはするかもしれない。
食券は実際のところ、他人に転売したり流通したりすることはないので、ドルの比喩にしては適切なものではない。
ただこのヘタな「比喩の世界」を考えながら、むしろ現実の世界として「ドルが食券になる日」ということが脳裏をかすめた。
経済における因果関係は、予想外の経路をたどって予期せぬ結果を生んだりする。したがって思いっきり奇想天外なことを考えた方が、意外に本質をカスルこともしばしばある。
以下の「ドルが食券となる日」もそういう話として受け取ってもらいたい。

世界で通用する基軸通貨としての必要条件は、圧倒的な経済力と軍事力の二つである。
ドルが価値保証を失ったものの基軸通貨としての地位を失っていない理由は、ドルでいまなお何が買えるかを考えてみればよい。
。アメリカは大陸の戦火からまぬがれ、第二次世界大戦後は圧倒的に豊かな国になった。
そして世界中から金が集まり、ドルがポンドにかわって基軸通貨となった。
1950年代にはドルで、世界の自動車の半分、世界の石油の半分、世界の工業産出高の40パーセントを買うことができた。
ドルをもっていれば少なくともその「可能性」を得るということだ。
七つの海をアメリカ艦隊が遊弋し、世界のすべての国の首都にアメリカの銀行が国旗を掲げて所在し、アメリカ企業が世界全域のニッケル鉱山と自動車部品工場の所有権を握った。
しかし今ののアメリカは自動車も日本、韓国に取られている。民間航空機もEUに取られた。
高度インターネット技術や電子技術はどんどん中国、韓国、台湾に取られ、高速インターネット市場開拓でも日本に負け、シリコンバレーも衰退している。
インドは英語力を武器にソフト産業で世界、特に米国を席巻し、次にサービス産業でも存在感を与えようとしている。
この分野で米国のホワイトカラーの失業者を増しているため米国産業の衰退は目を覆うばかりであり、さらには、サブプライム、リーマンショック以来の不況で相当痛手をうけた。
そんなアメリカが、あたかも「軍事力」でその経済力の衰退をカバーしようとしているように見える。
このことの現実的な意味は、アメリカなら確実に石油を確保できるということに他ならない。
ドルは金の代わりに、実質は石油によってささえられているのだ。
アメリカは「石油の確保と供給」という点で経済的不振を回復しようとしている。
そして「ドルは有事に強い」という言葉があるが、それは石油の確保が軍事力に支えられている、ということに他ならない。
つまりアメリカが石油を中東で入手し、それを精製し世界に売ることができる。つまりアメリカの石油会社から石油を買うためにドルが必要で中東諸国もドルで取引をする。
そういう状況を維持できる限りでは、ドルは基軸通貨としての地位を失わないということだ。
食券に対応していうと、ドル価値の圧倒的な要素は「石油引き替え券」ということで、それは「ドルー石油本位制」と言ってよいかもしれない。
アメリカが旧ソ連との冷戦にみる「緊張関係」を失いつつも、様々な口実をつけてイランやイラクやアフガニスタンをはじめ中東諸国で軍事力を展開している本当の狙いは「石油資源の確保」であることはいうまでもない。
ただかつての繁栄を失った今、アメリカはなんとかして「ドル=石油券」としての価値を死守しようと、この地域により一層の軍事的展開をを企てる可能性が高い。
つまりアメリカは「世界の警察」というほど公正中立な存在ではないが、「石油の番人」あるいは「通貨の番人」というのならある程度真実に近いと思う。

ところで最近、旧ソ連のグルジアという国の名前がしばしば新聞に登場する。
グルジアといえばワインの発祥地で、独裁者スターリンの生誕地としても知られている。
シルクロード途上の国でもあったグルジアは、キリスト教を最も早く国教とした国のひとつである。
グルジアは天然資源もない小国であるにすぎず化石燃料をロシアにたより、ロシアはその関係を戦略的に使っている。
実際に首都トビリシ市民は冬に、寒くてひもじい思いを何度かしている。
そんなグルジアが世界の資源戦略の図において非常に大きなウェイトを占めるようになったのは、バクーなどの一大油田を擁するカスピ海と黒海を結ぶ回廊上にあり、今後の世界の秩序の形成を左右するといってよい石油パイプラインの建設のためである。
イギリスのブリティッシュ・ペトロリアム、アメリカの資源調査会社、日本の伊藤忠商事が連合を組み、全長170キロメートルに及ぶバクーとシリア国境付近のシェイハンを結ぶパイプラインが敷設中である。
その通過点たる「グルジア」という国のの地政学的な意味合いが急浮上しているのである。
さらに、アメリカが「ユダヤ財閥」を介してアメリカと一心同体といってよいイスラエルが、”石油の産油国に囲まれて存在する”ことの重大な「地政学的な」意味合いとも重なり関わりあっている。
米国は、世界の覇権をドルという基軸通この軍事力で中東すなわちサウジアラビア、イラク、イランの石油とパイプラインを押さえつつ、パイプラインの終点に近いシリアまでもターゲットにするかもしれない。
つまり、レバノンからシリア、イラク、イラン、アフガンという親米政権を作って、米国企業が石油とパイプラインを独占するという壮大な計画があるようだ。

今アメリカは経済を石油産業で再度盛り返すしかないという状態になっている。
これはアメリカが軍事的駐留で大量のドルの流出をまねきつつも、「石油引き換え券」としてのドルの価値を必死で保持しようとしているということである。
しかしアメリカは、本国の民間産業の不振と外国で大量に使うドルは相対的にドルの価値を減価させるし、そんな民需と軍事のアンバランスにいつまでも耐えられようか。
さらに今、「バイオエタノール」という自動車用燃料が注目され始めている。
それは、サトウキビやトウモロコシなど植物を使って作られるエチル・アルコールのことで、環境にもやさしい新型燃料と言われている。
実はブラジルではこのエタノールで走る車が全体の15%にものぼるという。つまり、"サトウキビで走る車"が町にあふれているのだ。
実はアメリカやヨーロッパでも「バイオエタノール」の需要は高まってきており、相次いで自国での製造工場の建設も始まっている。
世界のエネルギーが石油から次のエタタノールへ、そして食糧不足に対応する「生存線」云々の世界に今後ますますはいりこんでいくのならば、「広い意味での農業」というものがむしろ重要度を増す可能性が高い。
各国では食の「アメリカ依存」を進めた結果、食糧自給率が低下しており、そのつけが今、一気に押し寄せているのだ。
近未来において、食糧自給率を40パーセントにまで下げた日本、肉食の進行などで穀物輸入国に転落しつつある中国、世界でも食糧危機が最も深刻な中米エルサルバドルなど、ますます苦境に陥る可能性が高い。
一方アメリカは、石油大資本の後押しによる「軍事展開」がいつまでも続くのか、アメリカ国民はその負担に耐えうるのか、はなはだ疑問である。
そう考えると、アメリカのもう一つの戦略は「農業国家」の建設なのである。つまり米国が「米の国」になるということだ。
ドルは金との「交換保証」いいかえると「価値の安定保証性」を失った。
したがってドルで最も確実に買える最も有用なモノこそが、逆に「ドルの価値」を決めていくのである。
結局、相場もそういう方向に向かっていく。
つまり、アメリカのドルは今後「石油引換券」としてよりもむしろ「食糧引換券」つまり「食券」としての価値を発揮していく可能性もなきにしもあらずである。
しかしドルが食券となる日、もはや世界は危殆に瀕しているといっていいかもしれないし、「食券」と化したドルが果たして基軸通貨とよべるかどうか、中国の人民元を含め世界通貨も「多極化」の気配もある。
その時ドルは、もはや昔日の「プレイボーイ」の面影を失っているのかもしれない。