今そこにある騎士団

世界遺産セ-ヌ河畔には、パリ高等法院、リュクサンブ-ル、コンコルド広場、チェイルリ-公園、ル-ブル博物館、ノ-トルダム寺院、とまだまだ続く。
女優の岸恵子さんが住んでいたマンションというオマケもある。
パリのセ-ヌ川を下る観光船に乗る者にとっては、次々と目の前に現れてくる石の建造物の重量感に歴史の重厚をひしひしと感じ、しめつけられるような息苦しさをさえ感じるかもしれない。
つぎつぎと現れる石橋の見事なア-チもそうした気分においうちをかけるだろう。

ヨ-ロッパの町の多くは石で作られている。
この単純な事実はとても重い事実で、これらの石はどこで堀り出されたのか、この石組みを作った建設業者はどういう力を持ち得たのか、などと考えるうちに「フリ-メ-ソン」という言葉を思い出した。
フリ-メ-ソンの「メ-ソン」は「石工」を意味する言葉でフリ-メ-ソンとは「自由な石工」ということになる。
ヨ-ロッパ中世を通じて、親方を中心に石工職人団がまとまり、各地の教会を修復して回るようなことが行われていた。
こうした集団がしだいに教会と対等な立場で高位の聖職者と契約を結ぶようになると、石工職人団は自分達の立場を足がかりにして教会からの独立を獲得し「自由な石工」となり、13世紀には広範囲に「建築業者組合」を作る様になる。
これがヨ-ロッパ各地にできた「ロッジ」の始まりで、ロッジに集まる者はフリ-メソンとよばれるようになった。

現在世界的テロの中心人物とされるオサマビン・ラディン氏は、サウジアラビアでモスクの建設を一手にひきうける大富豪の出身であるが、モスク建設にあたる過程で宗教的な覚醒を体験し自身もその「泥水」をあびてきたキリスト教・アメリカ文明への反感を強めてアフガニスタンのアルカイダと合流し、今彼の富裕な資金がテロリストの資金源となっているという。
とかく建設業と政治勢力が結びつきが深いことは日本に限らず古今東西当てはまりそうである。
何しろ巨額の資金が動きそこに既得権益というものが生まれるからだ。
今日で言えばゼネコンにあたるヨ-ロッパの「石工組合」が教会の権力と結びついて何らかの政治力を有するようになったことは自然の成り行きといえるが、16世紀以降に石工以外にも参加を認められた「フリ-メ-ソン」はそれまでとはまったく異なる謎めいた存在に変遷していく。
それはアメリカ合衆国の独立宣言の起草がフリ-メ-ソンによってなされ、それに署名を行った56人のうちの50人がフリ-メ-ソンであったということからもわかる。
独立宣言に謳われた「自由・平等・友愛」はそっくりそのままフリ-メ-ソンへの入会パスワ-ドなのだ。
フリ-メ-ソンはもともと統制を嫌う自由な親睦団体であり、その性格上一枚岩というわけではない。
ただ支部にあたるロッジによっては「石工組合」を隠れ蓑にした秘密結社的な傾向を持つものまであらわれた。
 例えばイギリスでは1700年代に「イルミナティ」って言う秘密結社と合体した。
このイルミナティはバイエルンでユダヤ人大学教授がつくったもので、超エリートによる世界統一政府を構想していて、現存する国家の全ての廃絶を主張して、その手段として暴力革命や陰謀、策略を巧妙に活用したとされる。
こうした存在がフランス革命やロシア革命の背後にあったとまでされるが、世界中で差別されたユダヤ人が既存の世界秩序を転覆させたいと願うのは分からぬでもないが、それらの真偽のほどは不明である。
一方保守的傾向をもつフリ-メ-ソンのながれに、地中海に浮かぶ小島マルタで12世紀に結成された騎士団の影響をうけたものがある。
このマルタ騎士団はカトリックの騎士修道会であり、今でも国際連合にPLOと同じようにオブザーバーとして参加を許される実体であることはあまり知られていない。
マルタ騎士団は第1回十字軍の後、巡礼保護を目的としてエルサレムで設立され、この騎士団は病院をもち、病気になった巡礼者の保護に務めた。
正式名称は「ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」で、十字軍勢力がパレスチナから追われた後はロードス島を根拠とし、聖地巡礼をするキリスト教徒の重要な経由地の守護者となった。
しばらくは、ムスリム(イスラム教徒)に対する聖戦の実行者として活躍したが、1522年、オスマン帝国のスレイマン1世によりロードス島は陥落し、本拠をマルタ島に移して、マルタ騎士団と呼ばれるようになったのである。
1530年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世からマルタ島に居住する権利を与えられ、その返礼に宝石をちりばめた黄金の鷹の像をカール5世に贈った。
ハンフリ-・ボガ-ドの出世作「マルタの鷹」は、このマルタ騎士団ゆかりの「黄金の鷹」の存在をめぐる現代サスペンス映画であった。
マルタ騎士団は領土を失った後も、伝統的に独立国家と同様の主権を有しているとされ、バチカンのようにイタリアから独立領土として承認されてはいないものの今もローマに騎士団の本部ビルを保有し、建物内は治外法権を認められている。
ちなみに騎士修道会であることから政府運営の地としてマルタ宮殿を使用しておりそこを首府としている。
国連はマルタ騎士団を「オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体あるいは国際組織」のひとつとして扱っており、国としては認めていない。
マルタ騎士団は世界の約94か国と外交関係を持ち、在外公館を保有しているが、2009年現在、日本はマルタ騎士団を国として承認しておらず、外交関係も持たない。
このマルタ騎士団に所属し、後にフリ-メソンに入会した人物カリオストロという人物が、フリ-メ-ソンの性格を大きく変えていった。
この人物はマルタ生まれを自称し(実はシチリア島)、エジプトやギリシアを旅し「薔薇十字」の思想の影響をうけ、ロ-マ教皇よりフリ-メ-ソンの入会儀礼の統一を認めさせ勢力を拡大しようとした。
薔薇は赤褐色でアダムを創った最初の土の色で、エデンの生活の復帰を目指すつまり「原罪以前に戻る」秘儀を指すものだという。
カリオストロの人物像自体が神秘のベ-ルの下にあるが、少なくとも中世より受け継がれたした石工組合つまりフリ-メ-ソンの富や威信を利用して政治的武器にしようとした傾向は否定できない。
「EC統一」の近代における提唱者で日本人の母をもつオーストリアの政治学者カレルギー伯もフリ-メーソン会員で、世界をアメリカ、ヨーロッパ、イギリス、ソ連、アジアの各ブロックに分けて世界政府の樹立を試みた。
そのヨーロッパブロックに相当するのがEC統一だったが、彼はヨーロッパをアメリカの様に「ヨーロッパ合衆国連邦」にしようとした。
ちなみに鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎はカルレギ-伯より「友愛哲学」を吸収し、その政治哲学のベ-スとした。
カリオスロトロが生まれたと自称する地中海の小島マルタは、十字軍の昔から東と西とをつなぐ戦略的拠点であった。
1789年にナポレオンがエジプト攻略を企てたときに、マルタ騎士団は自らの安全保障をもとより密かな交流があったロシアのツア-であるバ-ベル一世に求めた。
その結果、ロシアのマルタ介入こそが後にナポレオンがロシア侵攻を企てた原因ともいわれている。
またマルタ騎士団は独立保持のために教皇庁とも密接に繋がってきており、その表の国際的人道支援によって国連のオブザ-バ-にもなっているが、今日ではアメリカCIAともロシア秘密組織とも背後で繋がっているともいわれている。
この小島近郊でマルタ会談が開かれたことはそうした背景と無縁ではでないのかもしれない。

地中海の島々のは多くは古代より巨石文明の栄えた場所であり、ヨ-ロッパの石づくりの建造物の原材の供給地でもあった。
この事実をもってしても、地中海の島々は元来フリ-メ-ソンのネットワ-クの環の中にありそうである。
特にマルタ島で栄えた古代巨石文は世界遺産に指定されており、ブルーグロットつまり青の洞門は世界的に知られている。
洞門内に差し込む光が水面を輝かせ、ノスタルジックな雰囲気をかもし出し、洞門内へは小型のボートで入ることもできるという。
1992年、ゴルバチョフとレ-ガンの会談はマルタ沖の船でなされ、東西冷戦時代の終わりをつげた。
以後、戦後の「ヤルタ体制」が解かれ「マルタ体制」へと移行した。
いずれにせよ子犬マルチ-ズの名前を生んだこの眠たげな島が世界政治の時代を画する名として冠されるとは、青の洞門の神秘さながらに歴史の洞門の奥行きの深さを物語っているようだ。

日本も第一次世界大戦のおり地中海に艦船を送り、マルタ島には1917年6月11日に撃沈された駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」がある。
昭和天皇が1921年皇太子時代に行ったヨ-ロッパ歴訪もこの島にたつ日本人墓地の慰霊から始まった。
第二次世界大戦末期国際関係の支点のひとつがこのあたりにあったのか1945年2月9日、米英はマルタ島で日本本土侵攻計画を検討している。
連合国軍総司令長官マッカ-サ-もフリ-メ-ソン会員であり、鎧をぬいだマルタ騎士団は今なお日本社会のあり様に微妙な影をおとしているのかもしれない。