建築とリノベ-ション

独学の建築家「安藤忠雄」氏は、あらゆる意味でファイターであるように思う。
安藤氏は今や世界的な建築家となったが、工業高校時代はチャンピオンをめざしてボクシングに明け暮れていた。
17歳でプロのライセンスを取得したのだが、後の世界チャンピオン・ファイティング原田がジムを訪れ、あまりの能力の違いにボクシングに抱いた夢を見事にフンサイされた。
最近、新聞に脚本家ジェームス三木のことが載っていたが、歌手を目指したら石原裕次郎や青江美奈がいて、俳優を目指したら仲代達也がいて、これはかなわないと早めに見切りをつけた(つけざるを得なかった)。
さあどうしようと脚本家講座に飛び込みたまたま入選したことから、脚本家を目指すことになったそうだ。
しかし脚本家としてもなかなか使ってもらえなかったが、それらの体験がすべてが脚本家人生に役立ったという。
つまり、何が「人生のストック」になるかわからない。
安藤氏にしてもわずか二年間のボクシング修業ではあったが、リングに上りコーナーでイスを取り出し水を飲み、孤独に一人耐え真剣勝負を戦った体験が何よりも代えがたい体験になったという。
また、ダメと思ったら早く見切りをつけるイサギヨサもよかった。
安藤氏は高校を卒業する時点で完全にボクシングと縁を切ったものの、大学に進学する余裕もない自分に何ができるかと自ら問うた時、「物づくり」が浮かんだ。
それは、安藤氏が育った環境によるものが大きかったといえる。
安藤氏は、大阪住吉の物作り職人がたくさんいる長屋で育った。家の側には鉄工所、ガラス屋、碁石屋があり、互いに助け合いながら懸命に生きていた。
安藤氏は次第に建築に目覚めて、通信教育を受けるなどして建築を学び、一般の大学の建築科で使われる教科書をアルバイトしながら読んでいったという。
そこで一番大変だったのは、何をどう学ぶかから独りで考えなければならないことだった。
つまりスタートからが独りの「建築学」学習なのだ。
そして食事代を切り詰めてまでも海外の雑誌を取り寄せるなど、できることはすべてやっていった。
案外、ボクシングの減量体験も役立ったのではないだろうか。
ボクシングの破壊が建築の創造に通じているのが安藤氏である。建築は創造的破壊のリングなのだ。
そんな安藤氏はある日、海外の雑誌で近代建築の巨匠ル・ゴルビュジェに出会い、これだと思った。
安藤氏はル・ゴルビュジェが自分と同じように独学の人であり、体制と戦って道を切り拓いてきたことを知った。
その頃、インテリアや家具のデザインなどで生活できるようになり建築事務所を開いたが、世界中の建築を見たいという気持ちを抑えられなくなり、シベリア鉄道経由でヨーロッパに渡った。
ノルウエーから始まり、パリでゴルビュジェの建築を見て、ギリシア・スペインと下り、船に乗ってインドへ、そしてフィリピンに立ち寄って終わる旅だった。
それは、「住まう」とは何かを超えて「生きる」とは何かを問う旅になったという。
そして、安藤氏にとって建築家としての最大のストックは、この海外体験だったといってよい。

安藤氏のデビュー作といってよい記念碑的建築物が大阪住吉に残っている。
それは、木造三軒長屋の真ん中を梁ごと切り取って埋め込んだ「コンクリートの箱」といって良いシロモノである。
安藤氏は依頼を受けたとき、こんな狭い空間にこんな豊かなスペースがあるのか、という家を作りたい思った。狭さを含む様々な悪条件こそが安藤氏を奮い立たせたのだ。
この建築物を写真で見ると、コンクリートは打ち抜きのままで、入口だけがぽっかり穴があいている以外、まったく無表情な面を道路に向けている。
この建築物のコンセプトについて安藤氏自身は、「外部に対しては徹底して閉じながら、その内に中庭という小宇宙を秘めた建築の存在が場所の記憶を受け継ぎつつ、同時に現代都市に対するある種の批判行為として成立する」と難しげなことを書いている。
もうすこしやわらかくいうと、都会に擬せられたコンクリートの箱の中央部を、中庭として空に解き放ち、都会で失われつつある自然を住居に引き込んだといった建物でしょう。
しかしながら、二階の真ん中に空に開いた庭をつくったということは、雨の日などは反対側の部屋に移るのに(一瞬とはいえ)濡れざるをえない状況を生む。
安藤氏は自然の一部としてある生活こそが住まいの本質であり、この建築を行うに際し与えられた敷地条件の中で最大限の自然との交歓を実現することを考えたという。
自然はときに過酷であり、自然の変容とそれを受け止める人間との関わりにこそ、生の彩りと本当の意味での共生があるのだそうだ。
安藤氏は建築の依頼主に「私に設計を頼んだ以上、あなたも戦って住みこなす覚悟をして欲しい」と常々言うのだそうです。(ちょっとヒキますが)
実際に安藤氏がこの建造物を作るのを可能にしたのは、三軒長屋の真ん中の建て替えというリスクをひきうけた工務店の人々の勇気、建築を許した両隣、そして何よりもこの家屋に住む決心をしたクライアント夫妻の覚悟であったといえる。
ヨーロッパの町並み歩いてみれば、建築の奥深きまで知らない素人でも、日本人の「住まう」とは根本的に異なる意識が働いているのを感じる。
それは「住まう意思」の強固さみたいなもので、そこに「住まう」ことにある種の覚悟が必要であったかのような歴史の重圧を感じるのである。
つまり家々の連なりは全体として「城」の一部であり、そうした「住まう」を創りだす側(石屋を含む)もたえずそれを意識しつつ創ったのではなかろうか。
ヨーロッパには、「バーグ」とか「ベルグ」という言葉が語尾につく都市名が多いが、バーグとは「城」を意味しているのである。

ヨーロッパと日本の「住まう」を比較する上で単純な数字をあげると、居住用の住宅が更新される平均年数は、イギリスでは75年、日本ではその3分の1の26年にすぎない。
アメリカはその中間の44年となっている。
イギリスでは、平均して三つの世代で一つの住宅を利用しているのに、日本人は一世代ごとに住宅を更新しているということになる。
この数字は同時に、日本で中古住宅市場が伸びない単純な事実を物語っている。
つまり中古住宅として市場に出す前に、多くの住居の建て替え時期が来てしまうからである。
もうひとつの理由は「陳腐化」である。新築の時には洒落た住宅も、急速な生活水準の向上が20年も続くとみすぼらしい住宅になってしまう。
そんな住宅に手を入れて住むよりは、新しい快適な住宅に建て替えたほうがよいという判断が働くのである。
それと中古住宅の売買価格の査定が必要以上に低いことである。築20年以上の住宅価値は間違いなくゼロであろう。
次に制度上の問題であるが、企業の工場設備や社宅には減価償却が経費として認められており、「償却分」については無税になっている。
ところが個人が住宅として使う住宅には、減価償却はまったく認められていない。
居住用住宅にも減価償却を認め減税するなどの政策転換を行わない限りは、中古住宅の残存価値を認められないし、 中古住宅の流通市場も発達するわけがない。
日本社会は、こと「住宅」に関して言えば、徹底した「フロー」経済社会である。
「住まう」はある意味で人間の「身体」の一部であることを思えば、このことは「住まう」にとどまらない意識を生んでいるといえる。
また控えめに触れなければならないことだが、日本人にはアニミズムの意識が根強くて、ものを使用した者の霊威が事物に宿るということも、「中古」を避ける理由のひとつかもしれない。
そんな日本社会の中で、最近新たな潮流がおきている。
「リノベーション」を施した家屋の物件を紹介したサイトが大ヒットしているという。
「リノベーション」で思い出すのは、「サウンドオブミュージック」のモデルとなったトラップファミリーの物語である。
名門トラップ家に一人の女性が家庭教師としてやってきた。
家庭教師となったマリアは、母を失った子供達の心を音楽を通じて和ませいくが 家の主グスタフ大佐も彼女を一人の女性として愛するようになり結婚する。
しかし家族の幸せは長くは続かなかった。
映画では描かれていなかったが、1929年の大恐慌の影響でトラップ家は一夜にして全財産を失い、さすがの英雄グスタフも憔悴しきっていたという。
しかし一人元気だったのは妻マリアで、幼い頃から孤児として育った彼女は、そうした苦難を乗り越える術を心得ていたのである。
大邸宅を旅行者たち向けに改装して開放し、家族の危機を救った。
名門育ちの大佐では、自宅をホテルとして開放するなどの発想は浮かばなかったにちがいない。
「その後の」トラップ一家は、ナチの迫害を逃れてアメリカに渡るが、公演旅行でオースとリアの風景に似たバーモント州ストウの地に、家族総がかりでロッジを組んで自給自足に近い生活をした。
現在はトラップ家の一番若い10男が、ロッジをホテルに改装して経営している。
「サウンドオブミュージック」という映画の背景とその後には、実在のトラップ・ファミリーの「住まう」ことの戦いがあったといえる。
もっとも戦火に何度も見舞われ、蹂躙されたヨーロッパの歴史は、多かれ少なかれ「住む」戦いの歴史といってもいいが。

日本ではこれまで、世代が代わると建物を取り壊し建て替えてしまう「スクラップ・アンド・ビルド」というやり方が一般的であった。
建物を修復し再生するには、新築するよりも手間と時間そして何よりコストがかかるからだが、最近では日本でも古い廃屋や倉庫などが注目され、「リノベーション」の潮流がおきている。
廃校が芸術家たちのアトリエに姿を変えたり、都心の銀行の支店ビルの中身がレストランに変わったり、バブル期に建説された社員寮が高齢者の居住施設に転用されたりしている。
建て売りの一戸建て住宅とかピカピカの新築マンションはきれいだけどつまらない、もっと想像力を刺激する家やオフィスが楽しい、と思う潜在的な需要は結構あるようだ。
東京の建築家・馬場正尊氏がそんな人達の欲求に応えるべく、まともな不動産仲介業者ならば絶対に扱わないような変わった物件ばかりを集めたサイトをインターネットにたちがあげた。
自由に改装できる部屋、レトロな味わいと「不便」を楽しむ古屋などが大変な人気をよんでいるという。
馬場氏は、東京の勝鬨の巨大倉庫を既存の建物を生かしつつ、つまり「街の記憶を生かしつつ」オフィス兼ショールームに転換して新たな価値を付け加える「リノベ-ション」の先駆けとなった人でもある。
最近では、東京のベイサイドにあった新聞印刷工場をファッションやアートなど創造的な仕事をする人たちが集まる複合施設「タブロイド」に転用したことでも話題となった。
400トンものの輪転機が4台も置かれていた建物を、奥の金をかけて壊すよりも、歴史への敬意や建物自体がメディアとしての存在感をもっていることを訴えれば、クリエーティブな人たちに響くと考えたという。
山形では休業中の旅館を学生たちのシェアハウスとした。
廃屋は壊すという既成観念の「読みかえ」である。「読み替え」によって、少ない投資で価値を上げることができる。
未曾有のデフレの時代に、こうした「ストック重視」の傾向の中に「創造」の芽が吹いているようだ。

ヨーロッパの町並みを歩くと自動販売機もなければ、ATMもなければ、コンビニもないし、不便である。
ある意味で「住む」意志を試されているかのようだが、この町並みを歩く幸せに比べたら、そんな不便など大したことはない、と思えてくる。
空から見たパリの凱旋門から広がる放射状の町並みと、空虚にそして曖昧に広がる東京の町並みを比べたら、「住む」意識の違いは明白であろう。
全体として調和を重んじる日本人が、こと「住む」ことに関してはあまり調和を考えない。
日本の都市は明治以後急速に発達したが、全体の一部として住居を考えていく発想が全くなかったことを物語る。るまり自然(なりゆき)にまかせた。
その典型的な表れが「スプロール現象」である。
日本人は「住」よりも「職」を重んじてきた傾向があるので、「住」の環境はあくまでも便利さが一番だと思う傾向が強いのだろう。
しかしヨーロッパの古い町並みには、不便さをはるかに凌駕する「絵」のような風景がそこかしこに広がっている。
彼らは、一生を過ごす風景を何よりも大切にしているような感さえある。
もともとヨ-ロッパ世界では石造りの歴史ゆえか、新しいものをいかに作るかではなく、古いものをいかに残し、生かしていくかに意識の比重があった。
パリのオルセー美術館は、もともと1900年パリ万博時につくられた壮麗な駅舎を大改造して産業施設から美術館に転じたということが、パリの建築物の様々な「読み替え」の契機となっていると聞いた。
イギリス人は家を持ったら、別にどこかが壊れていなくとも、ペンキを塗る必要がなくても、大工道具をもってあちこちと補修したがるという。
要するに「家」が趣味で、家と関わって人生を送ること、それが喜びであり楽しみなのだ。
都市のストックの蓄積していくという面では、都市全体の建設量をの減少ひいては地球環境の保全に繋がる。
イギリスでは、30台以下の若いカップルでも約60%の人たちが自分の家を持っている。
倉庫代わりに使われていたフラットや農家やコテージを通常価格の半値以下で買い、時間をかけて自分達で改装(リノベ-ション)してマイホームにしていく。
「ストックの重視」というライフスタイルは、別の言い方をすれば「忍耐」とか「持続」とか「保全」とかに繋がるもので、日本人が近年なおざりにしてきた価値観であるようにも思う。
ヨーロッパの町並みに見る「ストック」の豊かさに、GDPつまり「フロー」世界二位の日本は太刀打ちできない。
ストック重視やフロー重視は、人の生き方そのものでもある。
すぐに好結果を出す傾向の人は「フロー人間」、豊かな蓄積に励む人が「ストック人間」と言えるかもしれない。
とするならば、フローの世界では劣等性でも、ストックの世界では優等生もありうる。
いいかえると前者は年々好成績を出して評判がよいタイプ、後者は時期がくれば一気に吐き出す起死回生型である。
となると、建築家「安藤忠雄」も「ストック人間」か。若き日の海外視察の長旅がそれをよく表している。
氏が近年出した著書のタイトルが面白い~「連戦連敗」である。
「敗戦」こそが氏の「ストック」なのだろう。
今日本の中高年にイギリスの郊外の邸宅(マナ-ハウス)をめぐるツアーが大人気だという。
マナ-ハウスとは、中世ヨーロッパにおける荘園(マナー)において、貴族やジェントリに属する地主が建設した邸宅である。
これは長年人生の大半を「フロー」してきた人々が、一体自分の精神的「ストック」は何かを心に問う旅なのかもしれないし、ようやくストックに心を向ける余裕ができたということかもしれない。
単なる家好き庭好きという人が大多数だと思うが、少なからぬ人々が人生のリノベーションを求めているにちがいない。