新たなる「いにしへ」

日本人の精神史を「ナオビ」と「サカシラ」の相克としてとらえたのは本居宣長であった。
ナオビとは日本の古代にみられる自然のままに生きる心である「直毘の霊」をさし、「サカシラ」とは異国(主に中国)より伝わった儒教仏教えなどのもっともらしい信仰や道徳の教え(カラゴコロ)のことだという。
「ナオビ」が「サカシラ」に侵されることによって日本人はその本然の姿を失った。そこで儒教仏教が伝わる前の「古(いにしへ)に帰れ」というのが本居宣長の思想である。
本居宣長の強みは単に古代を夢想したのではなく、日本人の神話ともいってよい「古事記」の字義を使用例に即して三十年以上にもわたり調べあげ、その中に「直毘の霊」を見出したことであった。
さらには本居宣長は、異国における多くの覇業の虚偽、国家の争奪、権謀と術数と巧智、制度と道徳の仮面を笑い、日本にはおのずからなるカミの道があって、それも道という言挙げさえもなかったもので、その精神「直毘の霊」こそはよく直し、よく健やかにし、よく破り、よく改めるをいう、という。
歴史に即していえば、日本では平安時代以降、カミとホトケは習合された形で受け入れられてきた。ところが江戸時代以降、カミとホトケは全然別であり、日本はカミの国だったという主張が広く浸透した。
こうした国学思想の大成者が本居宣長なのである。
さて本居の思想をはなれて「サカシラ」という言葉を広辞苑で調べたところ、「賢こそうにふるまうこと」「利口ぶること」で、最近、世界で最高度の知者が考え出した金融工学が世界経済を混乱におとしいれている現実をみて、人間の「サカシラ」の極限をみるような思いがした。
人間が過ぎた欲望に捉えられて行う事は、いずれは陥穽にとらえられて自分をも周囲をも破滅と混乱へと導き入れることを知らされる。
今年のNHK大河ドラマが坂本竜馬であるために幕末への関心が高まっているが、文学者の島崎藤村は小説「夜明け前」の中で木曾馬籠で本陣宿を営む主人公・青山半蔵の視点から明治という「夜明け」に向かう人々の群像を描いた。
ちなみに青山半蔵は、藤村の父をモデルとしたものである。
小説「夜明け前」の面白さは、宿場にすむ人々と街道を通り過ぎた人々の往来を通じて、その時代を的確に表現しえた視点にあるのではないかと思う。
この長大な小説は作者が「大黒屋日誌」という史料に出あったことによって書かれたものであるという。
ある時は天皇家から将軍家へと向かう和宮降嫁の行列があり、ある時は相楽総三の草莽隊のいわゆる「偽官軍」草莽隊の一行もあったのである。
大黒屋の宿泊名簿がそのまま時代の証言となっていたのだ。
ところで世界史を振り返れば、中国には「革命」の思想があり、ヨーロッパには市民革命を実現に導いた「社会契約説」やマルクス主義の共産主義革命などの「変革」の思想があったのだが、日本には自前の「変革」の思想をもちえなかったのではないかと思いつつも、幕末に「尊王」から「倒幕」へいたった背後には、一体どんな思想的な蠢きがあったのかと思うのである。
福沢諭吉や坂本竜馬のように広く世界を見つめうる啓蒙された人間が豊前や土佐のような片田舎でどうして誕生しえたのかということも興味深いが、「尊王」や「倒幕」に命をかけることを恐れない群像が、これだげ澎湃と起こったという事実はどうしても「変革」の思想を想定せるをえないのである。
「尊王」ということならば水戸学などの「尊王論」を思い浮かべるが、この思想の特徴は「幕府への御忠節は即ち天朝への後忠節にて二つ之れなく候」つまり水戸学の「尊王論」は幕藩体制への忠順を要求するものであり、大きな倒幕のうねりを生み出す力にはなりえない限界があった。
一方、島崎藤村の「夜明け前」は、主人公を中心に「平田派」と呼ばれた国学に心酔した青年達の内面を描いた小説で、つまるところ国学(平田派)がなぜ「変革」の思想となりえたかということを明らかにしている点で大変興味深いものである。
青山半蔵という一平民が、当時の人々の心象を吐露しているからかえって貴重にも思えるのである。
木曾馬籠に生まれた主人公は、平田篤胤の養子となった鉄胤を師として、そのめざすところ(復古)に深く共感する。
その共感は次のような気持ちとなって表れ出でる。ある時に病にかかった父親の回復を祈る為にたまたま訪れた真言密教の道場について次のような体験を率直に語っている。(或いは作者が語らせている)
「いつのまにか彼の心はその額の方へ行った。ここは全く金胎両部の霊場である。山岳を道場とする行の世界である。神と仏の混じり合った深秘な異教の支配するところである。
中世以来の人の心を捉えたものは、こんな両部の教えとして発達してきている。
父の病を祈りにきた彼は、現世に超越した異教の神よりも、もっと人格のある大己貴、少彦名の二神の方へ自分をもっていきたかった」
ところで平田派国学は一言で「復古神道」とよばれるように「古(いにしへ)の発見」という点で本居宣長と共通であり、実際に本居宣長は平田篤胤が最も尊敬する師であり、「夜明け前」はその存在意義を多く語っている。
「この国は果たしてどうなるだろう。明日は。明後日は。そこまで考え続けていくと、半蔵は本居大人が残した教えを一層尊いものに思った。同時代に満足しなかったところから、過去に探究の眼を向けた先人はもとより多い。その中でも最も遠い古代に着眼した宣長のような国学者が、最も新しい道を発見し、その方向を後から歩いて出てゆくものに指し示してくれたことをありがたく思った」と。
しかしながら本居は政治の世界での「神意」というものを強調するあまり、体制を変革しようとする人為的努力自体を「シイゴト」とか「サカシラ」と呼んで否認し、結局のところ、幕藩体制が自然的秩序であることを容認させるものであった。
その「復古」の教え、つまり「原点復帰」が変革の行動としてあらわれるには、もうひとり国学者・平田篤胤の存在が必要であった。
実際に「夜明け前」の主人公・青山半蔵は平田篤胤の弟子の鉄胤がその師であり、平田派の門人は最盛期には全国に4000人にも達したという。

カミとホトケに関して言えば、本居は仏教徒であったせいか、仏教の排撃にまでにはいたっていないが、平田篤胤の場合にはそれが攻撃的になっている。
青山半蔵は今日ほど宗教の濁ってしまった時代はないと語り、諸国の神宮寺などを覗いてみると本地垂迹が唱えられてこの国は大日如来や阿弥陀如来の化身だとされ神仏が混淆されている、これこそが末世の証拠で、金胎両部(真言宗の教理で説明された神道)などはホトケの力にすがることによってはじめてこの国のカミも救われるととく。実にカミの冒涜とであると。
本居がカミとホトケの区別を説いたのに対して、「夜明け前」の平田派の青山半蔵は日本における神仏習合をかなり強く排斥している。

激しい変化の時代または変化が予想される時にこそ人々は不動のものを求め原点に立ち返ろうとする傾向がある。
ところで最近、「デフレスパイラル」という言葉をよく聞くが、「負のスパイラル」とは原因から生まれた結果が新たな原因となってさらに物事を悪くしていく悪循環のことである。
「夜明け前」は、江戸幕府が陥った崩落のスパイラルの極限に至り瓦解がはじまっていた時代とみることができる。
この「崩落のスパイラル」というものは江戸時代の半ばごろからすでに始まっていた。
江戸時代に武士たちは城下町にすみ、かれらへの俸給はそれぞれの物納される年貢米であったのだが、農民の副業である商品作物は本来の課税対象ではなく換金などの処分は原則として町人にゆだねられ、町人はその売買によって富を蓄積していった。
武士は武士で、その種の商品への需要増大や虚飾をはるための様々な出費の増大により、俸給である米をあらかじめ金にかえる必要があった。
その換金も町人にゆだねざるをえず、町人からとられる利ざやはつもりつもって少なからぬ借金となり、それを処理するために農民の年貢の取り立てをを重くしていく。
ところが農民は米だけ作るバカラシサに換金作物をつくることに精をだしますます商品経済が進行し、幕府の米本位制とそこから結びつ得られた主従の紐帯はいっそう綻びを見せていくのである。
さて木曾路へも「黒船」のことが伝えられ、その点に関して主人公は次のように語っている。
「半蔵が周囲を見渡した時は、黒船のもたらす影響はこの辺鄙な木曾谷の中にまで深刻に入りこんできていた。ヨーロッパの新しい刺激をうけるたびに、今まで眠っていたものは眼を覚まし、一切がその価値を転倒し始めていた。
急激に時世遅れになっていく古い武器がある。眼前に潰えていく古くからの制度がある。
下人百姓は言うに及ばず、上御一人ですら、この驚くべき分解の作用をよそに、平静に暮さるるとは思われないようになってきた。
中世の異国の殻もまだ脱ぎきらないうちに、今また新しい黒船と戦わなければならない。
半蔵は”静の岩屋”の中にのこった先師(平田篤胤)の言葉を繰り返して、測りがたい神の心を畏れた。」


私が多少でも本居宣長に現代的な「光」を見出すのは、現代という社会が「サカシラ」さによって益々と「負のスパイラル」に絡めとめられているような感じがするからである。むしろ単純な「ナオビ」が力を持ち得るように思えるからだ。
愚かな知者は問題を複雑にするという言葉もある。逆に真の知者は物事を単純化するということだ。
平田篤胤の教えは、内外の危機に備えて「直毘の霊」つまりは「混じりけのない心をもって臨め」というようなメッセージにも聞こえる。
平田の場合幾分宗教的なものであるが、けして偏狭な思想家ではない。
「夜明け前」で平田篤胤は、外国の事物が日本にあつまってくるのは、すなわちカミの心であるという見方をしている。平田はは異国の借り物をかなぐり捨てて本然の日本に帰れと教える人ではあっても、むやみにそれを排斥せよとは教えていない。
かつて元通産省役人の界屋太一は、峠をのぼりきって下っていく時代を「峠の時代」とよび、江戸元禄を石油ショックを機に高度成長から安定成長へと向かう時代と重ねた。
「夜明け前」は、新しい時代がやってくる生みの苦しみの時代という意味で今日と重なるものがあるのかもしれない、と思う。
最後に、青山半蔵が「夜明け前」で語った言葉で印象的なものがある。
「明日---最も古くて、しかも最も新しい太陽は、その明日にどんな新しい古(いにしえ)を用意して、この国のものをまってくれるだろう」