平成の二大政党時代

二大政党制の歴史的な意義について考えてみた。
55年体制下、すなわち実質自民党の独裁が続いた時代には、自民党以外の政党に投票する人はほぼ政権をとる見込みのない 政党に投票することになる。
そして自民党に投票するのは、長年築いた既得権益の擁護者として自民党に投票している にすぎない。
こういう選挙は、なんか「死んでる」感じがする。
その点、国民全体が「政権をとる可能性のある政党のいずれか」に選挙(=選択する)というのは、国民にようやく政治のハンドルを握ることが許された感がある。
何しろ55年体制の下で、国民は「選挙権」という車をもらっても、ハンドルを切るこはなく、せいぜいアクセルかブレ-キを踏むぐらいのことしかできなかったのだ。
その間、政治は基本的には役人まかせだったといえるでしょう。
二大政党制をまって国民はようやく政治に「参加」できるようになったといっても良かろうか。
もちろん二大政党制では、政権の選択肢が少なすぎるという意見もある。
しかし、ちょとした意見の不一致で簡単に政権が崩壊してしまう状況に陥る小党乱立は、政治の不安定化が政策の一貫性を失わせ、それが経済の停滞をまねき、結果的に国民を不幸に陥れるということが起きうる。
当たり前だが、政権は日替に定食を選ぶような安易なものでなく、一つの政権が一定期間一貫した政策をとれることを前提としてはじめて価値あるものなのである。
それゆえに今日の日本の二大政党(自民党・民主党)の評価はおくとしても、二大政党制それ自体はとても大きな歴史的な意義をもつものである。

今日の二大政党の構想の出所は、どの辺にあったのかというと、1990年代前半リクル-ト事件からはじまった「金がかからぬ選挙」をめざす政治改革に端を発している。
従来の中選挙区つまり同じ選挙区で同じ政党の候補者が争うなど政策基調の政治からすれば無駄なことをヤメ、「小選挙区」にもっていく。
小選挙区では、小政党はまったく勝つ見込みがなく必然的に大政党に編入されていく。
だからといって少数の声も無視するわけにはいかず、「比例代表制」を併用していこうという流れであったと思う。
こういう「二大政党構想」の中心点に小沢一郎氏がいたのではないだろうか。
また、公費で選挙費用をまかなう方向の政治改革が進められ野放図な政治献金が規制され「金と政治」の悪しき結びつきを断つことが行われた。
こうして日本は「二大政党」時代を迎えることになったが、これはかつてのように単に「批判勢力」として野党が存在するのではなく、現実に「政権担当能力」を持つもう一つの党としての(野党)が存在するようになった。
その結果、政策論争が大きな意義を持ち、両党の政権交代は業界と政治との積年の癒着構造にも「破断」を生じさせ、政治の自浄能力の増進にも繋がるという良い流れが生まれるのではないかという期待も生まれた。

しかし日本で「二大政党制」が誕生したとしても、一体何を争点(対立軸)とするのだろう。
本来ある特定の政策群というものは、反対意見が出ることによって輝きうるのではないかと思う。
反対勢力の焦点がボヤケている限り、互いの存在が「輝く」はずがない。
似たもの同士では、反対や批判が「政策」に向かうのではなくて、互いの「失点」を暴きあうだけの泥試合になってしまうのではないか。
55年体制は自民党の独裁とはいっても「安保防衛問題」を争点として、保守と革新とで分かれ争った明瞭な対立軸があったのである。
しかし冷戦の終結以降そういう対立軸は失われたのは二大政党の先輩国家アメリカとて同じことである。
しかしアメリカでは、二大政党の政策、特にに経済政策の伝統性はいまだに失われていないように思う。
アメリカでは、19世紀半ばで共和党と民主党が確立した。
歴史的な傾向からいえば、共和党は政治外交面では反共産主義、経済面ではインフレ抑制を重視して、政府ができるだけ干渉しない自由主義経済政策、つまり「小さい政府」を前面に出してきた。
一方、民主党は共産主義については対決より対話を、政府の役割については失業対策を重視し、市場の失敗に対して政府が積極財政で対応するなど、「大きい政府」容認のスタンスをとってきた伝統がある。

戦前に日本でもほぼ「二大政党制」という時代があった。
実はこの時代ほど、「政治とカネ」がおおきな問題となった時代はなかったといってよい。
特に1920年後半より政友会と三井、民政党と三菱の結びつきは有名で、日本の近代政治は「金権政治」そのものであったといえる。
1925年に普通選挙が実現したが、政党間の主張にさして相違があるわけではなかった。
ただ、主導権をめぐっての選挙戦・買収線はすさまじいものがあり、様々な汚職事件をひきおこした。
その一部をあげると、満鉄疑獄、アヘン密売、東京ガス事件、松島遊郭事件、機密費事件、金塊事件、東京板舟、京成乗り入れ事件、勲章疑獄、鉄道疑獄、朝鮮疑獄事件などなどである。
特に1929年、田中義一政友会内閣は、「疑獄のルツボ」内閣といってよく、世間をあきれかえらせ、張作霖事件では天皇をだましそこねて失脚している。
大体、政権のスタートから凄まじい選挙買収で始まった汚点だらけの政権であった。
そして戦前の疑獄の中で目につくのはシーメンス事件などの軍人の汚職と、私鉄買収にかかわる汚職、そして教科書にまつわる文部官僚の汚職である。
1929年夏、鉄道大臣・小川平吉の裁定で認可された私鉄二十二線の買収にからんで汚職事件が次々に明らかになり、つづく若槻元首相が越後鉄道、浜口首相も伊勢鉄からそれぞれ収賄容疑で取り調べをうけている。
また、教科書の「国定化」を決定づけたのが、このころ起こった一連の「教科書疑獄事件」であったといってよい。
何しろ教科書を「国定」にしたほうがよいという理由の一つは、修身の教科書は「教育勅語」の精神にのとってなされるべきということと、もうひとつが業者の競争が疑獄事件を誘発するというものであった。
そしてついに1901年に修身の教科書にとどまらず、教科書一般の「国定化」がなされたのである。
教科書会社が、地方の教科書採択委員諸公を東京の一流料亭に招待したり、どこかの県知事が教科書会社より収賄賄したり、頻発する文部省の視学官のユスリは、とても「修身」をリードすべき文部官僚とはあるまじ行為といわざるをえない。
この頃、国民の「あきれ」「嫌気」とともに「厭政感」ただよう雰囲気があったようだ。
そして昭和の「二大政党時代」は、そのまま一気に軍人に道をゆずり、軍国主義の時代に転がり落ちたのだ。

現在の自民・民主の二大政党の時代は、対立軸がはっかりしないと述べたが、二大政党の政策の違いはイデオロギーや理念などというものよりも、その「支持母体」から来ているというのが一番分かりやすいのではないかと思われる。
政治と支持母体との関係でいえば、歴代の自民党の首相がアジア各国の感情を逆なでしてまで行う「靖国参拝」を思いおこす。
このことは、「日本遺族会」という自民党の有力な票田をヌキに考えることはできない。
「靖国」というもっとも日本人の深層につらなる「聖なる」部分も、政治家の良心とか信仰心よりも、自民党の支持母体からみるという割り切りった視点の方が、分かりやすい。
国民全体や周辺諸国への視点よりも、「選挙で勝たせてもらえる票集め」という視点でみるのが最もわかりやすいということだ。
そして「イデオロギーの終焉」以後あてにならない浮動票に訴えるよりも、こうした支持母体の「組織票」を確実にモノにしようとすることが「二大政党時代」の実際の姿なのかとも思う。
そして二大政党の政争というものは結局は、相手政党と支持母体との関係を掘り崩すというものか、と思えてくる。
政治とは、まさに松本清張いうところの「けものみち」である。
政権発足当初に話題となった八ツ場ダムの建設の中止は、群馬という自民党王国の土建屋をいじめる政策で、結局土建屋を通じて自民党に行ったかもしれないお金をばっさり切ったというわけである。
普天間基地移設問題は今後どこに落ち着くのか流動的だが、現行のキャンプ・シュワブ沿岸につくる案も、結局は、砂利・ゼネコン利権とも関わっているのである。
また民主党がかかげる農家の戸別補償制度がある。
従来、農家への補助金は通常、農協を通じて配られていた。その補助金を直接、農家に給付するというものである。
農協は自民党を支持する有力母体だから、農協に金を渡せば自民党に渡るので、その流れを断ち切るというものである。
経団連の関係を見ると、008年の経団連の献金は政策評価の高さを名目に2自民党への献金が27億円なのに対して、民主党への献金は1億円あまりに留まっているという。
小沢一郎氏が自民党幹事長時代に、衆院選を前に「300億円が必要」とお金を引き出した実績があるが、その小沢氏が経団連側との会談について「歴代会長は自民党政権と癒着してきた。今更あってどうするのか」と冷ややかだという。
これをみても。自民党の支持母体は財界で、民主党は労組中心ということになる。
「文芸春秋3月25日号」で元内閣参事官が書いた記事は、政党と支持母体との関係を説いており興味深いものがあった。
それによると、民主党の支持母体は、自治労、日教祖そして意外なところでは「パチンコ業界」なのだという。
「こども手当」や「高校の無償化」は、苦しい家計を助ける政策として打ち出されているが、文科省が教育予算を握っているので、その予算を削って文科省を弱体化させるというネライもあるという。
例えば義務教育予算は義務教育を国庫補助するためのものである。義務教育の教員の給料として、約一兆六千万円が支払われている。
給与を握っているのは文科省であるから、官僚は地方教育の現場で力を握ることになる。
日教組にとってこれが面白かろうはすがない。
日教組からすれば文科省からお金をもらうよりも保護者より授業料としてもうらう方が良いということになる。
そこで民主党は、文科省から義務教育予算を取り上げ、保護者に義務教育費を直接給与する「子供手当」を考えたというわけである。
「高校無償化」も、民主党は当初、直接お金を配る直接給与方式を考えていた。
直接給付になったら出番がなくなる文科省は、国が授業料を肩代わりする間接給与方式を主張し、民主党に抵抗した。
民主党は参院選挙を控え4月から無償化をしたいがためにここで折れ、結局は間接給付に落ち着いたのだという。
文科省から義務教育予算を取り上げることができるかがポイントで、それを振り替え変えなければ「子供手当」は満額払えない。
また、民主党幹事長の小沢氏は外国人地方参政権を推進する人として有名であるが、本当のネライはこれによって在日韓国人、朝鮮人が多いとされるパチンコ業界からの支持を引き出すことができるのだという。
アメリカにおいても、二大政党間の差(対立軸)があまり明確でなくなってきたともいわれている。
クリントンの時代には、大統領が民主党で、議会が共和党であったた、いわゆる「ネジレ」現象が起きたためにお互いが牽制しあい、双方とも中道にならざるを得なかったということがある。
そして何よりも冷戦の終結で、「反共」ととなえることで保守層をつかんできた共和党も路線の見直しを迫られたということがあるかもしれない。
日本との影響を考えるならば、労働組合に大きな票田をもっている民主党の方がどうしても保護主義的な政策をとる可能性が高まることになる。

日本で1994年につくった政治改革法案などで企業献金や政治資金の規正が決まったが、これをタテに相互に「失点」をあげつらうのが、平成の二大政党時代であったというのでは、あまりにも寂しい。
国家と国民の前に山積する課題を前にしての二大政党の「泥試合」は見ていてちっとも面白くないし、昭和の二大政党時代と同様に「厭政感」さえただよってきている。
「平成の二大政党時代」はいつまで続くか、そしてどのように記憶されるのだろうか。