魂活リゾ-ト

世の中にはスベった政策や法律は数多くあれど、これほど国力を疲弊させた法律はザラにはない。
そんなことを思わせられるのが1987年制定の「リゾ-ト法」である。
リゾ-ト法は「総合保養地域整備法」の略称で、多くの人々が多様な余暇活動が楽しめる場を、民間事業者の能力の活用に重点をおきつつ、総合的に整備することを目指して制定された法律である。
都道府県が策定し国の承認を受けた計画に基づき整備されるリゾート施設については、国及び地方公共団体が税制上の支援を行う等の優遇措置が執られた。
カネ余りと内需振興の掛け声により、各地方が民間企業と組んでリゾート開発を計画し、41道府県の42地域が国の承認を受けた。
しかし、その後のバブル崩壊等もあり、そのほとんどが頓挫し、また、「大規模年金保養基地(グリーンピア)」等の公共リゾート等の失敗もあいまってリゾート開発の時代は虚しくも終焉を迎えた。
TVなどで建設途上の施設が廃屋と化し、残骸のように朽ち落ちた観覧車などを見るに付け、従来から批判されてきた開発による環境破壊などとは異なる次元で、日本人の考えるリゾ-トの「薄っぺらさ」を感じたりもした。
つまり、人間にとってとても大切な余暇や保養の追求ではなく、誰かに金儲けさせようという発想がミエミエである。
ホテルを建て、どこもここもゴルフ場と他のスポ-ツ施設をつくり、ちょっとした遊園地をセットにして、人々を呼び込もうとしたわけであるが、実際に同法の適用を受けたのは、ゴルフ場、スキー場、マリーナなどである。
となると、計画の段階でこういう施設を作ること自体が適用をうける条件であったのだろうか。
法律が安易なリゾ-ト開発を導き、建設業者をもうけさせるに一役買ったということだろう。
脳裏に浮かぶのは、家族連れでやってきて、遊びつかれて、ストレスをためるまではなくても、明日への英気などとは縁遠く、浮かぬ顔で帰路につくそんな人々の後ろ姿がふっと横切った。
そんな施設は、年々更新されなければ、すぐに飽きられてしまう。
となると、あまりにも閑散としていて、客がぬいぐるみキャラクタ-に寄っていくのではなく、手もちぶさなぬいぐるみキャラクタ-の方が客を追いかけまわすみたいな、そんな寒~い風景のある遊園地の姿なども浮かんだ。
金太郎飴みたいに似かよった施設を各地に作らずとも、またシ-ガイヤやハウステンボスのようなコストに見合いそうもない「巨大花火」を打ち上げとなくも、静かに奥ゆかしく魂を「賦活」しうる「魂活リゾ-ト」みたいな発想があってもよいのではないかと思った。
個人的に抱く「リゾ-ト」のイメ-ジは、山の幸と海の幸あふれる風光明媚な保養地にある民宿かなんかでゆっくりとした時間をすごすことだ。
しかし1980年代のバブル景気の時代は、大きな余暇需要をまとめて満たすために、何かを意図的に作り出す他はなかったのかもしれない。
だからこそ今日、「百年リゾ-ト」か「千年リゾ-ト」の哲学が必要なのではあるまいか。

「リゾート」は英語の意味からすると「頻繁にかよう」という意味を含んでいる。とするならば毎年行きたくなるような場所こそがリゾ-トなのだろう。
楽しさ、癒し、安らぎ、プラス・アルファを提供し、またも来たくなるような場所であらねばならないのだ。
リゾ-ト法で定義されたリゾ-トとは「国民が多様な余暇活動を楽しめる場」であるから、テ-マパ-クもその一つと考えてもよい。
テ-マパ-クの重点は「楽しさ」にあるが、東京デズニーランドの成功は、一つではなく様々な物語の中に自分を置くことができ、多様な人々を飽きさせないという懐の大きさにあるからだろう。

もしも「千年リゾート」などを構想するのならば、結局は人間にとっての「理想郷」を考えることではないのかと思った。
そこで「理想郷」という言葉に対応する言葉を探すと、パラダイス、ユ-トピア、桃源郷などの言葉を思いつく。
「ユ-トピア」というのは、ギリシア語の「良い場所」と「どこにもない場所」という二つの言葉の合成したものである。
ただ「ユ-トピア」を構想した思想家達は、ユ-トピアを都市に設定しているようだ。マルクスの科学的社会主義に対して空想主義的社会主義を唱えたサン・シモンなどもそれで、ユ-トピア論はつきつめると都市論であり、もっと突き詰めると「法」の問題に行きつくのかもしれない。
また建築的な意味での「ユ-トピア作り」は、直線・円・放射線をもってその「自然」から分離する。
一方、中国における理想郷つまり「桃源郷」は、ほとんど山村や田園に設定されているし、西洋でもパラダイスとえば「エデンの園」も「地上の楽園」も自然の中にあることが想定されている。
パラダイスの語源は古代ペルシア語の「パイリ・ダエ-サ」で、囲い作る、あるいは垣根で囲うといった意味で、最初は王侯貴族の猟園のようなものであったらしい。
しかし、動物や生息し植物が繁茂するだけではパラダイスたりえない。
そこでは、人間の心とか欲求との完全な調和があってはじめてパラダイスたりうるのであり、それは豊かにして安らかなる生活の場である桃源郷とて同じである。
ある文化人類学者によると、パラダイスとは善き自然に保護されるように囲まれ、その中での欲求も罪を犯すこともなく常に問題なく満たされている状態が実現している処なのだそうだ。
巨大な庭にあって何の苦もなく食べ物が手に入り健康とスマイルにあふれ、変な気持ちなんか絶対におきない、これは確かにパラダイスだ。
また、ある心理学者は「究極の楽園」のイメージを、「母親との一体融合」という幼児体験に見ている心理学者もいた。
その心理学者によれば、楽園とは子宮願望なのかもしれないなどど驚くべきことを言っていたが、私からすれば路地裏の奥の小料理をまるでカソリックの懺悔部屋にみたてて酒をのむサラリ-マンの姿は、あの小料理屋こそは一種の「子宮」に通ずるのではないかと思わぬではない。となると、お女将は母親兼神父様か。
ところで中国の揚子江近くの蘇州庭園は商人達が私財を投じて造り桃源郷を表現したものだそうだ。
商人達は騙し合いや駆け引きやらトラブルから一歩身を退けた場所を必要としたのかもしれないが、 暗くてトンネルみたいな岩場を通り抜けて、パッと広がるすずやかな庭園が広がる、あれは確かに何かの胎内から出できたような雰囲気があった。
そこには現世という俗世と異なる山仙神郷を思わせる空間がつくりあげられていた。
私が大好きなパンク作家の町田康氏に韓国で出会った「列車の窓から突然に桃源郷と出あった」という写真があった。
それは農民の普通の生活の場なのだが、山や川や木々とかの調和が、ノスタルジアを強烈に引き起こす風景で、なぜか「いつか見た」風景という安らぎをもたらすものであった。
ところで、ユ-トピアもパラダイスも「現実にはない」理想的なものだが、人間はそういう憧れによってこそ、都市を作り公園や庭園を生みだしてきた。
物語風のユ-トピアが都会のテーマパークであり、自然豊かなパラダイスが山海珍味あふれる温泉郷であり、そこに人々は楽しみと心を癒しにいくのかもしれない。
結局、人が何度も行きたくなるという意味での「リゾート」なるものは、そういう「理想郷願望」をかなえてくれるものなのだろう。
ところで最近、パラダイスやユ-トピア以外にもう一つ「理想郷」に近づく手がかりとなる言葉があるのを知った。「ハ-トランド」である。
ハ-トランドとは、魂が生まれ還っていくところで、「極楽浄土」みたいなものかもしれない。
もちろん魂が生まれ還っていく処だから「足しげく通う」ような場所ではないが、少々深みのある「千年リゾート」を構想するのならば、「ハ-トランド」のような発想はどうかと思った。
私が思うに「ハートランド」とは「魂の集う所」であり、極限すれば「墓地」のことなのだ。
大概「墓地」など気持ち悪いという人が多いが、福岡市中央区平和の平尾霊園全貌が見える場所にある喫茶館がどんなに 人気の喫茶館であるかを知ってほしい。
まずは窓際の席はとれない。墓地の風景は人を浄化し、安らがせるものがある。
「千年リゾート」を構想することは、魂が賦活されることすなわち「魂活」の場を構想することと思うのだが、そのためには人間の魂の琴線にふれるリゾートの発想がないのか、ということである。

では、日本の歴史上、「ハ-トランド」たりえた「リゾ-ト」はなったのか。
つまりは人々が足しげく通った「心の旅」のようなことがなかったのかと思った時、二つの事例を思い起こした。伊勢お蔭参りと四国遍路である。
お蔭参り(おかげまいり)はお伊勢参りともよばれ、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣のことであり、数百万人規模のものが、60年周期で3回起こったという。
お蔭参りの面白いところは、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。
これがお蔭参りが「抜け参り」とも呼ばれるゆえんである。幕藩は規制を敷いたが、効果は無かった。
伊勢参りにみてとれるのは人間の「原点復帰」衝動であり、動物でいうと「帰巣本能」のようなものかもしれない。
また空海が開いた四国遍路は、見事なプランであったといわれている。
もうこれ以上歩けないと思うと、次の札所にくる。のどが渇いてたまらなくなると、ちょうど水飲み場がある。景色に飽きると急に素晴らしい眺望がひらける。 リゾ-トは自分の原点を見つめなおす「心の旅」を用意してくれる場所といえるかもしれない。 こういう処にこそ人々はまた行きたくなる。
つまり人間を安楽にしてリラックスして癒すのではなく、かえって負荷をかけることによって魂を解放させるというものだ。
結局、ハ-トランドの発想をもってリゾ-ト造りをする方向の一つは、従来の「楽しみ」「安らぎ」以外にもうひとつ「浄化」というコンセプトがあってもいいのではないかと思ったのである。

リゾ-トはドラマ仕立てが必要ではあるが、リゾ-ト開発こそはそれ以上にドラマチックかもしれない。
日本のリゾ-ト開発のシ-ンの中で強いコントラストをもって三つのシーンを思いおこす。
「湯布院の成功」と「夕張の失敗」でである。もうひとつは成功か失敗かやや未知数な「常磐ハワイアンセンター」である。
まったく無名な農村だった大分県の湯布院町がどうして日本一のリゾ-ト地となりえたのか。
湯布院のおかれた条件が重なり合うヨ-ロッパにモデルを探したところが、素晴らしい。
湯布院はのスタ-トは今から40年ほど前に、町長に百万円の借金を申し込んでドイツのバーデンに視察に行った三人が、バーデン市長の「町づくりは百年単位」「大切なのは静けさと緑」というその言葉に感銘を受けたのが原点となり、頑なにその姿勢を貫いたことにある。
湯布院町長はダム建設にNOと言い、地震で湯布院壊滅報道で客足が遠のけば、また借金して馬を買い自力で調教して馬車を走らせた。そしてそれがマスコミに取り上げられ、かえって客が来るようになった。
ただ湯布院にとって最大の危機はバブルであった。札束を農家の目の前に積み上げ農地を買い取りリゾートマンションを計画する業者が、町に開発許可を求めた。
町職員は、農家や町の人々と湯布院の町を守っていこうとよびかけるが、難敵が甘い誘惑をエサに次々やってくる。
建設省から呼び出され、建設省通達より厳しい基準の条例はあり得ないと却下されるが、この時企画課長だったH氏は建設省の高級官僚に自分たちのふるさとを守る為、力を貸してくれと捨て身のプレゼン作戦を行い、条例案の文章を一部変更する智恵を借りて条例を通したという。結果、ついに業者は開発をあきらめた。
こういう苦闘の末に、湯布院は全国リゾ-ト人気ナンバ-ワンになったのである。
対照的だったのは最近話題になった夕張市の財政破綻である。その原因ははっきり言ってリゾ-ト開発の失敗であった。
北海道の夕張は明治の初めにアメリカ人により石炭の鉱脈が発見され、後に財閥などが採炭を開始した。
1960年に炭鉱は24山にのぼり人口は12万人と増加した。
エネルギー政策が石炭から石油に転換されると閉山が相次ぎ、1971年に人口減少で過疎地の指定を受けるようになった。
平成に入ってから最後の炭鉱が閉山し、現在では1万4千人ほどの人口で全国で4番目に少ない市になる。
町おこしに夕張メロンを開発した。クロネコヤマトを一躍有名にしたのが夕張メロンの産地直送サービスだったという。
炭鉱後の産業育成でメロン栽培を行なったが、日持ちが悪かったため流通に乗らなかったのだ。
そこで、宅急便の産地直送となったわけだが、これが大ヒットし、クロネコヤマトも夕張メロンもこれをきっかけに急成長したのである。
しかし町の根幹たる炭鉱閉山を余儀なくされ、なんとか必死に観光都市に転換しようとした。
1980年にテーマ・パークブームに乗った「石炭の歴史村」が開館し、遊園地やスキー場が次々と整備されていった。
道東自動車道が開通してリゾートタウンともてはやされたのだが、市の「箱物行政」が裏目に出て、一転赤字転落の破綻都市となった。
夕張市は、この財政赤字額を銀行融資で賄っていたようだが、これには道の許可が必要だったが、道の許可なしに行なっていたので、それを表面化させないための粉飾決算までも表面化したのである。
ところで夕張市のように炭鉱の都市からの転換を迫られた都市は全国に散らばっている。
フラガ-ルで有名になった福島県常磐市もそうで、炭鉱の町をハワイアンセンターに変えた「いわき温泉」の戦いはひたむきかつユーモラス数々の「珍騒動」もまき起こした。
暗い炭鉱の町を南国の風景に変えて、温泉にきた客人をフラガ-ルがダンスでひきよせる。そこには「箱物」で人をひっぱりこもうという発想でない人間的な発想がある。
映画の中で、肌を露出してする仕事に反対する人々に対して、一人の女の子が言っていた。
「今まで仕事っつうのは、暗い穴の中で歯食いしばって死ぬか生きるかでやるもんだと思っていた。んだけど、あんなふうに踊って、人様に喜んで貰える仕事があってもええんでねか」
結局、こういうハワイアンセンタ-で踊るフラガールの「魂活」の姿がいい。
そしてそれは「婚活」にも通じているの、カモネ。