アメイジンググレイス

福岡の劇場「博多座」は、「ミスサイゴン仕様」なのだそうだ。
ミュージカル「ミスサイゴン」を上演するには帝国劇場でも約1ヶ月の改装工事を行うほどの舞台が必要となる。
ところが、博多座では計画段階から「ミス・サイゴン」オリジナル演出版の上演を想定して設計されているという。
その博多座で、2009年10周年という記念の年に、3ヶ月にわたってようやく待望の「ミスサイゴン」が上演され、当初の夢が実現する形となった。
日本初演は1992年4月から翌年9月まで帝国劇場で上演され、504日間、745回で111万人を動員したという歴史的な大成功を収めている。
2004年の再演、2008年ので再々演もいずれも帝国劇場で行われ、2009年1月から博多座すなわち帝国劇場以外での、初めての公演となった。
さて、それだけのロングランを繰り返す「ミスサイゴン」とはどんなミュージカルかというと、一言でいえばベトナム人の少女と米軍兵士の「究極の愛」の物語である。
舞台はベトナム戦争陥落間近のサイゴンで、「ミス・サイゴン」がミュージカル大作といわれる所以は舞台装置にもある。
例を挙げると、本物のキャデラックが舞台に現れる上に、巨大なホーチミン像、特にサイゴン陥落のシーンで登場する実物大のヘリコプターは圧巻である。
さらにこの公演では、出演スタッフの事故や怪我がついてまわり、命がけで演じなければならず、それがために「超大作」といわれるゆえんかもしれない。
1992年7月4日、主役のキム役の 本田美奈子が本番中に舞台装置の滑車に右足を轢かれるという事故が起き、足の指4本を骨折した。
そのまま一幕最後の「命をあげよう」までを歌い切ったが、二幕から(ダブルキャストの)入絵加奈子に交代した。
本田は全治3か月と診断されたが、誕生日の7月31日に怪我から1か月足らずで復帰を果たしたという。
ただし完治はしておらず特製ギプスを装着しての復帰だった。
主役のベトナム少女キム役は歴代、本田美奈子、入絵加奈子 知念里奈、新妻聖子(博多座)などが演じてきた。
また恋人の米兵クリス役を岸田敏志、 石井一孝、井上芳雄らが演じ、両者の運命を操るエンジニアを、市村正親、筧利夫、別所哲也などが演じた。
中でも、エンジニア(世渡り上手の意味)を演じた市村正親は、「世界一のエンジニア役」という高評価をうけた。
さて物語の舞台は、陥落直前のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)である。
フランス系ベトナム人(通称エンジニア)が経営するキャバレーでのアメリカ兵クリスと17歳のベトナム人の少女・キムの出会いから始まる。
この戦争に大きな疑問を持つクリスと戦禍ですべてを失い、何とか生きるすべを求めてこの店に働きに出たキムとの二人の出会いが、いつしか恋に変わるのにそれほどの時間を要しなかった。
お互いに永遠の愛を誓いながらも、サイゴン陥落の混乱の中で、米兵救出のヘリコプターの轟音は無情にも二人を引き裂いていく。
戦乱の中エンジニアと共にバンコクに逃れ、キムはクリスがいつの日か迎えに来てくれると信じながら懸命に生きようとする。
だがキムには、誰にも明かさぬ秘密があった。それは、クリスの帰国後に生まれた彼との子、タムの存在である。
キムにとっては、タムだけが唯一の希望、そして生きる力だったといってよい。
そのことを知らず、クリスはベトナム戦争の後遺症に苦しみながら連夜悪夢にうなされていた。
やがて、彼は新しい人生を始めるためにエレンという女性と結婚するが、ある日戦友ジョンから、キムが生きていること、そしてキムと彼との間に出来た子供の存在を聞かされる。
クリスは苦しむが、妻エレン、戦友ジョンとともにバンコクに行くことを決意する。
そして、ジョンはバンコクのキャバレーで、キムがホステスとして、エンジニアは客引きとして働いているのを発見する。
その時、キムはジョンからクリスがバンコクに来ていること聞くが、ジョンは結局、クリスに妻がいることを告げることができなかった。
キムは早くクリスに会いたい一心で、クリスの泊まっているホテルに出向くが、クリスもジョンも外出しており、妻のエレンだけがいた。
そしてキムは、クリスに妻がいることを知る。
そしてキムの夢はたった一つとなる。子供のタムを自由の国アメリカに連れて行き、幸せな生活を送らせることであった。
しかし自分がいては、タムもアメリカに行けないことを悟り、自ら命を絶つことを決意した。

ところで「ミスサイゴン」の主役キム役の初代は故・本田美奈子である。
最近、テレビで「アメージンググレイス」の歌声で彼女の肉声を聞くことができた。
入院中に病室で歌ったア・カペラの「アメイジンググレイス」は2006年7月から一年間、公共広告機構の「骨髄バンク支援」キャンペーンのテレビコマーシャルに使用されたものである。
いうまでもないことであるが、ミュージカル「ミスサイゴン」日本公演の大成功をもたらしたのは、故・本田美奈子の歌唱力と演技力が大きい。
本田美奈子といえば「マリッリ~ン」を歌った頃アイドル時代しかイメージはなかったが、ミュージカルに出演していることは週刊誌などで知っていた。
帝国劇場での「レ・ミゼラブル」で 彼女が歌う「オン・マイ・オウン」は、彼女の力量を世に示した素晴らしいものだったという。
そして、さらに本田美奈子の最大の「当たり役」がミュージカル「ミス・サイゴン」のキム役であり、彼女はミューカルスターとしての地位を不動にしたものだった。
本田の恩師の一人である作曲家の服部克久は彼女の歌声にはミュージカルに必要な「悲壮感」があったことを指摘している。
それは亡くなった後だからそう思うのではなく、彼女が生来持っていたものだと語った。
ところが本田は2005年にはいって体の不調を訴え、診断の結果白血病であることが判明する。
ところで、2008年2月に テレビのハイビジョン特集「本田美奈子:最期のボイスレター~歌がつないだ“いのち”の対話~」という番組があった。
この番組で、本田美奈子が白血病におかされ「ボイスレター」を通じて、最後の対話を交わしたのが岩谷時子という女性であったことを知った。
岩谷時子は、「ミスサイゴン」の日本語版を製作するに際し、歌の日本語訳などを行った有名作詞家であり、その関係で本田美奈子とも深い付き合いがあった人物である。
実は個人的にも、彼女の名をみつけるたびに一体どういう人なのだろうと、気になる人であった。
彼女の名前は数々の大ヒット曲の「作詞家」として見出だすことができる。
ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」や加山雄三「君といつまでも」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、園まり「逢いたくて逢いたくて」などである。
また最近では、ピアニスト・辻井伸行氏が、音楽文化の向上、普及で功績のあった人や団体に贈られる「第一回岩谷時子賞」に決まったのも、記憶に新しい。
岩谷時子の経歴のなかで、きってもきれないのがシャンソン歌手越路吹雪である。
岩谷は越路吹雪のマネージャーとして芸能界に関わったが、単なるマネージャーではなく「愛の賛歌」などエディット・ピアフの訳詞を手がけ、越路吹雪に歌を提供したのである。
この頃、岩谷は歌詞ばかりではなく、「人生」を越路吹雪に捧げたといても過言ではない。
越路は恋多き女で、彼女が1959年に結婚するまで、岩谷がずっと恋の使者であったという。恋が終わるときも、相手の方に引導を渡しに行かされる、と語っている。
あくまで「越路が好きだから支えていた」という岩谷は、越路が亡くなるまでマネジメント料としての報酬は一切受け取らなかったという。
作詞家のいずみたく氏は「新ドレミファ交遊録」(サイマル出版)のなかで、岩谷が果たした越路の恋のキューピット役が、「学校の先生のような雰囲気」の岩谷時子の「作詞力」を磨いたのではないかと書いている。
越路が日本の「シャンソンの女王」とよばれたのも岩谷あってのことであった。 岩谷が宝塚出版部に勤めていた頃に15歳の越路と知り合い、意気投合した。
越路が宝塚を辞めた際に岩谷も一緒に退社し、共に上京し東宝に所属した。東宝の社員として籍を置いたまま越路のマネージャーも勤めたという。
越路は戦中から戦後にかけて宝塚歌劇団の「男役スター」として活躍し、 肝の据わった女性と思われがちだが、さすがにリサイタルの直前は極度の緊張におそわれた
そのため、緊張を紛らせるために煙草を燻らせ、コーヒーを飲んで、リサイタルに臨んでいた。
ステージに出る際は緊張も極限に達し、岩谷時子から背中に指で「トラ」と書いて貰い、「あなたはトラ、何も怖いものは無い」と暗示をかけて貰ってからステージに向かっていたという。
また岩谷はマネージャー業の傍ら越路が歌うシャンソンなど外国曲の訳詞を担当し、越路の代表曲である「愛の讃歌」のほかに「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」などは岩谷の優れた訳詞によって、大ヒットとなった。
ちなみに、エディット・ピアフが歌った「愛の讃歌」は元歌詞が「愛のためなら盗みでもなんでもする」という背徳的な内容であるのに対し、岩谷訳詞では一途な愛を貫くという内容となっている。
岩谷時子は今もご健在で帝国ホテルを晩年の棲家としてたが、帝国ホテルすぐ側の日生劇場をかつて拠点としていた浅利慶太氏によると、「越路さんのような天才は、二度と出てこないと思うのは、岩谷のようなマネージャーが、今の世の中にはいないからだ」と語った。
ちなみに、本田美奈子が入院した2005年放送「越路吹雪・愛の生涯この命燃えつきるまで私は歌う」で、天海祐希が越路吹雪を、松下由樹が、岩谷時子を演じていた。

本田美奈子は、38歳の若さで世を去るが、その本田が白血病と闘いながら、亡くなる2か月前まで、病室で毎日のように録音していたボイスレターが遺されていた。
「声の手紙」の相手は、作詞家の岩谷時子であった。
岩谷は「ミス・サイゴン」で知り合った本田の才能を高く評価し、数多く詞も提供した。
かつて越路吹雪にそうしたように。
その背後には、岩谷と本田には、何かに導かれるような「奇縁」が生まれていたからである。
本田美奈子は2005年1月13日に、白血病のために都内の大学病院に入院したが、その5ヶ月後の6月20日、道路で転倒し、大腿骨他、複数の骨折をして、同じ病院に入院してきたのが、当時89歳の岩谷時子であった。
岩谷は、ミュージカルを通して出会って以来、本田にとって歌の心と言葉の大切さを教えた恩師であり、「母」のような存在であった。
無菌室から出ることを許されない本田は、岩谷を励ますために、ボイスレコーダーにメッセージと自らの歌声を吹き込み送り続けた。
みずから死と直面しながら、恩師のためにエールを送る本田の肉声と歌、そして生きることの意味を伝え続ける岩谷の返事が録音されていた。
本田は次のようなことを語っている。
「ねえ、お母さん。お母さんの詩ってすごいでしょ。心にいっぱいキズをおってしまって、自分が生きているのも辛くなるような子供達が最近増えていると思うんですね。そういう子供達に、お母さんの詩のメッセージ伝えるために、子供達の前で歌うことができたらいいなって、今思いました。」
岩谷は「とっても綺麗な歌声を聴いて、さわやかな気持ちで寝むれない春の夜を眠りました。やっぱり色々と考えることの多いこの頃だけど、あなたも私もこれから頑張って生きていかなければならない宿命を持っていると思うのね。だから、力を合わせて、何とか幸せに、周囲も幸せになるように頑張りましょうね。」と答えている。
ところで、岩谷が社会人としての始まりの頃深く関わったのが越路吹雪さなら、人生の晩年において深く関わったのが本田美奈子であったといえる。
本田美奈子は「アメイジンググレイス」のアルバムを出して急逝してしまったが、このアルバムは本田が病魔と闘いながら、岩谷を励まそうとの思いから岩谷が手がけた曲をボイスレコーダーに吹き込みことによって生まれたものである。
ととこで「アメイジンググレイス」の元歌は、ジョン・ニュートンという1725年イギリス人によってつくられた。
ジョンの母親は聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ジョンが7歳の時に亡くなった。
成長したジョンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に手を染め巨万の富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。
このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ジョンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月、彼が22歳の時に転機はやってきた。
船長として任された船が嵐に遭い、非常に危険な状態に陥ったのである。
今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。
敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。
すると船は奇跡的に嵐を脱し、難を逃れたのである。
彼はこの日をみずからの「第二の誕生日」と決めた。
その後の6年間も、ジョンは奴隷を運び続けた。
しかし彼の船に乗った奴隷への待遇は、動物以下の扱いではあったものの、当時の奴隷商としては飛躍的に改善されたという。
1755年、ジョンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の寄付を重ねて牧師となった。
そして1772年「アメイジンググレイス」が生まれたのである。
この曲には、黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められているといわれている。

先述のように、岩谷時子はミュージカル「ミス・サイゴン」の訳詞を手がけたことがきっかけで、同作品に主演した本田美奈子と親交を深めた。
本田の才能を「越路の再来」と高く評価し、数多く詞を提供した。
「アメイジンググレイス」は、本田美奈子.がクラシックアルバムの第一作「AVE MARIA」で歌い、白血病で闘病中の2005に10月発売されたベストアルバム「アメイジンググレイス」にも収録された。このアルバムは11月の本田の逝去後売り上げが急増し、オリコンチャートでベスト10入りを果たしている。
ところで岩谷が、本田が死去する直前に足を負傷して本田と同じ病院に入院し、ボイスレコーダーを通して、当時無菌室に入っていた本田を激励した(逆に励まされた)というのは、「偶然」というにはあまりに「偶然」すぎる。
二人共に傷つき病床にあっての「声だけの交流」であったが、それこそが「アメイジンググレイス」すなわち「驚くべき恩寵」であったのかもしれない。