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契約と個人と教会

欧米社会は「契約社会」といわれるが、契約観念は我々日本人の想像を超えて西欧社会に行き渡っている。
例えば、欧米社会で離婚が比較的にクールに行われるのは、どちらか一方の「契約違反」が明瞭な形で突きつけられるからかもしれない。
歴史を見ても、王と人民との契約、君主と代議員の契約がなされ、人権への第一歩というべき1215年「マグナカルタ」の中身は王と貴族との契約の書にほかならなかった。
こうした契約観念が欧米の法律の基本にあることが、日本社会と根本的に異なるところである。
日本人にとって、国の創成は「自然生成的」なものだが、アメリカ合衆国の根底にあるのは「メイフラワー契約」という明瞭な形の契約なのである。
「メイフラワー契約」の一部を抜粋すれば次のようなものであった。
「神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした。」
そしてメイフラワー号に乗船してやってきた100名のうち40人が契約書に署名したということが、「アメリカ合州国成立」の始源となったのである。
この契約の前提に聖書があるのは一目瞭然で、新大統領が就任の際に聖書に手をおいて宣誓をするのは、「政教分離」の原則に反するのだが、この「メイフラワー契約」の中身を知れば納得できるものがある。
ところで、パレスチナを舞台にした聖書には「旧い契約」と「新しい契約」があり、旧約聖書と新約聖書とに対応している。
旧い契約の方は、創世記からはじまる「モーセ五書」が中心で、人類の罪の始まりと、その人類の中でイスラエル民族が神によって選ばれ、どのような経過で「戒律」(十戒)が与えるに至ったかが記されてある。
残りの六十数巻は、イスラエル民族がどのようにその「戒律」を破り、そのたびごとに預言者によって民族の回心が呼びかけられたか概ねそれに従わないため神の怒りと裁きが下る、といったことが繰り返し記されている。
結局、旧約聖書には神が「イスラエル民族」を「民族」を単位にどのように扱い、導いたかということが描かれている。
一方、新約聖書は、イエスの十字架を通じて全人類の「救い」という「新しい契約」、すなわちイエスを信じ受け入れるものに罪の許しと復活という「救い」が実現するという「契約」であり、「イスラエル民族」の祝福から「全人類への救い」へとヒヤクがなされたのである。
ところで、キリスト教でいう「教会」とは建物をさすのではなく、キリストの体なる教会、つまりキリストを頭として手足の如く働く信者達の教会をさしている。それは目にみえない「信者の共同体」のことで、これをギリシア語で「エクレシア」とよんでいる。
そうした意味での「教会の誕生」はイエスの十字架の死後、イエスの約束(ヨハネ14章15)どおりに聖霊が信者の集まりに降った時からはじまった。
その時集まった120人の人々が自分達が知らない他国の言葉を語り始め、何も知らない周囲の人々は、「彼らは酒に酔ったのか」と勘違いするような不思議な出来事だったという(使途行伝2章13)。
信者達が自分達でさえ知らない「他国の言葉で語った」という出来事自体が、「新しい契約」が神とイスラエル民族との契約を超えた性格のものであることを暗示している。
同時に、かつて人間が「神のようになろう」として「バベルの塔」を建てるという企てに、神が怒りを発して「人々の言葉を乱した」という「バベルの呪い」からの解放を意味するという解釈もある。
いずれにせよ、イエス自身が復活後に弟子達に「全世界に出て行って福音をのべ伝えよ」(マルコ16章)と命じたのであり、民族を問うことなく「世界」に対し、道徳でも戒律でもなく「福音」を語れと命じたのであり、弟子達はそれに従い、信じるものに水と霊のバプテスマをほどこしていったのである。
この過程はイエスの弟子達すなわち使徒の働きを記した新約聖書「使徒行伝」に詳しい。
その中で、パウロはエペソへの伝道中に、洗礼を受けたという弟子達に出会い、パウロが「聖霊を受けましたか」と聞いたこところ、水のバプテスマしか知らず聖霊のバプテスマなど聞いたことがないと言うので、頭に手を置いて聖霊が下るまで祈ったという記載がある(使徒行伝19章)。
結局、使途たちが伝えた福音とは、「罪の許したる洗礼」と「復活の証たる聖霊」の二つであり、それを受け入れたものにバプテスマを施すということ、それ以外にはないことがよくわかる箇所である。
このことは重要で、教会の使命は、社会慈善事業や人助けや教育でもなんでもない。
それらは教会の宣伝となったり人助けで感謝されることはあっても、「福音」そのものとは関係がないということである。

旧約聖書と新約聖書の明白な違いの一つは、新約聖書には「聖霊」が登場するが、旧約聖書には登場しない、ということである。
旧約聖書には、神が人間にその意思を伝える方法として、「天の使い」や「預言者」というものが登場する。
もっとも印象的な「天の使い」は、神がソドムとゴモラを滅ぼそうとした時に、町の実態を探るかのように 二人の使いを遣わした場面がある。
「天地創造」という映画では、この役をピーター・オトゥールが演じて、目が青く透き通っていて、とても印象的でした。
ただこの「天の使い」は「人間」の姿で現れ行動しているのであるから、「天使」とはまったく別の存在である。
このソドムの町に信仰の父アブラハムの甥であるロトの家族が住んでいたが、天の使いがこのロトの家に宿を取ろうとしたところ、暴徒と化した街の人々が天の使いと「関係」を持とうとロトの家をとり囲み、かわりにロトは自分の娘を差し出したという恐ろしい話が残っている。
結局、神はこの暴虐と非道に満ちたソドム・ゴモラの街を火で滅ぼすが、ロトの家族のみを救い出した際に、ロトの妻は神が禁じたにもかかわらす、町がどうなっているのかと後ろを振り返ったために「塩の柱」になったという有名なエピソードが残っている。
さて新約聖書では、神は「天の使い」や「預言者」によってではなく、信者に降った「聖霊」が直接に神の意思を伝えるものとして働いているということである。
何しろ、先述のように「教会の誕生」は使徒の教会における「聖霊降臨」にあり、イエスの「私の代わりに助け主なる聖霊を下そう」(ヨハネ14章15)という約束の実現であり、それ以前に聖霊が存在するはずもない。
教会の誕生は、イエスの死後50日をたった「五旬節の日」すなわちペンテコステの日に起こっている。
ユダヤ民族は「過越祭」から五十日目を麦の刈り入れの「初穂の祭り」として毎年祝ってきたが、この祭りの日はちょうどモーセがシナイ山で律法を授けられた日と重なっている。
そのために多くの人々が祭りに参加するためにエルサレムにやってきていたのである。
まずイエスの百二十人の弟子たちに聖霊が下ったのち、ペテロは聖霊に満たされて説教し、この日一日で三千人の人が救われ、「初代教会」が誕生したのである。
「ヨハネ黙示録」にしばしば、「御霊が諸教会に言うことを聞け」という言葉があるように、聖霊に教えられ聖霊に導かれることそが、初代教会の行き方であった。
そして何よりも「キリストの体なる教会」という意識が強く自覚されていた。(第一コリント12章)
「使徒行伝」には、イエスの弟子達が聖霊に導かれてギリシア・ローマをはじめ「福音」を宣べ伝えていく姿が 活き活きと描かれている。
その中でも「27章」には、ローマ皇帝アウグスチヌスと会うために御霊に導かれて海路ローマに向かったパウロの伝道の様子を印象的に伝えている。
また広くとらえればローマ人も「福音」に大きな役割を果たしたといえる。
イエスの時代は、カエサルの甥にあたるアウグストストゥスの時代であるが、彼は煉瓦のロ-マを大理石のローマに変えたといわれる。彼は海陸交通の便に力をそそぎ、それがペテロやパウロの伝道に多大の利益を与えたといわれている。
パウロにローマ皇帝の前で弁明せよという命令がでて、地中海を渡るために船をだそうとするが、パウロは天候に危険を察知し船を出すと危険なので、今は出さない方がいいと警告する。
しかし雲ひとつない天候にローマ兵は船乗りの言葉を信じて船をだす。
しかし天候が荒れ始め、乗船した者達が命の危険を感じはじめた頃に、パウロは聖霊によってカイザル(皇帝)の前に立つことを示され、航海については安心しきって皆を励ましたのである。
荒れる風雨のために船はマルタ島に一時避難し、上陸後火をたいて食事をするが、パウロの手にサソリが噛み付き人々はこの人の命もこれまでかと見守ると、何事もなくパウロは食事を続けたので、現地人はパウロのことを「神だ」といい始める。
天候の悪化を言い当て、天候が悪化すれば心配無用と励まして乗船者を驚かせ、避難したマルタ島ではサソリの毒を免れ「神か」と畏れられたパウロであるが、御霊に導かれるというのは「結論が見えている」ので、途中何がおころうと周囲がどんなにあわてようとも、聖霊が見せた導きゆえに平安でいられるのだ。

ところで、キリスト教が「個人主義」を生んだと言われるが、聖書の中から「個人主義」の要素を見出すことは意外と難しいような気がする。
なぜなら信者は「キリストの共同体」としての「目に見えぬ教会」に属することが前提になっており、世の終わりにキリストが迎えるのは、「キリストの花嫁たる教会」であり、個人を迎えにくるわけではない。
洗礼は確かに個人の罪の許しのために行うが、葡萄酒とパンを頂く「聖餐式」は、個人としてではなく「キリストの体なる教会」として行わなければその趣旨に反するものである。
したがって個人個人がばらばらの信者集団という観念は馴染まないように思える。
プロテスタントの「宗教改革」の意味をこの観点からみると、プロテスタントはカトリックの堕落と腐敗を批判し、それに「プロテスト」したことが教会の成立の発端となったため、教皇制などという権威を否定したのはもっともなことだが、それより重大なことは、目に見えぬ「キリストの体なる教会」の存在を認めないということなのだ。
これは信者がそれまで想定されていた「信者の共同体」から離脱することを意味し、信者一人一人が「単独者」として神と対峙するという恐ろしい「大転換」を意味するのである。
マルチン・ルターの「万人祭司説」なんかいうのも、そういう「単独者」としての信者の生き方をあらわしているのではないだろうか。
では、カトリック教会が果たして「キリストの体なる教会」「キリストの花嫁たる教会」にふさわしいかは、ルターが見た腐敗と堕落よりもずっと以前からヨーロッパの在来宗教と習合して、いわば「浮気」のしっぱなしで、それでもなお「キリストの花嫁」というのは少々ムシが良すぎる気がしないではない。
一方、「プロテスタント」はカトリックがいうところの使徒ペテロの系統を継ぐ教皇制や、神の言葉が教皇を通じて与えられるという関係を否定しただけではなく、教会という建物を建てたにしても「キリストの体なる教会」という目に見えぬ「信徒の共同体」を否定したということなのだ。
つまり、プロテスタントの信者達は、教会の信者でありさえすれば来世が約束される(かもしれない)というカトリックの世界観から離れるという代価を払ってまでも、信仰の個人的自由を得たということである。
カトリックには教会内のもろもろの掟や秘蹟が定められており、個人の信仰上の良心はそうした教会に対しても拘束されるという面があった。
一方、プロテスタントのように信者に「自由の度合い」が大きい分「個人主義」が高まり、「救い」そのもが完全に個人の信仰に基づくものとなる。
一人一人がキリストの体となるという暗黙の想定から自由になったということと、同時に個人が共同体という仲介物を経ずに直接に神に結びついたという点に見られるような「個人主義」がプロテスタントの観念なのである。
そしてこうした観念は「民主主義」という観念と相性がよく、一般社会にも広がりをが人々の内に定着していったのである。
プロテスタントでは、教会そのものが共同体としてではなく、個人を立脚点とした驚くほど民主的な制度をとる傾向にある。
私が行ったことのあるプロテスタントの教派では、これから信者になろうとするものが「信仰告白」し、それを認めるか否か、ひいてはその人の洗礼を認めるかを教会の信者達が多数決で決める。
なんと、一個人の「救い」が信者達の多数決で決まるのである。
カトリック教会は、ペテロの墓の上に建つといった立地条件が正当性の根拠となっているようだが、教会の正当性は、「イエスが何を語り」「弟子達ががどのように行い」、「聖書の言葉どうりに実を結んだか」がポイントであり、その条件を満たすのはヨーロパに伝播する以前の「使徒の教会」である初代教会以外には見当たらない。

ところで、イエスの死後、弟子達は全く望みを失ったもののようになっていた。
彼らの多くは元の職業に帰ったが、彼らをこの状態から奇跡的に立ち上がらせたものは、「イエスの復活」との出会いであった。
彼らは、イエスについてわからない面がたくさんあったものの、少なくとも「主の復活」の目撃者として福音を熱く宣べ伝えて行ったのである。
イエスを売ったユダの自死によって欠けた席をステパノという新しい使徒でうめ、主イエスの約束とうりに、聖霊によってバプテスマを受け初代教会が誕生した。この初代教会はそれ以後、聖霊の働くままに動く教会であったといえるだろう。
そしてステパノらを迫害し死に至らしめた迫害者の中に、パウロという回心者を得たのである。
初代教会すなわちヨーロッパにわたる前の教会には、聖霊の働きが活発でペテロやパウロの伝道の成果は華々しく実を結んでいたように見える。
そして初代教会こそ、「キリストの体なる教会」の姿が実現していたのである。
第一コリント12章からその箇所を紹介すると以下のとうりである。
「なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである」

「キリストの体なる教会」という観念からみるかぎり、プロテスタントのなかでもカルバン主義は、それとは突出した信仰であるように思える。
カルバン主義の「富の蓄積=救い(選び)の証明」はあまりに徹底した「個人主義」に立脚した信仰であるかのように思える。
そしてあまりに「公式的」でありすぎる。
人間は神によってそれぞれに違う「扱い」を受けるのであり、神の導きに何か公式みたいなものがあるわけではない。
貧者であろうが富者であろうが、それが「救い」の条件や結果になることはない。
あえて「神の導き」に公式めいたものがあるとすれば、「羊は飼い主の声を知っている」(ヨハネ10章)ということぐらいでしょう。