夏おでん時代

ひさしぶりの東京では、林立するビル街をたくさん歩いた感じがする。
30年ほど前、東京の丸の内のビル地下街を歩いていて、昼休みの時間帯に人だかりができていた。
一体何事かと近づいたら、NHKの昼のドラマ「おしん」に40名ほどの中高年サラリーマンが見入っていたのであった。
当時20代の自分とはさすがにジェネレ-ション・ギャップを感じ、一種異様な風景にも見えた。
東京「丸の内」といえば日本で「超」がつくほどのエリート・サラリーマンが集まる場所である。
しかし、あれだけの中高年サラリーマン層が「おしん」に見入っていたところに、当時「超」絶好調の日本の経済力の「源泉」を見いだしたような気もした。
彼らがまだ幼少の頃日本経済は貧しく、過去における自分の境遇と「おしん」のそれとを重ねたのかもしれない。
いや、過去の境遇などではなく、当時彼らが中間管理職として、上司と部下の「板ばさみ」で悩む気持ちは、いつも「おしん」状態であったのかもしれない。
当時の地下街にも冷房はかかっていたと思うのだが、あの生暖かさは人いきれのせいだっただろうか。
その時、中高年サラリーマンがワイシャツを肘までも捲り上げて、ハンカチで襟元をあおぎながらテレビを見入っていた風景を思い出す。
つまり彼らは、我慢と辛抱の人達であり、あの風景は日本経済を牽引する「夏のおしん」(夏のオジン?)達として、いつまでも心に残った。
ところで、最近のニュースによるとコンビニで「夏のおでん」を売り出すのだという。
変なゴロ合わせで恐縮ですが、今現在「夏のおしん」生活から「夏のおでん」生活へと時代は変わろうとしている。

この暑い夏、コンビニの売り上げが伸びているらしい。しかし、例年と違うのはオデンの販売が夏のピーク時から始まった店があるという。
オフィス街は冷房がきいていて体が冷えるために、おでんで体を温めるのだ。「夏のおでん」の登場である。
それにしても夏におでんとは、人工空間における「季節の変調」も甚だしいと言わざるをえない。
このイキオイでいけば、そのうち夏はビヤガーデンではなくて、夏は寄せ鍋と熱燗とで「暑気あつめ」をする会社も出てくるやも、などと思う。
さて、最近歩いた「丸の内地下街」であるが、小洒落たレストランとスターバックスなどの店が入り、朝早くから出勤の社員が、店内でコンピュ-タ画面を眺めている風景があった。
やや「ひんやり」した感じがしたのは冷房が相当効いているからだけではなく、1980年代「夏のおしん」の時代とは異なる、何かがヒンヤリなのである。
新橋のJR敷地にできた汐留サイトの高層ビルには、孫社長のソフトバンクが入っている。
最近テレビで見ていて驚いたのは、高層にある社員食堂に吉野家やリンガ-ハットなどのいくつかの店舗をいれていて、社員達は店の窓口からお好みの昼食を買って、冷房の効いたゆったりとしたソファーで談笑しあっている姿であった。
社員食堂というよりも、「社内レストラン街」と言ったほうが近いかもしれない。
ソフトバンクの社員達は、携帯画面で孫社長の「ツイッター」を見て日々に社長思いやネライを汲み取ることになる。
つまり、「中間管理職」が介在することなく、社員が直接に社長の意図を汲み取り機動的に動いていくという組織のあり方が生まれてきている。
こういう組織では、あの「夏のおしん」達はいずこへ行くのでしょうか。
そして、911テロ以降に起きた軍事上の「ある変化」のことを思いだした。
従来、国と国がぶつかりあう戦争では、軍隊というピラミッド型の組織が必要であった。
米軍最高司令官すなわち大統領を頂点とした組織の中で、上意下達の命令ですべて行動が決まった。
ところが9・11同時多発テロが発生した時に、このテの組織が全くといっていいほど機能しなかったため に、新たな軍事戦略を構築することが急務となった。
そこでアメリカは、従来のピラミッド型組織を解体し、兵士1人1人が自らの判断で攻撃できるシステムを構築することになったのである。
このシステム変更への第一弾として、小型衛星通信機を装備した兵士を投入している。
ペンタゴンが解析した情報を、組織の命令系統を経ることなく、直接、前衛にいる兵士1人1人におくり、 情報を受け取った兵士は、上官の命令を待つことなく、自らの判断で行動できるようになったのである。
そうした情報が末端の兵士まで瞬時に共有できるようになったので、情報の把握、命令、行動、報告等かつ て軍隊という組織の中で行われていたことが、兵士という「個人の中で完結」するようになったのである。
そして、こうした軍事で生まれた組織の発想は、民間会社へも伝播していった。
911テロ以降に、トップの命令が直接社員に伝わるようなシステムが、民間の会社にも導入されようとしている。
ソフトバンクの組織のあり方にも、それに似た要素があるのではないだろうか。

丸の内にある三井物産の中庭には、小水場があって社員たちと小鳥達を和ませているそうだし、大手町にある平将門を祭った神社の如きものは、企業戦士に自然の微風を運んできて、ちょっとした安らぎを与えているそうだ。
しかしこの暑い中、まさか植木等の「無責任男」の時代のように、日比谷公園まで行ってランチしようなどという気持ちは起きないだろう。
「夏のおでん」を売るコンビニエンス・ストアもビル群の中にいくつもあり、サラリ-マンのオフィス生活は、ますますコンクリ-トの内部で完結できるようになってきている。
丸の内から汐留のオフィス街、あるいは新宿西口から東京都庁に広がる高層ビル群に広がるオフィス下のストリ-トを歩いてみると、外界の空気とは一切触れることなく仕事をする人々のことが、よく想像することができる。
通勤でさえも地下街を通って地下鉄まで直通だし、JRの駅にも階段を登れば暑気にも雨にもほとんどあたることなく到達することができる。
人間がビル街で働き青空をみることも大地を踏みしめることのなく通勤する「夏のおでん」生活は、やはりどこか「自然の摂理」と大きく離れていくように思えてならない。
夏といえば、例えば「風鈴」「よしず」「浴衣」「花火」「かき氷」などで、そういう夏を涼しくという様々な工夫が、いたるところに風物詩というものを創り上げてきたのだが、そこから遠ざかって行くような気がする。
一方で、人工による「季節や風物詩」の変調を取り戻そうという動きがあるのも確かである。
かつて地元の商店街は、大デパートやショッピングモールなどができることを大反対していた。
それが「大店法」などの規制の根拠となってきたのであるが、最近では大店舗の出現により、旧来の商店などはかえって人をよびこむことができるので、デパート等を歓迎してる地域もある。
つまり、旧来の商店街も季節の風物や雰囲気などによって人を呼び込むことができるというところもでてきて、それを町おこしに生かしているという。
東京で近年、下町情緒の残る街として脚光を浴びているのが谷中・根津・千駄木である。
こうした町では、古い商店街を中心に町づくりをして、人々を呼び込むのに成功している。
町を歩くと、昔の東京の面影を残す下町の路地裏に、小さな店や施設が点在しており、店先に置いてある品物などにも新たな発見があったりして面白い。
JR日暮里駅から歩いて十数分の「谷中銀座」では.お寺が多くあり、煎餅屋など下町風情の香りが伝わってきて、夕暮れ時などを散策すると格別な趣がある。
つまり今世の中では、「夏のおでん」生活から「夏のおしん」生活へと逆ベクトルの「回帰」も起きているのである。

夏を快適にしようという極端な動きは、結局人間を「自然の摂理」から乖離させ、「季節の風物」を生活の片隅に追いやっているようにもみえる。
しかしながら、最近の冷凍技術の中には、むしろ「自然の摂理」に近いものを実現しようというものがある。
10年ほど前に、広島で「岩がき」というものを食べたら大一個3000円もする高値であったが、まさに絶品といっていいほどの食感があった。
この岩がきの産地は広島ではなく、島根県隠岐島・海士(あま)町あたりでらしいのだが、何しろ船舶で何時間もかけて運ばざるをえず、おいしく食べるためにはせいぜい中国地方の店に出すのが限界ということらしかった。
ところがこの海士町の岩がきが、東京の居酒屋で手ごろな値段で食べられるようになっているという。
そこにはCASという新しい冷凍技術の発展が背景にあるという。
CASは、Cells Alive Systemのこと、つまり 「細胞が生きている」という意味で、凍結しても細胞が破壊されず、解凍後に鮮度が生き生きとよみがえることから名づけられた。
従来の冷凍技術では、外側から冷却するので、解凍した時に細胞膜がこわれてしまい、うまみ成分が流れ出してしまうことが多くあった。
また、水っぽくなったり冷凍臭などで、自然の風味を損なうことも多かった。
ところが、CASの技術では、食品の美味しさにとって重要な組織へのダメージを最小限に抑制する。
具体的には、複数の微弱エネルギーを組み合わせて付加する事により、素材の水分子を振動させながら、水分の氷結晶化を抑え、過冷却状態を維持するというものである。
CASは従来とは異なる理論体系か導きだされたもので、従来の冷凍技術を一気に解決する冷凍結技術である。
隠岐島海士町は税収減で公共事業の縮小、補助金の削減がつきつけられ、公務員給与のカットまでなされで追い詰められていた。
なんとか財政の建て直しが急務となっていたのだが、
町は5億円の経費をかけて最新の冷凍技術CASを導入したのだという。
そして、この海で捕れる海産物を損なうことなく800キロはなれた東京に出荷が可能となった。
さらに、タケノコやサザエご飯などの商品開発などにも活路を与え、今や町の再生の期待を担っているという。

「自然を蘇らせる」冷凍技術が生まれたならば、夏真っ盛りにできる限り「自然に近い」冷房技術は生まれないのだろうか。
つまり「天然冷房」なるものは、都会では実現しないものなのだろうか。
荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、それのヒントになるかもしれない「夏に氷ができる」信じられない現象がおきる場所がある。
韓国も日本と同じく猛暑におそわれているらしいが、ソウルから4時間ほどの韓国南部の山合いにオルムコルという場所がある。
オルムコルすなわち「氷の谷」では、外の温度が摂氏36度でも自然に氷ができるという不思議な現象が起きている。
岩と岩が複雑に入り組んだ合間からなんと摂氏3度の冷風が噴出している。そして岩の隙間には夏に氷ができ、この氷は秋になると溶けてしまうという。
韓国の釜山大学教授がこの不思議な現象を長年研究し、一つの仮説を提示している。
冬の乾燥した冷たい空気が無数の岩々の隙間から入り込み、氷点下15度という冷気を岩礁の内部に閉じ込める。
その冷たい空気が春から夏にかけてゆくりと外に流れ出し、雨や湿気を含んだ空気と触れる岩間の出口あたりに氷ができるのだという。
そして、この辺りの泉の温度はなんと摂氏5度にしかならない。「夏のおでん」ぐらいでは、体が温まりそうもない寒さである。
韓国にはこういう場所が数か所あるらしいが、日本でも福島県南会津郡下郷町の中山風穴に同様な現象が見られるという。
中山風穴は、標高856mの場所にあり、その山腹のいたるところに角柱状の岩石が積み重なり、その隙間から冷風が吹き出している。
理由は解明されていないが、真夏でも地表温度が摂氏10度前後であり、この風穴のためにこの地域には自生しない寒地性植物と高山植物が見られるという。
まるで「天然の冷凍庫」が実現しているのだが、地球の温暖化を助長することもないこうした「天然冷房」が、都会でも実現できないだろうか、と思う。

我が日本には伝統的に「涼しく過ごす」智恵があったのだと思う。
奈良時代には氷の貯蔵庫を作って、貴族たちは氷を食べたり、氷で食べ物を冷やしていたりした。「氷室神社」の「氷室」とはすなわち、「氷の部屋」のことなのである。
また古代には「蘇」という乳製品あって、これをオンザロックで冷やして嗜んだという。
「蘇」は豆乳で創った湯葉と同じような製法で作られるそうである。
おそらくは十二単の女御、更衣もこれらの「アイス」をかわいらしく味わったに違いない。
この暑い夏、「涼しげな話」をいくつか聞いた。動物園では、昼間はほとんど「死体」状態の動物達が、夜は元気で活発に動き回るために「夜の動物園」が大人気だという。
また昼間には、50センチ四方の氷の中に、果物や魚などを固めたものを、白熊になどに与えている。白熊はそれをかじりつくことで、体の内部から体温を冷やすことができ、氷にかじりつく姿が見世物となっている。
この暑さで、頭の内部までも熱中症になりがちであるが、散髪屋の髪洗いも「カキ氷」を頭にすり込むように流すなどのサービスをしている店が登場したという。
ところで昭和の時代のまだ幼かった頃の思い出は、福岡の中心街・新天町に連れて行ってもらったら、大きな氷が商店街の中心にいくつも置いてあることだった。
近くによって味わう「ひんやり」した微感を味わったことを憶えている。おそらくは、川端の商店街にもそういう「冷却の工夫」がしてあったと思う。
伝統を生かそうと一旦使った水を道路にまく「打ち水」というものをして、生活の中の温度を低くするなどをしている。
これを復活させようという動きが全国各地でおこっているが、その際に「大切な条件」は一度使った水ということである。
「夏のおでん」時代は、猛暑を科学技術の力で強引に乗り切ろうとする時代のことである。
あまりの暑さにビルにこもって仕事をして、冷房をガンガンしていては、「地球の温暖化」は止まることをしらず、人々を冷房ある場所にますます引き付け、その冷房はさらに地球の温暖化を増進させるという「負のスパイラル」が生じている。
日本の伝統的「涼の智恵」を多く担った「夏のおしん」達にも、もう少し出番があってもよい、と思う。
その意味では、今年、福岡市はじめ各地で行われたように、浴衣を着て手桶で「打ち水」する「夏のおしん」姿でのキャンペ-ンもなかなかのアイデアでした。