創造と構造

最近、岡本真夜さんの曲「素顔のままで」が、勝手に上海万博のオープニング・ソングに使われた出来事があった。
、 中国側も「曲を使った」ことを認め、岡本さんの方も「使ってもらって光栄です」と応じた結果、争いに発展することもなく、穏便にこの問題は終結した。
ただし、国家的行事に人の曲を無断に使うなど、中国側の「知的所有権」に対する意識の低さを露呈したことは、間違いのないことであった。
この出来事の結末をみた時に、日本人の場合、自分の作品を勝手に利用されムカツク人もいるにはいるが、岡本さんのように鷹揚な人も結構いるに違いないという予想があたった、ぐらいに思っていた。
ところがである。この時、岡本さんには我々が知るヨシも無い「ある事情」があったことを、あるテレビ番組で知った。
岡本さんは、小さいころからイジメにあって孤立しがちであったが、高校時代に何もかも話せる親友と出会った。
岡本さんがレコード会社に送った「Tomorrow」がヒットしたことを誰よりも喜んでくれたのも、その親友であった。
「素顔のままで」は、その親友が落ち込んだときに励ますために作った歌だったそうだ。
岡本さんが仕事で忙しくなり二人はあまり会う機会も少なくなっていったが、それでも逢う時はいつも昔のままの気持ちでいることができた。
しかし、ある日突然その親友が他界する。その衝撃は岡本さんの心から消えず、音楽活動がそれを忘れる唯一の方法であった。
昨日(7月7日)の夕刊に、写真家の天才アラーキーが妻陽子さんを失った時の気持ちが掲載されていて、「写真は愛する人を失うたびに鋭さを増す」という言葉があったのを思い起こした。
親友の死の理由については、そのテレビ番組では「恋愛や友人関係に悩んでいた」ということ以外には、触れられなかった。
ところで最近岡本さんの顔をテレビで見ることはなくなっていたが、岡本さんは一年前に突然の眩暈におそわれ立つことさえ出来なくなり、病院に行くとメニエール病という難病にかかっていることがわかった。
長年のストレスと疲労の累積が原因だという。
そして片方の聴力がほぼ失われて、このことはシンガーソングライターにとっては致命的であり、ほぼ引退を決めていたところであった。
そういう状態の時に、降って沸いたように起きたのが、上述の上海万博「素顔のままで」盗用事件であったのである。
この出来事によって、岡本さんの歌「素顔のままで」に再び世間の注目が集まり、ネットのダウンロードも急増し、テレビへの出演依頼も来た。
岡本さんにとって、この事件は作品の「盗用被害」どころか、天にいる親友からの「もう少し頑張って歌ってみたら」という「励まし」のメッセージのように感じられたという。
こういう岡本さんの作品への思いや背景を知ると、色々な条件の下で人の内面に沸き起こった表現を、個人の知的所有物として垣根をつけることに対しては、むしろ「違和感」を覚えざるをえない。
つまり、岡本さんの場合だけではなく、多くの芸術家の作品は個人の才能や努力ではなく、周囲との「絆」や「関係性」の中から刺激を受け与えられたものであろう。
つまり芸術家は「個人の井戸」からではなく、「共有の井戸」や「ネットワークの井戸」から泉を汲みだしつつ創造しているのだ。

もちろん、知的財産権はそれを生み出した人格と深く結びついたものであることは確かである。
知的創造物が軽々しくしか扱われず、多くの作家を悲劇につき落とした時代のことを思えば、こういう権利が主張された趣旨もよく理解できる。
岡本さんと同じように自分で作品を出版社に持ち込んだスチーブン・フォスターのことを思い浮かべた。
フォスターは1826年生まれで、「オースーザナ」や「草競馬」など数々の名曲を生んだ。
フォスターはアメリカ南部を舞台とした歌を多く創ったが、実はペンシルバニア州ピッツバーグの隣町ルイスヴィル生まれで、スーザン川を一度も見たことがなく、故郷の家族や家を歌った歌が多いが、彼が亡くなる時点では家も家族も持つことはなかった。
岡本さんの場合はたくさんの曲を書いてある音楽事務所に送ったが、その事務所から「東京に出て来ないか」という声がかかった。
そして彼女が書き送った曲の中に、「Tomorrow」という曲があった。
フォスターの場合はオハイオ州シンィナティで兄が経営する本屋の手伝いをしつつ、作曲していった。
そして、自分が書き溜めた曲の楽譜を直接出版社に持ち込み、その中に最初のヒット「オースーザナ」という曲があったのである。
彼が作った曲は200にものぼり、「草競馬」「オ-ルド ブラック ジョー」「ケンタッキーの家」は彼が旅したケンタッキーを高らかに歌った名曲であるが、、田舎から出てきて右も左もわからぬまま、音楽収益のほとんどは出版社に取られてしまった。
一度は結婚し子供も一人いたが、貧しさのために家族と別れ、1861年にニューヨークの病院で一人静かに亡くなった。35歳の死であった
著作権などの権利が確立し、印税収入などへの意識がもう少し高ければ、フォスターはミリオネアーとして生涯を送れたかもしれなし、まだまだ多くの名曲を生み出したかもしれないのである。
S・フォスターの悲劇を思うと、「知的所有権」の大切さを痛感させられる。

ところで「コピ-ライト」あるいは「オ-サーシップ」という概念は、その創造的産物が「単一の創造者」であるという前提がない限り成り立たない概念である。
すなわち作者とは、何かをゼロから創造したものであり、それは聖書的伝統における「造物主」を模した概念である。
そうであるからこそ、創造されたものは、造物主すなわち作者の「所有物」と見なされるのである。
しかし知的作品についてよく考えて見ると、果たして「無から有を生み出す」ということがあり得るのだろうか、と疑問を抱かざるをえない。
大概の知的作品は、どこまでが「オリジナル」でどこまでが「パクリ」か、その境目がはっきりしないのではなかろうか。
人類の創造的営みの中でも、カール・マルクスの共産主義思想や、レビ・ストロースの構造主義は、最も独創的であるといわれるが、両者とも他の分野の知的成果を大胆に適用したものに過ぎない。
マルクスの思想は、ドイツ観念論、イギリス古典派経済学、フランス空想社会主義を結びつけたとされるが、マルクスの「資本論」の中で、ヘーゲルの「弁証法」をマニアといっていいくらい随所に駆使しているのがわかる。
さらにレビ・ストロースは、なんとソシュール言語学の成果を「独創的に」未開社会の分析を適用した。
レビ・ストロースがいかに独創的に見えようと「無から有」を生みだしたものではないことは確かである。
そしてストロースの立場すなわち「構造主義」が強固な「個人の観念」を揺るがしたことは、はからも彼の学問法自体が、自らが唱えた「構造主義」を典型的に示したといってもいいくらいである。
それでは、レビ・ストロースの「はじめに構造ありき」というのはどういう立場のことだろうか。
モノに名前がついていくが、ハトやイヌなどの名前は一見モノに内在する性格とは無関係に勝手につけられたカタログであるかのように見える。
しかしながらその名前の意味内容は、ある部分「~でないもの」という他の名前からの限定に出くわす。
つまりそのものと別の或るものとの関係でその意味内容はきまり、その意味の広がり具合は、社会の構造全体の中で定められていくのである。
例えば「サッカー占い」で有名にになったタコは「Octopusu」という比較的「限定的」な言葉もあるが、「Devil Fish」という場合には、そうでないものから限定され、その意味内容の広がりは文化圏によって違ってくる可能性がある。
ソシュ-ルの言語学が教えてくれたことは、「あるものの性質や意味や機能は、そのものがそれを含むネットワ-ク、あるいはそれがどんなポジションを占めているかによって事後的に決定されるのであて、そのもの自体のうちに、生得的にあるいは本質的に何らかの性質や意味が内在しているわけではないということである。
レビ・ストロースの独創はこうした言語学の発想を未開社会の分析、中でも「親族の基本構造」に当てはめたということである。
あらゆる情報は「YES」と{NO}つまり、「0」と「1」の情報の組み合わせに解体されるということを我々はしっているが、ヒズメが割れている、ヒズメがわれていない、草食、肉食などの差異の項目をいくつか設けていけば、その「生き物」のおおまかな全体像が得られるというわけである。
レビストロースは、社会集団における家族の間の「親密さ/疎遠さ」の関係を調べて行くのである。
父ー子/伯叔父ー甥の場合:
「0」父と息子は親密だが、甥と母方の叔父さんは疎遠である。
「1」甥と母方のおじさんは親密だが、父と息子は疎遠である。
「0」夫ー婦/兄弟ー姉妹の場合:
「1」夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠である。
妻はその兄弟と親密だが、夫婦は疎遠である。
社会の構造として、「00」 「01」 「10」 「11」の四通りの「親族の基本構造」が浮かび上がるのである。
世界中どこでもその基本構造はこの「2ビット」で考えうるとしたのである。
我々は常識的には、人間が親子関係など自然に育まれた関係によって親族構造を創り上げたと感じるが、ストロースは、人間が社会構造をつくりだすのではなく、構造が人間を作り出すと、倒置したのであり、それゆえに、レビストロースの立場を「構造主義」という。
レビ・ストロースにはフランス人特有の抽象度の高さを感じるし、「人間の理性」へあまりに重きを置く傾向への批判が、その背景にあったといえる。
「知的所有権」とい概念は強固な「個人の観念」を土台にしたものであり、現代の思想的展開は、「個人の観念」そのものがアヤフヤなものでしかない、ということを次第に明らかにしていった過程といっても過言でない。
そしてレビ・ストロースは、言語学の知的財産を人類学の分野へ「独創的に」適用したものに過ぎず、けして個人が「無から有」を生むものではないことをその学問法によっても明らかにしたといえる。
つまり、彼は創造的な仕事でさえ「個人」の中で完結するのではなく、「構造」(ネットワーク)によって決定されるということを証明したともいえる。

世の中には、自分の「知的創造物」を惜しげもなく全面的に公開する人々もたくさんいる。
すぐに思いつくのは、1991年にフィンランドの一青年リナス氏が考え出したOSである「リナックス」である。
彼はそれをインターネットに公開し、このOSの開発を全世界似呼びかけ、人々はアイデアを出し合い、意見を交換し、リナックスは「異常な」進化を遂げることになった。
大事なことは、このOSを最初に開発したリナス氏が、莫大な利益を得るかもしれなかったのに、あえて公開して無数の人々の協力によっそれが進化することに喜びを見出したこと。
それよりも、彼の名を冠したOSが世に出回ることの方がよほど快感だったということでしょうか。
そういえばキムチをスケトウダラにつける博多の味「メンタイコ」を考案した福屋の川原俊夫氏は、その製法をフリーにした。
ある意味その味つけや加工法についての「企業秘密」にしており、そこに絶対的に自信があったからかもしれないが、フリーにしたことが、「博多の味メンタイコ」を世に広げる上でプラスに働いたにちがいないのである。
また、経済的利得よりも、自分の作品が広く行き渡り、ある部分一人歩きしながらも「進化していいく」喜び、そして自分がその発明者・発案者であることの名誉心など、そっての方が金よりもはるかに優っているという人々もたくさんいるのである。
「無から生じた」知的作品などは実際には存在しないのだから、古典的な意味での「コピーライト」は、少なくともインターネットの世界では意義を失って行くのが自然だと思う。
音楽や画像についてコピーライトを頑として譲れないという人がいても結構だが、ネットに出した以上それがあまり厳密に守られないのは、むしろ覚悟の上でやってください、ということです。
自分の作品が他人の作品として公開されるのは絶対NGですが、少なくとも自分の作品が多少でもコピーされて出回り、皆に享受されていくことを誇りに思い嬉しく思うことの方が自然ではないかと思う。

英語で所有を意味する言葉は、「have」「possess」「own」などいくつかある。この中で「own」という言葉は所有を意味するが、「所有」以外にも「負う」という意味もあるのだ。
親が子供によくいう言葉に「誰のおかげで大きくなったと思ってんだ」という言葉があるように、人間が自分の「所有」と思い込んでいるものが、実際には他者に相当「負う」ているものが非常に多いという事を教えられる
市場経済のもとで労働力や能力が商品つまり誰かの所有物として売り買いされるなかで、自分の健康や能力などをすっかり自分だけのものだと思い、どう利用しようとすべての成果は自分のものと思いがちであるが、実はすべての「所有物」の「個人的な」形成史をよくよくたどっていけば、相当部分「他者」や「社会」に「負って」いる部分が大きいという事実に行き当たるのである。
「知的所有権」の考えは絶対に必要だが、その意味内容や概念も時代の変遷に応じて刷新してしかるべきだと思う。