ユ-ロランド

ヨーロッパを一つにしようという、近代における人々の長い間の道程があった。
それは国は違っても民族的ルーツやカトリック信仰などの共通な基盤の上に立って、アメリカや日本の経済力の台頭に対抗しうる強力な経済圏を作るということでもあった。
歴史を振り返ると、ヨーローッパには数多くの戦乱もあったが、国を超えた結びつきも多くあらわれてきた。
ヨーロッパの王家同士の婚姻や、傭兵を通じて国を超ええ戦った兵士の歴史などがある。
そういえば、ヨーロッパにおけるサッカーのクラブチームのほとんどが、多国籍の混成チームであることにも驚かせるものがあった。
そしてドイツやイギリスやイタリアなどに見るように、その国自体が小国の統合によって出来上がったという歴史的過程が、何より大きい経験なのかもしれない。
ヨ-ロッパ経済統合のなかで、これまで財・サービス・労働力の域内での自由な移動に加えて、ついに通貨統合までもなされ、2002年から「ユーロ通貨」が実際に流通し始めたのだ。
「ヨ-ロッパは一つ」という方向性が、ユーロという目に見える「シンボル」としても表れた感じたが、このユーロを採用した国を「ユーロランド」といい、EU加盟国25か国を中心に16カ国にも及んでいる。
「貨幣」の視点からすれば、こんな歴史的大統合はあり得ない話である。
通貨は一般的に、自然に他の媒体を淘汰しながら流通していたモノを政府が保証して、より広範に流通していったものだから、こういう「人工合成通貨」のようなものが果たして成功しうるのか、というのは半信半疑といったところであった。
日本の古代には「布」が流通していたのだが、奈良時代に朝廷が最初の貨幣和同開珎をなんとか流通させようと「蓄銭叙位令」という「令」まで作ったが、貯めるばかりで結局は貨幣の「流通」という点では失敗している。
つまり、「通貨」というのは「言語」に似たがところがあって、上から「意図的」に流通させるのは、よほどまとまりのある国家以外では困難なことなのである。
つまり通貨は、人々の「アイデンティティ」を乗せるシンボルでもある。
人々の摩擦や紛争の原因は言語の違いにあるということから「エスペラント」という人工言語が19世紀の終わりに創られたが、実際に使われることはなかったことを想起させる。
同様に、人口通貨の「不自然さ」が、今度のギリシア経済危機の一因といえる。

ユーロという共通通貨制における最大のメリットは、為替リスクがないということである。
為替リスクがなければ、リスクをヘッジする必要もなく、雇用、ビジネスチャンス、資本調達の面で一気に可能性が広がることを意味する。
そのメリットに与ろうと、ユーロと交換に自国の通過を回収し、公文書の表示をはじめ生活の隅々にいたる金額表示の改変という大きなコストをかけ、「ユーロランド」(ユーロ圏)に加入したのである。
複数の国が通貨を統合するというのは、例えて言えば複数の所帯が家計を共にするようなものだ。
借金ゼロの堅実な家計と、浪費で多大の借金を抱えている家計が一緒になってもうまくいかない。
そこで、各国とも必死に支出を切り詰めて、財政赤字をGDPの3パーセント以内にするなどの条件をクリアして、その大きなメリットを得ようとしたのである。(実はこの点において、ギリシアはインチキをしていたことが後に判明している)
考えてみるに、国の数だけあった通貨が一つになるということは、「物差し」が一本化されることである。
したがって、面倒な計算をしなければ比べられなかった欧州諸国間の価格比較が容易にできるようになると、それまで見えなかった投資対象が見えるようになる。
アイルランドやフィンランドといった小国の国債市場が非居住者から流動性を呼びこみ、幅広く取引されたのも、そういう理由からである。

ところが、そのヨ-ロッパでギリシアの財政破綻を機に、金融通貨不安が広がっている。
もともと弱かった通貨の国がユーロ移行によって一度は活気づいでも、国としての政策の権限を欧州中央銀行に委譲しているので、ギリシアのように放漫財政に歯止めがきかなくなる心配もあった。
そして経済力のあるドイツなどからユーロを借りて借金を埋めるなどが行われるので、ユーロランドの中心であるドイツやフランスは大きな負担を強いられることになり、国民の不満が高まることになる。
ユ-ロとう通貨は、冷戦下の核抑止理論における「MAD」を連想させるものがあるという。
「MAD」なわち「相互確証破壊」(Mutual Assured Destination)とは、米国が核の第一撃で首都機能を破壊されても、米国の原子力潜水艦から発射する第二撃によって、敵を破壊できることを意味する。
核は、このような「相互破壊」が確証的であることから実際には使えない兵器となったのである。
実は今、ヨーロッパは経済的に「MAD」状態に近似した体験をしているといってよい。
それは、ユーロを採用した国に「出口」が用意されていないということによる。
つまり協定には、ユーロを採用した国ががどう脱退できるか明示した規定がない。つまり体制選択が「非可逆」であるということである。
人間が創ったものだからヌケラレルのではないかという感じもするが、例えばドイツやフランスがヌケルなんてことを言い出したら、ユーロは国際通貨市場で投げ売りされること必定である。
つまりそれ自体がシステム全体の破壊をもたらす「自爆行為」に他ならない。
超ユーロ安となると、輸入品が値上がりしてユ-ロ圏では、外の世界から物が買えなくなる。
仮に、小国ならヌケル出せそうであるが、ユーロ参加のため投下された資金(サンクコスト)を回収できないまま、復帰の物理的費用の方が大きくまずメリットはない。
というわけでユーロ圏は、いまや出口なしの「MAD」すなわち「相互確証破壊」状態にある。
となるとユーロ圏諸国はシステムと無理心中しなければならないことになるが、「出口なし」といえば似たものに「平和条約」がある。
だいたい平和条約なるものは、再び戦争になることを想定しておらず、そこからヌケル手続きが用意されていない。
実は、この「平和への希求」こそが、まさに「EU誕生の根幹」であったといっていい。
つまり、過去数百年にわたって戦争を繰り返してきたドイツとフランスの間には、何としても戦争はしてはならないし、しないようにしよう。
ドイツとフランスが協調して、ヨーロッパ全体の協調、統合を進めていこうという強い決意が生まれた。
EUの前身たるEECの発端は、長いことドイツとフランスの間で争いが続いた石炭と鉄を超国家的機関に管理させようとするものだった。
だからユーロの本質は、ドイツとフランスを永遠に縛りつける「独仏恒久平和条約体制」のことなのである。 では、ユーロ圏が「出口」なしというのならば、システムが全破壊される、すなわち行くところまで行くということになるのだろうか。
それは誰にも予測できないことなのだが、財政危機にあるギリシアの支援をめぐってドイツとフランスの関係が悪化しているのは皮肉な話である。
ところでヨーロッパには、経済的な大きな要衝となる場所が3つある。
世界金融の中心であるロンドン、世界の銀行であるスイス、そしてカトリックの総本山バチカンである。
スイスは「永世中立国」という立場から、EUに属さずユーロを発行もしていないが、国際金融財閥の上に立っているこの国に手を出そうものならば、黙ってはオカナイゾ勢力が、政府機関からアンダーグランドの世界までも広がっているのである。
今「オカネの機能」に着目するならば、ロンドンはお金の交換機能、スイスはお金の貯蔵機能、バチカンはお金の支払い機能(受取側)を代表しているので、例えば、バチカンに寄付さえた巨額の金がロンドン市場で交換されスイスに貯蓄されるというような形で、相互に繋がりが深い。

ユーロ圏の強みと弱さは表裏一体である。
つまり、どこか(ギリシア)で一旦経済危機が起こればその影響がストレートに他国(スペイン・イタリア)にいってしまう脆弱さをもつが、アメリカのマンハッタンやウォール街にはない歴史の深さと重みがある。
まずは、ヨーロッパの歴史の重さを語る意味で、カソリックの総本山だる「バチカン」について敷衍したい。
バチカン市国はローマを流れるテベレ川の右岸に拡がる44ヘクタールの土地の中に、教皇聖座のある聖ピエトロ大聖堂と教皇宮殿、主要な行政上の建物が並んでいる。
ここに住んでいるのは200人あまりなのだが、常時3000人の職員が働いている。貨物駅もヘリポートもあり、憲法、政府、国旗、軍隊、銀行、医療所、消防署を有している上に、通貨、切手、パスポートを発行するれっきとした「独立国家」である。
世界中の一等地に所有する不動産から上がる家賃収入だけでも膨大なもので、各国の修道会が所有する宿舎や礼拝堂などの不動産も、広い意味でカトリック教会の資産である。
法王は給料は支払われないが、世界中から寄付金や贈り物が集まってくる。
寄付金は1860年にできた「聖ペテロの献金口座」に世界中から集められる。
大口の寄付金や不動産を含む贈り物やその他の利益を投資したり無記名証券に変えるのは、「宗教財務院」である。
イタリア政府はこの銀行活動に課税せず、推薦があれば一般の投資家も資金を運用することができるという。
なおバチカン市国内は徴税がなく、店は国営である。民間のスーパーの一つあるらしいが「付加価値税」はかけられないという。
ところでヨーロッパの中心にEUにも加盟していないしユーロ圏でもない国がある。
永世中立国であるスイスでで、スイスはユーロも使えるが、スイス・フランが基本通貨である。
この国がヨーロッパの中で一線を引き、NATOという軍事同盟にさえ加わっていないのは、あらためて奇妙に も思えるが、一体その「自主独立」の気性は一体何処から来るのだろうか。
そし国民そうした自主独立の気概が、地政学的には「中心」にありながらも、周囲と距離をおくことができたといえよう。
思い出すに、スイスのアルプス登山鉄道の基点・インターラーケンの町に滞在したところ、ウイリアム・テルの歌劇がどこそこのホールで開かれているというポスタ-が至るところに貼りめぐらされていた。
そしてそのポスターには、「ウイリアム・テルこそはスイス人の魂である」ということが書かれてあった。
「ウイリアム・テル」は、ちょうど日本人にとっての「忠臣蔵」のような存在なのかもしれない。
14世紀、オ-ストリア・ハプスブルク家は、強い自治権を獲得していたこの地域の支配を強めようとして、ゲスラーというオーストリア人の代官を派遣した。
ゲスラ-は、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。
しかし、テルは帽子に頭を下げようとしなかったために逮捕され、罰を受ける事になる。ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束した。
そしてテルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いたのである。そしてこの事件は反乱の口火となり、スイスの独立と結びついたのである。
というわけで14世紀のウイリアム・テルは、今なおスイス人にとって「独立のシンボル」ともいえる。
ところで、スイスという国は山に囲まれた産業もない小国で、国民は傭兵と出稼ぎによって生活の資を得ていたのである。ウイリアム・テルの武勇談もその時代の話である。
スイスという国の転機となったのは、フランスのルイ14世の時代に宗教弾圧を逃れてやってきた新教徒達すなわちユグノー達であった。
農業があまり見込めない国で時計製作やナイフ製作などの産業を興したために多くの資金需要が生まれ、また彼らが蓄積した富の保全のために自然と金融業が発達したのである。
特に18世紀以降に数多く設立された銀行は、もともと故郷を離れた亡命者達によって蓄積された富を管理していたため、何よりも「守秘義務」を最優先する銀行システムをつくりあげたのである。
そしてその噂はヨ-ロッパ中に広がっていった。
スイスの銀行、なかでも個人銀行を有名にしたのが「番号口座」で、「番号口座」とは文字通り番号のみがつけられた口座で、一切の顧客情報は明らかにされない。
番号口座の匿名性が人気を得て世界中から資金が集まってくるのはよいとしても、犯罪や脱税にそれが使われるという批判はいまなお多い。
しかし、スイスの銀行は、度重なる各国当局の開示要求や司法の批判にさらされながらも、少しもひるまずそうした要求を退けてきた。
そのスイスとバチカン総本山には意外な関わりがある。
実は、スイスの大量の資金調達が可能な銀行が登場したのは、アルプス山脈からイタリアに抜けるゴッタルド・トンネルをつくるための資金調達が必要になった為であった。
これを契機に個人銀行の時代を卒業して、いくつかの銀行が合併してSBC(1872年)やUBS(1912年)などの大銀行が設立される。
ヨーロッパの中で、ゴッタルド・トンネルの存在は、何か大きな意味をもつように思える。
このトンネルはルツェルンからイタリア国境のキアッソまでを繋ぐが、それはバチカンへも通じる道でもある。
カソリックから弾圧を受けたユグノーによって成り立つのがスイスであるが、現代においてはカソリックの総本山たるバチカンとスイスが深い関係を持っているのは、意外な話である。
実は、カソリックの総本山であるバチカンは、軍隊をもっている。軍隊といっても、実は100人ばかりからなる護衛兵で、ローマ市内の飛び地である国境部分と法王の警護に当っている。
この護衛兵こそが、スイス兵なのである。
15世紀末に精強を誇るブルターニュ公国の大軍を撃退したことからスイス歩兵の優秀さが広く知られるようになって傭兵として取引されるようになった。
その最大の雇い主が、フランスと法王庁であった。
1509年に法王ユリウス二世によってこのスイス人護衛兵の制度ができ、いまに至るまで存続している。
王庁では、毎年5月6日には新入隊員の入隊式と宣誓式が執り行われるが、護衛兵の金色と青を主に、赤をアクセントにした縦縞のユニフォームをデザインしたのは、ミケランジェロといわている。
頭には赤い房のついたヘルメットを被り長い槍を抱えた兵士達の姿は、中世からそのスタイルを守り続けているそうだ。
1527年の5月6日の有名なローマ略奪の戦乱の最中に、法王を護衛して147人のスイス兵が戦死したという故事がある。
スイスのジュネ-ブは、16世紀にルターと並んで宗教改革の雄となりローマに反旗を翻したカルバンが亡命して「キリスト教綱領」を出版した国であり、プロテスタントの拠点となった。
スイスは傭兵で生きてきた国であることを今のバチカンに垣間見るのであるが、スイスという国は一般のイメ-ジと違って「国民皆兵制」をとっている。
男性社会人は毎年数週間、予備兵として訓練を繰り返す。各家庭の地価には核攻撃にも耐えられるうな分厚いコンクリート壁のシェルターが建造され、国民には二年分の食糧を備蓄することが義務付けられ、都会では市民が治療を受けられるような医療設備を備えた防空地下室が存在している。
ホテルには毎晩、私服警察官がきて、宿泊客については厳重チェックするという警察国家なのである。

ユーロの経済危機が取り沙汰されているが、アメリカの金融危機と少々違うと思わせられるのは、ヨーロッパには上記のような歴史の奥行きの深さのせいかもしれない。
ユーロランドの先行きなど全く判らないのだが、ヨーロッパには絶対に破壊されるハズがない「三脚」、すなわち世界の外国為替市場と金相場に決定力をもつロンドン市場(シティ)、国際金融財閥の上に立つスイス銀行、ペテロの墓の上に立つカトリック総本山バチカンがある。
この三本の脚が、出口なしの「ユーロ圏」の安定維持にどのように関わっていくか、そこにユーロの未来がかかっているように思える。