ハイパー・インフレ

中学時代に牛乳瓶のフタを息でふき飛ばして、相手のフタの上に乗っかったら勝ちという原始的なゲームに没入していた記憶がある(これが田舎の中学生です)。
その牛乳瓶のフタの持ち数が多いものがクラス内のリスペクトを勝ち取ることができ、そのフタがとてもイトオシク見えたことを思い出す。
ところが、そうしたゲームの秩序をこわす大事件が起こった。
隣のクラスにいた松本牛乳店の息子が、大量の新品の牛乳ビンのフタを教室に持ち込んだのだ。
そして大量の新しいフタが出回るにつれ、かつてあれほどのイトオシサをもって集めた牛乳瓶のフタが急に色あせたものとなり、何より悲しかったことはこのゲーム自体がシラケタものになったということである。
価値のあるものとは、人々にある程度の「稀少性」を感じさせるものでなければならないことを学んだ。
そしてこういう馬鹿なゲームには、ある種「共同幻想」のようなものが必要であると感じた。
また、気のいいクラス担任が、あるイベントの後にクラス全員に賞状を与えたところ、その賞状がいくつも床に散乱していたのを思い出す。
その賞状には「稀少性」の価値が付帯していなかったからである。
今振り返ってみると、牛乳瓶のフタと全員賞状授与をめぐる「いとおしさと切なさと心細さ」の体験こそが、個人的な「インフレーション」の学習体験ではなかったかと思っている。

最近、ギリシアの財政破綻が報道され、日本もそれを他岸の火事とばかりは言っておれないという意識が高まっている。
消費税を大幅に上げようとしている日本の政治家や官僚からすれば、かえって好材料が与えられたといえるかもしれない。
しかしギリシアの教訓は、増税に見合うことをしなければ、財政破綻の危機はさらに高まる懸念がある。
ところで、ヨーロッパで財政破綻は、歴史上これがはじめてではなく、かつての絶対王政の財政破綻こそが市民革命のきっかけとなっている。
イギリスの場合、1868年の名誉革命以降100年間にわたって、政府が債務不履行に陥ることはなかった。
戦時に国債を増発するが、平和時には税収で国債を償還する仕組みが整備されていた。
そのために、政府の債務は高い信用を得ることができたのである。
一方、フランスは同じ100年間に3回もの国債の債務不履行を起こし、国の信用は徐々に、しかも深く傷ついた。
フランス革命の引き金を引く三部会が召集されたのは、深刻化する財政危機の解決策を議論するためだった。
そして歴史の教訓は、政府債務が累積しても歳出削減や増税ができない場合には、ほぼハイパーインフレーション(超インフレ)が起きるということだ。
革命の混乱で税収が減る一方、内乱と戦争で歳出が増えたために、1793年にルイ16世が処刑されて以降4年間で、物価は数百倍に跳ね上がった。
結局、1797年に政府が借金の3分の2を踏み倒した後に、物価はようやく安定した。もちろん市民は大きな犠牲を蒙った。

スチーブマックイーン主演の映画「大脱走」で、収容所の中で「タバコ」が一種の「お金」として流通していたのを思い出す。
このように限定的にではあるが、どんなものでも自然発生的にお金に成り得るのだが、全世界の歴史過程において、あたかも多神教が一神教に淘汰されるように、貴金属たる「金」がオカネの位置をしめ、その役割をはたしてきた。
言語がコミュニケーションの伝達手段であるごとく、「金」が市場における「交換」というコミュニケーションの 世界の共通手段となっていったのである。
そして歴史的にみると、政府あるいは中央銀行は、この金という金属の価値と結びつくことで、自らが発行するオカネに対する信頼を得てきたのである。
19世紀後半に、イギリスの覇権を土台として、各国政府は「金」を価値基準に通貨価値を定め、それらが統一されて、「金本位制」が確立した。
つまり各国の通貨は、それぞれが一定の金と交換できるものとされ、二度の大戦と戦後の国際通貨体制の変遷は色々とあったものの、最終的には「金の輸送」によって為替がある一定水準に落ち着くというシステムとなったのである。
そして国内的には、金の保有金量に応じてオカネの発行が行われ、物価の変動により国際間の貿易収支は調整された。
輸出がふえ金保有が増えるとマネーサプライが増え物価が上がり、輸出品の値上がりが輸出を抑えるといった具合である。
戦後は、為替維持のまえに金の輸送までは行わないかわりに、金の価値基準となったドルと他の通貨の交換比率を定め、ドルさえもっておけばいつでも金と交換できるようにしたのである。
ただしこの時、各国政府は固定相場を維持するために為替市場と通貨を売買しなければならないという義務が課せられた(=固定相場制)。
国際通貨体制は色々変遷はあったものの、根本的には各国のオカネの価値は金と交換されることで保証されるという構造は、1970年まで続いたのである。
しかし、ドルを世界で使いすぎたアメリカが1971年ニクソンショックで、アメリカが金とドルとの交換を放棄するにおよび、世界中の通貨は究極的な価値の根拠を失ったことになる。
また、経済発展の段階の違いや物価の下方硬直性で赤字や黒字に偏る国が現れ始め、つまり「固定相場制」の義務を果たせなくなる国が続出するようになり、1976年に変動相場制に移行した。
つまり各国の通貨は、「金」という碇を失った波間に漂うような「代物」になるが、「石油の精製」をアメリカが支配し、「石油の支払いはドル」という慣行が今なお健在であり、一応「ドル」が国際的に基軸通貨たる役割を果たしている。
これはとりも直さず、中東政策がアメリカの「生命線」であることを物語っている。

「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」がある。
オカネが金属的価値をもち、額面とその金属価値が等しい通貨の場合には、そのオカネの持ち主は、判らない程度にウスク金属を削り取ったのである。
そしてまっとうなオカネは退蔵しようとするので、世の中に出回るオカネは「不良通貨」ばかりとなる。
憎まれっ「貨」世にはばかる、である。
これが「悪通は良貨を駆逐する」という言葉ができた背景であるが、そのために「金の交換券」としての紙幣が流通するようになったのである。
しかしこの「紙幣」が金との交換性を失ったとなれば、紙幣は「悪貨」そのものである。というか「最低最悪」通貨で、紙幣の流通こそがグレシャムの法則を証明している。
私が中学時代に体験した「牛乳瓶のフタ」や「全員賞状」のように、気持ちが冷めると一気に色あせたものに転じてしまう「代物」にすぎないのだ。
紙幣が「金」の裏づけを失うと、オカネがオカネとして機能するためには、皆が「オカネが価値あるもの」として信じて受け取るという、いわば「共同幻想」以外にはないことになる。
ところがそのオカネが信用を失う、つまり「共同幻想」から冷めるのは、きまって国民の現状の資産の裏づけのないオカネが出回る時に起こるのである。
歳出削減も限度があり、税金もとれない。ましてこれ以上借金もできないと、残るは紙幣の増発のみである。
ところで税金とは、政府が国民から購買力の一部を奪取し、奪取された購買力の価値だけ個人をに回るようにしなければ、政府への信頼は日々薄らいでいく。
国民一人一人が老後や失業を心配して自己判断でオカネを貯め込むよりも、国が税金で全体的に施設なりサービスを充実させた方が「規模の経済」は働くし、国民にとって利益が大きくなる部分は大きい。
とすると、結局オカネの価値保証があるとすれば、政府の政策への信頼しかないのではないか、と思う。
税金が大手ゼネコンや金融機関を助けるために使われたり、政府が仕分けしも支出削減効果が なく借金が増えたり、社保庁の年金管理が杜撰であったり、そうした一つ一つが政府への信頼つまり「オカネ」の信用を失わせているのだ。
国民が増税に反対し、国債が不安で買わないならば、政府(日銀も含め)はオカネを増発せざるをえない。
より現実的には政府発行の国債を日銀が引き受けるという「禁じ手」に走る可能性が出てくるからである。
そして起こるハイパーインフレーションは、政府にとって一番「安い」赤字削減策となるが、国民にはとてつもない犠牲を強いることになる。
もしもオカネの信頼を繋ぎとめるのは、紙幣上に日本国政府発行と印刷されているがごとく、それは日本国政府そのものに対する信頼で繋ぎとめる他はないということである。

1923年第一次世界大戦後にドイツで物価が一兆倍になるというハイパーインフレーションがおこった。
そしてオカネは「紙くず」になるのだが、オカネがないと社会が成り立たなくなるので、一時的にタバコがオカネの代わりをつとめたりした。
1998年の通貨危機に陥ったロシアでもタバコがオカネの代わりとして流通した。
だから、オカネというのは自然発生的に生まれてくるのである。
しかしこうした「オカネ」の代用品にも限りがあるから、戦後の日本ではオカネが信用を失うと、都市生活者は、食糧とを手にいれるために自分の所有物と物々交換によって生活品を手に入れようとしたのである。
特に衣類がその対象になったために、このような物々交換による生活は「タケノコ」生活とよばれていた。
一枚、一枚と衣類を持ち出す様子を、タケノコの皮を剥ぐ様子に譬えたもので、それはオカネが通用力を失った世界を表す言葉でもあった。
確か、水上勉の「飢餓海峡」という小説も、そういう物品の買出しの際に起きた事件を題材に描いたものであったかと思う。

ハイパーインフレ-ションが起きる心理的要因には「パニック」に似た要素がある。人々に物価がどんどんあがっているという「インフレマインド」定着すると、人々は争ってオカネをモノに変えようとする。
そして、そうした行動自体がインフレーションにさらに拍車をかけるのである。
終戦直後におきたハイパーインフレ-ションについてドイツと日本のケースをみてみよう。
ドイツは第一次世界大戦後に、それまでの帝政からワイマール共和国となったが、戦災による生産の減退と、ベルサイユ条約による巨額の賠償金の負担のために、財政赤字が急激に拡大した。
ドイツはこうした財政赤字を中央銀行(ライヒス・バンク)による短期公債の引き受けという形でアナウメしていった。
このために「資産の裏づけ」のない不換紙幣がどんどん増発され、その分紙幣の価値は減少していき、物価はうなぎのぼりに上昇した。
物価が上昇すれば、当然にマルクの為替レートも下落していった。これは復興の為に国内外からの物資を必要としていたドイツの赤字財政をさらに悪化させ、それに対応するために不換紙幣を発行するという悪循環を生ずるに至った。
そして賠償金の支払いが不能となったドイツに対して、フランスはドイツの主要工業都市があるルール地方を占領するという形で「差し押さえ」をした。
ここにドイツの不換紙幣の信用は決定的に落ち、それを物資や海外資産に変える動きが活発化し、物価は一日にして上がり、「荷車一杯のお札でパンを買いに行く」というような事態にまで至ったのえある。
日本でも戦後にハイパーインフレーションが起きたのだが、「荷車一杯のお札」にまではいたらなかったが、「洗面器一杯のお札」ぐらいのことは起きたのである。
その時、お札は枚数で数えるのではなく、「重さ」で計ったのだという。
日本の戦後のハイパーインフレーションの特徴は、政府支出が「臨時軍事費」として、大蔵省の権限ではなく、陸海軍の権限で行われたために、インフレ-ションのついての注意はほとんど払われていなかったという点があげられる。
では「臨時軍事費」とは何かというと、終戦の為に打ち切られた軍需品についての民間企業との契約、動員された軍隊から将兵、軍属が除隊する際に支払う給料や退職金、そして復員手当ての支払いなどにあてられたオカネである。
混乱期にある中で、旧軍関係者と海外居留民を平和裏に内地に復員させ、日本を復興させるためには大量の資金を支払う必要があったのである。
つまり戦争中の公約を破棄するのに忍びずという軍の最高幹部の気持ちと、この支出を止めたならば軍人達がが簡単には復員しないだろうという懸念があったために支払われたのである。
その結果、民間に大量の資金があふれ、ハイパーインフレーションに繋がったのである。

戦後の混乱期におきたハイパーインフレーションから我々が学ぶ教訓はたくさんある。
ます「不良債権」の問題があげられる。
戦争末期から軍需産業の資金繰りは、銀行の融資によって行われていた。
国は戦時補償の支払いを上記の「臨時軍事費」を除いて停止したが、それは軍需産業への膨大な貸付が「不良債権化」したことを意味する。
当然に銀行の信用は落ち、預金の一斉引き出し、すなわち「取り付け騒ぎ」がいつおきてもおかしくない状況にあったといえる。
それを防いだのが政府による「預金封鎖」の強行である。つまり銀行の顧客は預金が引き出せないようにしたのである。
約二年半あまりつづいた「預金封鎖」の間にも、インフレーションは進行し物価は12倍にも跳ね上がったのである。
預金額が物価にスライドするわけはなく、顧客の預金資産の多くが実質的な意味で政府によって十二分の一にまで奪われたことになる。
つまり、銀行と企業の再建は、預金者の負担によって行われたということである。
戦後の「預金封鎖」の出来事は、過剰な不良債権をかかえる現代にも通じるところがある。
何しろ、「ゼロ金利政策」によって、預金者は相当な預金金利を奪われているのであるが、それが不良債権問題を抱える大手ゼネコンや金融機関を救済するための措置であることは明白である。
しかし、それでも十分な解決が見込めないような時、政府が「預金封鎖」に加えて、「禁じ手」である(ハイパー)インフレ政策を行う可能性がないわけではない。
増税する必要もなく、国債の日銀引受というう方法で赤字財政を解決できるならば、こんな安上がりな方法はない。また、「預金封鎖」が長期間できなければ預金に「財産税」をかければ手早く解決できる。
日本は世界で最も貯金が多い国なので財政破綻はないという理屈は、こういう「禁じ手」を前提に言っているのならば、とんでもない膨大なツケが国民が回ってくることを意味する。
タブン暴動になるでしょうが。
終戦後しばらくして「預金封鎖」「財産税」を実施した折に、渋沢秀雄蔵相が語った説明は次の通りである。
「国民としての実に始末の悪い、重い重い生命を直すためのやむを得ない方法なのです」
「重い重い病気」とは当時進行していたハイパーインフレーションなのだが、今後、政府の財政赤字の非常解決策の「口実」となりうる「重い重い病気」とはどんなもので、真実それが「重い」のかがポイントでしょう。