原点への回帰

最近「超訳 ニーチェの言葉」という本が売れているらしい。(読んでいません)
ニーチェについての知識といえば、(職業柄)高校の倫理の教科書と資料集ぐらいの知識しかないためか、解説の中にある「神は死んだ」とか「超人たれ」とか「永劫回帰」とかいう言葉だけが、どういう意味かわからぬまま、頭を巡ったりするぐらいである。
つまりさほど興味がないが、チェコの作家ミラン・クンデラは、世界的なベストセラー「存在の耐えられない軽さ」の冒頭でニーチェの「永劫回帰」の言葉について書いている。
世界の歴史が再びくり返されるならば、時間はハンマーのように重くのしかかるのに、それに対比して人間の存在というのは耐えられないほどの軽さであると。
そしてグンデラは結局「永劫回帰」を奇怪な掴みがたい思想だといっている。
個人的には「永劫回帰」とは、とてもソソラレル観念であり、世界は何かの本源に「回帰」することによって真実を理解するということではないかと思うのである。
つまり、世界があるいは人間があらゆる物事の本当の意味を理解するために歴史は「永劫」に何度でも「回帰」するのだと。
これが個人的にイメージした「永劫回帰」の解釈である。つまり「永劫回帰」とは単純な「反復」ではないということだ。
ところでニーチェは24歳でバーゼル大学のギリシア古典文学の教授となり、彼の才能はその推薦状が賛嘆と畏怖に溢れるほどに傑出したものであったらしい。
ただニーチェの生涯と言葉は、キリスト教の歴史から見ると、とても「皮肉な符合」があることに気がついた。
ニ-チェが「神は死んだ」といったのは、「ツァラストラはかく語りき」という本だが、この本の出版は1890年ごろである。
当時、確かに近代的自我が「神を抹殺した」かのような社会が出来上がりつつあったが、そのニーチェが梅毒にかかって死んだのが1900年8月25日である。
その約4ヵ月後にキリスト教世界にとって記念すべき「ムーブメント」が起きたのである。
それが、キリスト教会ではよく知られた「聖霊刷新運動」あるいは「ペンテコステ・ムーブメント」とよばれるもので、次のような出来事であった。
アメリカのメソジスト教会の牧師・チャールズ・パーハムは、1900年12月31日、聖霊のバプテスマを求める祈祷会をしていた。
学生の求めに応じてパーハムが学生の頭に手を置いて祈ると、学生は「異言」を話し出しパーハム自身も同じ体験をした。
これが「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を主張するペンテコステ運動の発祥と言われている。
異言を語るとは、祈りに際して信者たちが知るはずのない外国語のような言葉を語リはじめたことで、祈りを捧げていた信徒の集団にそうした「しるし」を伴なった現象が起き始めたということである。
この不思議な出来事は、溯ること約2000年、エルサレムで初代教会が誕生した際に起きた出来事と全く同じものであり、その内容は新約聖書「使徒行伝」2章に書いてある。
この日は、「ペンテコステの日(五旬節)」すなわち、「過越し」の祭りから50日目で、同時にイエスの十字架上の死後50日目の日におこったものであった。
以降、ニーチェの言葉どうり「神は死んだ」かに見えた世界各地の教会で、あの生き生きとした使徒たちの「初代教会」の時代に「回帰」しようという復興(リバイバル)運動が起こっていったのである。
ちにみにこうした出来事は、旧約聖書「ヨエル書」2章その他の預言書に見るごとく、聖霊降臨を「雨」にたとえ、紀元1世紀の聖霊降臨を「春の雨」、20世紀の聖霊降臨を「秋の雨」として預言されていたとされている。
というわけで、歴史の歯車がもう一度回帰したかのごとき「初代教会の復興」ほどニーチェの「永劫回帰」という言葉があてはまる例を他に思いあたらない。
キリスト教会が大元に「回帰」したとは、これまた「神は死んだ」とするニーチェにとって皮肉な話である。
ただし、こうしたムーブメントもプロテスタント教会とかカソリック教会の「枠内」での動きであったために、本当の意味での「初代教会」立ち返るのには、「限界」があったと言わざるをえない。
キリスト教会側にも、「聖霊」の知識が充分ではなかった点を指摘されるが、こうした「ペンテコステ・ムーブメント」も次第に勢いを失っていった。
それでも、キリスト教会が最も原点である「初代教会」に意識を向けた点に大きな意義があった。
さらに、最初からプロテスタントやカソリックにも属さずに、「初代教会」そのものを再現しようという動きが現れたことに大きな意義があった。
日本(or世界)におけるその唯一の例が「イエス之御霊教会」で、その信仰の要綱によれば「初代教会に於ける使徒達の系統を受け嗣ぐものにして、旧教にもあらず、新教にあらず、実に預言の示す末の日に出現すべき、使徒教会の復興した真のイエス・キリストの教会なり。御霊の住み給う神の宮なり」とある。
さらにこの教会は、ヨハネ黙示録の「真のイエスの教会は、東方より出でて全世界に及ぶものなり」との使命感に立脚している。
上智大学名誉教授の安斎伸らのグループが、1980年代に文部省の委託をうけて沖縄各地の宗教事情をつぶさに踏査研究する過程で「イエス之御霊教会」と出会い、初代教会に比肩されるべきその働きを「南島におけるキリスト教の受容」(第一書房)にあらわし、彼ら自身もこの教会で洗礼を受けている。
ちなみに、故安斎伸氏はアジアでただ一人のバチカン評議員であり、日本のカトリック世界を代表する碩学であった。
さて聖書、例えばテサロニケ人への第一の手紙第5章23節によれば、人間は「心と体と霊」によってできているとされる。
そして人間が「罪」にあるということは、つまり「原罪」を背負っているということは、「霊」が死んでいるために「神を認めるに至らない」状態をさしている。
それはどんなに善良な人間であろうが、尊敬に値する人間であろうが、偉い人間であろうが、それとは関係なく「原罪」を抱いているということである。
それは新約聖書(コリント人第二の手紙2章 )がいうごとく「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れない」という言葉によくあらわれているとうりである。
したがって、イエスは「人はもう一度生まれかわらねばならない」と言ったのだが、そのためにどうするかはエルサレムを治めたファリサイ派で最高法院の議員ニコデモとの問答で明らかにしている。(ヨハネの福音書3章)
そして初代教会の使徒達は、イエスの十字架の死後、このイエスの言葉に基づいて「聖霊と水のバプテスマ」を実施していったのである。

法律の世界では、現実に起きた事件から、新しい法の制定を考え新たに法律ができるが、その法ですでに起きてしまった事件まで裁くことはできない。
法の世界ではそういう「法の不遡及」の原則があるのだが、意識面で現実から過去を裁いてみると自分が相当に愚か者であることに気づかされる。
特に、人間は一般的に、当時もてはやされていることに乗っかってしまうという「弱さ」を抱えている。
人間はたまたま落ち込んだ窪みの断面に目が奪われて「そこ」を一番に評価するが、その「窪み」がどんな曲面の一部なのかを識別するのはなかなか難しいということである。
そして、溯って「あの頃」を評価し、ようやく「あの時点」こそが最もクリティカルな分かれ目であったことを悟ったりするのである。
そこで人間は「永劫回帰」みたいにあいも変わらずバカなことを繰り返している存在なのではないかと思ったりもするである。
例えば、構造改革当時に「市場万能主義」こそが、あたかも「正論」であるかの如く人々に主張してきた学者たちも、いまや「転向」を余儀なくされている。
ニーチェの「永劫回帰」の真意はよくわからないが、人間がなにかの原点に遡及しながら、今の「意味」を再認識することであれば、我々が永久に繰り返す「回帰」もけして無意味で退屈なものではないと思う。
実存主義哲学として位置づけられるニーチェもキルケゴールも「当時の」キリスト教に対する深い疑念から出発しているといわれている。
キルケゴールの念頭にあったのは、組織体としてのキリスト教団やその教会を超えて、キリストの最初の弟子達と同時代の状況にまで立ち返る根源的な「回帰」であった。
ニーチェは「超人」モデルをさらに古く遠くの過去に求め、人間の本能がキリスト教にも科学にも害されていなかったころの古代ギリシア人に立ち返り、ギリシア悲劇の祭典の守護神「ディオニソス」神を自我の宗教的な中心を置いたのであった。
ニーチェは新教の牧師の家系に生まれ、きわめて敬虔な雰囲気の中にで育てられ、子供の頃は非常に信仰心が厚かったといわれる。
幼年期の宗教的影響はこの上なく強いものであるから、ニーチェがキリスト教の信仰を失っただけでも、ましてキリスト教を攻撃するに及んでは葛藤をよびおこすに充分であったであろう。
しかし分裂気味のニーチェが病に倒れて、彼の無意識にあるものが顕現した時、彼の心を占めていたのはやはり「キリスト」であった。
それは「十字架に架けられたもの」と署名されているいくつかの手紙によって証明されている。
「神は死んだ」と言ったニーチェの生涯とは、結局、キリストに取り憑かれた生涯だったといえるかもしれない。

聖書の「ヨハネの福音書」13章に、イエスの言葉に「後悟らん」という言葉がある。今は分からなくても後でわかるでしょうというシンプルな言葉だが、無限大の広がりをもっているように思える。
「後悟らん」という言葉が出たシチゥエ-ションは次ぎのとおりである。
イエスが弟子達に洗礼を授け、足を洗おうとしたところ、ペテロの番になった時、ペテロは自分にはそんな資格はない、とんでもないと引きひきがろうとするとイエスは「もしこれをなさななければ自分とあなたとの関係はなくなる。このことの本当の意味は後になって悟るでしょう」と語り、足までをも洗ったというものであった。
こうしたコンテキストを離れても、このあまり目立たない言葉「後悟らん」は、聖書の中の「旧約」と「新約」を結ぶ「大きな」言葉であるように思える。
ユダヤ人はイエスを救世主(メシア)として誕生したと期待した。しかしユダヤ人が思った「救世主」は「旧約」に限定されたものであり、あくまで(ロ-マの支配からの)「ユダヤ人の解放者」としてのメシアであった。
だからローマ兵に身をゆだね十字架に付けられるイエスに大失望し、エルサレムにおけるローマ総督の庭で行われた裁判で、総督ピラトが「この人に何の罪も認めない」といったにもかかわらず、民衆は「激しく」十字架につけよと叫んだのである。
ピラトはそれに押しきられ、自分とイエスの血はなんの関わりもないと手を洗ったという。
しかし逃げ去った後の弟子達は、あの十字架にかけた人物が「旧約」で預言されていたもっと広い意味での「メシア」つまり人類のメシアであることを「後になって悟る」のである。
そこには、相当な飛躍があるようにも思えるが、「使徒行伝」にあるように「復活のイエス」と出会ったのかもしれないし、「旧約の預言」を参照してイエスの生涯を振り返ったところ、その預言との様々な符合に気づいたからかもしれない。
一例をあげると「救世主はベツレヘム」に生まれるという預言があったのであるが、多くの人々はイエスが(密かに)ベツレヘムで生まれたことを知らず、ナザレ(ガリラヤ地方)で育ったために「ナザレ人」とよんで、「ガリラヤからよいものがでるはずがない」とイエスを蔑んでいたのである。
つまり、多くのユダヤ人たちが、イエスと接しながら話を聞きながら行動を共にしてきたたにもかかわらず、全人類のメシアとして存在したことが、その死後になってようやく理解できたということである。
つまり「後悟らん」ということである。
先述のように、イエスの死後50日後に聖霊が降り、人々は「あのイエス」が膨大な旧約の預言に応じた「救世主」であることを、そしてその一つ一つの行動が「預言の成就」であったことをベールがはがれるように理解しはじめたのである。
ところでイエスが「預言に応じて顕われたメシア」であることを人々が理解することは、果たして本当に可能だったのだろうか、人間は自分の犯した「誤り」にそんなに素直に反応するものだろうかと、やっぱり疑念が残る。
イエスは、これらから起きる(十字架の)前に、この点について新約聖書(ヨヘネ14章)で次のように語っていた。
「聖霊はあながたにすべてを教え、また私が話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。
私は 平安をあなたがたに残していく。私の平安をあなたがたに与える。
私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる」
そして、これこそが旧約と新約を結ぶ、歴史的な「後悟らん」の一例であるが、この言葉が弟子達の「大転回」の大きなヒントとなろう。
ところで、聖書はこのユダヤ人の大きな「過ち」をけして単純に過ちとはしていないのである。
なずならば「イエスの十字架と復活」によってこそ、全人類的な究極の「罪の贖い」の完成であるがゆえに、どうしてもその出来事は必要なことであり、神の計画の下に起きたことであり、その観点からしてもユダヤ人は過ちを犯したというよりも、むしろ大きな歴史的な「役割」を果たしたといえるのである。
キリスト教社会では「イエスを十字架に架けたこと」がユダヤ人を差別する根拠となっているが、実はこの「十字架」という罪の贖いによる「救い」がキリスト教社会に広がったのは、実はユダヤ人がそうした歴史的な「役割」を果たしたからなのである。
実はユダヤ人の「イエスを十字架に架けよ」という叫びこそが、「新約」と「旧約」を架ける橋のようなものなのだ。
こういう解釈はユダヤ人に身勝手で都合のい解釈のようにも受け取られそうであるが、実は早くもパウロ自身がそのことを表明しているのである。
ロ-マ人への手紙(11章)で「ああ深いかな、神の智恵と知識の富とは。そのさばきは究めがたく、その道は測りがたい」と祈り、パウロはイエスを十字架につけたユダヤ人について次のように語っている。
「彼らがつまづいたのは、倒れるためであったのか。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救いが異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。
しかしもし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことろう。」
またパウロはコリント人への手紙13章の中で、
「私たちは今は鏡に映してみるようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。
わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時のは、私が完全に知られているように、完全に知るだろう」と書いている。
「永劫回帰」とは、無機質な時間の反復ではなく、何か少しずつ「実体」に近ずいていくプロセスであるのかもしれない。