我が幼少の頃、地元福岡では「西鉄ライオンズ」が圧倒的な人気だったのに、プロ野球チームで最初に覚えたチームの名が「大洋」であった。
「太陽」という言葉を連想させたからであろう。
今思えば、太陽なのに「真っ黒な」ユニホーム、セリーグに属する「大洋ホェールズ」の試合が、なぜしばしば福岡でみることができたのであろう。
大人になってわかったことは、あの黒いユニホームは「ホェール」つまり「クジラ」をイメージしたユニホームだったし、彼らは福岡に近い「下関球場」を本拠地として戦っていたのである。
1960年の大洋ホェールズは、西鉄ライオンズ時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いている三原脩(みはらおさむ)を新監督として迎えた。
チームは、前年までと同様に貧打に苦しんだが、守りの野球に徹した三原監督が投手陣をやり繰りし、接戦を次々と勝利していった。
最終的には2位の巨人に4.5ゲーム差をつけて、初のリーグ優勝を果たしたばかりか、日本シリーズでは、大毎(現ロッテ)を相手に、全て1点差勝利の4連勝で初の日本一を決めた。
貧打の大洋を日本一に輝かせた三原監督の手腕は、「三原マジック」と称された。
この大洋ホェールズが後の横浜ベイスターズ、現在のDeNAであるが、もともとの本拠地は山口県下関なのである。
関門海峡を挟んだ下関と門司は戦前、大陸への玄関口としても栄え、社会人野球では下関市の「大洋漁業」、北九州では「門司鉄道管理局」(現JR九州)や「八幡製鉄」(現新日鉄住金八幡)などがしのぎを削っていた。
戦後はプロ野球の人気も急上昇し、1948年7月には福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)に新球場「豊楽園球場」が、現在のJR小倉駅北側にあたりに誕生した。
遡ること終戦の年、林兼商店は「大洋漁業(現マルハニチロ)」へと社名を変更し、49年11月にプロ野球「まるは球団」を下関市に設立。直後に2リーグ制が発表され、セ・リーグに加盟し、本拠地は下関市においた。
セ・パに分かれて直接戦うことはなかった両者、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)ファンは炭鉱で働く人々の夢、大洋ホェールズのファンには捕鯨の遠洋漁業で生きる人々の夢が託されていた。
とはいえ今日、福岡の炭鉱景気同様に、下関のクジラ景気も遠い昔の話である。
大洋ホェールズが主に使用したのが、1949年11月に完成した「下関球場」で、西鉄ライオンズのかつてのエース池永正明は下関商業出身で、この球場が「青春の球場」である。
さて下関にはもうひとつの青春の府「下関市立大学」がある。その前身は1956年、下関市によって設置された「下関商業短期大学」がはじまりだ。
第二次大戦後の間もない時期に、夜間講座で学んでいた勤労青年の「大学で学びたい」という熱い思いが結実して、公立の夜間短大として誕生した。
その後も、比較的安い授業料で勤労子弟が入学できる大学として全国的にも知られるようになり、公立大学としては多くの受験生が競って志望するトップの位置を占めていた。
「東の高崎経済大学、西の下関市立大学」といわれていたほどだ。
下関市立大学の建学の精神は、「海峡の英知。未来へ そして世界へ」である。
経済や経営・商学の理論のほかに、下関という地形的・歴史的環境を生かした地域に関する研究や、東アジア経済に関する研究が多く進められている。
また、主にアジア圏からの留学生を受け入れており、国際交流センター室も設けている。
ところが近年、その市立大学に異変が続いている。下関市民がアッと驚くような人事や不可解な出来事が連続しておきている。
例えば、経済の単科大学にいきなり教育学部の専攻科を設置されるになったことや、3年間で教職員の半分が辞めている。
その経緯を調べると、暗雲たれこめる日本の大学の未来を象徴しているように見える。
ヨーロッパで確立した「大学の自治」「学問の自由」につき、近代の日本でも、明治憲法下で一定の制約はありつつも徐々に発展してきた。
明治憲法下では官立高等教育機関の教員(教官)の人事権は、最終的に天皇大権に帰属していたため、ファシズムの進展とともに、政・官・軍から大学の教員人事・教育研究内容に介入し、場合によっては教育研究のあり方を弾圧したり、教員を一部追放したり学生を弾圧することが起こった。
それにみずから加担する教職員も出て、結果としてこれが大学における学問の自由だけでなく、日本社会全体の言論や思想の自由の圧殺に繋がっていったことは絶対に忘れてはならない。
この反省の下、戦後の日本国憲法では大学の自治・自由が大きく制度的に保障された。
憲法23条で「学問の自由」が独立した条文で定められ、そのもとで慣例を含む法体系が出来上がっていった。
特に大学は一般の役所とは違い特殊なガバナンスを持っている。それは「教育」と「研究」にかかわる部分においては官僚制と相いれない領域があるからだ。
その領域に関しては、主に教員からなる教授会からなる専門家集団による「合議(ピア・レビュー)」、つまり「相互評価」によってものごとを決めていくという「大学の自治」がつくられ、尊重されてきた。
専門化の著しい現代の科学にあっては、業績の評価は実質上専門を同じくする人々以外には不可能であるという考え方が、「ピア・レビュー」の出発点である。
学長の選出に関しては文部大臣が教職員による選挙結果を「承認」するといった体制が主流となってきた。
公立大学や中・大規模の私立大学においても、学長や理事会、設置者(自治体)の長が、「教授会」や教職員による選考・選挙結果を「承認」する体制が主流となった。
また教員の人事は、教員の代表数名が新たに公募をおこない、応募してきた候補者の履歴書や業績を審査し、教授会に持ち込んで審査・審議し、「教育研究審議会」で審議して候補者を決定し、最終的に学長・理事長が決定し、採用が決まる。
ちなみに「教育研究審議会」は、多くの教員たちが委員として加わり、教育・研究内容、あるいは専攻科設置や人事について決定する権限を持つ機関である。
ところが2004年に始まった「国公立大学の独立行政法人化」は大きな転換点となった。
経営体としての自由度(裁量)が増したぶん、それが「大学の自治」を掘り崩す結果となっている。
その背景に国が「選択と集中」というスローガンのもとで、大学と研究者を競争に駆り立てるような政策を行い、自由で多様な研究と教育ができる環境を奪う結果となっている。
なかんずく、教授会の意思決定や学長選出などにかんする自治を認めてきた「教育公務員特例法」という法体系が適用されなくなったことが大きい。
たとえば、国公立大学において、「学長」選出の方法が、教員による投票から学長選考会議による指名へと移行している。
「学部長」選出の方法も、これまでは教員による投票を学長が承認していたが、「学長による直接指名」に移行している。
教員人事も学長が指名する「人事委員会」などが審査する形に移行している。
また学部・学科の廃止、キャンパスの移転などについては、学生の教育環境や研究の多様性・継続性に大きく影響するので、単なる経営事項ではないとし、教育公務員特例法では「学部・学科・専門(専攻)、分野の新設・改廃などを、理事会の経営的観点のみや設置者の意向のみから決定してはならない」としていた。
2014年6月に成立した「学校教育法および国立大学法人法の一部を改正する法律」では、「教授会が重要な審議をおこなう」としていたものを、「教授会は意見を述べる」機関に変えたのである。
本州の西端の山口県・下関に行って気づくことは、韓国語の文字で書かれた案内がなされていることに驚く。タワーやビルデイングなど街の雰囲気も韓国の港町に近い感じがする。
つまり、日本という国がアジア圏の中のひとつということを強く印象づけられる町なのである。
さて下関市立大学では、前田晋太郎市長の指示により、新たな「専攻科」の設置と特定の教員採用が決定されたことが問題となった。
大学には組織の最高規則を定めた「定款(ていかん)」というものがあるが、これらの動きを可能にする「定款変更」が下関市議会で可決された。
公立大学は当該地域のニーズに応じて設立されたという経緯があるため、学部・研究科のみならず、大学そのものも自治体のイニシアティブの下で見直しが図られる場合も少なくないのは確かである。
しかしながら、少なくとも戦後75年、紆余曲折や漸次改革をへつつも蓄積・継承されてきた大学ガバナンスの原則や慣行に照らして、「定款改定」にまで行ったことにどんな意味があり、それがどんな結果をもたらしているのかが問われる事態となっている。
結論からいうと、「ピア・レビュー」を経ることなく経営陣が決定できなかった教員人事、業績審査、教育研究内容、カリキュラムなど、大学の自治の「最後の砦」というべき部分が、研究者や専門家とは関係のない大学経営陣によって、一方的に決定・改廃しうるような前例を作ったということにほかならない。
それ以降、下関市立大学では「教育研究審議会」の審議も経ぬまま市長が求める教員採用が動いており、それに対して9割の教員が撤回を要求するなどの異常事態が起きたことによく表れている。
2019年、5月末の要請を受けて6月には大学で「専攻科」設置と教員採用が動き始め、寝耳に水だった教員たちは驚いた。
下関市からの要請、市議会からの開設要望があることと説明されているのに、要望書や陳情書の類いもない。あるのは市長からの要請だけなのだ。
ある大学教員によれば、今回の専攻科設置はわかりやすくいえば「市大に宝塚劇団をつくるのと同じぐらいあり得ないこと」とも述べている。
市立大学のホームぺージみると、「特別専攻科とは、特別支援教育の専門家を養成現職教員、もしくは教員免許状の取得(見込み)者を対象とする教員養成課程として、より高度な専門性を教授研究し、特別支援学校を中心とした地域の教育現場において子どもが抱える個々の多様な実態及び教育的ニーズに対して問題解決能力を発揮できる特別支援教育の専門家を養成することを目的としています」とある。
教職員にとどまらず市民にも「一体なにが動いているのか」とに不安の広がりに、地域の新聞記者も調査や取材を行い、以下はそれに基いたものである。
市立大学では様々な問題があったが、2019年5月末以後、前田晋太郎市長が当時、琉球大学に在籍していた韓昌完(ハン・チャンワン)教授とその研究チームを下関市立大学に迎え入れようと「専攻科設置」に向けて動き出したことが発端だった。
市立大学ではこれまで教員人事や教育・研究内容について、教授会や教育研究審議会などに権限があり、客観的な評価に基づいた厳正な選考がおこなわれてきた。
一般的に大学で学部、学科その他の重要な組織の設置または廃止に関する事項は、その大学の将来を見据えながら学内での論議を重ねる。
そうやって現在の大学の力量や学問分野の連関などを踏まえたうえで、本当に必要とされる学科を設置するために大学全体で築き上げていく。
前述のように、教育研究審議会を経ずに採用を決めるなど「定款違反」になるので、「定款」を変えてしまえと昨年の9月議会で「定款変更」まで決めてしまったということなのだ。
要するに、市長なりその周辺が気に入った人物を次から次へと雇うことにしたという構図をつくりあげたなのだ。
大学について、教育について何もわからない市幹部OBが権限を握り采配を振るうから、専門家集団たる教員たちとは相いれない状況が生まれる。
「大学の法人化」以前は大学の管理運営と教育研究のあり方は、教授会の討議を通して合意形成にあたっていたし、下から積み上げていく方式で最終決定され、それを学長がまとめていた。
ところが「大学の法人化」によってこの関係が崩れ、むしろ逆転したことに大学運営をめぐる変化の最大の特徴がある。
役所退職者のかれらが学長をしのぐ権力者となって采配を振るうようになったことが、大学の空気を様変わりさせたといえる。
ちなみに最近事故を起こして逮捕された北海道知床のKAZUⅠの運行会社社長は、船舶の知識のない素人であった。
不自由で非民主的というのは、人間を萎縮させ創造的で能動的な思考を阻害し、息苦しさがつきまとう。
市立大学では次第に物いえぬ空気が強まり、鬱屈した思いを抱えながら吐き出せずに教員たちが疲弊しきっている。吐き出せば懲戒になるのではないかといった恐怖政治が敷かれた。
「誠意を見せろ」といって職員を丸坊主にさせたり、物いう教授のなかには「ワシのシマで勝手な真似はするな」と脅された者がいたり、反発する教授ほど身辺調査であら探しされたり、なにかの収容所かと思うほどでああったという。
また前述の「定款変更」により大学運営の在り方は大幅に変化した。
2020年1月には前述のハン教授を市立大学の外部理事に任命し、4月からは新たに副学長ポストをもうけて、ハン教授と事務局長(市役所元総合政策部長)を副学長に任命したのである。
一体ハン教授がなぜそこまで優遇されるのか。
新聞記者たちの取材や調査により、前田市長は安倍事務所の秘書をしていた時期もあり、一連の動きには、安倍派のなかでも前田市長が市議時代に所属していた会派の市議たちが複数関与していることが浮かび上がった。
そうした事情を知る人々のなかには、安倍首相時の「桜を見る会」の私物化についても、下関で感覚が麻痺した状態が東京で露呈したのではないかと、感じた人もいたという。
また2017年、安倍首相の長年の友が理事長をつとめる「加計学園」が、52年間どこの大学にも認められていなかった獣医学部を新設する「国家戦略特区」の事業者に選定されたことも思い浮かぶ。
政治介入によって大学が変質していることは、2020年9月に起きた日本学術会議会員の任命問題とも関わっているように思える。
菅義偉首相が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を任命しなかった問題である。
その背後で、杉田和博官房副長官が6人の除外を指示したとみられる政府の内部文書が公表されている。
杉田官房副長官は元警察官僚だが、この出来事自体「旧内務省」による治安維持法による学問統制の匂いがする。
さて、2023年10月、臨時国会で審議入りした「国立大学法人法改正案」が衆院文部科学委員会で採択され、与党の賛成多数で可決された。
同法改正は、一定規模の国立大学を「特定国立大学法人」に指定し、最高意思決定機関として文科大臣の承認を要する委員で構成される「運営方針会議」の設置を義務づけるもので、大学運営のあり方を根本的に改変するものとなる。
「特定国立大学法人」に指定されたのは、東北大学、東京大学、東海国立大学機構(名古屋大学・岐阜大学)、京都大学、大阪大学の5法人となっている。
これが何を意味するのか。「大学の自治」が奪われんとしていることは確かだが、我々の想像力には限界がある。
本州の周縁に位置する下関市立大学に起きていることを特別なことではなく、或る程度普遍性をもったこととして捉えれば、自ずと見えてくるものがある。