日経平均株価が4000円台を超え歴史的な株高に拍車がかかっている。その異例の株高の主役は「半導体関連株」だという。
人口知能(AI)の普及による需要の拡大や好業績などへの期待から、日米ともに関連株が買われている。
また2024年2月、台湾のTMSC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company/台湾積体電路製造股份有限公司)の工場が熊本に完成したのも、明るい材料だ。
「シリコンアイランド九州」復活への期待ともされているが、フト疑問がおこる。
もともと九州は1980年代「シリコンアイランド」といわれるほどに、半導体産業が栄えていた。
なのにどうして、台湾の半導体工場の進出を歓迎しなければならないほどに、停滞してしまったのだろう。
まずは、日本企業全体の生産性の低下も関連しているだろう。
2023年、日本のGDPがドイツにぬかれ、世界4位になったというニュースがあった。
ドイツの人口は日本の3分の2、しかも平均労働時間は2割ほど短い。
要は日本の労働生産性が低いということだが、それは必要性が不明な会議の資料作りとか、「付加価値」に結びつかない仕事が多すぎることがある。
一人あたりのGDPを高めたいのなら、もっとも簡単な方法は、フルタイムで働いていない労働者を減らすことだ。
いわゆる「年収の壁」をなくせば、非効率な就業調整はなくなる。
「失われた10年」が、20年にもなり、30年にもなった。気がついたら、ひとりあたりのGDPは世界30位代で、先進7か国で最低。
次に、日本の半導体産業にフォーカスすると、それは東芝やソニーなど総合電機メーカーの一部門として出発し、半導体の設計、製造、さらに自社製品への搭載を含め、自社内で完結する「垂直統合」型のビジネスモデルだった。
これに対して、当時の台湾には設計エンジニアの層は薄く、TSMCは自社で設計せず、製造に「特化」した。
TSMCは、「これをチップにしてくれ」と持ち込まれた設計をもとに、製造を受けおこなう、「受託製造大手」といわれる。
依頼主の注文通りに作るいわば「黒衣」の役割をするTSMCやUMCなど続々誕生し、「ファウンドリー」とよばれる。
電子立国ともてはやされ日本は、当時彼らを「下請け」とみて、富士通はTSMCに、シャープはUMCにそれぞれ生産を委託した。
雇用もせずに済み、負担も軽減できる。高付加価値品を自社でつくり、低級品を台湾にまかせるという発想だった。
自社に「設計エンジニア」がいるのに、台湾のように「製造に特化」するなんてことはしなかった。
一方、TSMCは狙ったわけではないが、「こんなに成功できたのは台湾に設計エンジニアがいなかったからこそできた」という。
好対照なのが、イギリスのアームホールディングスで、「設計に特化」することによって台頭。創業メンバーの一人は、「我々にはアイデアはあったが、資金がなかった」とうちあける。
工場を作る巨額資金がないため、「設計に専念」したというのだ。
半導体産業は2000年代に入って設計と製造が分業していく。これを「水平的分業」というが、日本は相変わらず「自前主義」を捨てきれず、この潮流に出遅れる。
日本の強みが弱みとなり、台湾勢や英アーム社は弱みが強みとなった。
ところで、九州は半導体製造に必要な良質な水が豊富、労働力や広い用地の確保が容易である。
また、各地に空港が整備されて製品の空輸が可能な事などの好条件が揃っており、1960年代末から大手メーカーによる半導体工場の設置が増加した。
それに伴って、大手メーカーの支援を受けた地元企業が半導体関連分野へ新規参入すると同時に、地元企業の製造技術・製品開発における能力を高め、1980年代には九州地域に「半導体クラスター」を形成するに至った。
そのため、九州が「シリコンアイランド」と呼ばれるようになった。
たとえば1980年代後半、熊本川尻工場(現・ルネサス川尻工場)を主力とするNECはDRAM(Dynamic Random Access Memory)の世界シェア1位となり、「シリコンアイランド九州」に数十社の協力企業を従えたが、2001年にDRAMから撤退している。
協力企業の多くは撤退・倒産し、ルネサスも経営悪化の末、2013年に事実上[国有化]される。
ただソニーは2010年代以降、CMOSセンサーというイメージセンサーが各社のスマホ採用されて成功し、2020年代以降に工場をさらに増設し、「シリコンアイランド九州」の復調の兆しとなっていた。
そんな最中に新たな産業構造として「水平分業型」の企業が台頭してきた。
「水平分業型」の特徴は、設計・製造・販売といった半導体産業の各プロセスが、それぞれを専門とする、例えば「ファブレス」や「ファウンドリー」と呼ばれる企業に分割される形にある。
その理由のひとつは、ものすごいスピードで技術の進化が進む半導体技術の開発には、「莫大な投資」が必要であることがあげられる。
つまり「垂直統合型」では、この技術革新に遅れを取らないように、常に大規模な投資が求められることになることがあげられる。
水平分業の企業は、分野を特化し迅速な判断のもと集中投資をして最新の技術をいち早く得るが、垂直統合型企業においては従来の投資レベルでは、これまでと同じように変化に対応することが困難となっていったのである。
当時の日本企業も変化への対応を試みたものの、「企業の一部門」として存在していることが多かったこともあり、コストがかさむ半導体事業から次々に撤退していくことになった。
こうした流れの中で、「垂直統合モデル」で生き残っているのは、アメリカのインテルのような超巨大資本を持つ企業のみになった。
そして、自社では工場を持たない「ファブレス企業」や、受託製造を担う「ファウンドリー企業」などが業界をリードしていく。
「水平分業」では、サプライチェーンの核である製品の製造や管理、販売は自社のグループ企業で行い、他の業務は外部に委託する形態がよくとられる。
その一方で、製造や管理、販売などの主要業務を一部外部に委託する企業も存在する。
水平分業にもデメリットがある。得意分野に集中して資源を投資するため、その製品が市場で縮小するとリカバリーが効かなくなるる。
また、サプライチェーンでいくつもの企業が関わるため、全体での意思疎通が難しくなる傾向も強い。
そのため、市場変化や経済変化に柔軟に対応することが困難であった。
しかし近年、IT技術の発展により業務の自動化が進み、また様々な業界でAIが導入されていることによって、「水平分業」のデメリットを克服できるようになった。
その結果、外部に業務の一部を委託する「アウトソーシング」を取り入れる企業が増え、「水平分業」が広まったといえる。
例えば、アップル社は、水平分業の体制をとる代表的な企業で、「iPhone」「iPad」「Mac」などのハードウェアの設計や開発はApple社が手掛けているが、製造は主に中国の企業に委託されており、販売はアップル社に加えて各国の携帯会社も携わっている。
また、ソフトウェアの一部もインドなどの外部企業に委託している。
これにより、効率よい生産・供給を実現しており、アップル社の社員は新商品の開発など、最も力を入れるべき業務に専念することができている。
日本は、パナソニック・シャープなどの電機メーカーや、トヨタのような自動車業界が「垂直統合」で製品を供給してきた。
「垂直統合」では、サプライチェーンの業務全てを自社とそのグループ企業が行う。
そのため、広範囲の事業に関するノウハウの蓄積が可能であり、外部委託を行わないので企業の機密性も保てる。
トヨタのジャスト・イン・タイムのように在庫費用をなくしたり、製品を供給するまでにかかる全コストを見積もりやすく、計画管理も容易にできるメリットもある。
日本メーカーのモノづくりが高水準な理由は、垂直統合によって競争力を向上してきたといえる。
ただ、「垂直統合」では、広範囲の事業領域を網羅する必要があるため、「コア・コンピタンス」を確立することが難しい傾向にある。
日本企業がソフトウェアの開発で世界から遅れているのは、これが原因である。
また、垂直統合では組織が大きくなることが多く、組織体制の改変やシステムの導入などの大きな決定を下すのが難しくなる。
近年相次ぐ、日本の大企業の検査不正などから、「ガバナンスの欠如」や「コンプライアンスの不徹底」といった問題は、こうした組織体制と関係する問題であろう。
人間の歴史は広い意味で、古代の「傭兵」から今日の「原発」の子会社委託まで、「アウトソーシングの歴史」といっても過言ではない。
一番身近なところでは、「家庭機能の外部化」つまり「家庭機能のアウトソーシング」であろう。
家庭はそれによって身軽になり、産業社会に「適応」してきたともいえる。
家庭は「生産機能」を企業に、「教育機能」を学校に、「食事機能」を外食レストランに、「葬機能」を葬儀屋に、「育児機能」を保育所に、といった具合に「外部」委託してきた。
現代人は「生活」に関するほぼすべてをアウトソーシングてしまったということだ。
その結果、「便利さ」と引き換えに、市場に頼らなければは暮らしていけない「我々」が出来あがってしまったというわけだ。
1991年、アメリカの経済学者ロナルド・コースがノーベル経済学賞を受賞したが、コースの受賞理由となったのは、なんと1937年に提起した問題であった。
それは、「企業とは何か」という本質的問題に「外部費用」の観点から考察したものである。
それは、現代日本の労働生産性の低さについても、ヒントがあるように思える。
さて、企業社会では、アウト・ソーシング(=外部委託)が当たり前のように行われるようになった。
企業は、どうしてある部分を自社で行い、他の部分をアウトソーシングするのか。
また「アウトソースング」と「下請け」はどう違うのか。
アウトソーシングは、社内の業務の一部を外部の専門組織に委託する「業務の分割」というイメージだが、「下請け」とは、ある企業が請け負った製造・修理などの仕事の一部またはすべてを、子会社・取引企業などが請け負うことで後述するように「インソーシング」に近い。
この問題は、家庭生活に置き換えるとわかりやすい。
ある家庭では子育ても料理も家庭で行う一方、別の家庭では食事はアウトソーシング(外食)する。
究極は「家庭とは何か」という本質的な問題にいきつく。
企業も究極的にすべての事業をアウトソーシングして、財務管理だけに専念することだってありうる。
さて、経済学で費用という場合は、会計上の概念とは異なり、時間と労力を費やすあらゆる手間ひまが含まれる。
こうした「機会費用」をベースにして、コースのいうところの「取引費用」を再定義すると7つの費用が考えられる。
市場取引には、取引相手を探し出すための「検索費用」、探し出した相手が取引にふさわしいかを吟味する「調査費用」、調べた相手と取引を開始するための「交渉費用」、交渉で決まった取引内容を確認し有効にするための「契約費用」、契約の履行状況をモニターする「監視費用」、契約どおりにいかなかった場合の「紛争解決費用」、一連の取引を円滑に進めるために必要な「情報開示費用」などが必要だ。
異なる企業間の取引には、上記のような費用がかかるため、それらの費用が生産性の向上よりも大きければ、アウトソーシングのメリットは失われる。
コースは、「内部化(=インソーシング)」によって、これらの費用を節約する点に「企業の本質」があると考えた。
つまり、企業という組織はインソーシングの舞台であり、市場での取引費用を引き下げて分業の効果を最大化するための仕組みということである。
「内部化(=インソーシング)」によって、企業の中では、どの部署がどんな活動をしているかが知れわたっている。顔見知りの同僚であれば、どのくらい頼り甲斐があるか相手の能力や技能も察しやすいだろう。
日本の「下請け」は、大企業と中小企業の主従関係から、インソーシングに近い。
大所帯の企業だとしても、上司などの人脈をうまく使えば、検索や調査の費用はそれほどかからない。
また、所定の手続きに従って業務を依頼すれば、いちから交渉をはじめたり、契約書を作成したりする手間もかからない。
部署間で問題が起きた場合は話し合いの余地が大きく、仮にもめた場合は、より上位の意思決定で迅速に解決できる。
とりわけ、日本の企業では、一連のやり取りが口頭で済むことも少なくない。スポット的な市場取引をその都度行うのではなく、内部化することによって分業間のやり取りを共通化したりルーティン化したりして、一定の手続きに則った反復継続の安定した関係を作り出し、取引費用を節約することが可能になるのだ。
それでは、企業という内部組織が市場の価格メカニズム(アウトソーシング)を駆逐して、すべての取引を内部化(=インソーシング)してしまうことは可能だろうか。
もし、組織化することで取引費用が節約されるのであれば、すべての生産活動が巨大な一企業によって行われても良いはずだ。
実際1985年年に電気通信事業法が制定される前の日本の通信市場では、電々公社というひとつの組織による資源配分がなされていた。
市場を駆逐してしまうような中央統制型の仕組みが普遍的でないのは、組織化にも固有の費用がかかり、企業の規模が拡大するにしたがって、その費用が次第に増大するからだ。
この点について、コースは、価格メカニズムによらない内部調整者としての企業家の能力が次第に低下するという、「経営管理についての収穫逓減」を組織化の主な費用と考え、「組織化される取引の空間的な分散の増大、取引の多様性の増大、そうして、関連する諸価格の変動の確率の増大」にともなって組織化の費用は増大すると指摘した。
組織を維持するためには、そのための管理費用がかかり、規模が大きくなればなるほど、中間階層が増えていく。
また、組織が大きくなると、複数の管理業務を相互に調整するための業務が生まれ、その調整業務を管理するための業務が生まれるといった具合に、組織を維持するためだけの活動が増殖して費用がかさんでくる。
ややもすれば、内部の管理や調整のための仕事は、その行為自体が自己目的化してしまい、形式を重んじた不要なやり取りの発生や手続きの煩雑化、馴れ合いや融通の利かなさという費用を増大させかねない。
ロナルド・コースの観点に立つと、日本の大企業の低生産性の要因は、インソーシングの費用が肥大化しているにもかかわらす、下請けを含む「自社完結型」にこだわりすぎている点にあるということになる。