聖書の言葉(剣を持つものは剣で滅びる)

現在、イスラエルの攻撃を受けているパレスチナの人々は、国をもたない人々である。国連にも、オリンピックにも国家として出ることはできない。
1993年9月13日、イスラエルのラビン首相とPLO=パレスチナ解放機構のアラファト議長が、アメリカのホワイトハウスで、クリントン大統領立ち合いのもと、「パレスチナ暫定自治合意」に調印した。
この和平合意を「オスロ合意」といい、イスラエルとパレスチナ国家並存の道が開かれたかと思われた。
しかし、調印したイスラエル首相ラビンは暗殺されてしまう。
ラビン首相暗殺によって、平和共存の可能性に尽力したノルウエーのラーセン教授らの努力も水泡に帰したかに思えたが、「オスロ合意」以降、世界の趨勢は「パレスチナ国家容認」に傾いている。
特に現在のガザの惨状をみて、今のところ148か国が「パレスチナ国家」を承認している。
一方、親イスラエルのアメリカは承認に反対し、日本は承認に慎重な姿勢をとっている。
ところで、パレスチナ自治区は「ガザ地区」に加え、「ヨルダン川西岸地区」がある。
パレスチナ人にとっての本丸は、「ヨルダン川西岸地区」である。そこにアッバス議長を中心とする自治政府のあるからだが、過激派ハマスが支配するガザへのコントロールを失っている。
ヨルダン川西岸では逆にイスラエル側が国際法に反して入植をくりかえし、反対者を次々に収容所に入れるなど人権弾圧を行ってきた。
そのことが、昨年10月のハマスによるテロを招いた要因のひとつである。
ただ今の状況が続けば、パレスチナ西岸地区も「ハマス化」が懸念される。
最近、ガザを攻撃するイスラエル軍の報道官が、「ハマスは人々の心に根付いた思想であり、壊滅できると考えるのは誤っている」と語り、ネタニヤフ政府に異を唱えた。
では「ハマスの思想」とは何か、それは長い歴史の中で育まれたものであろう。
最近のイスラエルをみると、旧約の時代にイスラエルの人たちが進むところ、先住民を滅ぼし尽くそうとしてきたことを思わせる。
なにしろ神がそれを命じられたのだから、イスラエルはそれに従ったまでにすぎない。
めざすカナンの地に入ってからはペリシテ人つまり今の「パレスチナ人」の先祖たちがいたため、彼らと戦いダビデ王の時代に倒した。
神がそのような命令を下されたことには違和感を覚えるが、古い契約の時代において、人々は「裁きといけにえ」の世界のなかにいたということがいえる。
それはパウロの次の言葉に表される。
「古い契約のもとでは、祭司たちは毎日、祭壇にいけにえをささげますが、それらは決して罪を取り除くことができません。しかしキリストは、いつまでも有効な、ただ一つのいけにえとして、私たちの罪のためにご自分を神にささげ、そのあと神の右の座について、敵が足の下に踏みつけられるその日を待っておられます。キリストは、この一度かぎりの行為によって、ご自分がきよめる人々をみな、永遠に完全なものとしてくださったのです」(へブル人への手紙10章)。
キリストは、贖いの羊としてご自身を異邦人のためにも捧げられたのであり、異邦人も救いの道が開かれたということである。
したがって、神は「憐みの神」としてご自身を表され、「裁きの神」としていけにえを求めたり、まして他民族を滅ぼせなどという命令をだすということはなくなった。
さてヨルダン川といえば、イエス・キリストがヨハネによって「バプテスマ(洗礼)」を受けた川でもある。その時ヨハネは、「バプテスマ」の意味について次のように語った。
「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」。
注目すべきことは、洗礼には水のバプテスマと聖霊のバプテスマがあるということであり、イエスが「人は水と霊によらなければ神の国にいることはできない」(ヨハネ福音書3章)と符合する。
この洗礼者ヨハネの登場から遡ること約13世紀、イスラエルは乳と蜜を流れるカナンの地(パレスチナ)を目指し、モーセによる出エジプトから40年の歳月をかけて、十戒を治めた契約の箱と共に、モーセの後継者ヨシュアに導かれてヨルダン川を渡る。
したがってヨルダン川は、神とイスラエルとの古い「モーセとの契約」と新しい「イエスとの契約」の境をシンボリックに表す川なのである。
イエスは新たな契約(福音)の意義を、「古い葡萄酒を新しい革袋にいれない」(マタイの福音書9章)、「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(コリント人第二の手紙5章)という言葉で表している。

2024年6月ガザ地区を執拗に攻撃するイスラエルで、ネタニヤフ首相が「戦時内閣」を解散した。
対立する極右閣僚が政策決定に介入することを阻止することが狙いだというが、重要な決定はネタニヤフ首相を中心に国防相、戦略問題相らによる「小規模な協議」で決定されることとなった。
ところで、ユダヤ教は人間が権力をもつことを権力を肯定しないのが特徴である。
古代の王国や帝国はみな、権力を肯定し絶対化しているのだから、これは驚くべきことである。
では具体的にどのように権力をコントロールするか。
まず、神の意思を体現する預言者がいて、彼が王となるべき者に油を注ぎ、王に任じる。
神がその地位を与えるので、王は自分で王になることができない。
第二に長老の同意で、長老は部族社会のリーダーで、定住したあとも部族社会の伝統的な社会集団の勢力を代表するわけだが、正統な王権の根拠となる。
初代サウル王は、長老の同意がないのに預言者サムエルが油を注いで王としただけだったから。
それに対して、ダビデ王の場合は、各部族の長老達が集まって契約をむずび、同意を与えた。
長老たちの総意で契約に基づいて王となった。
第三に預言者の批判である。「預言者に聞き従え」とあるように、王が神の意思に背いた政治を行うと、どころからか預言者が現れて、王を糾弾する。神との契約に反しているのではないかと。
さてサムソンという人物が旧約聖書「士師(しし)記」に登場するが、「士師」とはどういう存在であろうか。
「出エジプト記」にあるモーセそしてその後継のヨシュアが世を去ったあと、イスラエル全体を統率するリーダーが不在となっていた。
そこで、その時々に必要に応じ、神によって立てられたリーダーが「士師」と呼ばれる人々で、サムソンも士師の一人である。
今日と、聖書の時代を比べて興味深いのは、 サムソンは「ガザ」出身であることだ。
この士師の時代は、イスラエルが強大な異教国ペリシテに支配されていた時代である。
ペリシテの偶像にも冒されることで、イスラエルのヤハウェに対する純粋な信仰が失われたため、共同体意識が薄れていた。
聖書によれば、「各自が、自分の目に正しいと見るところを行う牧者なき時代」(士師記21章)であった。
それは、「預言がなされない時代」ということである。
サムソンの使命は「イスラエルをペリシテから救う」こと(士師記13章)であった。
イスラエルの人々は、ペリシテから武器を奪われ、鉄を精製して武器を造ることも禁じられていた。
サムソンはある時、武器として手にした「ロバのあごの骨で、ペリシテ人とひとりで戦い、1人で千人を倒した」(士師記15章)という。
そんなサムソンの怪力ぶりに苦しめられたペリシテ人は、サムソンの元へ妖艶なるデリラという女性を遣わす。
それはサムソンの弱点を探らせるのが目的だった。
サムソンはデリラの誘惑に負け、その力の秘密を明かしてしまう。その怪力の秘密は長髪にあり、それを剃り落されたなら、怪力は失われ、人並みの存在となることをうち明けた。
その結果、デリラの膝枕で眠っている間にサムソンの髪の毛は剃り落とされ、その「怪力」は失われてしまう。
その後、サムソンはペリシテ人の捕虜となり、目を抉り出され、足かせをはめられて、牢屋で粉挽きの労働を課せられる悲惨な状況に陥ってしまう。
その後、ペリシテ人の指導者たちは、彼らの神ダゴンを崇める祭りを開催し、会場となる大会堂に国中の指導者達を集め、「我らの神ダゴンは、敵サムソンを我らの手に渡された」と言って偶像ダゴンをたたえた。
その時、サムソンは大会堂の中でペリシテの指導者たちの前で、戯れごとをさせられ、笑いものにされる。
しかしペリシテ人は、盲人となったサムソンに油断したのか、サムソンの髪の毛が伸びていることに気がつかなかった。
そこでサムソンは、彼の手引きをしていた若者に頼んで、大会堂の二本の大黒柱に寄りかからせてもらい、神に「主よ、私をもう一度強くして、私の目の一つのためにもペリシテに報いさせてください」と祈った。
そして、「ペリシテ人と一緒に死のう」と柱に寄りかかると、その会堂はサムソンもろともペリシテ人たちの上に倒れかかり、自らも命を失う。
ただその時に倒したペリシテ人の数は彼がそれまで殺したよものより多かったという。
サムソンの人生そのものが、不思議にイスラエルの歴史と重なる面がある。
「目をくりぬかれる」とは、「契約の箱」を奪われたり、ローマによってエルサレムの神殿が破壊され、「契約の箱」が行方不明になったりしていること。 この「契約の箱」が失われることの重大さは、旧約聖書「サムエル記上」に記載されている。
イスラエルの民は、他国と同じように王を求め、士帥の時代から王制に転じる。
最初の王としてサウルが立てられたが、祭司サムエルの言葉を軽視するなどして、祭司の怒りをかう。
「契約の箱」はペリシテ人に奪われてしまい、その結果「イ・カボデ」(神の栄光は去った)のである。
「主のことばはまれにしかなく、幻も示されない」という「神の臨在」喪失の時代を迎える。
その一方で、契約の箱」は、奪い取ったペリシテ人には「災い」をもたらし、イスラエルはそれを「取り戻す」に及んで「その力を回復」したことがわかる。
また、サムソンの髪が伸びることは、神の前にへりくだったイスラエルと神との関係が修復されたことを思わせる。
そして「契約の箱」は、いまだに行方不明なのである。
その箱は「失われたアーク」ともいわれ、それを探せば「ソロモンの秘宝」が一緒にあるのではないか と推測されている。
イスラエルがパレスチナに帰還し1948年にイスラエルを建国した時には、周辺諸国をアラブ諸国に囲まれ、いわば巨人ゴリアテに向かうダビデのような小さな存在であった。
ダビデの詩が浮かぶ。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る」(詩篇20篇)。
しかし、アメリカの支援などを受けて軍事大国となったイスラエルは、もはやゴリアテのような存在になったのではなかろうか。
その分、ハマス側のテロへの動きを見逃すなど、「情報収集能力」においては劣化しているのかもしれない。
一方、アラブ諸国のなかでは独自に関係改善を図ろうとする国々が現れ、それがハマスのような過激派を孤立させ、ハマスのテロを許す結果となった。
サムソンはペリシテ人もろとも建物の下敷きとなって死ぬが、現代において「サムソンオプション」という言葉がある。それは、イスラエルが生存の危機にさらされるような侵略行為を受けたら、核兵器を使用して敵を道連れに破滅するという、最終手段を意味する。

「サムソン・オプション」はとても現実的な戦略とは思えぬが、イスラエル政府が1980年代から保持している抑止戦略がある。
それは、「イスラエルの敵国が核兵器を保有しようとしている場合には、イスラエルは先制攻撃によって核保有能力を破壊する」という原則に基づいている。
この戦略はしばしば「ベギン・ドクトリン」と呼ばれる。
1981年6月7日、イスラエル空軍の8機のF16型戦闘爆撃機と6機のF15型戦闘機が、同国南部のエツィオン空軍基地を飛び立った。
彼らの目標はイラク・バグダッド郊外で建設されていた原子炉である。イスラエルからイラクへ飛ぶには、他国の領空を通らなくてはならない。
8機のイスラエル軍のパイロットたちは、サウジアラビアの領空を通過する際に、サウジ空軍の無線の周波数を使いアラビア語で交信して、航空管制官や防空部隊に正体を察知されるのを避けた。
アル・トゥワイタ原子力センターの上空に到達する。ここでイラクはフランスの協力を得て、「オシラク」という軽水炉を建設していた。
イスラエル軍機は、18時35分にオシラク原子炉への攻撃を開始。合計16発の爆弾を投下し、その内8発を格納容器がある建物に命中させた。
「オペラ作戦」と名付けられたこの奇襲攻撃によって、イスラエルはイラク原子炉に大きな損害を与え、建設計画を頓挫させた。
イスラエルのベギン首相は爆撃の2日後に行った記者会見で、イラクが建設中の原子炉を攻撃したことを認めるとともに、奇襲に参加したパイロットたちの功績を称えた。
ベギンはこの攻撃を「自衛手段」として正当化した。
「我々が先制攻撃をためらっていたら、イラクによる核攻撃を防ぐチャンスは永遠に失われていただろう。我々が何もせずにいたら、サダム・フセインはあと数年で、3~5個の核爆弾を保有していたはずだ。そうなった場合、イスラエル人は殲滅される。つまりホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)が再び起きる。我々はホロコーストの再来を絶対に許さない」と述べている。
ベギンは敵国が核兵器を持った場合、イスラエルの殲滅を目論むと考え、国際法に違反しても先手を打つという考えである。
オシラク原子炉の破壊から26年後、イスラエル政府は再びベギン・ドクトリンを発動する。2007年9月6日にイスラエルは、シリア東部にあったアル・キバール原子炉を攻撃し、ほぼ完全に破壊した。
前もってシリアに侵入したイスラエル軍特殊部隊の兵士たちが、地上から原子炉のある建物にレーザーを照射して、ミサイルを誘導し命中させた。
一方、イスラエルは核兵器の保有について沈黙している。核兵器の存在を否定も肯定もしないことが、敵国に対する「無言の抑止力」になると考えているからである。
さて問題は、イランが核兵器開発を行っているという疑惑が深まる中、イスラエルが再び「ベギン・ドクトリン」を発動するかである。
今のところイスラエルは直接的な軍事攻撃ではなく、諜報機関を使った「非軍事的手段」でイランの核開発計画を遅らせようとしている。
たとえば、2010年から12年にイランの核科学者4人が暗殺されているが、イラン政府はこの背景にイスラエルの諜報機関モサドがいると推測している。
ともあれ、イスラエルのガザへの攻撃は、国内的・国際的孤立を招くだけの「自滅行為」のように見える。
少なくとも、ネタニヤフ政権においては、である。
イエスが「ゲッセマネの祈り」の直後に語った言葉が思い浮かぶ。
それは、イエスがユダの裏切りにより、ローマ兵に渡さる場面で、弟子の一人がローマ兵に切りかかろうとした場面で発せられた言葉である。
「剣をとる者はみな、剣で滅びる」(マタイの福音書26章)。