「小ささ」の幸せ

ある海外からの特派員が、日本について「人や顔や背景などに、ここまで"ぼかし"を入れる国はみたことがない」と指摘していた。
例えば選挙後、投票所外で支持政党を聞いたら、半分以上が実名を明かさなかった。これはロシアと同じくらいの割合なのだそうだ。
ある記者がロシアで「生の声」を聞こうとインタビューした後、「匿名の記事にしますか」と聞くと、逆に「実名でなければ意味がない」と答えたという。
ロシアは下手な発言をすると拘束される心配があるが、日本にはその心配はない。どうして日本人は、個人を”ぼかす”のだろうか。
そういえば、日本人は古代から実名を明かさず「諱(いみな)」を使った。
下手に本名を名乗ると「呪いの対象」となる心配があるからだが、現代日本では、「個人情報の悪用」の可能性がある。
「アカウント名」で発信するSNSの「X」では、日本は米国に次いで世界2位という盛況をみせている。
現代の「アカウント名」はさしずめ、古き「諱」の風習の名残かもしれない。
ところで、NHKの番組の中に”例外的な番組”がある。「72hours」は日本人のリアルを3日間追ったドキュメンタリーだ。
どこにでもいる庶民が「顔出し」で、時として「名前」さえ呼んで、赤裸々に自分の人生を明かす。
それもあってか、彼らの声が「真実な声」として我々の心に届く。
直近の「72hours」では、フェリーで新潟から苫小牧に向かう人々を追っていた。
その中に、会社で長く働いてきて退職した人がいた。「なぜフェリーに乗ったか」とい聞くと、「組織の中で働いてきて、気づいたらいつのまにか高齢者になっていた。フェリーに乗って自由な時間を過ごしたい」とコメントした。
多くの日本人が思い当たる「心境」ではなかろうか。
組織の中の歯車として生きてきて、意味のあることを何一つやり遂げることのなかった自分、そんな姿を描いた映画が黒澤明の「生きる」(1952年制作)である。
市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。
ある日、渡辺は体調不良のため医師の診察を受ける。医師からは軽い胃潰瘍だと告げられるが、実際には胃癌にかかっていおり余命いくばくもないと悟った。
玩具会社に転職したかつての部下と会い自分が余命いくばくもないと伝えると、彼女は玩具をみせ「あなたも何か作ってみたら」と勧めた。
渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取った。
渡辺の造った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。
吉田兼好の「徒然草」(59段)に次のような文章(現代語)がある。
「悟りを開くのであれば、気がかりで捨てられない日常の雑多な用事を途中で辞めて、全部そのまま捨てなさい。「あと少しで定年だから」とか「そうだ、あれをまだやっていない」とか「このままじゃ馬鹿にされたままだ。汚名返上して将来に目処を立てよう」とか「果報は寝て待て。慌てるべからず」などと考えているうちに、他の用事も積み重なり、スケジュールがパンパンになる。そんな一生には、悟り決意をする日が来るはずもない。世間の家庭を覗いてみると、少し利口ぶった人は、だいたいこんな感じで日々を暮らし、死んでしまう」。

人間の中には、組織の中で生きる人々とは対照的に、日々生きるために「自然と格闘する」人々がいる。
いつもお世話になるNHKの番組で、最近「氷上の大移動~チベット天空の村」という番組を見た。
標高5070mヒマラヤ・チベットのツアイ村に住む人々を描いたドキュメンタリーだ。
そこには、ヒマラヤの青い宝石「プマユムツォ」、神の使いと呼ばれる魚が住む聖なる湖が存在する。
ツアイ村には樹木が生えず、2月、氷点下20度になると、湖は氷に覆われ突風が吹き荒れる。冬にはわずかな草もなくなる。
草が残るのは、通称「神が住む島」と呼んでいる5キロ離れた湖の島だけ。
そこで2000頭の羊たち全部を、いまだ草が茂る島に移動させ放牧することになる。
毎年、人間が氷の固さを確認して、それが十分な固さになると、1日がかりで移動させる。
なにしろ氷はよく滑るので、事前にヤクの糞を焼いて「灰」をつくって、それをまいて羊の「通り道」を作っておく。
それでも体力のない羊は、移動の途中でうずくまる。そこでツアイ村の人々は、動けなくなった羊を背中に背負って島に移動させる。
それは、微笑ましくも見える姿であるが、実際はとても過酷な移動である。
過酷な環境のためか、平均寿命は45歳である。
気になるのは地球温暖化で、それは村人の生活の過酷さを緩和するかもしれないが、湖が凍らなくなれば羊を連れての島への移動は困難になる。
また今から10年ほど前に、NHKBSで「天空を駆ける民 ~ウルトラ走力持つ民族 メキシコ秘境を訪ねる~」という、同じく高原を生きる人々のドキュメンタリーをみた。
それは、どこかユーモラスに思える人々の営みだった。
メキシコの山奥、コッパー ・キャニオンに住む「ララムリ」とよばれる先住民族。彼らは普段の生活で山の中を走っている。
彼らは「歩く」ことよりも「走る」ことが生活の標準なのだ。しかも彼らは「飛ぶ」ように走る。
先んじて同じ民族を紹介した「グレートレース ~走る民族の大地を駆けろ! メキシコ大峡谷250㎞~」では、彼らの住むところを舞台にしたトレランレース(耐久レース)の模様を紹介していた。
今回観たのは、このレースに参加したひとりの「ララムリ」に密着したドキュメンタリーである。
彼らは日常、山中で羊や牛の群れを追って生活しているが、とりわけ興味をひいたのが、「ララヒッパリ」というイベントである。
樫の木をソフトボールぐらいの大きさの「ボール状」に削って、これをチームで蹴りながら長距離を走るというもの。
村や集落単位でチームを作り、1チーム10名ぐらいで、複数チーム同時にスタートする。
速くゴールしたチームが勝ちで、優勝の商品は、牛一頭などの食べ物が大半である。
それだけに(?)、女性達もレースの行方に熱い視線をおくる。
「ララヒッパリ」はお祭りを兼ねて、年に数回行われるが、その距離とコースは、今回は総距離48㎞。コースはもちろん未舗装で、坂あり、川あり、石ころゴロゴロのところもある。
長いときは200㎞の時もあり、足腰が強靭になるのはあたりまえ。面白かったのは、彼らが履いているのは「ワラーチ」と呼ばれるベアシューズ。
日本人のはく「わらじ」そっくりで牛革で作るものだという。
走れば走るほど足と一体となり、足の底で地形を感じ取り、足指がでている分、指でバランスをとりながら走れるようになる。
さて番組では、脚力体力自慢の世界的ランナー達が、「メキシコ大峡谷250㎞のグレートレース」に参加してララムリとタイムを競うものであった。
外国人ランナー達は、「ララムリ」と走るのが夢であったらしく、あくまで挑戦者として臨みたいと語っていた。
彼らは世界のグレートレースに優勝したことのある実績のある人々なので、謙遜にいっているのかと思ったら、レース結果は「ララムリ」が上位を独占した。
もちろん「地の利」もったであろう、印象的だったのは、レースが始まる前にインタビュアーが「世界のランナーが、あなた方と競うがどう思うか」問うたとき、「ララムリ」の男性は「答え」に窮しておし黙ったことだった。
その時、ナレーターが「ララムリはシャイだ」と解説していだが、ちがうと思った。
なぜなら、彼らが「走る」のは競うためというより、生活そのものだからだ。
彼らが行う「ララヒッパリ」も、競うには競うがそれが一番の目的ではないからだ。
「ララムリ」のプロポーズは、男が女性の前に石を置く。NOの場合は、女性がその石を無視。OKは、女性は石をとって走って逃げる。
男は、その女性を追いかけ捕まえたらカップル成立。
多分、そのまま女性が逃げおおせて「カップル不成立」ということにはならないのであろう。
ヒマラヤのツァイ村やメキシコの「ララムリ」のような人々は、組織の一員として一生を生きた人々と比べ、「自分の人生は何のためにあったのか」と振り返ることはあるのだろううか。

2024年、パリオリンピックまであと1週間だが、古代の洞窟には様々な人間の営みが描かれている。
「世界最古のスポーツは何か」という話題で必ず名前が上がるのがレスリングである。
レスリングに関する最も古い資料は5000年前のシュメール人のもの。
くさび形文字で書かれた叙事詩にレスリングが登場している。
また古代の洞窟にはしばしば「レスリング」をする絵が描かれている。
元シンクロナイズドスイミングの代表・小谷実可子は、旅先のどこかの古代洞窟で、「イルカ」の絵を見たことがあるという。
それは何気ない記憶であったが、後にイルカとの実際の出会いが大きな意味をもつことにり、壁画のイルカとの出会いに大きな意味を感じたという。
小谷にとっての人生の転機は、ソウルオリンピックの後、家でテレをで見ていたら面識のないアメリカ人のオジさんからあった一本の電話であった。
「君の演技は素晴らしかった。でも水の中には君よりももっと美しく泳ぐもの たちがいるから会いに行こう。イルカを見ないか」と誘われるようになった。
そのオジさんから毎年ように電話がかかってきて、シンクロがだけが全てじゃない、などとお節介がましく言われ疎ましくと思っていた。
ところが次のバルセロナオリンピックで補欠になりアスリート人生に不安を覚えた時、「シンクロだけが全てじゃない」という言葉を思い出し、93年夏にイルカを見にバハマに行った。
そしてイルカと並走するように泳いだ時に体の中に電流のようなものが走ったという。
海と一体化し自分のちっぽけさを知りつつ幸福感に浸った。それから人生観が変わった。
かっこよく泳ごうとか、カメラ映りをよくしようとか、こちらの気持ちに邪心があるとイルカは近寄ってさえ来ない。
自分が自然と一体化して、イルカとたわむれようという気持ちになったとき、イルカも近づいてくる。
だからイルカと対面するためにいつもピュアな気持ちでいようと心がけるようになったそうである。
またイルカはけがをした仲間の動物をかばう性質があり、人間の中から病人を選別でき、その病人を特別扱いする習性がある。
イルカは人間の血圧の状態や脈拍がわかり、例えば右半身が麻痺している人が海に入れば、イルカは必ず不自由な右側を支えるような位置にまわってきて泳ぐという。
自閉症の子が泳いでいた場合は、イルカと一緒に泳ぐ事によって、自分はイルカに特別扱いされたと思い、自分の存在を認めてくれた喜びと自信を与えてくれるというのだ。
オリンピックの出場権をめぐりライバルとしのぎを削ってきた小谷にとって、イルカ体験は「癒し」以上のものであった。
そして自分がイルカを通じて「圧倒的に大きなものの一部である」という認識が、えもいわれぬ幸福感に導いたのである。
その幸福感はメダルを取った時の喜びよりもはるかに大きいものだった。
自分を大きく見せようと頑張った小谷は、自分を「ゼロ」に近似させるほど、大きくなっていく喜びがあることを初めてしった。
この小谷さんの体験を聞いて思い浮かんだのが、西行が詠んだの歌である。
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」。
西行は、平安時代末期~鎌倉時代初期に生きた歌人であり僧侶である。
もともとは、藤原氏の流れを汲む北面の武士(京都の上皇が住む館の北側を守る武士)だったが、23歳で出家した。
人の突然の死や失恋が原因だったと言われている。
その後、日本全国あらゆるところに「草庵」を営みながら人生を過ごし、当時から有名な「さすらいの歌人」だったといってよい。
奥羽に行く途中には源頼朝と面会し、歌は多くの歌集に撰出される有名人であった。
没後15年に成立した勅撰集『新古今和歌集』では個人最高の94首が撰出されている。
江戸時代の松尾芭蕉は西行に憧れており、『おくのほそ道』は西行500回忌にあたる年に芭蕉が江戸を発ち、奥州・北陸を旅した作品である。
上記の歌「なにごとのおわしますかは~」が、いつ詠まれたかは分かっていないが、西行が伊勢にいた頃、伊勢神宮に参拝した際に詠まれた歌である。
この歌は日本人の宗教感をあらわしているともいわれている。
まず、真言宗(仏教)の僧侶だった西行だが、神社(神道)で感動した歌を詠んでいるという点である。
宗派を超え、仏教も神道もあまり区別しない鷹揚な宗教感がただよってくる。
そこにあるのは、「自分の小ささ」を誰に阻まれることもなく、思う存分に味わえる幸せ。
それは、組織の中の歯車に過ぎなかった「小ささ」と全く違う質のものではなかろうか。
現代のSNSのやりとりで、承認「いいね」欲しさは不安とか承認とかを求めている
一方で、誰からも知られず生きることへのいら立ちからか、病的に肥大化した自我を抱えながら生きる人もいる。
秋葉原で多くの人々を殺傷した男は自分について、事件前日に次のようなことを携帯サイトに書きこんでいる。
顔のレベル0/100、身長167、体重57、歳26、肌の状態最悪 髪の状態最悪 輪郭最悪。
普段会う人の数0、普段話す人の数0、自分の好きなところ無 自分の嫌いなところ無、 ある人々にとっては、日々自分を「ゼロ」と散々に打ち消しているため、よほど偉大なことか逆によほど悪いことをしなければ、周りが自分の存在に気づいてはくれないという「被認知飢餓地獄」に陥っている。
トランプ元大統領の暗殺未遂事件を起こした介護施設で働く青年は、特に政治的主張があったというより、そちらの傾向が強いのかもしれない。
平安時代の貴族たちは、死の不安のためか阿弥陀仏の指と自分の指を赤い糸で結んで死の床についていた。それが「あみだくじ」の由来となっている。
NHKのドキュメンタリーで見た、傷ついた羊を背負い神のいる島に渡る人々にとって、メキシコの高原を飛ぶように走る人々にとって、本人が自覚しているかは別として、何か「大きなもの」に包摂されている思いは、生きることの過酷さを補ってあまるものであろうと推察した。
そこでは人間の生老病死も、自然の一部と考えられる。組織の歯車の一つとして生きた人の「老後感」とはまったく違うように思えた。
自然にはそもそも「老後」という概念がないのだから。