日本で株が史上最高値を更新しそうな勢いだ。新型ウイルス以後の企業業績の改善、アメリカの株高、中国経済の不振が大きな理由なのだそうだ。
特に、中国の成長の陰りがみえることから、ヨーロッパを中心とした海外投資家たちが投資先に困って、日本株を買い漁っている面が大きい。
その一方、日本の実質賃金はほとんどあがっていない。こういうアンバランスは、難しい経済理論を知らなくとも、原理的にみると危険な兆候である。
ただ、ほとんどの人がこの状況がいつまでも続くと思っていないので、「バブル崩壊」のような株価急落の緩衝材料となろう。
また、賃金が上がらず「所得効果」による需要増は少なくとも、新NISAなどによる「資産効果」による需要増が見込める。
さて、世界恐慌(大恐慌)は、どうして起こったか。
第一次世界大戦で戦場とはならなかったアメリカは、好景気に沸いた。
裕福な人々がアメリカでますます豊になり、自分のお金をどう使っていいものかわらなくなっていた。
この人々は消費を押し上げることはできない。
自宅に使用人を雇い、高級車、ヨットなどその時代が提供できるものはすべてもっていた。
そこでウォール街は、ただ資産を増やすだけに投機をする人々が増えていく。
1927年、アメリカでは国民の10分の1の富裕層が国民所得の46%を占めていて、最上位の1パーセントがGDPの24%を占めていた。
会社の利益が爆発的に増えると投機によってお金持ちはますます豊かになる。その一方で、労働者の実質賃金は停滞したままである。
経済の成長は技術の進歩が生産性を上げたときにしか実現されない。
しかし、まさにこのたえざる技術の発展は資本主義の原動力であると同時に、そこに内在する最大の脅威となる。
なぜなら、このダイナミズムが賃金と利益のバランスを壊し、こうしたアンバラスが明白に現れたのが、第一次世界大戦後のことであった。
アメリカの産業の生産性は、労働者あたり43%上がり、10年前の約1.5倍の製品を生産できるようになった。
過剰生産にならないてめには、このあふれるほどの商品を労働者が購入できるように、賃金も相応に上がらねばならない。
しかしそうはならなかった。コストが下がったことを喜んだ企業家は、技術の革命が授けてくれた特別の利益をなんのためらいもなく「自分の懐にいれる」ばかり。
その一方で賃金はあがらないので、すぐに売れ行き不振になる。
このパラドクスから抜け出す道はひとつ。なりふりかまわない「投機」で、それは1927年ごろから起こっていた。
企業家や資本家は巨大な利益にどっりつかり、その巨大な収益から送られてくるサインは、株式はまだ「上昇の余地あり」というものだった。
企業家の利益が上がれば当然、株式相場も上がるにちがいない、と投資家はこぞってそれの相乗りした。
しかし、その先には奈落の底がまちかまえているともしらず。
そこにある種の認知のゆがみもおこりやすくなる。
企業家は収益をあげて利益をあげるが、自分の経営上の収益を国民経済レベルでの利益と錯覚しがちである。
需要が伸びなくなり、結果として「実体経済」に投資しても収益が見込めない。
それでも資産がふえているように見えるのはが「投機」である。
この時、投機家に自己資金がなくてもいっこうにかまわない。
つまり「信用貸し」で資金を調達し、それで株式を買い、その株式を担保として銀行に預ける。
顧客は10パーセントほどの内金(マージン)をはらえばよい。
マージン自体が担保ということだが、株式が下がり損失のおそれがある場合には、銀行が追加請求することは可能であった。
渦中にある者は、これが破滅のシナリオであることに気づく人はほとんどおらず、永久に好況が続くと信じた人々ばかりであった。
「大恐慌」に至るには、様々な要因が重なり合った。
発明王エジソンが発明した「市況速報機ティッカー」が人々の投資熱をさらに煽ることとなる。
それは、全米にはりめぐらせられた通信網を利用して、
株の値動きをリアルタイムで伝えた。
ティッカーは大流行し、駅、美容院、ナイトクラブなど、あらゆる場所に設置された。人々はますます株投資に熱中した。
株価はわずか5年で3倍に急上昇、集まった資金は企業をさらなる上昇に導いた。
「信用買い」という新たな仕組みが生まれて株ブームを加熱させていた。
投資家は1割程度の証拠金さえ支払えば、残りは借金でその何倍もの株を買うことができた。
株価が上がれば利益は10倍になり、下がれば損失が膨らみ、追加の証拠金をせまられる仕組みであった。
投資家はどこまでも株は上がり続けると信じ、身の丈以上の投資に手をそめていた。
そんな好景気にあって、これが潮時と投機から手を引き、大恐慌の惨禍からまぬがれた人物もいる。
それが、伝説の相場師・ジョゼフ・ケネデイで、JFケネディの父親である。
ケネディは靴磨きの少年が「石油株や鉄道株を買いなさい。天井知らずです。情報通がきたんです」と株の話をしたのに、靴磨きまでがわけしり顔で、株の話をするのに、もはや潮時と株を市場の崩壊は近いと株を売り抜けた。
ジョセフ・ケネディが、投資の才覚を発揮したのは、大恐慌の3年前1926年のフロリダを襲った巨大ハリケーンの出来事であった。
人気のリゾート地は壊滅、急騰を続けていた不動産価格は暴落する。多くの投資家が投げ売りする中、ただひとりケネディはその土地を買いあさった。
その七年後、政府は1800億ドルの復興資金を投入すると、不動産価格はふたたび高騰、底値でて煮れていた高値で売りさばいた。
市場崩落のきっかけは遠くイギリスで起きた出来事だった。
ある大物実業家が詐欺罪で逮捕され、イギリス経済への不安が高まった。
イングランド銀行は金利の引き上げを発表した。するとイギリスの高い金利をめあてに、アメリカから資金が流れだした。ダウ平均株価は下がったが、一時的なものとみて再びあがった。
エジソン白熱電球記念式典の3日後、しかし10月また下がり、1929年10月24日暗黒の木曜日となった。
ひとりの投資家が大量のGMの株を売ったのがきっかけだった。
モルガン商会が買い支えたが、テイッカーはあまりの値動きに最新の値動きを表示できない。
正確な株価がわからない恐怖の中、投げ売りが殺到した。
損失額は30億ドル、現在の価値7兆円である。
多くの投資家が信用買いしていたことがアダとなった。
何倍もの借金として直撃し、破産するものが続出した。1週間で25パーセント下落、損失額500億ドルで、現在価値100兆円に匹敵する。
すべての株を売っていたジョセフ・ケネディには、莫大な利益が残った。それがどれほどの額かは生涯明かすことはなかったが、次のように語っている。
「最高値まで頑張りとおすのは馬鹿者だけだ。いまはまぬけどもが残していったかけらを拾う時がくるのをまっているだのだ」。
そしてフランクリン・ルーズベルトが就任し、ジョセフ・ケネディは、巨額の資金でルーズベルトの選挙を応援し、「証券取引委員会委員長」となった。
株価操作のうわさが絶えなかったケネディを、あろうことか市場を監視させるポストにすえることに、批判があつまった。ルーズベルトはその理由を側近に、「株式市場の泥棒を捕まえるには、どろぼうが必要なんだ」と語っている。
ケネディは、52歳で政界を引退、その財産を息子を大統領にするために使った。
民主党の大統領候補となったジョン・F・ケネディは、下馬評を覆して共和党の候補リチャード・ニクソンを破り、若くして大統領に就任した。
日本の「株価高騰」の理由の第一が、日銀が長期に数兆円規模の資金で買い付ける事を約束している。
つまり、日銀が日本株を買うなら、日経平均株価が上昇するので、それに乗らない手はない。
2020年2月、新型ウィルスによって株価の大暴落が発生したが、ここでも日銀はETF(日本の株)の買い付けをさらに増やして、日本の株式市場を支えた。
株価の状態を判断する指標の一つにPBRというものがある。
株価 ÷1株当たり純資産 によって得られるPBRは企業の株価の割安さを測る指標です。
本来であれば1倍以上が当たり前だが、PBR<1の場合は、その企業の本来の価値よりも安い値段で株を買えることになるので、「割安」であると考えることができる。
2023年3月、東京証券取引所がプライム、スタンダード市場に上場する企業約3300社に対し、資本コストや株価を意識した経営の実現を要請する通知文を出した。
その中で、特にPBRが長期にわたり1倍を下回る企業に対し「改善策」が強く要請された。
実際、日本では、このPBRが「割安」な企業が多く、海外投資家はこの改善策にも期待しているようだ。
また、新NISAが宣伝され、個人投資家の拡大もあった。
つまり、世界的にどの国も景気が思わしくないから、「自社株買い」(自社の株を買い戻して株価を引き上げる行為)に取り組んでいる日本企業に投資しておこう、というものである。
ともあれ、この急騰劇を作り上げた相場の主役は、欧州を中心とした投資家である。
数か月間あまりで、およそ数兆円規模の資金で日本株を買い越しした。
では、欧州投資家は、なぜ日本を買い付けたのかというと、欧米の景気後退を懸念し、消去法的に日本株に資金を振り向けたとされる。
また、「円安」の恩恵を受けている商社や自動車業が好業績を維持しつつ、欧州投資家にアピールできる「成長戦略」が必要になる。実は、自社株買いに資金を投下するのは、長期的成長戦略からみれば望ましくない。
世界中の投資マネーが集まるアメリカ。国をあげてベンチャー企業の育成に乗り出している中国にくらべるとその規模は見劣りしている。
日本では、ユニコーン企業育てるのに必要な投資資金が圧倒的に足りない。日本のベンチャーキャピタルの投資額はアメリカの80分の1程度にとどまるという報告もある。
また、会社に就職するだけでなく、自らビジネスを起こすのもキャリアの選択肢として存在するという人材教育も必要かある。
日本では失敗が許されないという精神風土があるが、アメリカでは「起業して失敗した人」のほうが、「起業をしたことがない人」よりも高く評価され、ベンチャーキャピタルや大企業に就職する機会に恵まれるというケースも多いという。
就職や再就職の際にも「成功体験」だけでなく、こうした「失敗した経験」をも、むしろプラスに評価して受け入れていくといった人事評価のしくみや組織風土を作っていくことが重要である。
2008年9月15日、リーマンブラザーズが破綻した。アメリカの住宅バブルがはじけ、多額のサブプライムローンが不良債権となっった。
世界中の資金の流れが止まり、巨大保険会社AIGや銀行最大手「シティグループ」などが相次いで経営難に陥り、またGMとクライスラーの2社も破綻した。
影響はアメリカにとどまらず、アイスランドやハンガリーさらにギリシャなどヨーロッパ各国の債務危機へと広がり、日本も大きな打撃を受けた。
世界貿易の急激な縮小により、2009年の1月から3月期までのGDPの伸び率は、年率換算でマイナス18パーセントと戦後最悪の数字となった。
100年に1度といわれる危機だったが、この時、アメリカや中国は、日本の「バブル崩壊とその後」をつぶさに研究をしそれを政策に生かした。
1つ目は異例の「金融緩和」で、アメリカは、史上初めてとなる事実上の「ゼロ金利政策」に踏み切り、輸血をするかのように市場にカネを流し込んでいった。
日銀やECB・ヨーロッパ中央銀行も後をおうように金利を引き下げ、世界のカネの流れの滞りを修復していった。
2つ目が大規模な「財政出動」で、中国は日本円にして50兆円を超える経済対策の実施に踏み切り、世界を驚かせた。
そして3つ目が銀行に対する「規制の強化」である。
金融危機が2度と起こらないようにするため、危機の要因となった低所得者への過剰な貸付や、預金者のおカネでリスクの高い投資を銀行が行うことを禁じ、監視の目を強めた。
こうした対応を行うことで、1990年代に起きたバブルの崩壊後、長期低迷に陥り「失われた20年」を経験した日本にくらべると、はるかに短期間で、事態の収束をはかることに成功した。
しかし、このときに決まった対応策が、今や世界経済にとっての「不安材料」となっている。
すなわち、① 危機対応策の長期化による新たなバブルの可能性。② 存在感を強める機関投資家。
③ 危機対応のための限られた選択肢、である。
まずは新たなバブルへの懸念とは、異例の金融緩和、当初はカンフル剤として短期的に実施するはずであったが、日本とヨーロッパは現在もマイナス金利政策を続けて、いわば「点滴」を続けている。
そして金融緩和によってありあまった資金は、新興国それにアメリカの株式市場などに流れこみ、バブルに近い現象を生み出している。
また、中国でも、リーマンショック後の大規模な景気対策として実施した大掛かりなインフラ投資などによって、民間債務・すなわち企業の借金の額が日本のバブル期を越える額にまで積みあがって、大手の不動産会社が倒産している。
バブルがはじけてこうした債務が「不良債権」となれば、その影響が中国経済に陰を落としている。
2つ目は、存在感を年々強めている機関投資家についてである。
金融危機の再発を防ぐために規制を強めた結果、銀行は以前ほどには利益を生まない。
このため、リスクマネーの行き場がなくなって行き着いた先が、銀行規制の対象とならない「ヘッジファンド」など、銀行以外の機関投資家である。
最近特に、一部の専門家の注目を集めているのが膨張を続ける巨大資産運用会社の存在である。
日本のGDPの2倍にあたる額を、数少ない会社で運用している。
バブルが崩壊した場合、こうした機関投資家が抱えている金融商品や資産を一斉に売り出すことで株価や資産価格の下落に拍車がかかる。
興味深いことは、このような「ものいう株主」をさけるために、大企業の「非上場化」が起きていること。
最後に、再び金融危機が起きた場合、各国がとれる対応策が極めて限られている。
すでにマイナス金利を続けている日本やヨーロッパにとって、金利をこれ以上引き下げて景気を回復させるのは非常に難しい。
また、財政出動をするにも、日本をはじめ、各国の債務は積みあがっている。
また、アメリカでトランプ政権になった場合、国際協調や貿易摩擦による影響も、「トランプ・リスク」のひとつである。