聖書には「水瓶」を運ぶ人々が登場する場面がいくつかある。それぞれが時間の経過を通じて重なりあっているように思えるのは不思議なことであり、神の奥深いはからいを感じさせる。
イエスは親族のひとりとしてカナという町の結婚式に出席していた場面がある。
聖書によれば、「ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水瓶が六つ置いてあった」(ヨハネの福音書2章)とある。
「きよめのしきたり」に従って使われる水瓶は大小あって、女性達が日々に運ぶ水瓶よりも、大きなものであったことが推測できる。
結婚式が進んでいくと葡萄酒がなくなっていく。
しもべがそのことをイエスに告げると、イエスが水瓶に水を満たしなさいと命じた。
しもべ達がそのようにすると、驚いたことに水瓶の水が濃厚で芳醇な「葡萄酒」に変ってしまったのだ。
この結婚式で、水が葡萄酒に変ったという奇跡を認識できたのは舞台裏にいて水瓶に水を満たしたしもべ達だけで、「水をくみししもべは知れり」(マタイの福音書8章)と告げている。
ここに出てくる「石の水がめ」は、水をたくさん汲み置きしておく据え置きタイプの大きなものである。
この結婚式では、洗礼の奥儀が語られているのだが、それは早くもモーセの時代に預言されていた。
聖書全般を読めば、葡萄酒は「イエスの血」を意味するので、「水が血に変わる」ということ。
これは洗礼を受けることの意味を示し、「イエスの血」をもって罪がきよめられるということを意味する。
世界でもっとも有名な絵といっていいレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の場所は一体どこなのであろうか。
実は新約聖書には、弟子たちがその場所を探している場面が記してある。
弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか」。
そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水瓶を持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。
弟子たちは出かけて市内に行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした(マルコの福音書14章)。
さて聖書にしたがって「洗礼を受ける」ことが救いの条件だが、洗礼と共に「洗足式」を行う教会もある。
それは「最後の晩餐」での出来事に由来する。
イエスが夕食の席から立ち上がって、水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
ペテロの番になった時、イエスに「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と問うた。
イエスは彼に答えて「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」といわれた。
ペテロが「わたしの足を決して洗わないで下さい」というと、イエスは彼に「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と答えられた。
ペテロが「では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」というと、イエスは「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから」と語られた(ヨハネの福音書13章)。
この「足を清める」ということには、モーセの時代から特別な配慮がなされていた。
紀元前17C頃になると、イスラエルで大飢饉がおきて、エジプトの地に身を寄せることになる。
しかし、約400年もの間、エジプトで奴隷生活を強いられることになり、民族の苦難が極限に達した時、モーセが現れる。
モーセはパロの娘に見いだされてエジプトのプリンスとして育てられたが、自分がユダヤ人であるということを知る。
そして、神に選ばれた民として奴隷として生きることを決意する。
しかし、同胞の喧嘩の仲裁にはいって片方を殺してしまい、それを目撃されてエジプトから逃亡することになる。
ミデアンの地で40年間を羊飼いとしての生活を送り、80歳になった頃、シナイ山に何かが燃えているような不思議な光景を見た。その光景とは「燃えているのに燃え尽きない柴」であった。
モーセはそこに近づこうとしたとき「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である」という声をきく。
人類創世以来、土地は呪われており、幕屋で仕える祭司たちも聖所に入るときは、必ず裸足であった。
イエスは、弟子を伝道に遣わす際に「人々があなたがたを受け入れないばあいは、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい」(ルカの福音書9章)ともいっている。
また、「くつを脱ぐ」ことについては、旧約聖書「ルツ記」にも記述がある。
イスラエルでは子どものいない男が死ぬと、その弟が兄の嫁をめとることが定められていた。
弟がいない場合には、血縁の近い順番で権利の優先度がある。
土地の有力者ボアズは、飢饉でモアブの地で暮らし、その間二人の息子を失って帰還したナオミについてきた嫁ルツと結婚しようとするが、ボアズ以上に優先度の高い親戚がいた。
ボアズは長老たちに証人になってもらい、その意志があるかどうかを確かめたところ、男は自分の権利と義務を放棄する。
その際に、男は、自分の靴(履物)を脱いで、相手にそれを渡すことによって自分の意志を表したのである。
ここで「くつ」を脱ぐということは、相手の意に任せる。あるいは「奴隷の立場に自分を置く」ということに他ならない。
シナイ山で、神がモーセに語った「ここは聖なる地、靴をぬぎなさい」という命令にしたがうことは、「神のしもべとして仕える」ことを意味している。
日本の「ゲタを預ける」という言葉に幾分近いようだ。
日本で家中で靴をぬぐ習慣があことや、先祖の土地に対して「一所懸命」であることも、イスラエルに近いところがある。
イスラエルもまた先祖の土地(または井戸)を大事に思う傾向がある。
現在でもユダヤ教徒は昔とかわらず厳格な戒律を遵守している。
日本人と似ているのは水を様々な場面で、洗うためだけではなく、「きよめ」として用いていることである。
当然ながらたくさんの水が必要で、家族の若い女性の重要な役割に〝水汲み”があった。
聖書には、「水瓶」を肩に載せて運ぶ女性の話については、「めでたい話」がある。
ヘブライ民族の租アブラハムは、年頃になったイサクのために、年頃の娘を探す為、故郷メソポタミアへ忠実な家僕エリエゼルを差し向ける。
自分の息子イサクの妻にはカナン人でなく、自分の故郷つまりメソポタミヤのカルデア(新バビロニア)の女性を迎えたいと思っていたらしい。
アブラハムの住むヘブロンから故郷ハランまで、直線距離にして800キロで、ラクダでおおよそ1か月の旅である。
家僕エリエぜルは長旅の末にたどりついた町外れの井戸の傍らに休み、次のように祈る。
「今日わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水瓶を傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう」。
家僕がまだ祈り終わらないうちに、ひとりの女性が「水瓶」を肩に載せてやって来た。
家僕は、「水瓶の水を少し飲ませてください」と頼むと、彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水瓶を下して手に抱え、彼に飲ませた。
彼が飲み終わると、彼女は「らくだにも水を飲ませてあげましょう」と言いながら、すぐに甕の水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。
彼女は10頭のらくだすべてに水をくんで与えたが、それはかなりの重労働であったことであったであろう。
家僕は、この美しい女性こそが神が選んだ女性であると確信し、家に泊めてもらえないかと尋ねた。
すると彼女は名前をリベカといい、アブラハムの弟の孫にあたることが判明した。
アブラハムが望んでいた条件が「親族の中の娘」であったので、条件に合っていた。
家僕はそのような娘の処に導いて下さったことを神に感謝したが、この結婚はその家族とリベカ本人の了解なしには実現しない。
家僕は娘の父ベトエルと兄ラバンと会いそのことを確かめると、二人は「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください」と答えた。
肝心のリベカもそのことを受諾したため、家僕は神に大感謝をささげリベカと共にアブラハムとイサクの待つカナンへと旅立つ。
そして、家僕はアブラハムの元に戻り、自分とリベカとの出会いの経緯をすべて報告した。
イサクもこの結婚が神によって整えられたことを納得し、リベカを妻に迎えることにした。
ちなみに、イサクとリベカはこの間、一度も顔あわせをしてはいない。
とはいえ、イサクは妻リベカによって亡くなった母サラに代わる「慰め」を得たばかりか、イサクはリベカを深く愛した。
イサクとリベカの間にエサウとヤコブという兄弟がいた。ヤコブは兄エサウの長子の権利と神の祝福を奪ったため、これを恨んだエサウは、ヤコブを殺すことを企てる。
これを知った母リベカは、ヤコブを実家へ避難させるように取りはからった。
リベカの実家は、前述のごとくハランにあり、リベカの兄ラバン(=ヤコブの叔父)が住んでいた。
カナンからハランまでの距離は約750kmもあり、ヤコブがハランへ向かう途中の町で石を枕に横たわっていた時、夢とも幻ともつかぬ「天への階段を天使が上り降りしている」のを見て、その地をベテル(神の家)と名付けている。
その時、神が「あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとその子孫に与え、あなたを守ろう」と言われて、ヤコブに祝福を与えた。
そこで、この辺りにヤコブは井戸を掘ったという伝承が残っている。
時代がそれから2000年も下った時、イエスは、サマリアの町をとおりかかり「ヤコブの井戸」というところで休んでいた。その時に、水瓶をもって水を汲みに来たひとりの女性と出会う(ヨハネの福音書4章)。
イエスが「水をください」というと、女は逆にサマリア人の自分にどうして声をかけるのかと訊ねる。
当時、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪く話をすることさえしなかったからだ。
その時の時間は「第6時ごろ」とあるので、正午ぐらいの時間で水をくむには遅すぎる時間である。
この女性は、ほかの女の人たちと顔を合わせるのを避けようとしたかもしれない。
というのもイエスが「あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではない」と言い当てた、そんな事情があったからだ。
女性は、初対面なのに自分の人生を言い当てたと素直に驚いているが、イエスは女性が水を与えてくれたことに対して、「あなたが私を誰かしっているならば、あなたのほうから水が欲しいというでしょう。なぜなら永遠に至る水を与えることができるからだ」と語っている。
すると女性は、「自分がこの井戸まで水を汲みにこないで済むように、その水なら与えて欲しい」と素直すぎる反応をしている。
イエスのいうところの「永遠の水」とは、人間のうちから溢れ出る「聖霊」を意味している。
聖書の中で「水瓶のある場面」は、洗礼や洗足式そして聖霊など、すべて「福音」と結びついた極めて重要な場面であることがわかる。
ところで、(最後となる)晩餐の準備をしていたペトロとヨハネの兄弟は、街中にはいって「水瓶をもった男」という言葉だけを頼りに、エルサレムに行った。
するとペトロとヨハネは迷うこともなくその男にたどりつき、「先生(イエス)が食事の場所を必要としておられます」というと、家の主人は、すべてを察したかのように、さっそく二人をある二階座敷に案内し、そこで過越の食事を準備をしたのである。
また、イサクとリベカの結婚における出会いも、家僕は何の苦労もなく、水瓶を肩に乗せたリベカに出会っている。
上(天)からくる出来事はそうしたものである。
「主の山に備えあり」という言葉が思い浮かぶが、それは旧約聖書のアブラハムがイサクをいけにえに捧げようとした出来事に由来する(創世記22章)。
神はアブラハムを試みて、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。
そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。
アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。
やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。
そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。
アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
それでアブラハムはその所の名を「アドナイ・エレ」と呼んだ。
それは「主の山に備えあり」という意味である。
実はイエスが十字架にかかったゴルゴタの丘こそは、このモリヤの山の一角なのである。
「角を藪に掛けた一頭の羊」は、十字架に架けられるイエス・キリストの”影”となっている。