日本人は無信仰といわれれるが、「八百万(やおよろず)の神」とか、言霊(ことだま)」というものがある。
信仰の対象が、西欧の宗教の概念とは異なるにすぎず、日本人は無意識的に不吉なことを言葉に出したりしないなど、宗教性を秘めている。
こうした、言ったことが現実におきてしまうといった「言霊」へのおそれは、思わず口に出さないように、考えさえしないようにしているため、「リアルな現実」と向き合うことを阻む。
「希望的観測」に依りたがるから、情報が正しく伝えらず、危機を十分に認識できない。特に「最悪の事態」を想定したようなリスク対応ができない。
文化の面でいえば、日本人は「言葉の力」(=言霊)を知っていたからこそ、世界「最短」の詩つまり「俳句」や「短歌」の文化を生んだのではないか、と思う。
インドや中国にもない、専修念仏(南無阿弥陀仏)や題目唱和(南無妙法蓮華経)といった日本独自の仏教が発展したのも、「言霊信仰」があったからこそではなかろうか。
また、同じ言葉を繰り返すことは、パーソナルな救済ばかりか、世界を変える力があるという信仰さえも生まれる。
では言葉がなぜそれほどの力があるのかといえば、日本人の八百万神信仰と関係するのではなかろうか。
言葉が発せられば、日本人の日常と結びつく様々な神々(八百万神)に届くからである。
人々が言葉を発する話し合いのなかで物事を決しているのは、そんな相互作用で生じる「自然のなりゆき」で、理をつくした合意とは異なる。
そこで生成されたいわば、「空気」がものごとを決しているので、その場にいた人々みんなで責任を分かち合おうということになる。
言い方を変えれば、誰にも明確な責任がない。
時に、よからぬ企ての合意(裏金作りなど)ならば、外部に漏らさないのは暗黙の了解だ。
日本政治のスキャンダルで繰り返されることは、こうしたことではなかろうか。
また、自然に生成して生まれたものは「決定的」なものではなく移ろいやすいものであり、「完全」とか「絶対」ということにはならない。
政治の世界で、記憶にない、水に流す、前言を翻す、といったことが繰頻繁にくり返されるのは、そうした文化的背景と関係しているのではなかろうか。
また、日本人は「完璧であること」に対してどこか「おそれ」のようなもあって、古来より「欠けたモノ」を尊ぶ傾向がある。
清少納言は“月は満月よりも、幾分欠けているほうが風情がある”と書いていたし、兼好法師も“螺鈿(らでん)は少し剥げ落ちたところに風情がある”といって、「不完全の美」を愛した。
栃木県日光に「逆柱」(さかばしら)というものがあるのを知った。
「逆柱」というのは、日光の東照宮などの建築物に見られる、わざと「逆さ」に立てた柱のことである。
どうしてわざわざ逆さに立てるかというと、 あまり完璧な建築物を「人間ごとき」が建てると、神の不興を買うから、完璧すぎないようにわざとアラを作っておく、というものである。
千利休が綺麗に掃き終えた庭にパラパラと葉っぱをまいた。その姿を見ていた弟子が、「せっかくはいたのになぜですか?」と尋ねると「秋の庭には少しくらい葉っぱが落ちている方が自然でいい」と答えた。
さて、林業の世界で、たくさんの樹を伐採するとき、ある地域ではなぜか魚のオコゼを捧げるのだそうだ。
「林業」を営む人々の仕事内容と、魚の「オコゼ」とを結びつけるのは、大変奇妙なことであろう。
タイやヒラメならまだしも、なぜオコゼなのか。
その答えは、オコゼは顔が見にくいので「森の神様」を怒らせ(嫉妬させ)ないのだという。
林業の町和歌山県の尾鷲に残る「オコゼ」話から、ヨ-ロッパ中世のどこかの国の話を思い浮かべた。
戦に勝利した凱旋軍をむかえる町の人々が、兵士達を徹底的に笑いものにし、虚仮(コケ)にするそうである。
それでは国を守る意欲も失せよう、それどころか怒りバクハツになりそうだが、兵士達は満足げに凱旋するのである。
いったいこの「珍風景」をなんと説明したらいいのだろう。それは、戦士たちを「讃える」あまり、神様が嫉妬しないように、そうするのだそうだ。
狭量にも思える、この神様とは「守護聖人」のたぐいである。
ヨーロッパのキリスト教は「習合宗教」なので、在来土着の神々をキリスト教の「聖人」に仕立て直して祀り、「守護聖人」としたのである。
「森の宗教」という点からすれば、岡本太郎がケルト文化と縄文文化が似ていることを指摘するが、ヨーロッパの都市の多くに「守護聖人」といわれるものが存在している。
唯一神信仰のはずのキリスト教には、多分に「多神教的要素」を取り入れており、案外と日本の「八百万の神々」と通じるものがある。
ロシアの文豪トルストイの言葉に、「幸福な顔はどれも同じだが、不幸な顔はそれぞれおもむきが違う」とある。
音楽の世界で「天賦の賜物」を受けた人々、例えばエルビス・プレスリー、ホイトニーヒューストン、マイケル・ジャクソンなどにみるように、その栄光と釣り合うくらいに悲劇的である。
ひとつは、周りに欲深い人々が集まってきて、もってきたおいしい話に乗っかって失敗したりする。
もっと実存的なレベルでいえば、富・名声・知恵すべてを与えられたソロモン王のは、「この世のすべては空の空」というのが人生の結論であった。
その一方でソロモンは、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ」(伝道の書12章)と述べている。
ただ、旧約の時代を生きたソロモンは、「神の国の福音」をいまだ知らない時代であった。
聖書の詩編をよむと、ソロモンの父ダビデはソロモンほどの栄耀栄華に至らなかったおかげで、「空の空」という言葉はまったくみあたらない。
そして、「神をたたえる」ことを信仰のベースにおいていることがわかる。
「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。 しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう」(詩篇20篇)とある。
新約聖書の中でイエスは、自分達こそが「神に近い」と民衆を蔑んでいるパリサイ人や律法学者に対し、「互いに誉れを受けながら、 ただひとりの神からの誉れを求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか」(ヨハネの福音書5章)とも語っている。
また、「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ」(ルカの福音書16章)という言葉もある。
つまり、人に望みをおき、人を讃えるようなことは、神は喜ばず、それは人を失望に至らしめることになる。
エデンの園で人が禁じられて「園の中央の木を食べた」ことが、人間の「原罪」であり、それゆえに「死ぬ存在」となる。
善悪を知る木を食べたことで楽園を追放され、神の意思を離れ自分で良し悪しを決めるという意味で「神のごとく」になったことを意味する。
そして神の意思に反することをなし、古代ヘブライ王国では「神の怒り」に対しそれを宥めるため、香をたいたり燔祭を捧げたりして、その儀式の様式そのものが「ユダヤ教」を形成したといってもいい。
ここで「人間が神の意思に反する」とは、我々が思う道徳的な次元とは全く違う。
祭司サムエルにより油注がれたイスラエルの初代王がサウルで、当初大いに祝福された人物であった(サムエル記上10章)。
サウルは裕福な家に生まれ、「イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった」とある。
またサウルは、アンモン人が包囲した町を強力な反撃で包囲を解いたことで民衆の支持を集めた。
その後、統制され鉄器を使うペリシテ(パレスチナ)人との戦いに臨む。
サウル王は三千人の兵を集め、ペリシテ人に攻撃を仕掛ける。ここでサウルは、致命的な過ちを犯す。
サムエルから「7日間待て」と命令を受けていたにもかかわらず、自分の判断で儀式を執り行う。
それは、王の領分はなく、祭司の領分であるが、民の声に負けたか、民が散り始めたためか、遅れたサムエルを待ちきれず、自分の判断で儀式を執り行う。
預言者サムエルは、「愚かなことをした」とサウルを非難する。
ペリシテ人は大群を繰り出して反撃に出て、イスラエルはミクマシという町を占領され、後退を余儀なくされるが、息子ヨナタンによる奇襲が成功してペリシテ人の軍勢が崩れ、勝利を収めることができた。
しかしサウルは他にも過ちを犯す。サムエルは神の言葉を取り次いで、サウルにアマレクの人も家畜も全て殺してしまうよう告げたが、サウルは王の命を救い、家畜のもっとも良いものは殺さずにいた(サムエル記上15章)。
サウルは、人の思いを神の御心より優先させ、それ以後祝福を失い
精神を病んでいく。
また創世記の「バベルの塔」などのエピソードなどからみても、神が最も嫌うことは、人間が神に等しくなろうとすることである。
逆に、神が人に求める生き方とは、「神に栄光を帰す」ということである。
その点に関しては、サウル王を継いで二代目の王となったダビデ王こそが、際立っていた。ダビデが神を賛美した歌が「詩篇」にまとめられている。
世界の歴史をみても、最後まで英雄であり続けたり、最後まで聖人であり続けた人はほとんどいない。
誰かの成功は人間の嫉妬とは違う意味で、原罪を背負った人間が、それほど賞賛を受けるほどの存在であることは許されないかのように。
世界の指導者として一時期「神のごとく崇められた」人々、または「神になろうとした」人々の「偶像破壊」が、「この世」においてさえどんなに徹底して行われるかということは、世界の歴史が教えるところである。
ましてあの世では、その偶像のカケラさえも木っ端微塵に吹っ飛んでいるにちがいない。
ヘロデ・アグリッパは、「使徒行伝」に登場する4番目のヘロデ王である。
ヘロデ大王の2番目の妻による孫で、聖書には「そのころ、ヘロデ王は教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(使徒行伝12章に)とある。
このヘロデ・アグリッパの時代に、ペテロが御使いの導きによって牢獄から出るという”不思議”が起きるのだが、その夜が明けると兵士たちの間で、ペテロは一体どうなったのだと大きな騒ぎが起こっていた。
ヘロデ王は、「ペテロを探せ。必ず探し出して今日中に連行しろ」と命令を下した。
しかしペテロを探し出すことができず、番兵たちの不始末に、番兵たちを処刑するように命じた。
それからヘロデ王はローマ総督の管轄地区である地中海沿岸のカイサリアに行き、そこにしばらく滞在していた。
そのことを聞いたフェニキア地方のツロとシドンの指導者達は一同揃って王様を表敬訪問したのである。
ツロとシドンの地方は当時ローマの統治によるシリヤ州に属する地中海沿いにある町で、この地方はヘロデ王の国から食料を得ていた。
実はそれとは裏腹に、ヘロデ王は「ツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた」とある。
このまま王から敵意をいだかれたままだと、彼らの食料の確保についても不安定になってしまいかねない。
そこで人々は和解のためにエルサレムまでの長い距離をやってきたのである。
さて、定められたヘロデ王との面会の日がやってきた。ヘロデ王は王服をまとい、王座に座り、大演説をする(使徒行伝12章)。
集まった人々は口々に「これは神の声だ。人間の声ではない!」と叫び続けた。
人々が叫んでいるマサにその時、ヘロデの足元に一匹の虫が忍び寄ってくる。
そして王はばったりと倒れ、息絶える。
ダニエル・デフォー原作の「ロビンソン・クルーソー」の時代、つまり中世から近代に移行する時代、イタリアで「複式簿記」が発明された。
主人公・ロビンソンクルーソーはブラジルで農園経営をやって27 歳になった時、黒人奴隷の捕獲のためにギニアの海岸を目指したが、ハリケーンに遭難し無人島に漂着する。
この小説では、プランテーションの経営から無人島生活、無人島脱出後の裕福な家庭生活まで描くが、あらゆる事柄につき、もとで(資本)がいくらでその結果いくら儲かったという計算で占められた壮大な「簿記小説」とでもいうべきものであった。
こういう孤立無援の時は神に救いを求めそうだが、ロビンソンは難破船から持ち出した紙とペンで、「貸借対照表」をつくることにした。それは、自分の「苦境」と「希望」を簿記の形式にのっとって冷静に吟味したのである。
自分が「〇恵まれてている」点を貸し方、「×苦しんでいる」点とを借り方に記入し、「対照」してみた。
すると「借方」の方は、「×おそろしい孤島に漂着し、救われる望みはまったくない。
次に「貸方」の方は、「○他の乗組員全員が溺れたのに、私はそれを免れて現にこうやって生きている」。
このように項目を幾つか並べて「資産」の「超過分」を見つけ、次のような「結論」を導き出した。
「この世のなかでまたとないと思われるほど痛ましい境涯にあっても、そこには多かれ少なかれ感謝に値するなにものかがあるということを、私の対照表は明らかに示していた。
世界中で最悪の悲境に苦しんだ者として、私が人々にいいたいことは、どんな悲境にあってもそこにはわれわれの心を励ましてくれるなにかがあるということ、良いことと悪いこととの貸借勘定では結局貸し方のほうに歩があるということ、これである」と書いている。
ロビンソンの教訓を人生にあてはめると、人生はせいぜい「超過分(orおまけ)」がやっとついてくるくらいなものかもしれない。
想像するに、現在の世界的富豪とよばれる人にとって、一番ワリに合わないと思っているにちがいあないことは、死後には自分が築いたものは、なにひとつもっていけないということではないだろうか。
聖書にも「生まれてきた時、私は裸でした。 死ぬ時も、何一つ持って行けません」(ヨブ記1章)とある。
アップルのスティーブ・ジョブスは、iPHON4Sの正式発表が行われたマサニそのタイミングで「死」に呑みこまれていってしまった。
また、栄光の中にある人間を、まるでそれが許されぬ存在であるかのように罠にはまったり、汚点が露呈されることも多い。それは人を過度に讃えたり、崇めるのはやめましょう、讃えるべきは神のみというメッセージにも聞こえる。
旧約聖書にも、「あなたは他の神を拝んではならない。主はその名を”ねたみ”と言って、ねたむ神だからである」(出エジプト20章)という言葉もある。
神が「ねたむ」とは、あまりに人間的な表現だが、そこに神の人間への思いの強さと、そんな人間が「偶像」にハシリやすいことを示しているように思う。
人間は富をえて身をもち崩さずに生きていくのは大変で、栄耀栄華を極めたソロモン王のように「空の空」といった思いにかられることもある。
一方、「天に宝を積む」秘訣を知ったパウロは信徒への手紙に次のように書いている。
「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇にも処する秘けつを心得ている」(ピりピ人への手紙4章)。