神はさいころをふらない

物理学が、明らかにしてきたことについて、畏敬の念を抱かずいられない。
それは我々の生活が極めて特殊な条件の中での出来事であり、宇宙ははるかに多様な世界が広がっていることを教えてくれるからだ。
例えば、光の速度に近づいたり、ナノという微少な世界や、絶対零度という極寒の世界では、モノや粒子は我々の常識を超えた振る舞いをする。
古典物理学は、17世紀のニュートンの運動方程式(ma=F)の発見から始まる一つの物語といってよい。
この運動方程式の発見により、ものや粒子の動きを完璧に予測できるようになった。
すると、研究者たちはニュートン力学を基礎にして「熱」を「気体の中の分子たちの運動」で研究しはじめる(熱力学)。
そして「波」も力学の現象である「単振動」と関わりがあると考えて研究するようになり(波動)、「電気」も「電気の粒子の動き」も、「力学の運動方程式」をもとに研究が進められた(電磁気学)。
こうして、目に見える現象は「ニュートン力学」で、また電磁気や気体の圧力など、目に見えない現象もマクスウエルらによって体系化された電磁気学や統計力学などですべて矛盾なく説明でき、物理学は一見、完成の域に達しているかに思えた。
しかし、20世紀に入りそれまでの科学の概念を覆す概念の提案が相次いだ。
ニュートンは太陽の光をプリズムによって分光させ、虹の7色に分かれることを発見し、それらは連続スペクトルとみなされていた。
そして色の違いは「分光学」の発達により、波長の違いによってもたらせられることもわかった。
しかし1900年、ドイツの物理学者のマックス・プランクは分光器の性能の向上によって、どうやらところどころに「光がない」部分が存在することがわかってきた。
しかしなぜ特定の波長の光だけなくなるのか、その仕組みは謎につつまれていた。
そしてプランクは、エネルギーは連続ではなく、とびとびの値しかとることができないと仮定する「エネルギー量子仮説」を提唱した。
このプランクの考え方こそ、今日の量子力学の嚆矢とみなすことができる。

我々は日常的にエネルギーが重さに変化するなどと考には及びもつかない。
しかし、日常的に起きている。自転車の部品を組み立てて自転車を完成すると、部品の合計の重さを完成品の重さを比べると、後者の方が少し重い。
そんなバカなと思いたくなるが、自転車を組みたてたネルギーがそこに加わった分、重くなっている。
さて物質とエネルギーは全然ちがうものだが、「物質の保存」と「エネルギーの保存」は似ている。
前者は「重さの保存」で測られるが、後者は「同じエネルギーをうるためには、いつも同じだけ仕事をしなくてはいけない」ということを意味する。
重さとは、地球上の影響をうけたものだが、それを除いたものを「質量」とすることにして、アインシュタインの有名な式「E=mc二乗」を導いた。
この式が示した驚愕のポイントは二点ある。
まず第一に、質量とエネルギーが同じものだということ示していること。
もうひとつは、mは質量でcは光の速度なので、光速といえば秒速30万キロ。これに2乗だから、ものすごいエネルギーが物質に隠されていること。
質量が光速を二乗するほどのとんでもないエネルギーを示したものだが、関係を示すだけなら別に実用的な価値はない。
発見者であるアインシュタインもそう思っていたであろが、人類が「質量エネルギー」が使えることに人類が気づくまでにそれほど時間はかからなかった。
1938年にドイツのハーンとオーストリアのマイトナーがウランの原子核に中性子を当てると原子核分裂が起こり、その際、質量がわずかに減り、大量のエネルギーが放出されることを発見した。
さらにイタリアのフェルミが、ウランの原子核分裂の際にエネルギーと同時に中性子が多く生み出され、その中性子がまた他のウラン原子核に当たり、また核分裂を起こすという連鎖反応が起こることを示した。
これによって、凄まじいエネルギーを得ることが可能になったのである。
アインシュタインの式から導き出すと、広島を壊滅させた物質「ウラン」は、わずか1.2グラムにすぎなかった。
ではアインシュタインはこんなとてつもない式をどうして導き出せたのか。
アインシュタインは高校時代、「光と同じ速度で飛んだら光は止まってみえるのか」という思考実験をして、「光はそのままの姿で飛んでいるにちがいない」と直感した。
そしてその後の科学者達は実験で「光は一定の速度をもっていて、これはどんな環境でも真空中でありさえ変わらない」ことを確かめた。
時速5キロで徒歩する人と時速200キロの新幹線に乗る人にも、なんと光は同じ速度で進んでいるように見えるのだ。
それがなぜかについては解明されていないが、ともかくもこの「光速不変」が成り立つように、ニュートンの古典的な「絶対時間/絶対空間」の概念を覆した。
それが「相対性理論」で、光が同じ速さに見えるためには、空間や時間が伸び縮みするということ。
誰しも、「光速不変」という原理が、「時間が遅れる」という奇想天外な事実を許容してまで守らねばならない重大事とは思えないと思うにちがいないが、これは純然たる事実なのだ。
「相対性理論」によると動いているものの時間は遅れるということが分かっている。
電車が駅を通過する瞬間にホームと駅で時間を合わせると、駅で10分経ったときに、電車で時計をみるとわずかな時間だけ時計が遅れている。
このわずかな時間は日常では問題ないほどわずかなので気が付く人はいない。
でもどうしてそんなことが起きるか。光が同じ速さでみえるためには、電車の中にいる人の方(動いている人の方) の時間が遅れれればよい。つまり時間がゆっくり流れればよいことになる。
そればかりではない。アインシュタインの相対性理論では、動いているものの長さは縮む、つまり空間が縮むのだ。
また、速く動くものの時間は遅れる。動くものの長さは縮む。厳密にいうと「止まっている人から見ると動いているものは、それが止まっていた時の長さよりも縮んで見える」ということだ。
この速度や長さの縮みに関して「ローレンツ変換式」で表すことができる。
この式によって宇宙船が秒速24万キロで飛んでいたとした場合(光の速度は秒速約30万キロ)、地球で1秒進む間に宇宙船では0.6秒しか進まない。
宇宙船の中では、別に時計の動きがいつもより遅くなっていたり、自分たちの動きがやたらスローになっているということはない。1秒は1秒のままで、宇宙船の速度が速くなったわけでもない。
たとえば、1メートルの自転車が仮に光速の9割で走った場合、その自転車は進行方向に対して44センチにまで短く見えるということになる。
なぜ光の速度は超えられないのかというと、ものは動くと質量が増えてしまうからである。
速く動くとそれだけ質量が増す。重くなると早く動けなくなる。
ロケットの重さを1トンとし、スピードは光速の90%でこのロケットを飛ばすと、「ローレンツ変換式」をあてはめると重さは約2,3トンにまで増える。
モノの速度がを光の速度秒速30万キロになると、30万÷30万で1。1-1でゼロになる。したがって、モノは決して光の速度を超えられない。
では逆に、なぜ光はなぜそんなに速く動けるのかといえば、光の「質量0」であり続けるからだ。
なぜ動くものの質量は大きくなるかは、前述のアインシュタイン式にそって、「エネルギーが重さ」に化けてしまうからだ。
これらは、数学的に無理やり当てはめたようにも思えるが、まぐれもない事実で現実社会でも利用されている。
それがGPSで、相対論的効果を無視してはならず、「ローレンツ変換式」の基づき調整することが絶対的に求められる。

アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは相対性理論ではなく、「光電効果」に関する研究であった。それまで光は波と考えられていたが、それでは説明できない現象があった。
それが「光電効果」で、金属に特定の光を照射すると、金属内から電子がポンと飛び出る現象で、この時飛び出る電子を「光電子」とよぶが、この現象から金属内の電子が「光からなにがしかのエネルギー」をもらったことが推測できる。
ところで光は、波長の違いによって赤く見えたり(振動数小=波長長い)、紫(振動数大=波長短い)に見えたりするのだが、 紫の光をあてると光自体は暗くても光電子はぽんと飛び出るのに、赤い光をあてて光を明るくしても、一個たりとも光電子は飛びでない。
まず金蔵を放ていて電子が自然に飛び出ることはないので、そこに「最低限」のエネルギー量が働かねばならないことは推測できる。
そこでアインシュタインは光を「粒子」として考えることにした。そうすると上記の現象は説明がつくのである。
光が明るいのは、「光子の粒の個数」が多いこと、赤い光は波長が小さいので光子ひとつぶのエネルギーは小さい。
光が暗いというのは「光子の数が少ない」ということだが、振動数が大きいので一粒のエネルギーが大きい。したがってエネルギーが大きな紫の光で「光電効果」が生じたのである。
アインシュタインのこうした光子仮説によって「光電効果」が説明できたのだが、それでは光が波の性質をもつ、具体的には「光の干渉現象」(光がまわりこむ現象)が説明できない。
そこでアインシュタインは光は「波動性」と「粒子性」の両方をもっていることにし、現在ではそれが正しいとされる。
1924年、フランスの物理学者ド・ブロイは、「光が二重性をもつなあらば、いままで粒子として扱ってきた電子も波動性があるべきだ」と主張した。
そしてド・ブロイは、物質がもつ「波動性」をもつ物質量を「物質波」とよび、その後「物質波」は実験によって確認された。
さてエネルギーは、熱エネルギーや電気エネルギーや位置エネルギー、運動エネルギーなど様々な形に変換できる。
前述したように、アインシュタインは、エネルギーは「質量にも変換できる」ことを明らかにしたのである。
「質量とエネルギーが等価である」というアインシュタインの話を裏づける現象がある。
中性子2個、陽子2個からなるヘリウム原子核核と、それをばらばらにした中性子、陽子2個 ずつの重さを比べると、ばらばらにした方が質量が大きいことがわかったのである。
これはいわゆる「質量保存の法則」の常識を覆す結果なのか。
この現象に対して、アインシュタインの応えは、「この質量の差はエネルギーに変化したためだ」と考えた。
つまり「強い力」で結合している安定した原子核から、バラバラの状態にするには「強い力」を引き剝がすほどのエネルギーを加える必要があり、そのエネルギーが質量となってバラバラになった後の核子に付与されたと考えたのである。
この質量の差を「質量欠損」といい、バラバラの状態にするのに要するエネルギーを「結合エネルギー」という。
この「結合エネルギー」がが大きい原子核ほど「安定な原子核」ということになる。
そして、その「結合エネルギー」がもっとも大きい原子核が「質量数56の鉄Fe」で、最も豊富に存在する鉄の同位体である。
この56を基準にして大きくても小さくても「結合エネルギー」は小さくなる。
ということは、もし質量数が56よりもかなり大きい原子(ウラン238など)を、いくつかの質量数の小さいものに分裂させられれば、その差額に相当するエネルギーを取り出せることになる。これが「核分裂」である。
核分裂とは逆に、質量数が56より非常に少ない原子(水素など)をぶつけてより大きい原子にすることでエエルギーを得ることも考えられる。
これが「核融合」で、太陽は水素どうしをくっつけてヘリウムを作る反応を46億年行っている。 水素爆弾などはこの「核融合」を行っているのである。
自然界に存在するウランやラジウムなどの原子核は非常に不安定で、余分なエネルギーを粒子や電磁波の形で放出して別の原子核になったりする。
この現象を「放射性崩壊」という。このとき放出されるのが「放射線」で、主に2つの種類がある。
1898年ごろ、ラザフォードは、天然ウランやトリウムなどから放射線が少なくとも2つ出ていることを発見した。ひとつは「α線」、もうひとつを「β線」と名付けた。
「α崩壊」は、元となる原子核からHe(ヘリウム:質量4)原子核が飛び出る現象である。
このとき出るHe原子核を「α線」とよんだ。したがって元の原子核は4減り、原子番号は2減る。
当初、「β崩壊」は元となる原子核内の中性子が陽子に変わる現象と考えられていた。
ただこれだと中性子がプラスの電荷の陽子になってしまい、「電荷保存則」に反してしまう。実はこのとき同時に電子も飛び出る。この電子が「β線」の正体なのである。
ところがこの「β線」の運動量やエネルギーを細かく調べると、「エネルギー保存則」が破れているように見えた。
このことから人類がはじめて直面した現象だと考えた物理学者もいた。
しかし、オーストリアのヴォルフガング・パウリは「β線がエネルギー保存が破れてみえているだけで、もっと小さい観測しずらい粒子がでているのではないか」と予測し、エンリコ・フェルミによって「ニュートリノ」と名づけられた。
そしてパウリの預言どおり、1987年日本の岐阜県カミオカンデで検出されることになり、2002年小柴昌俊はノーベル賞を受賞した。
そしてこの「β崩壊」を引き起こす力が、宇宙に存在する根源的な力である「弱い力」とよばれるようになった。
次に、「α崩壊」や「β崩壊」がいつ起きるか、どんな場合に起きるかを予測することができるかが問題となった。
結論をいうと、目の前の原子核が1秒後に起きるか、1年後に崩壊するのか誰にもわからない。 わかることといえば、その「確率」のみである。
つまり「確率はきまっている」という「確率的現象」である。
アインシュタインは自ら「量子論」の基礎となる光の波と粒子の「二重性」を認めたにもかかわらず、「確率現象」という考え方が最後まで受け入れられず、「神はさいころをふらない」と語った。
アインシュタインはこの問題につきニール・ボーアと論争を繰り広げ、ボーアが勝利した。
結局、最先端の「量子論」は、こうした「確率現象」をベースにした理論である。
アインシュタインには天地創造が「光あれ」から始まったことと、神の意思の元で宇宙は動いているという信念があるようだ。
ともあれ科学は仮説と検証の繰り返しであり、科学的真理は「反証」が見つかった段階で廃棄される、終わりのない探求の旅である。