物理の中の「虚数」

数字にはいろいろな種類がある。自然数、有理数、無理数、実数、虚数、正の数、負の数、複素数など。
こうした数字は、人々が現実と向き合う中で必要にかられて生み出されたものである。
例えば、四角形の対角線の長さを表現する必要から「√」(平方根)がついたり、円周と直径の比を表すのに「π」という無理数も生まれた。
また、売り上げ減を表すのに「負の数」も生まれた。
ただ「虚数」の誕生はやや異色で、ルネサンス期の「数学格闘技」における「3次方程式の解」の研究に由来する。
三次関数をみると、y=0の時のX座標を最低1回通過しているのが「実数解」であるが、残りの解の一部がX座標を通過しないケースもあり、その場合の解をどう表せばいいのか。
数学者はこれを何とかしようとしたが「原理的に不可能だ」と悟り、「現実を語るにはフィクションも必要」と思ったかどうかは定かではないが、「虚数」の存在を認めそれを視覚化することにした。
そのために、「複素平面」という虚実相交わる新たな平面を作って、その中で数学的論理を追及することになったのである。
そして18世紀のスイスの数学者オイラーは、虚数、指数、ネイピア数(自然対数の底e)π(円周率)、三角関数(sinθ/coθ)が結びつく驚くべき関係式(下図「A式」)を導きだした。
この式の記号について説明すると、「i」は「-1の平方根」で「虚数単位」である。ちなみに「i」はimaginary numberの頭文字で、想像上の数の意味である。
また円周率π(=3.1415…)、ネイピア数(2.71828…)ともに無理数である。
下図「A式」は「オイラーの公式」というが、この式のθ に「π」を代入して得られる式が「B式」で、これを「オイラーの等式」とよんでいる。
「オイラーの等式」には数学の3つの分野で「独立に」現れた数が関係を結んでいることに注目したい。
「e」は指数関数(解析学)で発見された数、「i」は方程式(代数学)で重要な数、「π」は面積(幾何学)で古くから扱われた数である。
これら3つの数に加え、「乗法単位元」「加法単位元」の合計5つの数がひとつの式で結びついている。
乗法単位元とは「1」を何にかけても同じ数、加法単位元とは「0」に何を足しても同じ数ということ。また、「e」は、「eのX乗」を何度微分しても「eのX乗」のままであるという舞台装置を提供している。
こうした数字が「勢ぞろい」して、ひとつの関係式で結ばれているという不思議さ。
映画化もされた「博士の愛した数式」の作家の小川洋子は、こんな「オイラーの等式」の神秘性を次のよう表現している。
「オイラーは不自然極まりない概念を用い、一つの公式を編み出した。無関係にしか見えない数の間に、自然な結びつきを発見した。πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。 私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する」。

物理の世界でも「虚数」はなんらかの法則を表現するうえで登場するのだが、それはあくまでも「便宜上」のツールとして使っているにすぎなかった。
しかし近年の「量子力学」の発展は、「虚数」をリアルな実在として認めざるをえなくなったのである。
それは、下図「C式」の「シュレジンガー波動方程式」にみられるように「虚数」が組み込まれたことによる。
この式はどういう経緯で生まれたか、電磁力学を確立したとされるマックスウェルの話からしたい。
マクスウェルは、ファラデーやガウスの実験から得られた4つの関係式から、電場と磁場が満たすべき「波動方程式」を導いた。
つまり、電場と磁場は相伴った波動として真空中を伝搬するとして、その電気と磁気の波の速度を計算したところ、なんとその速度は「光の速度」と同じであった。
光は「電磁波」であるという以外、考えられなかった。ほどなくハインリッヒ・ヘルツがマクスウェルの預言どうりに、「電磁波」を作り出した。
「波動方程式」とは、波の振る舞いを微分方程式を用いて表したもので、古典物理学では波動といえば、正弦波(sin)を用いて表現するのが一般的であった。
しかしマックスウェルの「波動方程式」では、超ミクロの世界における「量子の波動」をうまく表すことができなかった。
そこで、オーストリアの物理学者シュレジンガーは「実数」だけではなく「虚数」も加える「複素平面上」で振動する波を考えればよいと考えた。
そして「オイラーの公式」を使ってこの関数を「虚数の指数関数」として表すことができたのである。
とはいえ複素平面上の波動とは一体何の波なのか、シュレジンガー自身もわからなかったのである。
この謎に答えを出したのがドイツの物理学者マックス・ボルンである。
1926年、ボルンはシュレジンガーの波動関数は、「量子が観測される時の確率分布を表している」と主張した。
具体的には「波動関数の絶対値の2乗」が量子の確率分布となる。
ボルンがなぜそう主張したのかはわからないが、とにかくそれは実験結果と一致したのである。
一般に量子力学では、物理量の測定値はある値に正確に定まったものではなく、測定ごとに異なる値をとり、測定を繰り返すと、測定値はある分布を示す。
この分布を与えるのが「波動関数」ということだ。
こうして「シュレジンガーの波動方程式」に確率論的解釈がなされたが、シュレジンガー自身は、この解釈をヨシとしなかったのである。
というのもシュレジンガーは「神はさいころをふらない」とするアインシュタインと同じく「決定論者」で、この場合には「観測する前に」決まっていると考えていたからである。
こうした「確率論」と対抗すべく発表した実験が「シュレジンガーの猫」である。実験とはいっても次のような「思考実験」にすぎないが。
密閉した箱と、放射性物質のラジウム放射線検出器、ハンマー、青酸を用意する。
もし、検出装置がラジウムから出る放射線を検知したらハンマーが青酸ガスの入った瓶をたたき割るようにする。
これが、実験の手順だが、実験結果はどうなるか。
箱の中に入った猫は「検出器がラジウムを検知し、青酸ガス入りの瓶が破られて猫は死ぬ」か「ラジウムは検知されず、猫は生きている」というどちらかの状態であるはずだ。
しかし、量子力学では”この2つは 観測するまでわからない” という見方をする。つまり、「生きた猫」と「死んだ猫」という状態が重なり合っているとしている。
こうした「状態の重なり」を仮定しても理論的には全くおかしくなく、むしろ色々な現象を説明するのに都合が良い。
少なくともこのような考えが正しいか間違っているかを確かめるスベを何一つ持っていないし、そう考えたところで何の矛盾も起こらない。
電子や光子など素粒子の世界における量子の状態は観測しないかぎり一つに定まらず、古典物理学的な決定論は通用しないといことだ。
シュレジンガーは、量子力学の考え方のばかばかしさを示すためにこんな思考実験を考案したようだが、皮肉なことに「量子力学の本質」を語るたとえ話となってしまったのである。
シュレーディンガーはこうした論争に嫌気がさしたのか、猫好きが高じたのか、生物学の世界へと転じ、その分野でも有名な学者になったのである。

19世紀の後半、ドイツは鉄鋼業が盛んで、工業再度から「溶鉱炉が放つ光と温度の関係を知りたい」という要望があった。
色々な光を直視分光器で覗くと、美しいスペクトルが観察できる。
19世紀末に様々な元素のスペクトルが測定されていたが、線スペクトルの波長(色)を表す数値が規則的ではあるものの、定量的な説明ができなかった。
そこにベルリン大学のマックス・プランクが、「光の量子説」という突飛な仮定をうちだし、熱放射の「連続スペクトル」の正しい式を導いたのである。
「連続スペクトル」とは様々な光の波長を含むもので、熱放射の光はエネルギーの「整数倍」でないと物質から放出されたり、吸収されたりしない。そのエネルギー単位は、関与する光の振動数に「ある定数」をかけたものだものとした。
特許庁に勤める素人物理学者であったアインシュタインが「光電効果」の考察で、この説をもっと明確なものに発展させた。
1905年にアインシュタインが「光電効果」つまり光を当てると電子が飛び出す現象について従来の光の波動説ではなく、光が光量子あるいは光子であるという説「光量子仮説」をとなえた。
その際に、光はある数値(プランク定数)に比例する「一定の塊」として飛び飛びのエネルギーをもつという考えを示したのである。
実はこの考えこそが「量子力学」の発端となったのだが、「光量子仮説」をもとにフランスの貴公子ド・ブロイは、当時波として考えられていた光が粒子ならば、その反対に粒子と考えられていた電子などの粒子も波としての性質をもつのではないかと考えた。
アインシュタインの「光量子仮説」では、波長λの光は光子として運動量「P=h/λ(hはプランク定数)」をもつとされた。
そこでド・ブロイは、質量mの物質粒子が速さmで運動する場合の運動量が「P=mv」となるという古典物理学の考えを用いて「mv=h/λ」と変形した。
つまり小学生でもできる数学的操作で革命的な物理公式を導いたのであるが、この式は1927年に英米日の物理学者による実験に証明され、物質の粒子性と波動性が結びつけられることとなった。
さて、物理学の難問の一つは、光を放ちながら原子核の周りを回る電子がエネルギーを失ってなぜ原子核に落ちないのかという問題であった。
ボーアは、電子はある特定の電子軌道上にあるとき安定でするという「量子条件」を提案したが、ド・ブロイの公式を電子の円軌道の運動にあてはめると、電子が回り続けて定常的な状態になるためには電子がまわる円周の長さが波長の「整数倍」ということにより「量子条件」を満たされることになる。
これは、原子がもつ固有の光の波長がとびとびになる「量子的」現象をよく説明できる。
1929年37歳のド・ブロイはこの功績により、ノーベル物理学賞を受賞する。
ド・ブロイの画期的な論文はアインシュタインによって当時のヨーロッパを代表する物理学者たちに広められた。
しかし、ド・ブロイの理論はどこか子供じみた印象を与えたのか、あまり評判はよくなかった。
そこでド・ブロイの理論に欠けたものとして「波動方程式」が足りないことを直感し、それを数式に表したのが前述のシュレジンガーであった。
「シュレジンガーの波動方程式」は、ヤングの二重スリットを使った「光の干渉実験」での疑問にもよく応えた。この実験は光が一本の細い隙間から出た光が、やはり細い二本の隙間を通過し、離れたところにあるスクリーン上に干渉模様を映し出すというもの。
「シュレジンガーの波動方程式」は、電子が粒子でありながら、スクリーン上に光の性質を表す「縞模様」を作ることを説明することができたのである。
ここでもうひとつ量子の不思議をあげると、「ひとつの粒子」が二つのスリットを同時に通り抜けるというものである。
つまり、ひとつの粒子がふたつに分化するということだが、それを観測しようとするとひとつに収斂してしまうという不思議さ。
あるいは、区別しようのない粒子が二つ存在する(分身化?)ということだろうか。
たとえばここに二つのヘリウム原子があったとする。このヘリウム原子は甲乙と区別することができない。
ヘリウム原子を目で見たわけではないのにどうしてそんなことがわかるのか。
それはなんと「確率」を使って証明されるのである。
「証明」とはいっても、以下は本質をつかむための原理的なモデルとしてとらえていただきたい。
下図のように二つの袋(AとB)に甲乙のヘリウムを入れたとする。
すると次の4つのパターンが考えられる。
ケースⅠ「Aの袋:甲乙の二個/Bの袋:なし」
ケースⅡ「Aの袋:なし Bの袋:甲乙の二個」
ケースⅢ「Aの袋:甲 Bの袋:乙」
ケースⅣ「Aの袋:乙 Bの袋:甲」
ケースⅠは確率4分の1、ケースⅡは確率4分の1、 ケースⅢ・Ⅳあわせて4分の2(2分の1)である。
常識的には、ⅢⅣつまり片方に1個ずつはいる確率がⅠとⅡのそれぞれの2倍の確率で見つかると予想されるが、実際はそうはならない。
多数回実験すると、ⅠとⅡと「Ⅲ・Ⅳ」はそれぞれ均等に起きるのだ。
わかりやすくするために、今ここでヘリウムを甲乙と区別しないで丙と書き換えることにしよう。
そうすると、「Ⅲ・Ⅳ」のケースではふたつとも「丙・丙」となる。そうするとⅠとⅡと「Ⅲ・Ⅳ」のケースが起きる確率は均等になる。
ヘリウム原子は「甲乙」と区別できず、1つなのに2つ、あるいは2つなのに1つの物質だと考えることでしかこの確率を説明できないのだ。
これで非常に不可思議なことが判明した。つまり超ミクロの世界ではまったく区別のできない2つのものが存在しているということだ。
これは量子力学という物理法則の示す大きな不思議のひとつである。
そしてこの不思議をとく鍵が「虚数」として表れる部分にあるのではないかと考えられるようになった。
虚数部分の違いが、現実の観測結果の違いとして表れるのではないかと 、研究者たちはこれまで見過ごされてきた虚数部分の測定に挑むことになった。
しかし、いったいどんなトリックを使えば、虚数部分の情報を得ることができるのか。以下は我が理解を超えたものであるが、おおまかに説明したい。
実際の実験にあたっては、量子的に「もつれ状態」を作り出す。
「量子もつれの状態」にある光子のペアは、片方の状態が決定すると、もう片方の状態が自動的に決定するという性質がある。
これまでは、観測されて状態が確認されるのは「実数」部分のみであった。
光子は粒子と波という2つの性質を併せ持つために、正確な光子の状態を表記するのには実数と虚数を組み合わせた情報が必要である。
そこで、レーザーとクリスタルを組み合わせた装置で、実数部分が同じながら、虚数部分にのみ違いがある、「もつれ状態」にある光子ペアを作り出すことに成功した。
そしてペアの一方の光子を第三者に送り、情報の読み込みを行ったことで、虚数部分の情報が、粒子の状態の判別に使えることがわかった。
この辺の話は理解不能だが、どうやら量子の世界において、虚数は隠れたパラメーターから、実測可能な情報資源となりつつあるらしい。
数学が作り出すイメージの世界にのみに存在していた虚数が、自然界の「理」を語り始めたのである。
霊魂が実体となった感さえあるが、我々はこうした物理学の探求を通じて、世界のほんの表面しか理解していないことを思い知らされる。
誰よりもオイラーはその等式の発見を通じて、人間とは結局神の手のひらの上で動かされている存在でしかないことを実感したのではなかろうか。

線スペクトルは、原子の構造を解き明かす鍵となったのである。