1980年代、浅田彰が書いた「構造と力」という哲学書が大ブームとなったことがある。
今日の「円安・物価高」に見舞われる日本経済をみた時、「構造と力」という言葉を借りるとよく読める気がする。
ここでいう「力」とは「大きさ」というより、政府の政策、市場の動き・アメリカ経済の動向など「力の向き」ととらえてみたい。
例えば金融政策で「緩和」方向に政府の力が働いても、市場が織り込み済みとか、産業構造に変化が生じていれば、効果が出たり出なかったりする。
いわば経済版「構造と力」の話である。
さて、円相場(5月20日現在)は155円で、この1年でおおよそ15円値下がりしている。
ドルベースの輸出価格の低下で恩恵にあずかるのが日本の輸出関連企業である。
トヨタ自動車は営業利益は史上最高で、日本企業としては初めて5兆円を超えるなどした。
円安の影響をうけて利益をあげている分、そうした企業が国内投資・賃上げをしていけば、個人消費も伸びて景気もよくなる。
いわゆる「トリクルダウン」説だが、実際のところ多くの日本人はそうした円安のメリットを享受ができていない。
こうしたアンビバレンツさをよく表しているのが、株価は史上最高値をつけているのに、個人消費は実質マイナスになっていることである。
そこで日本経済の「構造面」に着目すると、33年ぶりに春闘で賃金5パーセントが上がった。とはいっても、全雇用の約70パーセントを擁する中小企業は、エネルギーコストなどが上がっているにもかかわらず、「価格転嫁」をすることができないでいる。
中小企業は「下請け」が多いので契約をうち切られることを何よりもおそれているからだ。
そもそも、国内向けの製品を作る企業には円安のメリットはなく、仕入れコストがどんどん増えて利益が出せなくなっている。
ただ、ウクライナ紛争が始まった時期と比べて石油価格は落ち着いてきている。
「GNPデフレーター」は、「消費者物価指数」と異なり、輸入によるコストアップの上昇分を含まず、国内に起因する物価の値上がり分のみを算出する。
それによると、23年度デフレーターは前年度比4.1パーセント上昇し、伸び率は比較可能な1981年度以降で最大となった。
値上がりした分が、賃金にどれくらい回ったかをGDPデフレーターから計算すると、23年度分上昇分4.1パーセントのうち、賃上げ要因はわずか0.3パーセントにとどまる。
割合では1パーセントに満たず、残りには企業収益や固定資産の減少分、間接税などが含まれるが、大半は企業収益になっている。
2024年4月の春闘では、政府も旗振り役に回って、労組の賃上げ要求の「満額回答」5パーセント以上が実現したけれども、労使間交渉で「満額回答」などということ自体ありうべからざることで、もっと要求できたはずである。
今、欧米で「強欲インフレ」という造語が生まれている。
企業がコストの増加分以上に物価をあげているために生じるインフレである。
日本の上場企業に関していえば「強欲インフレ」があてはまるといってよい。
そもそもアベノミクスで「2パーセント物価上昇」という数値だけを目指してきたのも問題である。
この期間、日本経済は東北大震災やコロナを通じて、「構造面」で大きく変わってきているからである。
日本経済は長年貿易収支が「黒字」であったが、東北大震災あたりからその構造が変わってきていて、輸入が多くなっていった。
そんな中で金融緩和による「円安」が日本経済に与える影響は、以前と比べて大きくなっている。
さて「円の信頼度」に関わるポイントとなるのは「貿易収支」ではなく、「経常収支」の動向である。
経常収支は、貿易収支、所得収支、サービス収支の合計からなるが、日本は2014年に「経常収支」が赤字となったことが話題になった。
外国での現地生産の活発化や、原発事故による火力発電の稼働率上昇で燃料の輸入が増えたこともある。
それ以前の2011年の日本の「貿易収支」が1963年以来、実に48年ぶりに赤字へ転落したが、それでも2014年を例外として、経常収支が黒字を維持できたのは、「所得収支(海外への投資収益)黒字」が「貿易収支の赤字」をカバーしていたからである。
逆に、貿易収支の赤字を所得収支などでカバーできなくなると「経常収支」が赤字になることを意味する。
現在の貿易の仕組みは、日本がアメリカに対して貿易で黒字になると、その黒字分でアメリカの国債を買うというのが、いわばルールとして定着している。
つまり、「黒字分」のドルで、そのまま「米ドル債」を買うことが、日米間で取り決められている。
それは、アメリカ政府が日本から借金して(米国債を売って)、日本から必要なものをたくさん輸入してきたということになる。
そのお金を貸した分の利子が所得収支の「黒字」として日本にもたらされてきた。
また海外に移転した日本企業がその収益を日本に送るかたちでの「黒字」もある。
したがって、貿易収支で赤字になっても、こうした「所得収支」でカバーすることができ、経常収支は黒字を維持することができたのである。
とはいえ、近年「稼ぐ構造」に変化が起きている。
2011年、日本経済は1ドル75円という超円高を記録したが、それにより日本企業の海岸進出が増えていった。
それにより貿易による黒字が減少する一方で、日本企業が海外の子会社からうけとる配当や利子など「所得収支」が増えていった。
しかし、こうした稼ぎの半分以上は現地での「再投資」にあてられている。日本国内の投資や実質賃金の上昇につながっていないのである。
円安は「円買い」が少ないことを意味するので、もし現地法人が日本に稼いだドルを送ってくるならば「円買い」要因になり、「円高」にふれるはずである。
実は、経常収支の中で貿易収支や所得収支など「実需」に関わる割合は1割程度といわれている。
それ以外の資本収支や投機的なお金が大きい。
日本の企業が外国で稼いだお金をもって帰るよりも、現地で再投資するのは、そのほうがさらに大きなリターンが得られるといった判断をしていることになる。
それはいずれ、日本企業の収益増大や株価の上昇になるのだが、海外から利益が戻ってこないとなると、日本国内での「波及効果」がないということになる。
その点で対称的なのがアメリカで、補助金をだすなどして海外の投資が入ってくるような環境をつくっている。
貿易面での「構造面の変化」では、コロナが大きな要因となっている。コロナでオンライン授業、オンライン会議でパソコンやタブレットが必要となる。
ズームやティームなどのオンラインのツール、そして教育のためのデジタル出費、企業のオンライン化、などが大きい。
これが日本で「対米デジタル赤字」を生んでいて、コロナ明けで海外からの旅行などインバウンドは回復したものの、「デジタル赤字」が「インバウンド黒字」を上まわっている。
日本は、情報機器などハード面ではまだ競争力があるが、デジタルサービスについては、GAFAなどの圧倒的に米国依存状態にある。
もっとも、日本がデジタルツールを最大限いかしてデジタルスキルをあげDXによる効率化などで競争力をあげていけば、ある程度をカバーすることができる。
安倍政権のころから、株価も金利も賃金も「官製相場」ということがいわれている。
日本は「失われた30年」の国内市場の魅力度をどうあげるかが大きな問題であるが、海外は「官製市場」をどう受けとめているのだろうか。
なにしろ海外からの投資の割合はOECD加盟国38か国のうち最下位となっている。
日本に対して海外からクレームが多いのは政府の規制である。何か新しいことをすれば、日本政府ににらまれるのではないかという懸念があるといったことが多いらしい。
ただ、最近の明るい材料は海外からの株式投資や直接投資が増えていることだ。
TSMCの熊本進出など、経済安保や地政学的な意味合いもあり、米中のはざまで日本は半導体など「サプライチエーン」の中心になる可能性がある。
その意味では現在の「円安」は国内直接投資にはプレゼントのようなものであり、海外資本を受け入れるカマエを作り出すチャンスでもある。
さて日本経済を「構造と力」と見た時、もうひとつの「力」の要素は日米関係である。
もしも共和党のトランプ政権になった場合には、かなり状況が変わってくるであろう。
円安の最大の原因は、アメリカと円安の関係をどうみるか。金利差(アメリカの政策金利5.5パーセント、日本0.1パーセント)が縮小していくのかがポイント。日本はやっと0.1の利上げをするぐらいで幅が小さい。
したがってアメリカの金利がどう下がっていくのか。アメリカの消費動向が一番の決め手になる。
アメリカが高金利なのは、コロナ明けの「リベンジ消費」が大きく、貯めこんでいたものを一気に使っている感がある。
しかしそれも一段落つきそうな気配でアメリカもいずれ金利を下げざるをえず、「日米金利格差」はある程度解消する。
何しろ日銀は政府の国債残高を考慮すれば、そうそう金利を上げられない「内部事情」があるからだ。
構造面でいうと、日本では資金調達の方法が、大企業を中心に間接金融から直接金融にシフトしているといわれている。
企業にとっては銀行から資金を借りるより、低いコストで資金が集められるというメリットがある。
銀行からすれば、貸出先の減少が続いている状態である。加えてデフレ下の企業行動が、銀行の融資先をさらに減らしている。
日本経済の「構造」の変化の中で注目すべきは、「貯蓄」を供給するのは家計というのが一般的な認識であるが、1998年以降本来資金の貸し手であった企業が「貸し手」にまわり、その額も家計よりも大きくなっていることである。
企業の場合には「貯蓄」とはいわず、「内部留保」という言葉で表している。
企業は、手持ちの現金や預金を増やす一方、金融機関は貸し出しがなくなっている。
その金がいたしかたなく国債購入に回って、国債価格が上昇し、金利が低下したのである。
ここで注意したいことは、国債を買っている個人はまだまだ少ないが、国民が預金した銀行、生命保険会社、郵便貯金会社が国債を購入しているのである。
つまり我々の預貯金は、政府の国債購入にあてられていて、これも低金利の要因である。
さて日銀は、物価も賃金も上がり始めたいう状況判断から、金融緩和からの出口へ、つまり「金利のある世界」に戻すという方向にある。
金利を上げればれば中小企業や住宅ローンに影響する。
一方で金利を上げなければ「円安物価高」がこのまま続くという板挟み状態にある。
とはいえ「低金利」は、日本経済をケインズのいう「流動性の罠」に落とし込んできたといえる。
お金(普通預金や当座預金)は、利子はつかないが、いつでもどこでも使えるという「流動性」というメリットがある。
そこで非常に低い利子では、家計も企業も現金のままでいいやという「流動性」を選好し、誰かに貸すといったことをしなくなる。
利子がそれなりにあれば現金より流動性は落ちても株・社債・国債などを保有することを選考するのでお金が回り始める。
日銀は金利がこれ以上、下がらないので、「量的緩和政策」を行った。
それでも、社会全体で流動性が選考されれば、金融緩和をどんなにやっても設備投資につながらず、銀行には当座預金が積み上がり、デフレが続くといった状態にあった。
なにしろ、日銀にある「各銀行の口座=日銀当座預金」は過去最高額になった。
そこで日銀っは2017年ついには「マイナス金利政策」に踏み切ったのである。
マイナス金利は2024年に解除されたが、銀行預金に金利がつくというのは「正常化」であり、家計とっても一般的にいって歓迎されるべきことである。
とはいえ「金利のある世界」では、企業は付加価値を高めたり構造改革でコスト改善することが求められる。
その一方で少子高齢化による「人手不足」という問題もある。この点で構造問題としてあげられるのが「年収の壁」で、専業主婦家庭を前提とした「昭和の制度」がいまでに生き残っていて、女性が非正規労働者として「時短」を余儀なくされている。
人手不足でサービス産業だが、子育てが終わった女性が働きたいだけ働けない。
非製造業は円安自体でプラスにならないが、インバウンドの影響もあってコロナ以前に戻ってきて、賃上げのチャンスである。
今や家計の中でデジタル面は固定費化している。
コロナ下でネットフリックス見る人が増え、家計面でサブスクを見直しましょうといっても、それが生きる活力になっている面もある。
若者を中心にメルカリ・シェアリングなど、安くても楽しくできる生活のスベを学んでいる。
それが「生活の知恵」だとしても、日本社会は、失われた30年でデフレマインドがしみついてしまって、ホンダのロータリーエンジンやソニーのウォークマンなど創造性あるイノベーションが生まれていない。
トップクラスの理工学部の学生がアメリカならばスタートアップ目指すのに、日本の学生はに大企業をめざす社会風土である。
失敗を恐れる生き方とか、しみついたデフレマインドを払拭するにはどうすればいいか。
政府が日本が得意とする生命科学や量子コンピュータなど育成することや、スタートアップの支援体制が大事であるが、むしろデフレマインドのままガラパゴスのように日本のよさを追及するという生き方もある。いわゆる「文化立国」である。
「クールジャパン」とよばれる日本の芸術文化やアニメーションなどのコンテンツは世界でも大人気で、外国人によるアニメ聖地めぐりなどを含め、それらで外貨を稼ぐ力を伸ばすという方向もある。
さて、日本の財政面の危機がしばしば話題になるが、日本国債は「円建て=自国通貨建て」である。日本では、円という自国通貨で発行し、円という自国通貨で返済するということだ。
これは、「政府の借金=国民の資産」という等式がほぼ成り立つ。
2010年代に問題化したギリシア財政破綻の場合には、7割が外国からの借金であった。
外国に国債を買ってもらっている場合、外国資本が引き揚げれば、直ちに資金不足に陥る。
日本の場合、現状ではそのような事態は起きない。
ただ「少子高齢化」が進む中で、貯蓄率の向上は望めず、社会保障費や医療費が増大も拡大する。
国民の「資産」は取り崩され、国債の買い手が足りなくなる可能性がある。
もしも国債の「未達」が生じた場合、「経常収支赤字=資本収支黒字」という関係から、外国に高い金利を払ってでもで国債を買ってもらうことになる。
近年、税負担の余力は物価高で小さくなっている。これは裏返せば政府の「徴税力」の問題であり、国民に増税を納得させる政治力といっていいが、それは「政府への信頼度」が大きくものをいう。
昨今は、裏金問題や政務活動費の不透明さなど、国民の信頼を裏切るようなことが続発している。
こんな自民党政府がさらなる負担を国民に求めるとしたら、国民はどう反応するであろうか。