最近、政治の世界で裏金問題で国会がもめている。
1993年の「政治資金規正法」で団体による自民党への献金は禁じられたが、それまでは経団連が企業ごとに政治献金を割り振った「献金リスト」を作成し、まとめて自民党に献金をしていた。
この献金リストは「財界の政治部長」とよばれた花村仁八郎がとりしきり「花村リスト」とよばれるが、花村が政治献金において大きな裁量権を握ったのは、それだけ信頼された人物だったといえる。
そんな花村は東京大学経済学部出身だが、大学卒業時には病のため福岡市老司で少年院の教官を経験するなど、人生の浮沈を経験している。
新約聖書の「たとえ話」が思い浮かんだ。
ある金持ちのところにひとりの家令がいた。
この家令が主人の財産を浪費していると告げ口をする者があったので、主人は家令をよんで追及し、「会計報告」を出すように命じた。
この家令は心の中で、主人がわたしの職を取り上げようとしている。
そこで自分が職をやめさせられる場合のことを考え、対策を行った。
家令は、金持ちの負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に「あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか」と尋ねた。すると彼は「油100樽です」と答えた。
そこで家令は「ここにあなたの証書があるので、50樽と書き変えなさい」といった。
次にもうひとりにも同様に、負債がどれくらいあるかと尋ねると、彼が「麦100石です」と答えた。
そこで、彼の証書をみせて「80石と書き変えなさい」と言った。
金持の主人は、しばらくしてこの事実を知ったが、この不正な家令を怒るどころか、むしろその利口なやり方をほめて次のように語った。
「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう」(ルカによる福音書10章)。
このたとえ話は難解だが、「不正な富」を築いた「取税人のかしらザアカイ」のエピソード(ルカの福音書19章)を重ねると、いくぶん理解しやすくなる。
ある時ザアカイは、奇跡・不思議を行うという噂のイエスを一目みようと木にのぼって待っていた。
するとイエスが通りかかり「ザアカイよ(木から)降りてきなさい)」という声をかけた。
ザアカイはイエスのその一言に、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」というほどに、回心した。
そしてイエスは「あなたの家に今日救いがきた。私はあなたの家に泊まる」と述べ、ザアカイは喜び勇んでイエスを自宅に迎え入れている。
イエスが「泊まる」とは「聖霊が宿る」ことの預言であり、ザアカイが「永遠のすまい」を約束されたことを暗示している。それは「神の国に入る」ことの約束にほかならない。
イエスは「永遠のすまい」について、「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」(ヨハネ14章)と語っている。
ところで聖書でいう「不正な富」とは、けして悪徳な人物だけの話ではなく、ごく善良な人間にも関わる問題なのではなかろうか。
聖書には「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」(マタイの福音書22章)とあるように、この世(カイザル)に対しては不正はなくとも、神に対してはどうか、という問題が残る。
聖書によれば、すべての人間は神に対して「債務者」であることを教えているからだ。
聖書では、「負債」はしばしば人間が生まれながらにもつ「罪」の譬えられている。
新約聖書には「それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました」(コロサイ人
への手紙2章)とある。
また、「神~債権者/人間~債務者」という観点からみると、「タラントのたとえ話」(マタイの福音書25章)が思い浮かぶ。
ある人が旅に出て、その僕たちに自分の財産を預けた。それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを与えて、旅に出た。だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。
すると5タラントを渡された者は「5タラントをお預けになりましたが、ほかに5タラントをもうけました」と語り、主人は「よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と語った。
同様に2タラントの者にもそうしたが、1タラントを渡された者は、「ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました」と1タラントのままを返そうとした。
すると主人は彼に、「悪い怠惰な僕よ」といい、「彼にあずけた1タラントを10タラントを持っている者にやりなさい」と語った。
このたとえから、人間は神より与えられたタラント(能力)を運用すべく生きているのであるから、「その実」は神に返すべきものである。
しかし、タラントを自分だけのために使っては、神の目からみて「地にタラントを埋める不正」という見方もできる。
「金持ちと家令」のたとえ話における家令は、横領やオンラインギャンブルなどの悪徳を行ったというよりも、自分のために使って神に喜ばれる運用をしなかったということかもしれない。
そして、他の負債者に報告をさせたところ、多くが神の栄光を表すようには使ってはいないことが判明した。
そこで家令は自分の裁量で、彼らの負債額を少しでも軽くするように書き換えさせ、自分が仕事を失ったら助けてもらおうと恩を売ったのであろう。
これは、家令が主人たる金持ちへの「背信行為」に他ならないのだが、懐の深い金持ちは、意外にもこうした家令の行為を「賢い」と、「不正の富を使って友をつくった」ことを称賛したのである。
なぜなら、そうしてえた友の中に救いに与った「光の子」がいれば、あわよくば「永遠のすまい」に導いてくれるかもしれないからだ。
この世の中には、「公益につくした」立派な人といわれる人がいる。最近、銀行券の中の「動く顔」となった渋沢栄一はその典型だが、信仰者でもない「立派な人」を、神はどのようにみておられるのであろうか。
また「悪徳」とよばれるほどに利益を追求したけれども、結果として多くの友を作った人がいる。
アルフレッド・ノーベルは、1833年、スウェーデンの首都ストックホルム生まれ。
父のイマヌエルは発明家だったが、生まれた時には破産していて、ノーベルが生まれたころは一家は貧乏暮らしだった。
しかし、イマヌエルが発明した「機雷」がロシア軍に採用され、一家はロシアのサンクトペテルブルクに移住し、一家は一転して裕福な暮らしとなった。
ノーベルはたまたまある化学者から、発明されたばかりの薬品ニトログリセリンの破壊力を聞き、これを爆薬として開発しようとした。
ニトログリセリンに圧力をかけ確実に爆発させるこの起爆装置「雷管」が後に世界中で使われるようになった。
しかしニトログリセリンを珪藻土(けいそうど)固形化すれば確実に意図したように爆発でき、ダイナマイトは、アルプス山脈を貫くトンネルなど、それまで不可能と思われていた土木工事に大いに活用された。
1870年にプロイセンとフランスの戦争「普仏戦争」が勃発した。ドイツ諸国家の一部に過ぎず弱小国と思われていたプロイセンは、ダイナマイトを橋の破壊などに活用することで、大国フランスに勝利した。これはダイナマイトが兵器として活用された初の戦争となった。
1876年、新兵器「無煙火薬」の開発に着手した。こうしてノーベルは、「無煙火薬バリスタイト」を開発して、純粋な「軍用火薬」として世界各国に売り込み、いつしか「死の商人」とよばれるようになった。
世界各地に約15の爆薬工場を経営し、ロシアにおいては「バクー油田」を開発して、巨万の富を築いた。
1888年、ノーベルと仲の良かった兄が死亡した。
新聞社はそれをノーベル本人の死と取り違え、掲載した死亡記事では、お悔やみを述べる代わりに「人類に貢献したとは言い難い男が死んだ」と書いていた。
1890年ごろからイタリアに住み、この頃から持病の心臓病も悪化していった。
ノーベルは、病室にあってベルタ・フォン・ズットナーの書いた「武器を捨てよ!」という本に出会う。実はズットナーはノーベルの知人で、かつてはノーベルの秘書を勤めたこともあった。
1892年、ノーベルはズットナー主催の平和会議に出席した。しかし、ズットナーが平和のためには各国は武器を捨てるべきと主張したのに対し、ノーベルは各国が究極の兵器を持つことで互いに「恐怖」のため戦争をしなくなって平和が訪れると主張し、二人の考えはすれ違った。
ノーベルが信心深いとは思えぬが、自分の事業が果たして人類に貢献したのか、神様の目から見て、爆発事故で家族を失ったことや爆弾による戦死者のことを思い描いたにちがいない。
ノーベルは遺書で、自分の遺産を安全確実な有価証券に変え、その年利を前年に人類に貢献した人物に与えるように指示していた。
1896年12月10日、ノーベルは脳出血で63歳にして亡くなった。生涯未婚で使用人一人に看取られただけの寂しい最期だった。
ノーベルは、総資産の94パーセント、現在の日本円で250億円を遺していた。そればかりかこの遺産を研究者に与えるとして、その構想はスウェーデンたけでなく国外でも大反響を呼び「ノーベル賞」と名付けられ、1901年からノーベルの命日12月10日に授賞式が行われることになった。
ノーベルの遺言書では「平和賞」の趣旨を「国家間の友好、軍隊の廃止または削減、及び平和会議の開催や推進のために最大もしくは最善の仕事をした人物」としている。
彼の秘書としてかつて働いていたズットナーが、戦争反対をテーマにした小説「武器を捨てよ!」(1889年)が、当時欧米で話題になっていた。
その小説にノーベルの心が代わり、「平和賞」を思い立ったからではないのか。
実際、「ノーベル平和賞」の受賞者をみれば、かつての新聞記事の「彼が人類に貢献したとは言い難い」という評価を打ち消すのに十分である。
女性としてはじめて「ノーベル平和賞」を受けたのは、1905年あのズットナー(第5回)である。彼女は作家として、戦乱相次ぐ欧州で生涯を平和運動に捧げたことが評価されたのだ。
石油王ジョンロックフェラーが築いた資産は現在の価値で2兆円にのぼる。
100歳までいきるという目標、悪魔とよばれた男は、ニューヨーク州リッチフォードで生まれた。
コンテナのような粗末な家が生家である。母と5人の兄弟と過ごした貧しい子供時代。
生活費を稼ぐために7歳で商売をはじめた。幼いころっから出納帳をつけていた。
すべてに几帳面で、1セントたりとも足りなければ請求したし、余分にとればかえした。
ロックフェラーの人生を変えたのは、20歳の時、五大湖近くの田舎町で発掘された石油である。
アメリカで大規模に見つかったのははじめてだった。町は油田ラッシュにわいた。
発掘に大金を投じてもかならずみつかるわけではない。石油ビジネスはばくちに近い商売だった。
この時、ロックフェラーの才覚が発揮された。
リスクの高い石油の発掘には手をださず、人が採掘した石油を買い集め、精製し販売委するビジネスをはじめたのだ。
優秀な化学者を雇い、どんな不純物を含んだ原油でも精製できる技術を開発。
自社製品こそが世界標準と銘打ち、設立した会社を「スタンダード石油」となづけた。
さらに鉄道会社と手を組み、運送費を下げさせ、安売り攻勢でライバル企業をたたきつぶしていった。
40歳になるころには、全米の石油精製の90パーセントを支配し、石油王として不動の地位をきづいた。
敵を徹底的に潰す無慈悲なビジネスには、世間の非難が集まり、へびやタコ時に悪魔とよばれた。
バッシング急先鋒に立ったのは、ジャーナリストのアイダ・ターベル。スタンダード石油によって破滅させられた石油業者の娘であった。
ターベルはロックフェラーを糾弾する記事を2年にわたって雑誌に連載した。
「ロックフェラーとその仲間はリベート、わいろ、恐喝、スパイ、値下げ、冷酷で効率的なやり方で、支配力を勝ち取った。自分会社が独占するためにはなんでもしたし、誰のこともかまわなかった。彼はほかの人をすべて破壊したのだ」。
世間の非難にさらされていたこのころ、ロックフェラーは原因不明の脱毛症となり、人前ではかつらをかぶるようになった。
ついに国家も動きだし。1911年、独占禁止法によりスタンダード石油は解体された。
ロックフェラーはすべての役職からの引退をよぎなくされた。
しかし最大の株主としてその富と権勢がおとろえることはなかった。
「非難はどれほど激しかろうと、我々は全世界に伝道を行ったのだ。スタンダード石油こそ、石油産業を恥ずべき投機的事業から立派な産業に変えたのだ」という自負があった。
実際、ロックフェラーがいちはやく目を付けた石油は、石炭で動いていた世界を一変させた。
大衆車の急増によって自動車が急速に普及し、アメリカ中に道路が整備され、道沿いにガソリンスタンドが表れた。
自動車のみならず、戦場では飛行機や戦車も登場する。世界は石油なしでは動かなくなった。
ロックフェラーは出会った人に「5セント」を渡すのを習慣としていた。
それは慈悲の心をしめすためばかりではなく、5セントといえども軽んずべきべきではないというメッセージを込めた。
「5セント」は当時の1ドルの年利にほかならなかった。
ロッケフラーの経営姿勢の源にあったのは、信仰心であった。敬虔なプロテスタントであったロックフェラーは若い頃より収入の10分の1を教会に寄付し、家訓どうり、教会の最前列に座った。
ジュニアは自由貿易による「世界平和」という一族の理想をうけついだ。
ありあまる富で設立した慈善団体、「ロックフェラー財団」が資本主義伝道鵜の手段となった。
財団が力を入れたのは途上国の生活水準の向上、ジュニアは日本が統治していた朝鮮半島を訪れた。
朝鮮総督斎藤実と会見し、日本の医療水準をあげる策を話し合った。
北京では財団が設立した病院(北京協和病院)の落成式に出席した。中国で最先端を誇る病院だった。
アフリカでは黄熱病マラリアなどの伝染病の撲滅や、公衆衛生の改善に取り組んだ。
100歳まで生きると公言していたロックフェラーは、98歳の誕生日を目前にして亡くなった。
死の床に就いたロックフェラーを自動車王ヘンリー・フォードが見舞った時、次のような会話がなされた。
ロックフェラー:「さらばだ、天国で会おう」
フォード:「あなたが天国に行けるならね」。
大衆から悪魔とよばれたロックフェラーは誰よりも神に寄付した男だった。敵も多くいたが、その財力を通じて多くの友を作ったことは間違いない。