高いハードルは超えるよりも、低いハ-ドルをくぐるほうが、よほど難しいといこともある。
地位の高い人が、へりくだって普通の人の話を聞きいれるのはなかなか難しいことにちがいない。
紀元前9C頃のお話、スリヤ人の王のもとに「ナアマン」とよばれる将軍がいた。主君に重んじられた有力な人物であった。
しかし彼は戦場における大勇士であったにもかかわらず、らい病を患って悩み苦しんでいた。
そんな時、スリヤ人が戦闘でイスラエルより捕らえた一人の奴隷の少女が、ナアマン家に仕えていた。
その少女がいうには、イスラエルにはひとりの預言者がいて、その預言者のもとにいけば、
主人の病は癒されるだろうというのだ。
しかし、ことはそう簡単ではない。なにしろ預言者は敵対する国の預言者である。まずは、双方の国王の許可が必要となる。
そこでナアマンが、そのことをスリヤ王に相談すると、スリヤ王は彼のために便宜をはかり、イスラエル王に「ナアマンの病を癒してほしい」という旨の文書を渡して、ナアマンを送り出した。
ところがイスラエル王は、そう簡単にうけいれることはできない。第一に自分に命をどうこうできるはずもないのに、らい病人を自分によこすとは、何かの謀略かもしれない、と警戒した。
ところがナアマンの病のことが預言者エリシャに伝わると、エリシャはナアマンを早速自分の元によこすよう伝えた。
そこで、ナアマンは馬と車とを従えてきて、病を癒すと評判の預言者エリシャの家の入口に立った。
ナアマンにすれば、最高の形式を整えておとずれたのだが、預言者エリシャの応対は、実に素っ気ないものだった。
ナアマンに面会しようとさえせずに代わりの者を遣わして、「ヨルダンに行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉は元に返って清くなる」と伝えるのみだった。
それは、ナアマンのプライドをいたく傷つける態度であったようだ。
聖書には、ナアマンのその時の気持ちが次のように書かれている。
「私は、彼がきっと私のもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病を癒すだろうと思った。ところが川で七回身を洗えという。わが国にもイスラエルの以上の川がある。その川で身を洗って清まる事が出来ないか」と不平をもらした。
ナアマンが怒って立ち去ろうとした時、家来達がナアマンに次のようなアドバイスをした。
「ご主人様ほどの重い病気にかかったらどんな難しいことでもしなければならないのに、川に入って水を浴びるくらい簡単なことではありませんか」。
その言葉にナアマンはようやく気持ちを切り替えることができた。彼は、エリシャの言葉どうりに七度ヨルダンに身を浸したところ、その肉がもとに返って幼子の様になり、清くなったという。
ヨルダン川といえば、イエスがバプテスマのヨハネによって洗礼を受けた川である。
イエスの「誰でも幼な子のようにならなければ、神の国にはいることができない」(ヨハネの福音書5章)という言葉が思い浮かぶ。
さて、このエピソードで、イスラエルの預言者がスリヤの将軍を癒すということは、イスラエルの国益に反しているようにも思える。
しかしそれは当時の感覚からすれば違う。真の預言者の存在は、下手に手出しすると痛い目にあうというメッセージともなる。
それはエリシャの「スリアはイスラエルには真の預言者がいることを知るだろう」(列王記下5章8)という言葉からも推測することができる。
イスラエルに「真の預言者」がいるということこそが最大の「安全保障」となるのだ。
地中海の東岸パレスチナの世界では、それぞれの民が信じる「神の力」を競い合っていた面がある。
出エジプトを率いたモーセは「約束の地」カナーンを目前に亡くなり、その後継者ヨシュアによってめざすカナーンの地に入ろうとした。
ときに、ヨシュアはその状況をさぐろうと二人の斥候(スパイ)を送ってエリコの町の様子を探らせた。
二人の斥候はエリコの町に忍び込み、様子を探っているとき、彼らはラハブという遊女の家に入り、ラハブは彼らを匿った。
ところが、イスラエルの斥候が来たことがエリコの王に知られ、探索が始まる。
ラハブは二人を家の屋上の"亜麻の束"の中に隠して、「二人の人が確かに来たが、夕方になって出て行った」と応じる。
探索隊が帰った後、彼女は二人を城壁の窓から綱でつり降ろして脱出させた。
ラハブはイスラエルの斥候二人に次のように願った。
「わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示すと、今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください」。
つまりラハブは、このエリコは早晩イスラエルの民によって攻め滅ぼされる、その時に、自分と自分の一族を救ってほしいと願ったのである。
このラハブの願いに対して二人の斥候はひとつの約束をする。
それは、イスラエルがエリコに攻め込む時、ラハブの家に一族を皆集め、その窓に彼らが与える”真っ赤なヒモ”を結びつけて目印とするなら、その家の中にいる者は皆助けると約束したのである。
そして二人の斥候はエリコの町を去った。
ラハブは二人が去るとすぐに、彼らから与えられた”真っ赤なヒモ”を窓に結び付けた。
そしてヨシュアは、土地を探った二人の斥候に、「あの遊女の家に行って、あなたたちが誓ったとおり、その女と彼女に連なる者すべてをそこから連れ出せ」とラハブの願いに応えるように命じた。
そして斥候二人は、ラハブとその父母、兄弟、彼女に連なる者すべてを連れ出し、彼女の親族をすべて連れ出してイスラエルの宿営のそばに避難させたのである。
イスラエルの軍勢は神の言葉に従って、「契約の箱」を担ぎ、角笛を吹き鳴らしながらその回りを1周した。
そのことを6日間続け、7日目には町の回りを7周し、そして一斉に鬨の声を上げると、難攻不落といわれたエリコの城壁は崩れ、イスラエルは一機にエリコに攻め込み、その町を滅ぼし、カナーンの地への第一歩をしるしたのである。
遊女ラハブとその一族は、ヨシュアが生かしておいたので、イスラエルの中に住むこととなった。
それにしても、エリコの住人であるラハブは何故彼らをかくまったのか。
聖書はラハブの思いを次のように伝えている。
「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。それを聞いた時、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたち神、主こそ上は天、下は地に至るまで神であられるからです」。
これはカナーン人でありながら、イスラエルを導いたヤハウェの神を畏れた、いわば「信仰表明」といってよい。
イスラエルの神が、他国にも恐れられていたことは、旧約聖書「ヨナ記」でも知ることができる。
預言者ヨナは神によりニネベ行きを命じられたにもかかわらず、それに従わず逃げようとした。
すると逃げた先の地中海で、神が起こした大嵐に見舞われる。
激しい暴風で、船が破れるほどのになり、水夫たちは恐れて、”めいめい自分の神を呼び求め”、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。
しかし、ヨナは船の奥に眠っていたので、船長があなたの神に呼ばわりなさい。あるいは我々を顧みて、助けてくださるだろう語った。
やがて人々は、この災が我々に臨んだのは、誰かのせいか知ろうとクジを引くと、ヨナに当る。
そこで人々はヨナに「あなたの職業は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。あなたはどこの民か」と問い詰めた。
ヨナは彼らに「わたしはヘブルびとです。わたしは海と陸とをお造りになった天の神、主を恐れる者です」と語った。
すると人々は、ヨナに「あなたはなんたる事をしてくれたのか」と語った。
この言葉は、ヘブライ人(ユダヤ人)の神ヤハウェの名が他国にも知られ恐れられていたことを示すものである。
船員たちはヨナが神にさからって逃げていたことをすでに知っており、そんな神の怒りに船員たちも巻き添えになることを恐れたのである。
それが、「なんたることをしたのか」という言葉に顕れている。結局、人々はヨナの願いにしたがってヨナを海に投げ込むと、海は静まった。
古代イスラエル2代目の王の「ダビデの罪」と聞いて、多くの人々は、「バトシェバ」との姦淫の罪を思い浮かべるであろう。
ダビデはバトシェバと姦淫し、彼女が子供を宿したことがわかると、夫のウリヤを戦死させた。
ダビデが犯した姦淫と殺人というふたつの罪は、神を怒らせ、その裁きは一族離反の結果をみる。
しかし、神の裁きの規模という点からみると、ダビデの「人口調査」をおこなった罪の方が甚大である。
ただしそれは、ダビデ個人に帰する罪というより、そもそもが「王」を求めたイスラエルの民の罪に対するものでもあった。
古代において、人口調査というのは、主に兵力を把握するだったり、税金を徴収するために行われた。
ダビデの人口調査の目的は、兵力を把握するためだった。
ダビデの時代、イスラエルは政治的にも経済的にも成長を遂げ、どんどん軍事力を高めていった。
ただ、イスラエルにおいて戦いというのは、「神の戦い」であり、軍事力の問題ではなかったことは、前述の「エリコ陥落」からもわかる。
神がご自身が戦い、神が勝利を与えられるというのが、イスラエルの戦いの基本であるにも関わらず、ダビデは神の力よりも、人間的な力を求めてしまったのである。
ダビデ自身「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。 しかしわれらは、われらの神、 主のみ名を誇る」(詩編20篇)と詠っているにもっかわらずである。
言い換えれば、イスラエルは「普通の国」に成り下がったのだ。
それは旧約聖書「士師記」の中の、いわゆる「ギデオンの三百」のエピソードでしることができる。
イスラエルで王がおらず「士師」とよばれるリーダーがいた時代に、ギデオンとよばれる士師がいた。
敵であるミデヤン人や、アマレク人などが「いなごのような大群」で谷に伏していた。
それらの敵と戦うギデオンに対して神は、イスラエルの戦士の数を減らすように命じた。
その理由は、戦いの勝利が自らの力によるものとイスラエルが誇らないためだという。
そこで戦いに恐れを抱くものは即帰るようにいうと、2万2千人が帰っていき、残ったの者は1万人だけになった。
しかし神はそれでもまだ人数が多いという。そして、彼らを湖の水際に下らせるよう命じる。
その中で、手ですくって水を飲むものを選び、犬がなめるようにひざをついて飲む者を帰らせた。
つまり武器をいつでもとれる臨戦状態で水を飲んでいる者だけを選んだのである。
ひざをついて水を飲むものは武器を手離し、敵の不意の攻撃に対して警戒を怠っているからである。
そして、条件にかなう戦士を集めたところ、かろうじて300人。
しかし、いかに精鋭とはいえ、わずか300人だけでどうやって、「いなごのような大群」と戦うのだろうか、と思ったに違いない。
そして神がギデオンに命じた戦いたるや、実に風変わりなものであった。
ギデオンは300人を3隊に分け、全員の手に角笛とから壺とを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。
そして、真夜中の番兵の交代したばかりの時間、陣営の端に着いたギデオンが角笛を吹きならす。
すると全陣営、回りの百人ずつの三隊が一斉に角笛を吹きならし、つぼを打ち砕きながら「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫ぶというものだった。
そして各自が持ち場を守り、敵陣を包囲したのである。
そして300人が角笛を吹き鳴らしているうちに、陣営の全面にわたって同士打ちが始まったのである。
結局、ギデオンの勝利は神の働きと人の動きが一つになってもたらされたものである。
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注目すべきことは、ギデオンの300人のエピソードの中には1人の英雄もいない。
ただただ「神の御名が崇められる」という点では「ベストの戦い」であったといえよう。
ところがイスラエルの民はその後、神に依る戦いではなく、「王が裁きを行い、王が陣頭に立って戦う」という行き方を求めた。
BC11C頃にサムエルという預言者が現れ、民衆がもしも王を立てることを求めるならば、息子や娘を兵役や使役にとられたり、税金をとられたち、奴隷となることもあり得るとそのデメリットを語ったが、民衆は聞き入れなかった。
さらに預言者サムエルは、”王政”について「また、あなたがたの羊の十分の1を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう」と預言している。
それでも民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで「いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」(サムエル記上8章)」と応える。
サムエルは民の最終意思を確かめ、「民の声」をとりなして神に伝えた。
すると神は、「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」と答えている。
こうして「王制」が始まるのだが、神はサムエルを通して、彼らが退けたのはサムエルではなく、”神”が彼らの上に君臨することを退けたのだと、告げた。
神の目からして、イスラエルの民が他のすべての国々のように王を望んだのは、自分たちの上に君臨し守り導く主なる神への揺るぎない信仰ではなく、自分たちの”武力”により頼んで行こうとする「不信仰」を表すものであった。
イスラエルは、ギデオンの時のような「主の戦い」ではなく、英雄を求め、武器や馬に頼る「普通の国」に転じていく。
そしてサムエルは、「その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」と預言する。
実際、イスラエルの民衆は「王」によって、様々な辛酸をなめることになる。
それは、狂気を帯びた初代サウル王ばかりか、ダビデ王の「人口調査」の罪によって、イスラエルの民が神によって過酷な裁きを受けたことは、サムエルの預言を裏付ける結果となる(サムエル記下24章)。
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旧約聖書には「神こそわが岩、わが救、 わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。
わが救とわが誉とは神にある。 神はわが力の岩、わが避け所である」(詩篇62)とある。
マルチン・ルターの作詞作曲した世界で最も有名な讃美歌のひとつが、これらの詩編を元とした「神はわが櫓(やぐら)」である。