キャッシュレス(本当の意味)

最近、三重大学の深田淳太郎准教授(文化人類学)の「キャッシュレス化」がもたらす社会の変化についての論考が新聞に掲載され、啓発された。
社会は、過去にお金にまつわる「除霊」を行い、現在は「除菌」を行い、未来において「新たな霊」が出現するというのだ。
新聞の内容では、それほど具体的な内容はなかったが、ピンとくるものがある。
まず貨幣は、ある程度流通してはじめて通貨になる。日本では近年、和同開珎以前に富本(ふほん)銭の流通が認められたようだが、通貨となった貨幣は、それが流通する範囲で地域統合の役割も果たした。
そして、各地の方言が標準化して公用語となるように、ひとつの貨幣が地方貨幣を淘汰して、通貨となる。
その過程で、各貨幣にまつわりついた風習・宗教が剥ぎ取られ、人間を解放するのが通貨である。
思い浮かべるのは、文化人類学者のマリノフスキーが発見した南洋諸島でみられる「クラ交換」。
「クラ交換」とは、複数の特定のパートナーの間で、首飾りと腕輪をやりとりするが、首飾りは時計回りに循環し、腕輪は反時計回りに循環するが、それらは、贈与と返礼という形をり、間をあけてやりとりする。
その際、受けた贈与に対しそれを上回る価値の財宝で返礼するために、人々(=男性)は「気前の良さ」を競うことになり、なんと贈りモノの破壊行為(ポトラッチ)に及ぶこともある。
深田準教授によれば、この周辺の先住民の間では、贈り物に取り付いて、受け取った者に返礼を強いる贈与の「霊」が信じられていた。
対して貨幣は、モノの交換を純粋な商品売買に変化させ、余計な関係性など、そうした「霊」的なものを払拭、つまり「除霊」したというのである。
さて、その国の通貨は何かというと、一番わかり安い「識別法」は、その国の国民が「何を」税金として政府に収めているかということである。
カイザルのものはカイザルにという聖書の言葉があるとうり、貨幣の中でも国王の顔が刻まれたコインとなるとそれは間違いなく「税」の支払いにあてられるものと考えてよい。
したがって王は、貨幣に自分の「肖像」を刻むことによって、その貨幣の「通用性」すなわち「通貨」たることを国民全般に保証するばかりではなく、ついでに自らの「威信」をも示したのである。
ところが「宋銭」は、国王(政府)が発行していない金は通貨になりえないという常識を覆し、国王でもない「私勢力」が、しかも外国から輸入した貨幣を「通貨」としてしまったのだ。
さて、平安時代の日本における国王といえば、朝廷(天皇)であった。
しかし当時、平家一門は朝廷内で重要な官職を占めており、その頂点にいた平清盛には後白河法皇に匹敵するほどの実権を持っていたといってよい。
平清盛ならば、天皇しか持つことができない「貨幣発行権」を手に入れ、実質的には「国王」と自認するに至ってもそれほど不思議ではない。
しかし、それなら平家の「家紋いり」の通貨でも出せばよいものを、わざわざ中国から「宋銭」を輸入して通貨としたのはどうしてだろう。
宋銭は、やがて日本国内の港町や門前町で使われるようになるが、それ以前の国産の銭貨と違い、人々が満足するに十分なクオリティだったからだ。つまり「利便性」が様々な要素に優ったことを意味する。
中央貴族のブレーンであった九条兼実は、「異国の銭を使うことは偽造貨幣を使うのと同然の重罪である」として宋銭の使用を禁止した。
のちの鎌倉幕府もこの方針を引き継いだはずだった。しかし、幕府はやがて方針転換して流通を認めざるをえなくなる。
宋から元、さらには明と中国王朝は変わっていく。元銭そして明銭が、日本でマネーとして普及した。
13世紀後半から14世紀前半にかけて、貴族や武士が中国銭を使うようになり、村落民が領主層に中国銭で納税するようにもなっていた。
つまり、中央政権が発行したのでもない、しかも天皇に対して”不敬”でさえある輸入通貨銭が、一般的な受容性を備えていたということである。
「利便性」がそれほどものいう通貨の世界にあって、思い浮かぶのは、最近使用が拡大しているビットコインである。
その発行は日本政府と関係なく、海外への送金などはるかに簡単。今のところ安全性の面から問題があるものの、各金融機関もその導入をはかっている。
もっとも、ビットコインとは違い、宋銭には根源的な価値の保証があった。
それは「末法思想」の流行で、宋銭が流通しなくなってもそれを鋳直せば、仏像の素材になりえたからだ。
ビットコインの価値の保証は、暗号技術の水準の高さに帰着するだろうが、コロナ後にビットコインや一部の暗号通貨が、電子マネーとともに、広く用いられる可能性がある。
両者は、それ自体が”価値”とみなされているビットコインに対して、電子マネーは、現実のお金が動く点で、根本的に違う。
ただ両者とも、対面による現金の受け渡しがない「キャッシュレス化」の点では同じである。

人は、自分がイメージする自分と他人から見える自分(第二の自分)との齟齬で結構悩んだりする存在なのであろう。
しかし、最近ではデータが蓄積した「第三の自分」とつきあわざるをえなくなったようだ。
それも、生涯にわたってつきまとう「データとしての自分」という存在。
コンピューターによるネット利用は、「Cookie(クッキー)」の中にすべてその痕跡が残る。そんな、情報の断片を継ぎたしていけば、人物が「特定」され、"人物像"が構成できるようになる。
そしてその存在が、ネット空間で「拡張」されたり、「矮小化」されたりして、様々なイタズラを仕掛ける。
そんな「第三の自分」を消そうとしても、有効な手段がなく、仮想空間で一人歩きしているような状況が起きている。
例えば、自分の遺伝子情報が誰かに完璧に読み取られ、そのAI分析が自分が気づかぬままに利用されていたりしたらどうであろう。
そうして構成された「第三の自分」が結婚や就職という重大局面から、デートの約束からホテルの予約にまで影響を与えるかもしれない。
最近、データとしての自分とつきあうにしても、新たな展開が生まれている。
それは、「チャット・ポット」の登場。チャット(会話)とロボットを合わせた言葉であるが、ひとつの悲しい出来事がきっかけであった。
、 2015年11月のある日、ローマン・マズレンコという34歳の男性が、モスクワ中心部でスピード違反のジープにはねられた。彼は近くの病院に搬送されたが、そのまま亡くなった。
ローマンの親友だったユージェニア・クイダは死の瞬間に立ち会えず、彼と最後に言葉を交わすことができなかった。
彼女はその後3ヶ月かけて、ローマンの友人たちの携帯電話に保存されているメールを集め、それを自身が経営するソフトウェア会社〈Luka〉のエンジニアに送った。
彼らはアルゴリズムや人工知能(AI)など、コンピュータ技術を駆使してあるアプリを開発。クイダは再びローマンと会話ができるようになった。
「調子はどうかな?」「気分はどんな感じ?」。
そんな一見、不器用なアプリを生み出したのは、急死した大切な人と「もう一度会いたい」と願う開発者の思いだった。
彼のFacebookページに投稿されていたのは、リンクが2~3個だけで、インスタグラムにも写真は載せておらず、メッセンジャーの履歴をスクロールして読むことだけで、彼を近くに感じられなかった。
まだ彼に伝えたいことはたくさんあるのに、それを伝えるすべがない。
遺族や友人から8000行に及ぶローマンのメッセージを集め完成したアプリは、まずメッセージを提供してくれた人びとに届けられた。
ローマンの言葉遣いをまねた、まったく新しいボットで、彼らはクイダがすばらしいものを生み出してくれた、と感激していたという。
このことに手ごたえを得たクイダは、新たなアプリ「Replika」を開発した。それは、ローマンのボットの「秘密を打ち明けられるチャットボット」というアイデアを踏襲している。
このアプリはAIを使って、”自分に似たチャットボット”をつくり出すことができるというもの。
このボットはユーザーの気分、パターン、好み、話し方を徐々に習得するため、ユーザーはまるで自分自身や自分のレプリカと話している気分になってくる。
そこにどんなメリットがあるかというと、「自分」を発見できセラピー的役割から日記的な役割を果たす。
これを囲碁ロボットに置き換えると、自分に似てきた相手を打ち負かそうとするうちに、自分の弱点が発見できるということだ。
文学の世界では、いわば”分身”が登場する作品がある。ロシアのゴーゴリの街角に出現した「鼻」や、「源氏物語」の、恋敵・夕顔に憑りついた六条御息所の「生霊(いきりょう)」など。
デジタルの世界でも「分身」というのがあって、それが「アバター」とよばれるものである。
だが「アバター」はあくまでネット上の「自分の分身」、現実に誰かをに害を与えるなんてことはしない。
AIの能力をも、人間の能力として「一体化」する方向での技術開発である。
とはいえネット上のアバター同士の戦いが、現実の世界にもつれこむなんてことはまずないだろうが、デジタル空間は現実と無関係とはいいきれない。
例えば、おじさんユーザーが"自己の分身"ともいえる女の子のキャラを使って、ネット上で「可愛い」とちやほやされる。すると現実のおじさんも、アバターもエクボで、オトメチックになるという。

新型コロナウイルス感染に不安を感じる度合いが強いほど、キャッシュレス化は現金を売買の場からなくす「除金」と同時に、現状では「除菌」をも意味する。
コロナ禍で身体的接触が避けられるなか、お釣りの受け渡しや現金の流通・管理など、様々な要素を商品売買の過程から省くまでになっている。
だが、キャッシュレス化の本当の意味は、社会全体が「購入履歴」「行動履歴」などを通じて”丸裸”になるということなのだ。
例えば、中国での生活は、すべての支払が、スマホで行われ、現金お断りの店も多い。
お寺の賽銭もスマホ決済、信号待ちの車に寄ってくる物乞いすら窓越しにQRコードを掲げる。
街のあちことに、スマホ決済のシェア自転車置き場があり、好きなところで自転車を借り、目的地近くで返すことができる。返却しないと個人の信用力を示す点数が下がり、ローンで不利になる。
若者は交際前に、相手の信用点数を確認することで"効率的"な恋愛を行う。
これらのサービスの提供者が「アリババ」と「テンセント」で、今の言葉でいえば”プラットホーマー”。それは、多くの情報を一元的に管理する元締めのような存在と考えてよい。
「キャッシュレス」とは、すべての購買行動と付随する情報がプラットフォームに記録として残ることを意味する。
アプリストアとして集客力のあるアリババに集まった情報が”まるごと”中国政府にわたり、巨大プラットホームが形成される。
それが、社会主義国家の中で、巨大IT企業が営業が認められる理由といえる。
中国では市役所の仕事はすべて電子化。こうした情報の収集が、中国の監視社会化をさらに強化している。
政府が住民のスマホに”スパイウェア”のインストールを義務付け、その行動を監視したり、健康診断を通じてDNAや虹彩などの”生体情報”まで収集したりしている。
データや情報を解析・処理し、実行に移すアルゴリズムを有するAIや機械学習などのフォーマットは、社会や企業で広く活用されている。
行政による個人情報が”部門横断的”に共有され、例えば裁判所の命令に従わない人物に対し、身分証が必要な飛行機や新幹線のチケットが買えなくなる仕組である。
社会主義の定義は、かつては「生産手段の共有化または国有化」であったが、生産手段は私有化が認められる一方で「個人情報の国有化」が進んでいる。
アプリの登録者数は、ともに10億人規模に達する。決済・購買履歴に加え、SNSや電話の内容が同社が分析し、政府にも共有されているが、市民は効率的な生活の前提としてそれを受け入れている。
市民が政府・大企業へと個人情報・行動記録を自ら提供することと引き換えに、安全かつ快適な生活を享受する「幸福な監視国家」の誕生である。
貨幣は取引の際の余計な人間関係を取り除く「除霊」の役割を担い、都市生活者に自由をもたらした。
「誰が・いつ」といった様々な情報を付着させるキャッシュレスは、「除金」と引き換えに自由も独立もない監視社会に人々を導く危険性がある。
コロナ禍でウイルスを避ける「除菌」によりキャッシュレス化が進めば、お金に対する呪物崇拝を乗り越える「除金」にも繋がる。
キャッシュレス決済はITを通じて利用者の購入履歴などのデータを集積し、それを組み合わせて個人の行動を浮き彫りにする機能をも持つ。
共同体における人間関係に煩わされない代わり、システムを提供する企業側に消費行動を把握され、ひいては権力者らに社会を監視する方法として利用される可能性がある。
日本でもLINEとYAHOOの統合により、巨大「プラットホーマー」が登場する可能性がでてきた。
「快適な暮らしにつなげよう」と、住民の生活データに着目してそうしたプラットフォーマーと連携しようとする行政機関も登場している。
プラットフォーマーの問題点は、情報を保有するだけではなく、その情報をいかに処理し評価に結び付ける「アルゴリズムの支配者」として立ち上がってくるということだ。
例えば、Yahooがアクセス数をもとに検索表示順を決めるのに対して、前者Googleがリンク数を元にそれを決めている。
また、グーグルで何かを検索したとき、アマゾンで買い物をするとき、フェイスブックで世の中や友達の動向を知るとき、常にその裏には、アルゴリズムがある。
入力されたデータや、フェイスブックの「いいね」などの反応をもとに、どのような情報を優先して画面に表示するかを決める手順もアルゴリズムである。
今のところ、アルゴリズムの支配者を抽象的に「ルーラー」とよんでいる。
ただ、ルーラーがどれくらい国家色を帯びるかで、かなり社会の様相が異なってくる。
こうしたプラットフォーマーの一翼を担う人々の中には、かつて金融の世界で「証券化」などのリスクコントロールの金融資産を生み出した人々が少なくない。
2008年暮れに起きたリーマンショックによって職を失った金融工学エンジニアが”広告業界”に転身して、新たな「オーディエンスターゲティング」という技法で世を席巻している。
彼らは、冷戦終結後に軍事産業から金融業界に流れ、そして行きついた先が広告業界だったということ。
インターネット広告は、期日までに広告を用意して入稿する仕組みで、急な掲載はできないため、広告主は多くのチャンスを逃す。
この問題を解決したのが「アドテクノロジー」で、「広告枠」ではなく閲覧している「人」に対して最適な広告を出せるようになった。
この技術は、政治や選挙なとにおいても活用される。
さて、冒頭の深田准教授によれば、貨幣の除霊から通貨となり、除菌によるキャッシュレスへの動きは、「新たな霊」を出現させるという。
この「新たな霊」の出現を、こうしたルーラーの支配にあてはめると、ピタリとはまる。