ニュー・リバイアサン

中国での生活は、すべての支払が、スマホで行われ、現金お断りの店も多い。
お寺の賽銭もスマホ決済、信号待ちの車に寄ってくる物乞いすら窓越しにQRコードを掲げる。
街のあちことに、スマホ決済のシェア自転車置き場があり、好きなところで自転車を借り、目的地近くで返すことができる。返却しないと個人の信用力を示す点数が下がり、ローンで不利になる。
若者は交際前に、相手の信用点数を確認することで"効率的"な恋愛を行う。
これらのサービスの提供者が「アリババ」と「テンセント」で、今の言葉でいえば”プラットホーマー”。それは、多くの情報を一元的に管理する元締めのような存在と考えてよい。
「キャッシュレス」とは、すべての購買行動と付随する情報がプラットフォームに記録として残ることを意味する。
アプリストアとして集客力のあるアリババに集まった情報が”まるごと”中国政府にわたり、巨大プラットホームが形成される。
それが、社会主義国家の中で、巨大IT企業が営業が認められる理由といえる。
中国では市役所の仕事はすべて電子化。こうした情報の収集が、中国の監視社会化をさらに強化している。
政府が住民のスマホに”スパイウェア”のインストールを義務付け、その行動を監視したり、健康診断を通じてDNAや虹彩などの”生体情報”まで収集したりしている。
行政による個人情報が”部門横断的”に共有され、例えば裁判所の命令に従わない人物に対し、身分証が必要な飛行機や新幹線のチケットが買えなくなる仕組である。
社会主義の定義は、かつては「生産手段の共有化または国有化」であったが、生産手段は私有化が認められる一方で「個人情報の国有化」が進んでいる。
アプリの登録者数は、ともに10億人規模に達する。決済・購買履歴に加え、SNSや電話の内容が同社が分析し、政府にも共有されているが、市民は効率的な生活の前提としてそれを受け入れている。
市民が政府・大企業へと個人情報・行動記録を自ら提供することと引き換えに、安全かつ快適な生活を享受する「幸福な監視国家」の誕生である。
学校教育でも、いわば「監視」が行き届いている。
あるエリート中学のオフィシャルページでは、この顔認証システムこと「智慧課堂行為管理系統(スマート教室行為管理システム)」についての導入情報を中国語だけではあるが公開している。
教室内で「智慧課堂行為管理系統」は常に全生徒の動きを監視し、「異常行為」とシステムが認識したら教師に情報が送られる。
具体的には30秒ごとに黒板の上に設置されたカメラが教室全体を1回撮影し、生徒それぞれの状態を「本に向かっている」「手を挙げる」「ノートに書く」「起立する」「話を聞く」「集中していない状態となっている」の6種類のいずれかに認識する。
加えて生徒それぞれの顔を認識して「楽しい」「悲しい」「怒っている」「反感」などの表情を認識する。このふたつの認識の組み合わせにより、学生の授業状態を科学的に分析する。
「集中していない状態」というマイナス認識が一定回数を超えると、教師にシステムがアラート情報を送る。
補足すれば「智慧課堂行為管理系統」は休み時間や体育の授業は情報をとらず、教師だけが見られる状態となっているが、保健室にも適応されるという。
学校側も「学校が監獄化する」といった否定的意見が出ることや、個人情報漏洩の心配が出るのも想定している。
そこで保護者に情報採集の同意を得て、各カメラユニットで情報を個人情報として使えない状態まで加工するという。
またクラウドサービスではなく、ローカルなシステムとして完結している。
このような「幸福な監視国家」への動きは西側諸国でも生じているが、それらは全て市民(社会)の”チェック”が入ることが原則になっている。
それに対し、中国の社会統治理念の根本には「善きこと」の指針が天から与えられるという儒教的な秩序概念がある。
だが、人格を格付けする「信用」スコアなどが普通に採用活動や婚活に活用されるとしたら、多くの人々は差別を感じる場面が増えていくに違いないのだ。
こうした社会を果たして「幸福な監視国家」といえるだろうか。

2020年、”初動”に問題があったとされる「新型コロナウイルス」の発現は、中国の人々に「我々は本当に幸福な監視社会を生きているのか」、という疑問を突き付けずにはおかない。
新型肺炎生の公表前に警鐘を鳴らした医師が警察に「デマを流した」として処分されるなどが、国民の不信が増している。すでに亡くなったこの医師の警鐘に早く反応していれば、新型コロナウイルスは拡大を防げた可能性が高い。
中国人にとって、家族や親族が集う旧正月(春節)は特別な意味があるが、その旧正月にあわせたかのように武漢発の新型コロナウイルスは一機に拡大したからだ。
これまでは、高い経済成長が国家の経済活動への強い関与、つまり国家資本主義と社会の統制を正統化し、国民もそれを許容してきたが、政府の不十分で後手に回った対応とあいまって、経済社会が不安定化していく可能性がある。
さて、中国の”武漢封鎖”に不気味さを感じるのは、初動の”情報隠し”に加え、新型コロナウイルスの発生源になっている海鮮市場が「生物兵器」の開発施設から30キロぐらいに位置しているからだ。
中国では"隠ぺい"と監視はセットと考えてよい。記憶に新しいのは2011年の高速鉄道事故では、調査をはばむかのように車体を早々地下に埋めたこである。
古代にまで遡れば、「焚書坑儒」つまり、儒教の書物を焼き儒者を穴埋めしたことがある。
現代でも、政府が都合の悪いことは隠ぺいし、その一方で国民をますす”丸裸”にして監視している。
中国政府は、ビッグデータや顔認証などの人工知能を利用して国民を統制・監視している中国当局が、これまで蓄積した技術を新型コロナウイルスの感染経路割り出しに活用している。
その詳細な情報が開示される裏には、交通当局の協力がある。鉄道当局は感染者追跡のためのビッグデータ分析チームを立ち上げ、感染者の移動経路情報を各地の保健衛生当局に提供。
感染者の行動記録を追跡し、濃厚接触者を特定できる。
自分が利用した鉄道や航空機、バスなどの便に感染者が乗っていなかったかを確認できるアプリも複数公開されている。
情報は感染者が乗った高速鉄道や飛行機、バスなどの便名や運行・日時、車両番号などがホームページで公開される。
監視カメラなどで把握した情報とみられ、「まるで指名手配扱いだ」と批判される。
もうひとつTVで武漢の映像をみていて、不気味だったのは、ドローンの活用である。
街の人々にドローンからマスク着用を認証し、音声でマスク着用をよびかけるというのはよしとしても、今後ドローンが市民の行動を監視し警告を発するなどの目的で、普通に「空から監視」されることにもなる。
むかし、日本で「おいこら警察官」という存在があったが、空から監視され"おいこら"と声がかかったらどうであろう。空飛ぶ”ドロコップ”(ドローンコップ)の出現となる。

「幸福な監視国家」は日本でも無縁ではない。
我々が暮らす今の社会では、個人を識別するデータに基づいた監視と管理が想定以上の速度で進んでいる。
日本でもLINEとYAHOOの統合により、巨大「プラットホーマー」が登場する可能性がでてきた。
「快適な暮らしにつなげよう」と、住民の生活データに着目してそうしたプラットフォーマーと連携しようとする行政機関も登場している。
福島県会津若松では、腕時計型のウエアラブル端末を身に着け、歩数のデータがスマートフォンのアプリを通じて蓄積される。
データは市と協力する東京のアライズ・アナリテイクスが実施する実証実験に使われる。
その健康診断結果やどんな病気で何の薬が処方をされたかが判るレセプトといったデータも市から入手。5年以内に「高血圧」「糖尿病」になる確率を本人に知られる。
国単位で日本でいうところの「マイナンバー制度」の実証実験が行われているのが、バルト三国のひとつエストニアである。
エストニアでは、政府が一元管理して実生活の情報をネット上のサービスと結びつける巨大なプラットフォームがある。
国民一人ひとりに発行されるIDカードを使って、パソコンからログインすると、学生時代の成績から銀行の預金残高まで、人生の大半の情報が画面に映しだされる。
今のところ実証実験の段階で、市民自ら情報を提供するかをきめてもらい、サービスを繋げることによって行政は効率化する。
その到達点は、国民データのプラットフォーマーになること。ただ、データは暗号化され、誰がいつ閲覧したかという記録はすべて開示され、共有してほしくない情報は公開を拒否できるという配慮はある。
ただ公開はされなくても、学校の成績や犯罪履歴も蓄積され、共有され、個人の信用情報として使われ、一度の失敗が未来の選択を狭める可能性がある。
日本のトヨタは、予想される自動車販売数の減少により、富士山のふもと静岡県裾野市にある自動車工場を閉めて、跡地に2021年から「ウーブン・シティ」を作り始める。
「ウーブン」とは「編まれた」という意味で、網の目のように繋がる町のこと。具体的には、住民の生活にかかわるモノやサービスのすべてが繋がる。
自動運転の電気自動車が街中を走り、人の移動やモノの配達に使われるほか、移動店舗にもなれる。
冷蔵庫に食糧がなくなると、自動的に配達されたり、住民の健康状態をチエックしてくれたりする。
こうして蓄積された街のビッグデータが国家にわたると、中国型の「幸福な監視国家」に近づくことになる。

プラットフォーマーの問題点は、情報を保有するだけではなく、その情報をいかに処理し評価に結び付ける「アルゴリズムの支配者」として立ち上がってくるということだ。
例えば、グーグルで何かを検索したとき、アマゾンで買い物をするとき、フェイスブックで世の中や友達の動向を知るとき、常にその裏には、アルゴリズムがある。
使っている人物は、どんな趣味で、どんな話題に関心を持っているか。
入力されたデータや、フェイスブックの「いいね」などの反応をもとに、どのような情報を優先して画面に表示するかを決める手順もアルゴリズムである。
こうしたプラットフォーマーの一翼を担う人々の中には、かつて金融の世界で「証券化」などのリスクコントロールの金融資産を生み出した人々が少なくない。
2008年暮れに起きたリーマンショックによって職を失った金融工学エンジニアが”広告業界”に転身して、新たな「オーディエンスターゲティング」という技法で世を席巻している。
彼らは、冷戦終結後に軍事産業から金融業界に流れ、そして行きついた先が広告業界というわけだ。
Webページ上に表示されるインターネット広告(バナー・テキスト)は、「純広告」と呼ばれる方式が一般的で、期日までに広告を用意して入稿する仕組みで、急な掲載はできない状態で、広告主は多くのチャンスを逃し、媒体側は時期によって多くの在庫をかかえ「自社広告」で埋め合わせていた。
その問題を解決したのが「アドテクノロジー」で、「広告枠」ではなく閲覧している「人」に対して最適な広告を出せるようになった。
そのアドテクのひとつが「オーディエンスターゲティング」と呼ばれるものである。
あるユーザーが新築マンションのサイトやニュースを頻繁に閲覧していた場合。ファッションや旅行を扱う他の情報サイトを閲覧しても、マンションや不動産に関する広告が表示される機会が多くなる。
訪問してきたユーザーの行動履歴から、「マンション購入を検討している」と判断されたわけだ。
その判断のもとになるのがオーディエンスデータであり、位置情報があればその居住エリア、年齢や家族構成などの情報があればよりライフスタイルに合ったマンションの広告が配信されていく。
さらに、同時期にベビー用品に関するサイトもよく見ているようであれば、「新しい家族が増える」という情報も加えられるでしょう。すると、出産を踏まえた家族構成に合致する条件の不動産について広告が表示される。
要するに、ユーザーのインサイトに深く迫る広告表示が可能になるというわけだ。

広告におけるターゲティングは、政治や選挙なとにおいても活用される。
1990年代、インターネット草創期一人一人が世界に向けて発信でき、民主主義は成熟した姿を迎える、というバラ色の夢をみた。
だが30年たってみれば、ネットは分断を広げ、フェイクニュースの温床になり、ポピュリズム政治家が力を持つ要因の一つにもなっている。
「二つのアメリカ」と言われる保守とリベラルの深い分断。フェイスブックなどのソーシャルメディアのアルゴリズムによって、分断はさらに増幅されているのではないか、といわれる。
日本人のWebニュース発信者が、2016年の大統領選の前から「フェイスブックと逆のアルゴリズムを入れよう」と決めた。
その結果、ニュースの表示はどうなったか。保守層とリベラル層、どちらのユーザーに対しても、保守層が好みそうなニュースとリベラル層が好みそうなニュースの両方が表示されるようになった。
意外なことに、「偏らない」スマートニュースは米国人にも受け、急速に利用者が増えている。
人は、"愚かさ"を自覚してはじめて、”愚かさ”が発現しない仕組みを生み出すことができる。
情報社会の”快適さ”とは、自分が"愚か"であることを自覚しないままで済ます、「気持ちよさという罪」(村田紗耶香)なのかもしれない。
似たような意見に囲まれ、好みの情報や商品の「おすすめ」を受けるのは、人間にとって快適なことかもしれない。それにより、ソーシャルメディア企業の広告収入は増え、業績も良くなるかもしれない。
社会的関係でいえば、恋人も友人を探す努力もせずに、気の合った人と出会う可能性を高めてくれる。
だが、仏教でいう怨憎会苦や愛別離苦があるからこそ、出会いに「運命」を感じたりするものだ。
コンピュータのアルゴリズムが、個人のキャリアや人間関係について、本人よりも優れた判断を出来、人間性や人間の認識能力よりも賢いとう認識が高まれば、人生の意味も変わらざるを得ない。
さらに、「自律的な個人による正しい選択」という近代の物語もくずれる。それに付随して、人権や責任、市場原理の意味までも変質する。
グーグルやアップル、フェイスブック、アマゾンなどの米国のプラットフォーム企業(GAFA)は自ら収集した個人データに基づく便利なサービスを世界中に提供し、もはや国家の枠組みを超えた帝国的な存在として君臨している。
17Cのイギリスのホッブスは、「主権国家(近代国家)」の登場を聖書に登場する海獣になぞらえて「リバイアサン」(ヨハネ黙示録13章)とよんだ。
今や、アルゴリズムの支配者を”ルーラー”という言葉で表現しているが、"陰の主権者"というべき存在。これらが国家の政治や選挙をAIでコントロールするならば、どんなに民主国家の体裁をしていても、「(ニュー)リバイアサン」のように呑み込んでしまう。