日本版「マネーボール」

最近見たナイスなアメリカ映画が「フォードとフェラーリ」。大衆車として出発したフォードは、イタリアのフェラーリという"一車入魂"の車とのレースではなかなか勝てなかった。
フェラーリとの合併話で屈辱を舐めた二代目フォードは、後の副社長のアイアコッカの提言で、超一流のエンジニアとレーサーを集めて、勝負に打って出る。
ところが、そのスタッフというのはあまりに”とんがって”いてフォードという会社の「組織」に馴染む存在ではなかった。
組織は、レースを売り上げを伸ばす手段としてしか考えなかった。その象徴は、フェラーリを振り切って1~3位を独占したフォード車が同時ゴールというチームプレイを求めてきたのだ。
そこにあるのは、個人的(チーム)の偉業よりも”組織としての勝利”。 フォードは、富裕者ばかりではなくすべての人に車をというコンセプトで、すべての車を”ブラック”で統一したような会社。
日本においては"組織"は、それ以上の存在に違いない。
例えば、青色ダイオードの開発者で後にノーベル賞を受賞した中村修二は、日亜化学から、開発費以外の報償としては、数万円しかもらわなかったったという。それは、あくまで組織の成果だからだ。
しばしば、日本の政府や組織の体質は、太平洋戦争時と何ら変わっていないといわれる。
それは「日本の組織」は変化への対応が極めて”不器用”ということを意味する。
太平洋戦争開戦時、工業力の差を考えれば、日本が米国に勝てる見込みはほぼなかった。
しかし、海軍は対米戦を名目に「政府の予算」を獲得していた以上、「米国とは戦えない」と言えなかった。からだ。
陸軍も日中戦争で多くの人命が失われ、巨額の戦費を費やしていたため、逆に引くに引けなかった。
海軍は開戦にあたり日露戦争でロシア艦隊を破った「艦隊決戦」の勝利からくる甘い見通しに立ち、緒戦で米国を一撃でたたけば、戦意を喪失して手を上げるはずだと考えていた。
そして「戦艦大和」が建造されたものの、あっさり撃沈された。
戦時中、軍部という政府内の意思決定の過程は、多くの国民には見えなかった。
こうした「密室」体質は、最近でもオリンピックの「デザイン」から「豊洲移転」から、文科省内の「民間試験」導入案などに見られる。
そこには、特定組織(お仲間?など)の特定の主張が通っているにちがいないのだが。
政府の「方針転換」が難しいのは、官僚制が一度失敗すれば出世の目はなくなるという減点主義というのがある。
方針転換は官僚の減点につながるため、組織が決めたことは何が何でもやり通すという行動原理がどうしても働いてしまう。
海軍でも陸軍でも、強硬な主戦論者が引き立てられ、途中で慎重論を唱える人は「弱腰だ」と次々に左遷されていった。
戦争同様に、一度きまったら撤回しないのが公共事業。減反の時代に農地造成の埋め立てが行われ、必要もないダム建設が継続される。

一般企業には、「こういうもんだ」が口癖の人たち、「ウチの業界はこういうもんだ」「昔からこういうもんだ」ってすぐに言う人がいる。
「もんだ族」というのだそうだ。今があるのは、過去のやり方が正しかったから。確かに、実績に裏打ちされたやり方なのだから問答無用で言われると、受け入れざるをえない。
「もんだ族」がいると、時代の変わり目では過去の成功体験が変革の邪魔をする。
アメリカ映画「マネーボール」(2011年)は、オークランド・アスレチクスという貧乏球団を強力球団に変えたジェネラル・マネージャーの物語である。
このマネージャーは、今日の「ビッグデータ」時代を予感させるようなカタチで「統計学」を用いたのである。
彼は、エール大学出身の若者が行う野球データの分析に着目し、若者を自分の参謀役に置く。
そして「打率」ではなく「出塁率」でデータを見直すと、選手たちの評価が全く変わってくる。
映画では、マネージャー自身、名門大学かプロ野球かで迷った末に、プロを選んで選手として挫折した経験をもっている。
球団やスカウトなどの人の目やカンをあまり信用していなかったのかもしれない。
そして貧乏球団の予算制約の中で、あくまでも「費用対効果」をねらった。
主人公であるジェネラル・マネージャーの考え方は、「選手を買うのではなく勝利を買う」という発想の転換である。
この「マネーボール」の提示する問題は、野球界だけの話ではなく組織一般に通じる。
組織の「改革」は自分達の存在、やってきたことを否定することになるので困難を伴なう。
従来とは違う「新しい視点」が生かされると、多くの人々の長年の経験が生かされない。つまり存在価値がなくなる。
具体的には、スカウトなどの存在意義がなくなるのである。
ビジネスや政治の世界でも、既得権力を築いた者達が改革に反対するのは、そのヘンなのだ。
しかし球団の事情はどうあれ、観客は野球に「夢」を求めている。
しかし名門チームであればあるほど既成権力が強く「改革」はママならないことが多い。
落ちるところまで落ちないと、人間は自分を組織をなかなか変えようとはしないからだ。
シーズン終了後、このジェネラルマネージャーはレッドソックスからの高額の給与でオファーを受ける。
しかし彼は、この球場でしか果たしえないことに気がつき、アスレチクスでしか出来ないことがあると考えた。
オークランド・アスレチクスという弱小球団だったからこそ改革できたのであり、貧乏球団だったからこそ、多くの人々に「夢」を与えることが出来たのだ。
映画のタイトルは「マネーボール」だが、映画のメッセージは、お金以上に夢をボールで追うのが野球、つまりは「ドリームボール」ということである。
そして2006年アスレチクスは「アリーグ優勝」を果たして、ジェネラル・マネージャーの理論の正しさを証明した。
さて日本で、野球といえば間違いなく国民的スポーツだが、2004年大きな危機を迎えていた。
サッカー「Jリーグ」が盛り上がる一方、プロ野球の人気は落ち込み、テレビ視聴率も下がるばかりであった。
そして同年、9月18日19日、日本プロ野球史上、ありえざるべきことが起こった。
それはプロ野球の選手達によるストライキで、2日間日本全国のスタジアムから”球音”が消えたのだ。
その背後に、赤字経営に陥った球団を他球団と統合しようというオーナー達の計画があった。
パ・リーグの名門「近鉄バファローズ」がライバルのオリックスに吸収合併され”ひとつ”のチームになるというのだ。
読売巨人軍は金にまかせてスター選手を集めて「ドリームチーム」などとよばれていた時代。
対照的に1979年に近鉄バファローズが初の「リーグ優勝」を果たした時、みんな野球界のエリートではなく、西本監督の指導の下に、ファームから叩きあげの男達に勇気をもらった記憶がある。
「平野、羽田、栗橋、小川、石渡、有田、梨田、吹石(吹石一恵の父)」ら。
武骨な雰囲気の選手ばかりで、華のある選手もいない。唯一イケメンの梨田の打法は「こんにゃく打法」とよばれたし、途中入団の外国人選手ブライアントだってどこかエディ・マーフィに似ていた。
ただ一丸となってヒタムキに戦うこのチームの姿は、本当の意味での「ドリームチーム」だった。
多くの人々の記憶に残るチームがなくなるというのはファンならずとも無念なこと。そんなことより選手や監督ばかりか、スタッフや多くの人々が路頭に迷うことになる。
当時「プロ野球選手会」の会長であった古田敦也にしても黙っておけない大問題で、早速経営陣を問いただした。
しかし、「今や もう これから野球なんて買い手はいないんだ」と冷たくあしらわれた。
古田は ヤクルトの主力選手として試合に出場しながらも連日連夜 対策に追われた。そんな古田をサポートしたのが選手会のスタッフたちだった。
実は 近鉄とオリックスの合併話は近鉄とオリックスの合併を進めたうえで、2つのリーグを1つにまとめるという構想の序章にすぎなかった。
経営陣としても、チームを減らし出直しを図ろうという生き残りの計画だったのだ。
景気低迷から企業の合併 買収が相次いだ時代で、世の中にも再編やむなしというムードが広がっていて、経済界もそれを後押しした。
だが、なぜオーナーたちはここまでして強引に計画を進めようとしたのか。
それは 球団経営のビジネスモデルが行き詰まっていたからにほかならない。
親会社にとって 球団は大切な広告塔。それゆえ 球団経営は利益を度外視してもかまわない。
球団の赤字は親会社の広告宣伝費として充分にカバーできる。これこそが 球界のビジネスモデルだった。
だが 1990年代のバブル崩壊とともに日本経済は 急速に悪化し、近鉄グループも 2003年1兆円を超す負債を計上することになった。
また、同じく赤字経営のダーエー・ホークスにも、ロッテとの合併話がもちあがっていた。
当時のパ・リーグは 深刻な不人気。観客は入らず球場には 空席が目立っていた。
もはやプロ野球どころではなく、複数球団が文字どおり「お荷物」と化してしまっていたのだ。
一方でセ・リーグは、「1試合1億円」の放送権料が見込める巨人戦が組めるため、セリーグ球団は巨人戦の放映権で経営をなんとか維持できたのだ。
巨人戦の「放映権」収入で経営を改善できる1リーグ制はパ・リーグたっての願いだったのだ。
だが 思わぬところから計画に ほころびが生じ始める。巨人戦というドル箱をへらしたくないセ・リーグ5球団が1リーグ制に反対の声を上げ始めたのだ。
だが経営陣は 合併による球界再編を見直すつもりはなかった。選手会との交渉役を担った事態が一向に進まぬ中、選手会は強攻策に打って出る。
このまま合併を凍結しない場合はストライキを行うと経営陣に通告したのだ。
そんな混乱の中で、 思わぬ突破口が生まれる。IT企業の「ライブドア」が近鉄買収の意向を表明した。
豊富な資金力を背景に、近鉄バファローズ買収に名乗りを上げ、ファンから救世主とあがめられたのがライブドア社長の堀江貴文である。
歯にきぬ着せぬ物言いや経営者らしからぬファッションも相まって堀江の名は瞬く間に全国に広がった。
だが1リーグ制を目指す経営陣にとってはとんだ迷惑。堀江らの訴えは黙殺された。
堀江は 近鉄の買収ができない場合はプロ野球への新規参入を目指すことを宣言し、ファンの支持を集めていた。
だが経営陣は これを意に介さず近鉄とオリックスの合併を承認し1リーグへ向け 強引に舵を切った。
選手会にも 迷いがあった。ストライキなどを起こしてファンは支持してくれるのか。古田の肩に重い責任がのしかかった。
当時、選手会長だった古田はこの流れにあらがおうと、試合の合間を縫って署名を求めた。そんな中、議論を求める選手会に対し巨人オーナーが思わず発した ”ひと言”が物議を醸した。
「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。たかがといっても、立派な選手もいるけどね。スト?どうぞやったらいい」。
この発言に 世間は反発。選手やファンを見下していると怒りの声が相次いだ。
合併反対! プロ野球の未来を潰すな!一部のファンによるデモもスタートした。
その世論の盛り上がりに、経営陣は 「来季 セパ12球団に戻すことを視野に入れる」と 明文化することに合意するに至った。
それより少し前、六本木ヒルズに事務所をもつひとりの経営コンサルタントのもとに 経営トップの意を受けた関係者から依頼があった。
井上智治はプロ野球について詳しいわけではなかったが、プロ野球のオーナーとは知り合いが多かった。
それは、「できるだけ しっかりした人に参入してほしい」内容だった。
その言葉の裏には”堀江のような若者には球団は任せられない”というオーナー達の本音がのぞいた感じがあった。
井上は、「しっかりした人」として楽天の三木谷浩史社長のことが浮かんだ。この年の1月サッカーJリーグのチームを買収し、スポーツビジネスの経験もあり「適任」だと考えたのだ。
だが 三木谷は苦戦する堀江の姿を見て、プロ野球参入に乗り気ではなかった。
井上は、極秘で三木谷との会談を持ち、球団経営の様々なメリットをあげて口説いた。
このころ楽天はクレジットカード会社を買収。消費者への知名度を拡大する必要にせまられていたという背景もあった。
だが、井上が三木谷を"おとし"たのは、井上が展開する”仮説”としての新たなビジネスモデルの可能性であった。
プロ野球の球場には 入場料や広告料グッズや飲食の売り上げなど多くのお金が落ちる。
しかし 当時のプロ野球界では球場は別の会社が運営するのが常識、売り上げの大半は球場のものになる。
高額な使用料を払う必要さえあり経営を圧迫する原因となっていたため、ここに"改革の余地"があると井上は訴えたのである。
「一緒にプロ野球界を変えましょう」という井上の説得に 三木谷は勝機ありと踏み、動くなら今しかないと 腹を決めた。
しかし突然のライバル登場に堀江は 不満を漏らした。三木谷が手を挙げたのは選手会がストライキを決行する僅か1日前だったからだ。
経営陣が歩み寄りを見せたのはそれから1週間後のことだった。
こうして新球団 「楽天イーグルス」が誕生し、井上は自らが立てた仮説の証明に取りかかる。
チームの本拠地となる備は老朽化が激しく観客席も足りなかった。
そこで 改修費を負担する代わりに格安で運営権を手に入れることに成功。これにより球場の売り上げは丸ごと球団にはいることになる。
莫大な広告収入も得られることになり 通常は業者に委託するグッズも自社で製造することができる。
そして迎えた1年目のシーズン、チームの成績はさんざんだったが、なんと1年目から5000万円の黒字をたたき出した。
井上は、驚く他の球団に惜しげもなく”情報公開”した。プラスも公開するしマイナスも公開することで、プロ野球の改革は促進された。
そして、球団のなかった地方都市でも工夫しだいで人気チームに育てることができることを立証していった。そのノウハウは、千葉ロッテマリーンズや北海道日本ハムファイターズにも引き継がれた。
そして それまで”球界のお荷物”と呼ばれたパ・リーグは息を吹き返した。
2013年には楽天は野村監督を引き継いだ星野仙一監督の下で悲願の日本一を達成し、震災で傷ついた東北の人たちに希望の灯をともした。
野球再生の”影の立役者”となった井上智治は、これまでの常識にとらわれることなく、プロ野球ビジネスをイチから見直したのだ。
そういう意味では、「日本版マネーボール」の主人公といえるかもしれない。

騒動のさなか井上のもとに かかってきた。それが 運命の歯車を変えていきます。
球界再編の影の主役が明かす知られざるアナザーストーリー。
プロ野球への新規参入をかけたライブドアと楽天の争い。
1か月以上に及ぶ審査の末選ばれたのは 楽天だった。
だが当時 世間の反応は敗れたライブドアに同情的だった。
球界参入への意思を いち早く示したライブドアに対し楽天が手を挙げたのはストライキの1日前。
そのため楽天の新規参入は「後出しジャンケン」とも揶揄された。
その舞台裏で何があったのか?プロ野球とは無縁の経営コンサルタントだった井上に電話が かかってきたのは9月上旬のことだった。
井上の存在が その後球界を大きく変えていくことになる。
過去の成功体験がない人…多くは若い人は「やり方が現状に合っているか?」という基準だけで判断しますので、結構、的を射ている指摘をするんだよね。
でも、上に上げると0.5秒で却下(笑)
例えば、僕が所属する新聞業界では10年ほど前にこんな変な話がありました。
「その昔、ラジオが登場した時に『もう新聞は死んだ』と言われたが、結果、そんな事はなかった。
さらにテレビが登場した時に『もうラジオも新聞もは死んだ』と言われたが、いまだにラジオも新聞もは健在だ。だからインターネットが登場しても大丈夫だ」
今、新聞業界は苦境に立たされています。
これまで情報はメディアが牛耳っていましたが今は個人が発信して個人が直接、受け取ることができます。 本質的な部分が変わったのです。
「もんだ」を捨てないと未来は危ういと思います。
では、どうすれば良いか?という話ですが、まずは社長が変革の意志を強く持つことが前提になります。
これがないと何も始まらないよね?
社長自らが「もんだ族」の酋長だったら、もうお終いだと思う(笑)
次に、変革を好む少数派で「試作品」をつくることです。 多数派は実績がないと動きません。
だから、小さくても良いから「上手くいくかも」と良い予感を感じる成功事例が必要になるわけです。
で、ここで大切なことは一部の人間…特に若い社員が楽しそうに新しいことに取り組んでいる姿を見た古い「もんだ族」が気分を害することへの対応です。
彼らは力を持っていますから、邪魔をされた日には目も当てられません
薄々、潜在意識では「このままではヤバイ」と思っているのだけれども、会社が上手くいく事よりも自分のプライドを優先するのが人間ってもんです。
だから「誘う」ことが必要になると考えるのです。
ちょっと、おべっかになりますが、「今、こういうことに取り組んでいるんですが、やっぱ変革にはベテランの◯◯さんの力が必要だと思うんです」って。
こう言われたら気分が良いよね。
「しょうがないな〜どれどれ」となりやすい。 「もんだ」が言いづらい(笑)
で、実際に加わってもらうと、彼らには権限もあるし人脈もあるから、すごく良い仕事をしてくれます。
大企業に務める僕の友人はこの天才です。
女性なんですが、将来、スナックでも経営したら大成功するんじゃないかと思いますが、上司を上手に巻き込みます。 本当に賢いフィクサーだと思う。
全体のパワーバランスを観ながら、徐々に仲間を増やしていく…その割合が2割程度を超えたら勢いは増す一方になるのが集団のメカニズムです。
少々、時間がかかるのが難点ですが、この方法しか硬直化した集団を「挑戦する集団」に変えるリスクの少ない方法はないと考えています。

イノベーションのジレンマとは、業界トップになった企業が顧客の意見に耳を傾け、さらに高品質の製品サービスを提供することがイノベーションに立ち後れ、失敗を招くという考え方。ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセンが提唱した。
その分、組織の中で「おかしい」ということがいえない風潮があり、たとえトップ経営者になっても同じことがいえる。
最近、それを感じるのは、軌道修正や撤退などといったことが、日本の組織はとても苦手なことである。
日銀が2%の物価目標を掲げ、できるだけ早期に実現すると宣言したのが2013年1月。
それから7年経ったが、今も実現するめどは立っていない。
もともと短期戦を想定してスタートした日銀の異次元緩和は、その後、維持可能とすべく手が加えられた。
しかしマイナス金利などによる副作用が次第に目立ってきて、2%目標が実現しないことを前提に、いつまで続けるのかが現実的な問題となりつつある。
最近、トヨタとソニーの希望をもたらす”変革”のニュースを知った。
自動車業界は、需要減退とシェアリング(共有)で台数減が進みそれだけでは生き延びられない。
トヨタは、自動運転などの次世代技術をとりいれた実証都市を静岡県裾野市につくると発表しました。
さらにトヨタは20~30年後の本命となる燃料電池車でも世界トップ。
クルマのエレクトロニクス化に伴うコスト増にも対応が必要で、経営環境が厳しくなる中で、「まちづくり」という分野に目を向けた。
また、40年前、音楽プレーヤー「ウォークマン」で人々のライフスタイルまでも変えたソニー。
1990年代後半からのネット革命に乗り遅れたが、最近はハードとソフトを融合させて輝きを取り戻しつつある。
この経営方針を疑問視する向きもあったが、エンターテインメント事業が営業利益の56%を稼ぎ出し、ゲーム機「プレイステーション4」の累積販売台数は1億台を超えました。
音楽事業では453万曲もの著作権を保有。世界的に普及するスマホに複数のカメラを搭載する「複眼化」が進み、「CMOS(シーモス)イメージセンサー」の需要を押し上げている。
そして、自動運転や音響・映像の技術を詰め込んだ電気自動車のコンセプトカーを発表した。
ソニーが誇る車載向け画像処理半導体を中心に合計33個のセンサーで車内外の安全を監視。自動で走行、駐車、車線変更するほか、運転手の疲労状態なども把握するという。