聖書の人物から(ダニエル)

戦国時代、日本にやってきた宣教師・バリニャーニの勧めでヨーロッパ派遣された少年達がいた。
1582年6月、九州の大名は「名代」として四人の少年を派遣し、少年達はローマ法王と謁見されることを許される。これを「天正遣欧使節」という。
四人の少年は、有馬・大友・大村氏の三大名が送り出した、見目麗しき13歳前後の少年達であったが、帰国した1590年、そんな栄誉とは裏腹に、日本は鎖国と禁教の時代へと様変わりしていた。
彼らは帰還後、「病死/海外追放/棄教/殉教」とそれぞれ異なる歩みをしていく。
この見目麗しき波乱万丈の4人の少年で思い浮かべるのは、旧約聖書「ダニエル書」に登場する4人の少年の話で、バリニャーニの脳裏に使節派遣の”原型”として存在していたのかもしれない。
さて、紀元前6世紀にメソポタミアの新バビロニアの王として君臨したのが、ネブカドネツァル王(在位、BC604~562年)。
ユダ王国を滅ぼした王で、「ダニエル書」には、感情の起伏の激しい暴君として描かれている。
BC7C、ネブカドネツァルがエルサレムを攻めてユダヤ人を捕囚として首都バビロンに連行した。
ネブカドネツァルは宦官の長に命じて、ユダヤ人の中から見目麗しい才能と知識と理解力に富んだ少年を集めて教育し、宮廷に仕える能力のある「他の四人の少年」を仕えさせた。
そのなかでも秀でいていたダニエルは、他の少年とともにユダヤの戒律に従い、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。
宦官の長はダニエルに、王が食べ物と、飲み物とを定められたので、ダニエルらの健康状態が悪いようでは、自分の首が王の前に危くなると応えた。
そこでダニエルは、ためしに10日間だけ野菜と水だけを与えて、自分たちの顔色が、王の食物を食べる者の顔色と比べてみて、もし悪ければそうしなくてよいと応えた
家令はこの事についてダニエルの言うところを聞きいれ、10日の間彼らをためした。
すると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。
そこで世話役は、彼らの食べるはずのものと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにし、少年達の希望するようになった。
さて、ネブカドネツァルはあるとき奇怪な夢に悩まされ、バビロンの占い師や祈祷師を呼び、"謎解き"を迫った。 しかしそれに応えられる者はいなく、王は怒り占い師らの命は"風前の灯"となった。
侍従長にこの話を聞いたダニエルは夢の中身も聞かずに謎を解いて、バビロンの智者たちの命をも救った。
そしてネブカドネツァルは、すっかりダニエルを気に入り、全州の長官に任命した。
そればかりかダニエルの推薦で、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの3少年も行政官に任命された。
ところがしばらくして、ネブカドネツァル王は、ドラという都市に突然高さ27mもある巨大な金の像を建て、決まった時刻にひれ伏して拝むように人々に命じた。
ところが、その地にいたユダ捕囚民の中にそれを拒否する者たちがいた。それは、ダニエルと一緒に宮廷に仕えるようになったハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの3人だった。
ユダヤ人を中傷しようとしていたバビロン人がこのことを王に告げた。王は怒りに燃えて3人を呼び出し、直接命令したが、それでも3人は拒否した。
王は血相を変え、燃え盛る炉をいつもの7倍にも熱くすると、3人をその中に投げ込んでしまった。
このとき不思議なことが起こった。3人は衣服をつけたまま縛られて炉の中に入れられたのに、炎の中には「もうひとつの影」があって、4人が自由に歩き回っていたのだ。
これを目撃した王は3人が信じるヤハウェ神の偉大さに驚き、3人を炉の中から引き出すと、これまでよりも高い地位につけた。
次いでダレイオス王の時代、ダニエルは王国にいる120人の総督を管理する3人の大臣の1人として働いていた。
しかし、あるとき総督と大臣たちはダニエルを陥れるために王に次のような禁令を発布させた。
「向こう30日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる」。
ダニエルはこの禁令を知っていたにも関わらず、日に3度自分の神に祈りを捧げ続けた。
役人たちはそれを確認した後、ダニエルを獅子の穴に投げ込むように王に訴え出た。
ダレイオス王はダニエルを気に入っていたので大いに悩んだが、役人たちに迫られ、ダニエルを獅子の穴に閉じ込めた。
その翌日、王が心配して獅子の穴に出向くと、中から無傷のダニエルが現れた。こうして、ダニエルの神の力に感心した王は、人々がその神を恐れ敬うように勅令で命じたという。
以上のように「ダニエル書」は、燃え盛る炉に投げ込まれた3人の少年といい、獅子の穴に投げ込まれたダニエルといい、「呪いを祝福に変える神」(申命記23章)が主題といってよい。
それにしても、3人の少年が炉に投げ込まれた時に見えた、居るはずもない「四人目の存在」とは何なのだろう。
「ダニエル書」では直接語っていないが、旧約聖書の他の箇所から推測できるのは、「御使い」という不思議な存在が思い浮かぶ。
「旧約聖書」では、神の言葉を伝える役割を果たすのが”御使い”で、信仰者をソドム・ゴモラの”裁き”から導き出すなどの働きをするが、「新約聖書」では”御使い”は登場しない。
代わりに、"聖霊"が神の言葉を信者に直接示したからだ。これを”黙示”という。

今日、「新型コロナウイルス」の猛威が目に見えぬ脅威となって迫ってきている。
実際、”都市封鎖”のニューヨークの状況を見ると、人々は真っ暗な”獅子の穴”に投げ込まれたような気分になるのではなかろうか。
そこで「ダニエル書」が教える一番のメッセージとは、”目に見えぬ敵”から逃れるためには、”目に見えぬ存在”の庇護のもとに入るということだ。
新約聖書では、「吠え立てる獅子の如きサタン」(ペテロ第一の手紙5章)といった言葉があり、それに対して神の恩寵を表す言葉として「御翼(みつばさ)の陰」という言葉がある。
その一例をあげると、「主はご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける」(詩篇91)とある。
ところで先日、NHKの動物番組で、ライオンがゾウを”狩り”する場面が流れていた。
ゾウは、ライオンにとって昼間はどうにもならない存在だが、夜になるとライオンが圧倒的な存在となる。
夜ライオンはよく目が見えるが、ゾウはほとんど見えないという。
ゾウは小ゾウを皆で取り囲んで守ろうとするので、ライオンの作戦は、四方からのうなり声でパニックを起こさせ、子供のゾウを切り離して襲う。
さて、前述のようにダニエルはライオンのいる穴になげこままれるが、ダニエルは投げ込まれた暗闇の中でライオンを見ることはできないが、ライオンの側からはダニエルがしっかり見えていたはずだ。
こうしたダニエルが陥った「獅子の穴」からひとつのイメージが思い浮かぶ。
18Cイギリスの功利主義哲学者のベンサムが提示した監獄施設「パノプティコン」である。
「パノプティコン」は、看守が囚人を一望監視できる施設だが、この施設を今日的政治的概念として採りあげたのは、フランスの哲学者・ミッシェル・フーコーである。
ベンサムの経験主義の立場は、宗教や道徳にせよ経験によって学習し確立されたものにすぎない、ということ。
つまり、人を不快にすれば何らかの形で自分にも返って来ることを経験によって学び、人を不快にしないように正しく振舞おうという気持ちから道徳がうまれる。
ベンサムは唯物論者ではないので信仰心を否定することはしないが、人に幸福をもたらす限りで信仰は意味をもつということ。
功利主義は、あくまでも人間中心主義であり、結果重視の立場であるといえよう。
ただ、ベンサムの思想で最も斬新なのは”快楽計算”で、「最大多数の最大幸福」を理念として、王侯貴族中心の身分制社会からすれば”超過激思想”であり、民主主義の確立にとっても大きな意義をもつものであった。
さて、ベンサムが提案した「パノプチコン」は、数階建ての円形の建物で、真ん中は吹き抜けにして、そこに監視塔をたてる。そして周辺に円形で囚人房を配置する。
この建物は刑務所としては最高の効率性を持っている。監視塔に一人看守がいれば全貌を見渡せるからである。
それどころか、囚人房から監視塔の内部を見えないようにすれば看守さえいらない。
「看守はここから見ているぞ」と 思わすことができればよいのである。
照明などを調節し、囚人からは、誰に監視されているのか、そもそも監視されているか否かも分からない。
ベンサムが生きていた時代に、公開処刑が見世物になっていた時代から、監獄のなかで「見られる」ことを通じて教育を受けるという理念に変わった。
つまり監獄は、処罰の場から更生施設に転換したといえる。
ベンサムは、「最大多数の最大幸福」の理念のもとに、罪人の更正のための施設を考えたのである。
その点からいえば、ベンサムは弱者の視点に立った「功利主義」を唱えていたともいえる。
ちなみに、「パノプティコン」は”概念”として存在するものではなく、実際に東京拘置所などをはじめ世界中でこの刑務所をモデルに建設されている。
ミッシェル・フーコーの思想の斬新さは、こうした管理システムは監獄に限らず、病院、学校、工場などに拡張されうるもので、社会そのものをベンサムのパノプチコンにちなみ「監獄の誕生」(1975年)ととらえた点にある。
つまり、フーコーは、パノプチコンに閉じ込められた受刑者とは実は我々一人一人のことではないかということだ。
一人一人に何かのルールが植え付けられるということは、何かの視線にさらされながら「過ち」と「罰」(損失)の繰りかえしによって学習していくというのである。それが”規範規律”である。
「見られている」と意識することで、人々を規律正しく従順なものに導くという意味で、フーコーはこれを「規律権力」と名づけた。
そういえば、日本にある「お天道様は見ている」といった意識にも通じる。
政治権力は通常、立法や何らかの指導でノーム(規範)を作りだすが、そのノームが定着すれば、人々はいつの間にか「これが普通だ」と思い始める。
人間は誰しも「普通」から逸脱し、異常扱いされるのはイヤ。こうして、権力から強く促されなくても、自分で自分を無意識に統制するようになるというわけだ。
このノームについて最近起きた絶好の出来事がある。
安倍首相がコロナ対策で打ち出したのはあくまで「要請」であった。感染者が出ていない自治体もあったのに、圧倒的多数がそれに従った。
自分が逸脱していないかどうかを確認する手段は大抵、自分と他人を比べてみること。
あいつは「普通」から逸脱している、オレはあいつのような「逸脱者」にならない、などと思う。
そうして自分で自分の逸脱を戒めたり、他人の逸脱をとがめたりする。
こうした無意識的な相互監視がおきれば、権力による監視・管理の手間は省ける。
これこそがフーコーのいう「監獄の誕生」なのだ。
そこで思い浮かべるのは、安倍首相の都議選における「秋葉原演説」。
「辞めろ」コールを浴びた首相は、「こんなひとたちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない」と発した。
国会の野党のヤジに対してならまだしも、一般の国民に対して、標準的な”We”とそうではない”They”とを分けるかのような後味の悪さが残る発言だった。
そういえば、共和党のトランプも民主党のサンダースも、同じ国民にあって"移民"や"富裕層"を「他者」と想定していることで共通している。
現在、進行中の新型コロナ対策は、各国の市民の「管理」や「隔離」といった危機対応は、民主主義とのジレンマを抱えた状態でなされる。
平時はプライバシーを守る国家であっても、集団感染を防ぐためには邪魔になるからだ。
国民の安全・安心を第一に考え、「なにしろ命がかかっていることですから」という名目で、対応策がエスカレートすることで、権力に統治されやすくなる。
実際、日本で非常事態宣言を出すことを可能にした改正「新型インフルエンザ等対策特別措置法」は、「私権制限」などの問題をはらみながらも、わずか3日で成立してしまった。
各国政府がロックダウン(都市封鎖)などの”強硬措置”に踏み出すなか、日本はいかにも日本人らしいやり方で事態を終息に向かわせようとしているが、果たして”吉”と出るか”凶”とでるか。
安倍首相は、休校やイベント自粛について”要請”という形をとり、自分が”責任”をかぶることは避けた。なにしろ「要請」ならば、経済的支援を全面的に行う必要もなくなる。
本当に責任を取るつもりで判断したなら、一定の「強制力」を伴う措置を打ち出し、その分首をかけるというものだ。
こうした危機管理のゆるさは、日頃から「非常事態」を想定している国とは隔たっている。
例えば、中央政府の権限が圧倒的に強い国、半島を分断されている国、日常的にテロが起きている国、ペストで多くの国民を失った国などである。
中国では、WeChatやWeibo等のアプリは、常に位置情報を記録し、国民に対するランク付けを行っている。
これらは市街地のあらゆるところに置かれた監視カメラとも連動しており、マスクを着用することなく出歩いている市民は、顔認識”により追跡が行われ、時にドローンで警告がなされる。
またイスラエルでは「対テロ組織に利用される高度な監視ツールを、コロナウイルス対策に利用し、個人の追跡を行うことを首相が発表した。
これまでテロリストに対して利用されてきたツールを国民に対して利用するというのは、”感染症対策”としてもあまり気持ちのいいものではない。
もっと特異なケースとしては、手ぬるい政府対策に代わって、ギャングが”強硬措置”を行っている国もある。
南アフリカでは、ギャングが平時では「白い粉」を販売するルートを使って食糧支援を行い、南米ではギャングが、外出する住民を発砲して脅すなどして屋内に追い返している。
犯罪組織といえども、人が居なくなってしまっては商売アガッタリなのだ。
問題は、”個人情報”の公開が感染症抑制にプラスに働くとばかりはいえない点だ。
個人情報が公開されたりすることを怖がるあまり、患者が医療機関にかからないケースがあるからだ。
そういった人が増えた場合、隠れたクラスターが発生することになる。
また個人の属性が公開されることで、感染者の出た組織に対して、新たな差別の誘発が起こりかねない。
都市封鎖か、個人の権利保護の優先か、各国の政府が選択を迫られている。そんな中、日本は国家の「強制力」を退け、「規範規律」を期待している感がある。
誰にも"何が正解か"はわからぬが、事態終息後にデータを出して検証するほかはない。

ベンサムによれば、人の幸福と不幸を直接的に知るのは快楽と苦痛という「経験」でしかない。
ベンサムのユニークさはその割り切った考えではなく、快楽と苦痛を計測できるとした点である。
ベンサムは実際に、快楽と苦痛を「強さ」「確実性」「遠近性」「多産性」「純粋性」などを基準にして、物理的に計算することに異常な興味を示した人物であった。
つまり社会正義の実現の為には社会全体の「快楽」と「苦痛」を天秤にかけてみよ、というわけである。
「苦痛」といえば、マウスに電流を通して苦痛を味あわせ、その行動を観察するような実験を連想してしまうので、あまり感じのいい哲学ではない。
実際にベンサムは化学の実験をしたり、自分の死後にはミイラにすることを遺言するような相当な変わり者であった。(博物館でベンサムのミイラと会えます)
「経験」で確かめられることのみを根拠としてそこから結論を導こうというベンサムの方向性は、理念からではなく「市民の声」を出発点として政治活動をはじめた菅首相と符合する要素がある。
ところでベンサム流の経験主義の立場は、「功利主義」ともよばれる。
「功利主義」の社会思想的特徴は、道徳や民主主義を「人権」からではなく「功利」の観点から、捉えた点である。
つまり「人権」などという抽象的な観点からではなく、「快楽」「苦痛」といった人間が経験として認知できるところから、社会論を展開したところが、イギリスの「経験主義」の伝統に根ざすものであった。
ベンサムは、化学実験をするなどして自然界の法則にも強い関心をもっていたが、人間も自然における「快楽」「苦痛」の法則に隷属し、それによってその行動を決しているとしたのである。
そして、「最大多数の最大幸福」を実現する制度こそが、社会的に望まれる制度であるということを主張した。
ベンサムのいう「最大多数」の部分は、具体的には「参政権の拡大」と読み直すとわかりやすい。
この点からも、ベンサムの功利主義は「民主主義」の実現を支持するものであり、市民革命にも少なからず影響を与えたに違いない。
しかし、フランスの市民革命が新興のブルジョワ(金持ち)の自由や財産権への戦いに限定されたのに対し、イギリスにおける労働者の選挙権獲得(拡大)運動すなわち「チャーチスト運動」に与えた影響の方がはるかに大きかったにちがいない。
ベンサムの思想が具体的に生かされたのは、長年イギリスの植民地ななっていたスリランカ(当時、セイロン)の解放と新しい社会制度つくりといわれている。
ベンサムの功利主義は、人間社会や道徳の由来を実体験できるわけではない「自然権」や「自然法」あるいは「社会契約」などなどから思考を出発することをヨシとしないので、かえってスッキリする面もある。
人間は、宗教や道徳にせよ「経験」によって学習したものとして確立させたものにすぎない、ということになる。
つまり、人を害すれば何らかの形で自分にも返って来ることを経験によって学び、人を害する気持ちを押さえ正しく振舞おうというその気持ちがおきる。
その気持ちを多くの人と共有できれば、そこに「道徳」が生まれることになる。
ベンサムは唯物論者ではないので信仰心を否定することはしないが、信仰の姿勢としては人に幸福をもたらす限りでの「信仰」ということになる。
宗教も人を満足させ幸せにできないのならば否定される。
功利主義は、あくまでも「人間中心主義」であり、「結果重視」の立場であるといえよう。
ベンサムは「パノプチコン」というとてもユニークな刑務所を考えた。(後年これをモデルに建設された)
数階建ての円形の建物で、真ん中は吹き抜けにして、そこに監視塔をたてる。そして周辺に円形で囚人房を配置する。
この建物は刑務所としては最高の効率性を持っている。監視塔に一人看守がいれば全貌を見渡せるからである。
それどころか、囚人房から監視塔の内部を見えないようにすれば看守さえいらない。
「看守はここから見ているぞ」と 思わすことができればよいのである。
ベンサムが生きていた時代に、公開処刑が見世物になっていた時代から、監獄のなかで「見られる」ことを通じて教育を受けるという理念に変わった。
つまり監獄は、処罰の場から更生施設に転換したといえる。
ベンサムは、「最大多数の最大幸福」の理念のもとに、罪人の更正のための施設を考えたのである。
その点からいえば、ベンサムは弱者の視点に立った「功利主義」を唱えていたともいえる。
現代の思想家であるミッシェル・フーコーは、社会そのものをベンサムのパノプチコンにちなみ「監獄の誕生」ととらえた。
つまり、フーコーは、パノプチコンに閉じ込められた受刑者とは実は我々一人一人のことではないかという。
一人一人に法が植え付けられるということは、何かの視線にさらされながら「過ち」と「罰」(損失)の繰りかえしによって学習していくというのである。
人間は、常に何がしかの「監視塔」を意識しながら自己を形成しているともいえる。
監視塔からはなたれる視線は、時代によって、神もしくはお天道様であったり、王のものであったり、独裁者のものでもあったりした。
また家族の目もあり地域の目もある。
監視塔の中身が何ら実体のないものであっても、猜疑心や疑いなどを抱くと、人々はまるで監視されているかのように恐れながら生きることがある。
すぐに思いつくのは、1950年代に熱病のようにアメリカを吹き荒れた「マッカーシー旋風」(赤狩り)である。
最近、世の中は、金の裏づけのない紙幣や、その実体がアヤフヤな金融商品が溢れ、最少人数の為の「最大幸福ゲーム」の格好の舞台となっている感じがする。
こうしたゲームを主宰する「闇」の視線が、どこかの監視塔から光っているのかもしれません。
中国から世界に飛び火した、新型コロナウイルスの脅威。 政治思想ですが、政治権力の怖さという点で、コロナ危機を考えるヒントを与えてくれる思想家は。
「やはり公衆衛生と権力の関係を論じたフランスの哲学者ミシェル・フーコーでしょう。
インド映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(2001年)という映画が思いうかぶが、 しかし、ダニエルにはよく見えないという恐怖の中に居たはずだが、「ダニエル書」には上から穴を見ると、そんなはずもないのに、もうひとりの存在がいるというのだ。
このもう一人が何者なのか、聖書は語っていないが、その他の箇所から推測すると、それが「御使い」という不思議な存在であることが推測される。
実は、旧約聖書は"御使い"が神の言葉を伝えるが、新約聖書では”御使い”ではなく、”聖霊”が神の言葉を直接示す。それを”黙示”という。
また、新約聖書では、ライオンは「吠え立てる獅子のごときサタン」(ペテロの第一の手紙‬5章‭ ‭)といった譬えで表されている。
今日猛威を振るう「新型コロナ禍」にひとつの意義を見出すとすれば、人々が”目に見えぬもの”の脅威を知ったことだ。
また、「ダニエル物語」が伝えるメッセージは、”目に見えぬ敵”と戦うためには、”目に見えぬ存在”の恩寵の下にあることだ。
聖書に頻繁に登場するのが「御翼の陰」。~「主はご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける」(詩篇91)。

ベンサムは「経験」で確かめられることのみを根拠として社会形成の在り方を導こうとし、「功利主義」ともよばれる。
「功利主義」の社会思想的特徴は、道徳や民主主義を抽象的なな概念を「人権」からではなく「功利」の観点から、捉えた点である。
つまり「人権」などという抽象的な観点からではなく、「快楽」「苦痛」といった人間が経験として認知できるところから、社会論を展開したところが、イギリスの「経験主義」の伝統に根ざすものであった。
ベンサムの功利主義は、人間社会や道徳の由来を実体験できるわけではない「自然権」や「自然法」あるいは「社会契約」などなどから思考を出発することをヨシとしないので、かえってスッキリする面もある。
そして、それまでの身分制社会を打ち砕くような「最大多数の最大幸福」を実現する制度こそが、社会的に望まれる制度であるということを主張した。
ベンサムのいう「最大多数」の部分は、具体的には「参政権の拡大」と読み直すとわかりやすい。
この点からも、ベンサムの功利主義は民主主義の実現を支持するものであり、市民革命にも少なからず影響を与えたに違いない。
人間は、常に何がしかの「監視塔」を意識しながら自己を形成しているともいえる。監視塔からはなたれる視線は、時代によって、神もしくはお天道様であったり、王のものであったり、独裁者のものでもあったりした。