ポスト・コロナ社会

「緊急時(非常時)」に行ったことが、「平時」になってもそのまま適用され、継続されていくのはよくあることだ。
身近なところでは「戦時中」の割烹着、町内会、企業別労働組合、源泉徴収制度などは今も生きている。
例えば、満州事変後に「銃後を守る」女性のファッションとして広まったのが、「割烹着」である。
戦争が終わり高度経済成長の時代、企業戦士の出社後の家庭を守るのは割烹着姿の貞淑な妻のイメージ、それは「戦時」とかわらず、「平時」にあっても生き残った。
さて、日本の政治は1955年、左右両派の社会党結成に触発された"保守合同"による自由民主党の結成がなされた。そこで確立した戦後の政治体制を「55年体制」とよぶが、経済面では「40体制」という言葉がある。
実は、日本経済は、1940年の「重要産業団体令」をもとに作られた「統制会」によって決定的に定まったといって過言ではなく、1980年代の金融ビッグバンまでは色濃く残っていた。(公定歩合など)。
そういう流れでいえば、現在進行中の「新型コロナ」が生むことになろう経済的・心理的影響はコロナ後も続くに違いない。
「ポストコロナ」のキーワードは社会的ディスタンスではなかろうか。すなわち人間同志が「距離」をとる経済、それが結果的に「シェアリング・エコノミー」の進行の"歯止め"となるにちがいない。
「シェアリング・エコノミー」とは、アメリカのウーパーがやっているような、民泊、シェアカー、シェアハウス、シェアストア、そして車で見知らぬ人を送ったり、見知らぬ人を止めたり、見知らぬ人に宅配する動き、さすがに「見ず知らぬ人」では危険なので、AIによる人間の信用度の格付け基づき、サービスの提供すなわち接触する人を選ぶ、そんな社会のこと。
コロナ後のトラウマは、そんなマッチングで人と人とが接触を”抑える”方向へと変わっていくだろうが、同様のな事態への備えという意味である程度定着するにちがいない。
テレワーク、ネット通販、安全信用度を確実に保障されたデリバリーの広がりとか、店内で飲食するにせよ、ロボットの導入が今以上に広がるかもしれない。
ライフスタイルとしては、使い捨てよりも、”保存がきくもの”の消費が増えていくのではなかろうか。
最近のスーパーで、イタリアの天然酵母を使った「賞味期限2か月のパン」が人気となっている。
またオンライン教育、オンライン医療へとかなり踏み出していく可能性が高い。
1980年代はじめ、慶応大学の小此木啓吾教授が書いた本のタイトルから「モラトリアム人間」という言葉がはやった。
この本の中には「山アラシのジレンマ」が、時代を映した鋭い譬えであったように思う。
小此木氏の本の中で知った「山アラシのジレンマ」は、モラトリアム人間特有の人間関係のとり方であるが、心理学ではもともと有名な用語である。
ある時この山アラシの夫婦(もしくは恋人)が冬山の穴倉にいたとする。冬は寒いしお互いに恋しいので、できるだけ身体を寄り添い合いたい。
しかし寄り添えば体にはえたハリがささって痛い、そこで離れる。
ついには、山アラシ・カップルは、お互いに寒くなく、針が刺さらない適度の距離を見つけるという話である。
そうした人間関係における距離の取り方はインターネットの時代にピッタリな気がする。
とはいえSNSの進展は、傷つくこともなく互いに程よく「温め合う」というわけにもいかず、しばしば「傷つける」傾向があることが社会問題化している。
新型コロナでは、"濃厚接触者"を特定化するアプリが導入されていたが、”近寄る”とアプリをもつどうしの電話番号が暗号化されて記録される。
そして感染者がでると、その感染者の電話番号が記録された人が"濃厚接触者"という仕組みだ。
もしもそれが、政府にとって"危険思想"をもつ人物との"接触者"を特定できるなどに適用されれば、”人権侵害”が起きうる。
反面、プライバシーに敏感な国民性が、個人データのデジタル化、集約化の妨げとなっていることもある。
「マイナンバー制度」があれば、政府が一定の所得変化と所得水準の条件のもとに、給付金の対象となる個人をリストアップするのは非常に容易となる。
さらに、マイナンバーに銀行口座が紐づいていれば、国民は、瞬時に給付金を受け取ることができる。
しかしそれが進展しないのは、プライバシーに敏感かどうかというより、政府の信頼度がそこまで高くないということだ。

人口減が進む日本で企業に求められるのは、柔軟な働き方は従来からいわれていた。
時差通勤やリモートワーク、オンライン会議などだが、やろうと思えばできたはずのことが、今まであまり実践されてこなかったのはなぜか。
実はそんなことにも、日本社会で危機管理対策が、後手にまわったりすることの原因が潜んでいるかもしれない。
例えばどこかの原発が想定される津波水準を上げると、他の原発がウチもやらなくてはならなくなるといった反発がでて、結果的により髙い水準の安全対策がボツになったりする。
そうした横並び意識が危機管理においても邪魔となる。また、改革は先輩がやったことを否定することだから、やりづらいなどの官僚主義などである。
そういう点で、周りの空気を読み過ぎてしまう日本人は、苦手なのかもしれない。
全社的コロナ対策は、経営陣が食わず嫌いを克服する、絶好の機会となりうる。
リモートワークが広がれば、仕事のやり方だけでなく、進め方も変わる。
たとえば企画を通す場合には、人間関係や根回しであいまいに決まるのではなく、エビデンス(証拠)や理屈がより重視されるようになる。
企画内容と直接関係のない”影響力の行使”などは対面でないと難しいからだ。
その結果、ベテラン社員が経験と勘で自説を押し通せなくなる、今まで発言権が弱かった若手や女性の存在感が高まることも期待できる。
つまり、その場の空気感でものごとが決まるということはなくなる。その一方で、人が集まれば起きる意図しないコミュニケーションでからアイデアなどは生じにくくなる。
企業では社内回覧版から報告書、起案書、稟議書まで多くのシーンで押印作業が発生する。
印鑑は、原則的に担当者本人が押さなければならないため、ハンコを押すために書類がたらい回しになり、タイムリミットの下では、まるで”スタンプラリー”の様相を呈する。
こうした「はんこ文化」は、電話重視や現金支払偏重などと同じく、日本の生産性の低さの象徴ともいわれる。
せっかく社内システムに自宅からアクセス出来る環境を作ってるのに、書類に印鑑捺しなければならないでは出社せざるをえず、「働き方改革」とも、ペーパレス化の流れともソグわない。
そうした背景から登場したのが「電子印鑑」で、その名の通りデータ化されたハンコのこと。
[電子印鑑」を押した書類は、印刷せずにそのままメールでの送信も可能。紙書類をやりとりする手間が省けるため、大幅な作業効率アップにつながるうえ、コストの削減も期待できる。
ただ日本社会では、いくら電子化が認められたと言っても、重要な契約を結ぶ際には、ほとんどの場合、取引先と対面し、目の前で「署名捺印」することが一般的で、ハンコ業界の反発もありなかなか進展しなかったが、コロナ発生以後、「シャチハタ(株)」への電子印鑑の需要が一機に急増しているという。
また、コロナ・ウイルスで稼働率が東京に次いで知恵化した福岡のホテルで、宿泊しないで日中に利用できるプランを相次いでル出している。
企業で導入が広がるテレワークの作業場所として使ってもらうのが狙いだ。
平均約27平方メートルの広さにテレワークで使えるようパソコンモニターやプリンンター、空気清浄器を設置。WiFiも完備する。
マンションを転用したつくりが特徴で、キッチンもある。デリバリーの依頼など電話でできるホテルのコンシェルジュサービスも利用でき、駐車場無料で日中で8時間利用できるというもの。
北九州では、こうした働き方で生じるホテル代は半額負担するといった支援も行っている。

アルビン・トフラーの「未来の衝撃」(1970年)や「第三の波」(1980年)がでてからハヤ30年以上がたつ。
今話題になることは少ないが、何が当り、何が外れたのかを調べるのは面白い。
トフラーは、第一の波である農業社会、第二の波である工業社会で、その当時が第三の波にあたるの1980年代が情報化・脱工業化の「入り口」にあることを明言していた。
さらにトフラーのいう「第三の波」のポイントは、産業社会(第二の波)で「分離」した生産と消費が、再び「統合」する社会への動きのことである。
トフラーは、それをプロダクションとコンシューマーを合成した「プロシューマー」という言葉でアラワした。
そして、家庭が工業化によって「外在化」してきた機能を取り戻して「家族ベース」の社会がやってくることを予測したのである。
確かに、家庭が居ながらにして「職場」になる動きはスデニ起きていた。
しかしトフラーの予測で一番マサカと思えたことの一つは、家庭が「生産機能」をもつことであった。
当時でも、「DIY」の普及とか、家庭菜園の可能性とか、或る程度の「在宅医療」の可能性ぐらいは、頭に描くことはできた。
しかしこの程度では「プロシューマー」とはいえるほどのものではない。
個人的には、家庭で「モノを製造する」消費者の登場をまってホンモノの「プロシューマー」登場なのだ。
もっといえば、消費者が必要なものを自分でつくる「自給自足」に近似していく社会コソが「プロシューマーの時代」といえる。
しかし、大規模生産における「規模の経済」のメリットを捨ててまで、「プロシューマー」が広がっていく可能性があるのか、ヨホド新たな「生産方式」でも生まれない限りは、「プロシューマーの時代」の「実現性」はかなり薄いと思っていた。
しかし2010年代になって、真正の「プロシューマー時代」が到来した感がある。
フォードの大量生産方式は、当初の「画一的大量生産」から、「少品種多量生産」を経て「多品種少量生産」へと進化してきた。
トフラーは、未来の生産方式は、この多品種少量生産を超えるによるものと指摘していた。
それは大量生産とカスタム生産という、それまで”相反する”と考えられていた生産方式を両立させる概念である。
それを代表する技術が「3Dプリンター」で、三次元のCADやCGデータを元に「三次元のオブジェクト」(実物)を造形する装置のことである。
これさえあれば、誰もが簡単に拳銃、バイオリン、仏像、臓器などあらゆる本物(立体)のソックリを、パソコンと組み合わせて、製作できる装置のことである。
反面、トフラーの予測で一つ外れたように思えるのが、「家族ベース」の定住社会というものであった。
なにしろトフラーは、スマートフォンや携帯電話の普及を予想することはできなかった。
また、欧米の企業が「コスト安」を求めて海外へ、マシテ社会主義圏にまでに生産拠点を移したり、国内企業のサプライチェーンが新興国にまで張り巡らされるといったグローバリゼーションの進展を、予想するまでには至らなかったように思う。
ただ、新型コロナウイルスでテレワークが広がるとすれば、トフラーいうところの「エレキトリック・コテッジ」を想起させる 家族ベース」の定住社会に近づいている部分もある。
トフラーは情報化がすすめば、人は会社と繋がった家庭の中でコンピュータを使って仕事ができるので在宅勤務が増えるとした。
人々の移動は少なくなり、交通ラッシュが解消され、公的交通機関のコストも軽減するといったスマートな「未来像」であったように思う。
確かに今日、スマートハウスやスマートシティのあり方が構想されている。
スマートシティは、ITや環境技術などの先端技術を駆使して街全体の電力の有効利用を図ることで、省資源化を徹底した「環境配慮型都市」である。
この流れは、トフラーのいう「エレクトリック・コテッジ」を想起させるものがある。
しかも家庭で仕事が出来るようになれば、地域の紐帯を強める可能性もある。

トフラーの未来像とは異なり「情報化」すればするほど、人々はかつてよりサラニ頻繁に「移動」するようになったということだ。
企業は、コストの安い海外に生産拠点を移し、その点でも人々の「移動」傾向に拍車をかけている。
それは、当時トフラーの頭にはホボなかった「携帯」という「個人メディア」の普及と関係がある。
「携帯電話」や「スマート・フォン」などの「個的」な情報機器の発達は、人が家にジットしている方向に社会を向かわせたのではなく、ますます「移動する」可能性を高めていったように思える。
それは一部の地域でアリエても、「所得格差」の広がりがそういう紐帯を妨げているし、派遣社員や非正規雇用の増大は、人々は「移動」の度合いを高めているように思う。
つまり「ノマド的」(=放浪民的)生き方をする人が増えているということだ。
さて、一つの住居を複数人で共有して暮らす「シェアハウス」、オフィス環境を共有してパソコン作業や打ち合わせなどに使える「コワーキングスペース」が、若者層を中心に浸透して利用が進んでいる。
ただ、シェアハウスは基本的に一拠点の契約で場所に縛られる。またコワーキングスペースは複数拠点が使い放題になるプランもあるが、寝泊まりはできないといった制約がある。
「全国好きな場所を移動しながら仕事、生活したい」「週末は都心を離れて田舎暮らしや読書を楽しみたい」。そんな希望がかなう、シェアハウスとコワーキングスペースの“いいとこ取り”したようなサービスが4月から始まった。
"定額制"で全国の契約施設にどこでも住み放題の多拠点コリビングサービス「ADDress」がそれだ。
1親等以内は無料なので、家族で滞在できる。各拠点は、地方の空き家や遊休別荘を募って購入またはサブリースで確保し、リノベーションする。
今まで我々は、家は一つ、住所も一つ、それが当然と思っていた。 自分の家を一か所に限定せず、ノマド(遊牧民的)な生活となるが、それはすでに広がったミニマリスト的生き方にもフィットする。
こういう生き方・働き方をする人を「アドレス・ホッパー」という。自宅だけでなく、さまざまなエリアにある家をシェアしてお気に入りの場所で過ごしたり、ウイルスや自然災害に備え自宅を持たずに多拠点を渡って、行った先々の地域を活性化するような存在。
ところで「ポスト・コロナ」の社会は、人の移動に抑制がかかり反グローバリゼーション、つまり「自国ファースト」の流れが強まりそうだ。
また、手間と時間がかかる民主主義より、効率的な意思決定を行うことができる「権威主義」が高まるであろう。
ただし、現在進行中のコロナ禍で、我々が直面する"逆説"は、社会的に"切り離される"ことが、"連帯"に繋がるということ。
「新型コロナ禍」で生まれた公益にかかわる"連帯感"が、地球温暖化問題などにも繋がれば、"禍(わざわい)"を"福"に転じることができる。

ただネット利用は検索履歴などがそのまま利用されることから、プライバシーの問題ときりはなすことはできない。
家庭生活で手伝いをする中で、磁石を使ってからまないハンガー、3か所磁石を巻いてハンガー同志のヘりがくっつけば絡まなし、それらを洗濯機にまとめてよこはりする。
ハンガーを物干しざおにかけて、磁石をハンガーとサオの接触点で固定すれば、風などでも安定する。
それは、想像以上の格差社会の進行とも関係している。