戦争中、"太陽の光"は天皇の大御心(おおみこころ)にたとえられていた。
国民は「天皇の赤子(せきし)」で、天皇の慈愛はあまねく国民に及ぶという国家観である。
だが昭和初期の現実はそれとはほど遠く、不況のあおりで格差が広がり希望を見いだせない人が多くいた。
人々がかくも不幸せなのは、天皇の「大御心」を邪魔している”雲”がかかっているから。
その”雲”とは利権を貪る政治家とそれに結託した財閥で、彼らを取り除くことこそが、日本が本来の姿に戻る道筋だと考えた。
そんな思考回路をもった「超国家思想」が1930年代ごろに広まり、少なからぬテロリストを生んだ。
その行き着いた出来事が政府要人をまるごと狙った大規模テロ・226事件であった。
さて、多くの人が不幸感や不透明感を抱く状況というのは、今日の情勢にもあてはまる。
日本ではテロまでは起きないものの、その発露がSNSにおける”誹謗中傷”や、外国人に対するヘイトスピーチなのかもしれない。
そんな中で国民を明るくするニュースといえば、ゴルフの渋野日向子やラグビーなどのスポーツ界での日本人の快挙やノーベル賞授賞といったところである。
それらが、データに見える国力衰退の中、日本人の誇りを呼び覚ましているのは確かなようで、選手の凱旋パーレードなどには何万人もの人々が集まる。
それらは、自分の存在と国や民族と結びつける「ナショナリズム的な心性」といってよいだろう。
だが、ナショナリズムはスポーツでメダル獲得に熱狂するくらいの無邪気な面がある反面、ある”臨界点”を越えると、どうにも止められないほどに過激化していく恐ろしい一面がある。
そんなナショナリズムの心性を知るうえで、アメリカの政治学者ベネディト・アンダーソンのいう「想像の共同体」(1983年)が参考になる。
アンダーソンによれば、国民・民族(ネーション)は、”同胞”とみなせる想像がおよぶ範囲の「想像された共同体」というわけだ。
例えば家族は、一人ひとりの想像の中で互いが同じ家族の一員と認めあっているから成り立つ。
居候は同居していても、その想像の中に含まれていなければ、家族ではない。
それでは、どうして国民に関してだけ、「想像」が強調されているのか。
国民以外の共同体は、個人や家族を中心とした伸縮自在の親密さのネットワークとして存在している。「彼は私の仲間である、我が妹の夫の友人なのだから」といった具合に。
阿部謹也のいう「世間」も、知らない人でも「同窓会」など具体的なネットワークを想定している。
一方、国民はこれと異なり、それを構成する個人は他の大多数のメンバーのことを知らず、間接的に知る機会すらもたず、一生会うこともない。それなのに、国民は想像の中では生々しいリアリティーがあって、深い同胞意識によって連帯し、人は時にそのために死ぬことさえもある。
アンダーソンはそんな想像上の国民がどのようなプロセスで生まれたかを説明した。
彼が見いだした要因はいくつかあるが、最も有名なのは「出版資本主義」。
”俗語”つまりラテン語のような知識人の宗教語・学問語ではない、普通の言文一致の文章の出版物が、資本主義的な企業家によって普及したことが重要なポイントだという。
例えば自分が毎日読んでいる新聞を、他の人も同じように読んでいるに違いない。毎日、同じ情報源にアクセスしている人々を容易に想像できる。
それぞれに、意見や印象の違いはあるにせよ、少なくともそこから情報をえている同じ土俵にいる”誰か”なのだ。
アンダーソンは、この読者の想像の共同体が国民の範囲にだいたい相当するという。
かくして、国民は、想像の中で生まれ、想像の中にのみ実在している。
アメリカの「建国の父」の一人とされるフランクリンが、出版人であったことは偶然ではない。
アメリカの独立に向けて植民地の人々の心に火をつけたのが、トマス・ペインによって日常語で書かれたパンフレット「コモン・センス」であったことを思い出す。
アンダーソンの「出版資本主義」から”ネーション”という想像が生まれるという指摘は斬新であるが、親が子供に語る童話やメルヘン平易な日常語が使われているため、同じ物語を共有するネーションというものも想定できるのではなかろうか。
このことは、「ドイツ」という国がいつ頃から現れたのかという問題とも関連する。
一般にヨーロッパ諸国は、国や民族をあらわす名から、言語の名前がつけられている。
フランス人(国)→フランス語、スペイン人(国)→スペイン語なのだが、ドイツだけは→の方向が違う。「ドイツ語→ドイツ人(国)」なのだ。
「ドイツ」という言葉が歴史上に姿を現すのは、9・10世紀以降である。
カロリング王国(フランク王国)が崩壊した時、その東半分に住む人々が用いた言葉によって「ドイツ人」とよばれるようになったのである。
962年にドイツ語を語る地域を含む、「神聖ローマ帝国」が成立するが、数多くの領邦を含んでまとまりに欠け、近代的な意味で「国家」というものとは、程遠い存在だった。
ところが19世紀の終わりごろのフランス革命とそれに続くナポレオン・ボナパルトによるドイツ占領は、ドイツに「ナショナリズム」の高揚をまねいた。
それが意外なことに、「グリム童話」と深く関わることになる。
グリム兄弟は、ナポレオン戦争で悲境のドン底にいたドイツ人に、昔話の中に脈打っているドイツ民族の心の鼓動を蘇らせようとした。
それが、民族としての自覚と誇りを取り戻すことに繋がるからである。
ドイツという言葉はゲルマン語で「民衆の/民衆に属する」という意味で、カール大帝時代にラテン語に対して「民衆の言葉」すなわちドイツ語を話す地域がドイツと呼ばれるようになる。
世界広しといえども、「民衆の言語」という国号を持っている国民はドイツ以外にはないであろう。
「想像の共同体」でアンダーソンは、「公定ナショナリズム」の存在も明らかにしている。
出版ナショナリズムが宗主国イギリスに対抗しようとする植民地人の「下からのナショナリズ」であったのに対して、「上からのナショナリズム」というものがある。
それがよくあてはまるのが日本の近代化に他ならない。
福沢諭吉は、「学問のすすめ」でも、少数のエリート層を除く人民の大多数が、国のことに無関心な「客分」のままであれば、外国と戦争が起きても戦うどころか逃げ出しかねないと危惧している。
それでは明治維新まで自らの身分や土地に縛られ、政治への関与も禁じられていた「客分」の大衆が、どのようにして「国民」へと変容していったのか。
一般に近代国家において、政治的責任を負う立場にない劣位の人々がいれば、勝ち負けはどうでもよく戦争遂行の主体的な担い手になろうとする内面的な動機が欠如するからだ。
つまり、差別された人々が存在し、意識に垣根があれば総力戦は戦うことはできない。
つまり、”平等主義”は、ナショナリズムのひとつの特徴なのだ。
ナショナリズムの特徴は「我々国民」とそれ以外の国の人々を区別する要素と、「身内の国民はみな平等」という普遍主義の共存にあるといえる。
身分制の廃止や人権の確立、普通選挙制、教育の機会平等は、ナショナリズムの前提といってよい。
最近、”万歳”が日本人を作ったという説が新聞に出ていた。
歴史学者・牧原憲夫はその過程を「万歳の誕生」という面から近代日本を分析している。
「万歳!」の慣習は江戸時代にはなく、初めて公に行われたのは1889年の大日本帝国憲法発布時のことである。
森有礼(ありのり)文部相の肝いりで、帝国大学生5千人が「天皇陛下万歳、万歳、万々歳」と唱和した。
もっとも中江兆民のように、この祝賀ムードの乗らなかった人もいた。
中身もしらず憲法をもったというだけで人々がそれに歓呼することを冷ややかにみたのだ。
実際、帝国憲法の実体は「外見的立憲主義」というもので、「統帥権の独立」など、日本を軍国主義に道を開く重大な欠陥を抱えていたのである。
さて、1894年に日清戦争が始まると各地で戦勝祝賀会があり、人々は日の丸の旗が掲げられる中、万歳を唱えながら、通りを練り歩いた。
戦勝に酔い、「万歳」を唱えることで、見知らぬ者同士の間に一瞬で連帯感が生まれた。人々は「祖国」という共同性を実感し、「国民」が生まれた。
一人ひとりがその場で味わう一体感に加え、「国内の各地で今、他にも多くの人々が同じ旗を掲げ、同じ歌を歌っている」と想像することで、国レベルでの一体感が生じる。
「万歳」はいわば、最も短い”国歌”の役割を果たしたといえそうだ。
「万歳」は今も生きている。昨年、天皇陛下即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典では約3万人が集う中、少なくとも16回、「天皇陛下万歳、万歳、万歳」が繰り返され、話題となった。
ちなみに学校の科目で、「日本語」という科目ではなく、「国語」という科目にしたのも、国をひとつにまとめるためで日本特有の呼び方であった。
全国津々浦々にまで行きわたる同一規格のモノがナショナリズムを強める役割を果たした。
その典型が"国王の肖像の刻印"のある通貨だが、全国的な統一ダイヤグラムで運行する鉄道(国鉄)の普及も同様だ。
日本の場合、日清・日露戦争と並行して延長されたので、「軍事輸送」の強化が主な目的であったのだろう。
明大教授の原武史は、鉄道の視点から日本の近代化を考察しているが、ナショナリズムとパトリオリズムの違いをユニークな視点から書いていた。
ナショナリストとパトリオットも等しく「愛国者」と訳すが、その違いは、車窓からみえる「風景」から生じるという視点である。
原教授は、民俗学者の柳田國男の記録「旅人の為に」(1934)を例にとりあげている。
柳田は、列車の窓から眺められる全国の絶景区間を列挙して、「日本はつまり風景のいたって小味な国で、この間を走っていると知らずしらずにも、この国土を愛したくなるのである。旅をある一地に到着するだけの事業にしてしまおうとするのは馬鹿げた損である」と述べている。
原教授は「この国土を愛したくなる」感情というのはパトリオティズムであって、ナショナリズムではないという。
それは目に見える具体的な国土を愛する感情であって、目に見えない抽象的な国家を愛する感情、つまり「想像の共同体」とは区別されるものだという。
ところが柳田が車窓から見えた絶景を、現在のJR北陸本線の車窓から眺めることはできない。
北陸トンネルが開通し、車窓はトンネルの闇に覆われてしまったからだ。
また、在来線よりも長いトンネルが連続する新幹線では、もはや風景を眺めること自体ができなくなる。
全国で新幹線やリニアが建設され、「旅をある一地に到着するだけの事業」にすることがはびこるほど絶景区間は失われ、パトリオティズムも衰退する。
代わって抽象的な国家に自らを重ね合わせるナショナリズムが台頭してきたと考えるのは早計だろうか、と。
また、哲学者の内田樹はナショナリズムとパトリオニズムを明快に裁断している。
パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、その一員であることを誇り、感謝している。
一方で、自分がさしあたり所属している集団について「ここは私がいるべき場所ではない」というひそかな不安と不満を感じている人々がいる。
その集団の存在理由もうまく理解できず、他の成員たちに対して、敬意や愛情を感じることができない。
自然、他の成員たちからの必要と思われることもなく、この場で自己実現できるという実感も乏しい。
それでも、人はどこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。
その場合、「ナショナリストになる」というのはひとつの選択肢である。
パトリオットは、家庭や会社でそれなりの敬意を得るためには、具体的な行動によって集団に貢献するが、ナショナリストは要求される資格は何もなく、自己申告すれば、誰でもなれる。
日本の国益を脅かすもの、日本人の誇りを踏みにじるものを私は許さないなどと主張するが、それは歴史の「真実」を踏まえたものでなくともかまわない。
パトリオットは自分が今いる場所を愛し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを絶えず意識し、自分に与えられている職務を粛々と果たす。
パトリオットには、国や郷土、文化、同胞への具体的な愛着があるが、ナショナリストは「日本人全体」といった幻想的な集団を形成しているにすぎないからだ。
ところで、ナショナリズムが素朴なものから危険な臨界点になるポイントは「排除が働く」という点ではなかろうか。
ナショナリストが「排他的」と呼ばれる理由の一つは、自分とは意見の違う人間の愛国心を認められない点にあるからだ。
人間はさまざまな集団に対して自らのアイデンティティーを感じているが、近代社会では国民国家がそれを独占しやすい傾向にある。
”ネーションが”想像”だとすると、ある意味”操作”しやすいものだといえる。
その結果、戦争などの非常時には、家族さえ国家の背景に退いてしまう。
しかし、帰属意識を高める措置が、他の集団に対する敵対心を煽ることにつながる面もある。
「ナショナリズム」というと、一般には為政者が国内での求心力を高めるために、外敵への敵対心を煽り、その結果として現れた志向や行動、と思われる方が多いかもしれない。
しかしそれは、自分が属するのでない集団に対する敵対心を生むことだけではない。自分が属す集団内において「排除」の論理が働くようにもなる。
なぜなら、この集団にとっての一番の脅威は、協力しない人もしくは裏切り者が現れることだからだ。
さて、山を登っていくとき、気温や風など自然条件の違いで、生物相が全然違ってくるのがわかる。
また”ネーション”は、「想像の共同体」だけに、置かれた環境ですっかり様相を変えてしまう。
ナショナリズムが、仲間内(下)から生まれたものと、上から(国家)から造られたものでは異なる様相をもつ。
”ネーション”が「想像の共同体」ならば、観点や考え方ひとつで色合いを変える。
「国籍」という言葉は
「ナポレオン民法典」から生まれたそうだが、フランスは「出生地主義」で、日本にはプロイセン経由で「血統主義」が導入された。
それも、家族の系譜を拠り処にするぐらいの意味合いであったが、昭和のナショナリズムの時代になって人種や民族という色彩を帯びるようになった。
しかし混じりっけのない人種なんて神話もしくは想像の産物にすぎない。
国民と外国人の境界は考え方次第で、何世代か日本で暮らせば国籍を与えるという仕組みもありうる。
昨年活躍したラグビー日本チームには複数の国籍の人がいたのだが、そのワンチームの活躍に、幾分”ネーション”のイメージが変わったのは確かだ。