聖書の言葉から(主はわが岩)

「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです」(詩篇18篇)。
マルチン・ルターは、この詩篇をもとに世界で最も有名な讃美歌をつくっている。
当初、孤立無援な戦い(教会へのプロテスト)を強いられたルターにとって大きな支えとなる言葉であったことは容易に推測できる。
聖書の詩篇は、人間が陥る様々な状況に対する言葉がある。ちょうど景気循環でいう「好況→山→後退→不況→谷→回復」の6つの状況のような。
詩篇が今でも慰めや自制の力となるのは、実際に神と共に歩んだダビデやソロモンの体験をベースに生み出された言葉だからだ。
例えばダビデは、先が見えない暗闇を歩んでいる時、次のような詩を謳っている。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(105篇)。
またダビデの周囲を敵が囲む時、「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない」。
さらには今日の不安と重なるような局面では、「また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない」。
どんな人も一度は「死の谷」「涙の谷」のような谷底を経験することがある。
それに対して、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」(詩篇23篇)。
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます」(詩篇84篇)などである。

旧約聖書には「聖い動物」とそうでない動物の区別があり、人の「食べ物」や神への「捧げもの」に適うか否かの違いでもある。
聖い動物とは、「ヒズメの分かれ、にれはむ(反芻する)」という条件なのだが(レビ記11章)、こうした「食べ物」の規制はユダヤ教の中では今も生きている。
具体的には羊や鹿は、上記の二つの条件にかなう聖い動物にあたるが、旧約聖書にでてくることがらは、新約聖書の型であること多く、これらの条件がどうして「聖さ」に繋がるのかが長年の疑問だった。
最近NHKの「動物番組」で、「反芻する(にれはむ)」ことの生物学的な意味が説明されていた。
それは、草食動物は草ばかり食べてなぜあのように大きな体になりうるかという疑問の答えでもあった。
実は、牛や馬は「草の栄養」で成長しているわけではない。
草食動物は胃の中にバクテリアを飼っており、草は体内に生息しているバクテリアを繁殖させるための「媒体」に過ぎない。
発酵が進んだ草を「反芻」するうちに、草を養分にバクテリアが動物の体内で「爆発的」に増殖するのだという。
牛や馬などの草食動物は、実はバクテリアつまり「動物性タンパク質」を消化吸収することで、大量の栄養を得ているのである。
反芻動物は、自分の食べ物になるバクテリアを胃に飼っていて、それに植物の糧を与えていることになる。
この胃に共生しているバクテリアこそは、反芻動物にとって大切なエネルギー源となっている。
このバクテリアを「聖霊」を、植物の糧を「御言葉」に置き換えると、信仰者の姿となる。
つまり、神の言葉こそが糧であり、それはイエスの「人はパンのみに生きるにあらず、神のひとつひとつの言葉で生きる」(マタイ4章)という言葉にも符合する。
さて、「聖い動物」のもうひとつの条件が、「蹄(ひづめ)が分かれる」というものである。
この点についても、「反芻動物」と同様に、NHKの「動物番組」を見ながら思い当たったことがあった。
或る回で、アルプス山脈に棲息する「アイベックス」という、ヤギ属に属する動物を紹介がなされていた。
アイベックスを見ながら驚くのは、壁のような急勾配な山腹で生活していて、人工のダムの斜面を平気で登ったり降りたりするのだ。
そんな急斜面で生きるのは、天敵が少ないからで、それでも、空にはユキヒョウ、空にはオオタカが天敵として存在している。
アイベックスの外観は、年々成長し10キロを超える大きさに成長する”角”が特徴的である。
この角は珍重されるが、体全体も様々な病気に薬効があるとされ狩猟の対象となってきたため、中東に生息するアイベックスは絶滅危惧種に指定されている。
そんなアイベックスが谷底へ落下しない秘密は「蹄が分かれている」ということ。
その蹄の内側にある柔らかい肉球が地表面をつかみ取る構造がもたらすものである。
それは、4つの足というより”手”に近いもので、体のバランスが少々くづれても崖下には落ちない。
よくよく考えると、我々が生きているということは、本当は”急な斜面”で生きているようなものかもしれない。
ただ、あまり急峻な斜面や谷底を見ると怖いのでできるだけ見ないようにしているだけなのだ。
足を少し踏み外せば、容易に滑り落ちしてしまう、そんな不安を誰しもが感じながら生きている。
さて、馬のように足がどんなに早くとも、蹄が分かれていない動物は、起伏が激しい山々を越えて移動することができない。
そんなことを想像しつつ、旧約聖書のいう「聖い動物」の条件、つまり「反芻すること」「蹄が分かれていること」ということに、聖霊の導きのままに伝道を続けるパウロの言葉が思い浮かんだ。
「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 私は、貧しさの中にいる道を知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも,富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ人への手紙4章)。

新約聖書には、イエス・キリスト自身が語った「家と土台」のたとえ話がある。
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に 自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、 洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れる ことはない。岩を土台としているからである。
また、わたしの これらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた 愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、 風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ 方はひどいのである」(マタイによる福音書7章)。
イスラエルは乾期と雨期にはっきり分かれている。
およそ11月から3月くらいまでは雨期である。雨期と言っても日本のようにしとしと雨が降り続けるような状態ではない。
イスラエルでは3月にシクラメンやポピ-、アザミ等の花々が一面綺麗に咲くのは、芽が出るほどの雨が降ったことによって一斉に開花する。
それとは反対に4月から10月までは乾期であって一滴も雨が降らない。
イスラエルの地には、雨が降っても雨を吸収しないところがあり、降った雨が岩の上を流れる、それを「ワディ」とよんでいる。
そのワディでは、バスさえも押し流してしまう力を持っている。
ワディとなる地層は岩なので乾期には当然、そこには風などによって砂が溜まることになる。
たとえ話でいう「砂の上家を建てる」とはそのようなことである。
さて、冒頭の詩篇「主はわが岩、わが城、わたしを救う者」と謳われているように、聖書では神そのものが「岩」に譬えらえている。岩の家に建てた賢者は、聖い動物「ヒズメが分かれた動物」と同様に、どんな急斜面でも滑り落ちることはない。
さらに広くとらえると、大きな自然災害や戦争が襲おうとも、「岩」を支えに流されたり、倒されたりしない存在なのである。
そういえば、そのような存在を好んで描こうとした画家のことを思い出した。
野見山暁治(のみやまぎょうじ)は、現代を代表する洋画家の一人で、優れたエッセイストでもある。
現在は糸島市志摩の丘陵中腹にアトリエを構え、1年の約3分の1を糸島で過ごしている。
野見山は嘉穂高等学校(1938年3月卒)で、野見山暁治は美術学校の仲間を戦争で失ったが、そのことが創作の原点ともいってよいのかもしれない。
作家の水上勉の息子窪島誠一郎と共に日本各地の戦没画学生のご遺族のもとを探し訪ね遺作を蒐め、1997年に長野県の上田市に「無言館」を開館し自ら館長となっている。
そこには、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示している。
野見山がインタビューで語ったことでとても印象的な言葉があった。
それは野見山が好んで描いたのが、戦乱や災害の中でも、破壊の力に抗するように”生き残っている”ものだという。
そこで思い出すのは、東北大震災の生き残った「奇跡の一本松」で、現在は岩手県陸前高田市気仙町の高田松原跡地に立つ松の木のモニュメントとして保存されている。
野見山は、自らも出征経験があり、戦乱の壮絶さのなかで”生き残った”ことと重ねているかもしれない。
また、近年のニュースでシンガーソングライター兼俳優の福山雅治が、原爆被爆の中で生き残った「クスノキ」をテーマに歌を作ったということを知った。
福山は長崎生まれで、福山は、長崎の工業高校時代に兄とバンドを組んで音楽活動をはじめいつしかミュ-ジシャンに憧れるようになる。
福山は、ミュージシャンをめざし上京しはじめて東京で生活をした町が昭島市の福生(ふっさ)である。
福生といえば横田基地の町で、大瀧映一ら多くのミュージシャンが住んだ街である。
ライブ活動をしながら1988年にあるオーディションに合格し、俳優デビューしている。
1993年フジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下で」で人気に火がつき、歌手としてもブレイクした。
そんな福山が2009年8月のラジオ番組で、自ら「被爆者2世」であることを告白している。
1945年8月9日の米軍機による長崎市への原爆投下。7万人を超える人々の命が奪われたこの原爆によって、爆心地から800mほどの場所に位置していた山王神社も大きな被害を受けた。
境内の2本のクスノキも、爆風によって枝葉は吹き飛び、熱線により幹は黒焦げとなり、枯れ木同然となった。
しかしながら、奇跡的に再び新芽を芽吹き、樹勢を盛り返していった大楠。現在では枝葉が豊かに茂り、その生命力を漲らせている。
それを知った福山が、2014年に発表した楽曲「クスノキ」には、♪耳を澄ませば聞こえる、平和を奏でる葉のざわめき ♪といった詩がある
この曲のモチーフとなったのが、長崎の山王神社にある被爆クスノキである。
山王神社は、原爆で片方だけが残った「一本柱鳥居」でよくしられている。
それだけに、原爆の凄絶な威力を感じさせる。

聖書に「信仰とは望んでいることがらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰ゆえに賞賛された」(ヘブル人への手紙11章)とある。
日本人の場合は、信仰者が賞賛されるということはあまりないが、ここに登場する「信仰者列伝」の人々は、いずれも神の御手を動かすほどの信仰者であった。
例えば、「アブラハムは望みえないのに望んだ。それゆえに約束のものを受け継いだ」とある。
この信仰者の中にあって、個人的に「岩を掴んで生きる」聖い動物を感じさせるのがヤコブである。
ヤコブは、旧約聖書「創世記」の中の「エサウとヤコの兄弟」の話として登場する。
兄エサウは猟に優れ勇猛で活動的で父親好み、母親は父好みのエサウよりも弟ヤコブの方が気に入っていた。
或と時、 猟を楽しみ野から帰った腹エサウはすっかり腹が減ってしまった。ヤコブは匂いたつ豆スープを料理してエサウを待つ。
ヤコブはスープを食べさせるから、「長子の特権」を譲ってくれと申しでる。
エサウは、腹がへって死んでは元も子もないと、目の前の利益に眩んであっさりと「長子の特権」をヤコブに譲り渡す。
ただこれは兄弟間の「密約」にすぎず、父親イサクは知らない。
そこで母親リベカは好みのヤコブに智恵を授けるのだが、それが手を偽装するというものだった。
父イサクはすでに視力が弱って床に伏していた。
死に瀕して自分の特権を譲るべく長子に祝福を祈るのだが、ヤコブはこともあろう毛深い兄エサウに似せてヤギの毛を手につけてエサウに成りすまし、父イサクの今際の床で「神の祝福」を祈りうけるのだ。
ちなみに、ヤギは「聖い動物」で前述のアイベックスはヤギ科に属する。
旧約聖書の「長子の特権」は、新約聖書では「地を継ぐ者として」、いいかえると「救われる者」の特権として語られる。
皮肉なことに、この特権を軽んじる長男とそれを重んじる次男の話が「エサウとヤコブ」の物語なのだ。
狡猾さを感じるリベカとヤコブ母子の行動だが、その後を見ると、神の恩寵はあくまでもヤコブの側に傾いていったといわざるをえない。
ヤコブはその後十二部族の族長となるが、エサウの子孫は聖書の中でエドム人としてあらわれ、ダビデ王の代にエドム人はその属国となりしばらくして滅亡している。
「兄は弟に仕える」(創世記25章)という預言どおりになったのである。
新約聖書には「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(ロ-マ9:13)ともある。
両者の違いをいうと、エサウは、自分の狩人としての能力に頼った一方、ヤコブは「神」に頼りそれを掴んで離そうとしない点である。
それは、次のエピソードでもわかる。ヤコブはある時、旅の途中に「神の御使い」と出会い、「自分を祝福してください」とすがりついた。
あんまり激しくすがりついたので御使いはヤコブの骨を一本はずしたほどだという。
それでもヤコブは、はなれずに縋った。その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから」。
しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」(創世記32章)。
それで神はヤコブに「神と争う」という意味の名を与えた。その名こそが「イスラ エル」である。
こうしたヤコブ(イスラエル)の信仰の在り様に、岩場を掴んで動く「聖い動物」の姿が重なる。
さて、イエスが一番弟子のペテロは、もともと本名は「シモン」であった。
しかしガリラヤ湖畔でイエスと出会った際に、「ケファ」という名前が与えられる。
「ケファ」はアラム語で、「石」という意味で、同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」という呼び名で知られるようになる(ヨハネ3章)。
「そこでわたしはこの岩の上に教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国の鍵を授けよう」(マタイ16章)。