オーストラリアの森林火災が、過去最悪の規模に拡大している。延焼面積は日本の国土の約半分の規模に達し、アマゾンの森林火災と同様、生態系および地球温暖化への影響も懸念されている。
そればかりか、シベリアやアラスカ、カナダなど、世界各地で森林伐採や山火事が頻発している。
個人的印象では、「地球が焼けている」という感じだ。
さて、平安時代、白河法皇は"我が不如意なもの”、つまり思い通りにならないものとして「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師」をあげた。
これを現代に置き換えれば、「気候変動、金融不安、テロ」になろうか。
さらに最近では、「ウイルス、サイバー攻撃、個人情報漏えい」なんかが思い浮かぶ。
今、世界がコントロール不能に陥りつつある一方で、人間は都市を完全コントロールしようと、「スマートシティ」なるものを構築しようとしている。
都市とて自然から独立して存在するものではない。それを、あたかも完全コントロールできるように思えるのが、人の"脳"なのだろうか。
確かにスマートシティは、エネルギー効率も高く、環境にやさしい。しかしスマート・シテイの実現の全プロセスで、自然界に与えた負荷はどれほどのものであったであろう。
問題なのは、中東のドバイのような”人工都市”を作り出す人間の"脳の暴走"なのかもしれない。
かつて、ベトナム戦争を指揮したアメリカの軍事的指導者達をデイヴィッド・ハルバースタムは、「ベスト アンド ブライテスト」と皮肉った本を書いた。
ホワイトハウスの内情を克明に描きつつ、「賢者といわれる人、そして最も聡明な人々」が、いかにして政策を過ち、アメリカをベトナム戦争の泥沼に引きずりこんでいったかを描いた。
そればかりでない、「ベスト アンド ブライテスト」の下で国の安全保障に関わった人々は、2000年代に入って、世界経済を危殆に頻せしめるほどの大きな過ちを犯すことになる。
2008年のリーマン・ショックである。
つまり、世界中をサブプライムローンの泥沼に引きずり込んだ「元軍事産業」に従事していた金融工学の創造者達のことである。
核兵器や宇宙開発競争が下火になった時代であったから、軍事産業の科学者達が次の活躍の場を求めてウォール街に流れ込んだためである。
そして多くの金融機関は、最優秀な頭脳をもつ人材で、最高格付けの安心の金融商品を生み出した。
彼らの証券化商品やCDSといった新たな金融商品は、世界のマネーをウォール街に呼び寄せていく。
「証券化」は結局、金融取引につきものの貸し倒れなどのリスクを自在に操る技術で、実態はリスクをまったく無関係の「第三者」に肩代わりさせ、ゼロにするというものだった。
リスクがあるからこそ抑えられていた欲望が解き放たれ、いつのまにか金融工学は「モンスター」と化したのである。
今日、インターネットはあらゆるものと繋がるIoE(Internet of things)が世界中で広がっている。
その便利さといえば、スマホひとつあれば、室内環境から自動車・家電まで、あるゆるものが手のひらの上で遠隔操作可能となる。
そのうち、かつてのアメリカのホームドラマ「奥様は魔女」で見たように、鼻をぴくつかせるだけで、いろんなものが動作していくのかもしれない。
高校の頃みた「未来予想図」、車がビルの間を飛び交い、円盤がものを運ぶ。無人の電車が走り、人々は家庭菜園で食物を育てている。そんな世界が、いまや現実化しようとしている。
スマートシティーとは、さまざまなインフラをインターネットにつなげ、都市から生まれる”大量のデータ”を駆使して運営する新しい街。
そんな究極の街に至らんとする、最近のニュースをピックアップしてみた。
我が地元の福岡では、福岡市とLINEの子会社「LINE FUKUOKA」が連携して、アプリを通じた効率的なサービスの開発に取り組んでいる。
人口減少の中、スマートシティ化のニーズはますます大きくなる。
アプリを使えば、粗大ゴミを出す際にも、受付から決裁まで済ませられし、子育て支援からや防災や減災など行政はもっと効率化できる。
行政サービスに使ってもらうことは、連携企業にとってもユーザーをふやすことにもなる。
トヨタ自動車は、「空飛ぶ車」の開発をすすめるアメリカ・ベンチャーであるジョビー・アビシエーションと連携し、車の生産やや技術開発を生かして、新たに空の移動手段の開発を加速させる。
2009年設立されたジョビー社だが、電動垂直離陸機の開発をすすめ、将来は「空飛ぶタクシー」のサービスを提供することを目指している。
トヨタによると、電動垂直離陸機の開発は、電動化や新素材などの分野で、次世代環境車との共通点が多く、相乗効果があるという。
トヨタはこれを機に「空のモビリテジー事業」への参入を検討しているという。
また、高齢化や人手不足に悩む農業でITを活用する動きが広がってきた。
データ分析や自動化の技術を使い、省力化や収穫量の拡大を目指す「スマート農業」だ。
埼玉県越谷市の農業技術センターの農業用ハウスでは、いくつものメロンが実っていた。新たな名産品を生み出したい市が試験栽培をしている。
昨年からは富士通と組み、ハウス内のデータを集めて栽培に生かす試みを始めた。
100平方メートルのハウス内に、二酸化炭素の濃度、照度、温度、湿度を測るセンサーを三つ置き、定点カメラで葉の様子を撮影する。
集まったデータと収穫量との関係性を富士通が分析し、糖度や収量を増やす栽培方法のモデルを探す。栽培方法をマニュアル化し、ブランド力のあるメロン産地をめざす。
要するに、こうしたデータさえあれば、ベテラン農家でなくても、コンピュータを使って作物の育成を制御し、イチゴなど見事な農作物を育てることができるのだ。
以上のようなニュースに触れながら、「未知との遭遇」(1977年)というアメリカ映画を思い出した。
ラストシーンで巨大な宇宙船からでてきた生き物は、頭でっかちの実にひ弱なイキモノであった。
あれは、未来の人間が時空をこえて現れたのかもしれない。
今やコンピュータも第五世代(5G)にはいったといわれる。
5Gの応用は、スマートシティ建設を飛躍的に促進させ、これまで想像すらできなかったような数多くの応用がなされている。
スマートシティといえば、かつては省エネ目的が中心だったが、最近では交通、医療、気象、教育、行政サービスなど、収集するデータの範囲が拡大している。
5G時代のIoE(インターネットで全てのものをつなぐ)を背景に、無線通信、街路灯、スマートセキュリティ、放送、WiFiなどさまざまなインフラを一体化した”スマート街路灯”が、これまでの信号機や街路灯にとって代わる可能性もある。
5Gによる改良が比較的早い分野が都市交通である。
これからはタクシーを呼ぶとやって来るのは自動運転車となっていく。
自動運転車はすでに走っており、中国の「滴滴」はタクシー業務にも利用されると繰り返し発表してきた。
また、スマート教育の分野では、5G技術の応用の下、ネットワークの遅延の短縮や解像度の向上の恩恵を受けて、オフラインで実際に教室にいるのと変わらないような”オンライン授業”を受けることが可能になる。
また、5G環境の下で各種の敏感なセンサーが登場し、環境問題に対して細かい制御が可能となる。
例えば、湖面を渡る自動運航船や空を飛ぶドローン。街灯柱に環境モニタリング用センサーが設置され、あらゆるエリアの環境保護品質モニタリングが実現して、問題が起きた場合は速やかに警報を出せるようになる。
このほかスマートセキュリティもある。
ハイビジョンカメラに容疑者が映ると、カメラは照合した後に都市のスマート指揮システムに通知し、指揮システムは近くのドローンに通知して容疑者を追跡する。
それれと同時に、近くにいる警備要員にも通知され、通知を受けた要員はしかるべき地点まで追跡を行うという。
このように安全で幸福そうにも思えるスマート・シティ化は、一気に”監視社会を推し進めることにほかならない。
米グーグル系の会社がカナダ・トロント市で進める「スマートシティー」の建設計画が、地元を揺るがしている。
なにしろ民間会社がひとつの都市計画の全体を握り、住民のあらゆる個人情報がそこに集積されるからだ。
佐賀県武雄市がTUTAYAと連携して、行政サービスを行ったことが話題となったが、そんなレベルとはわけが違う。
カナダ政府でつくる開発機関「ウォーターフロント・トロント(WT)」が2017年にスタートさせた。
計画案を募集し、グーグルを傘下に持つアルファベットの子会社「サイドウォーク・ラブス(SWL)」が選ばれ、具体的な計画が明らかになると、世界的な注目が集まった。
電力網のほか、地下にはゴミ処理設備、雨水の処理システムなど最新のインフラ設備を設置する。
それぞれをネットでつないでエネルギーの効率化を追求する。
新しい工法でコストを抑えた木造の建築で、約3千戸のマンション、オフィスや店舗を作る。
街中にセンサーを張り巡らせて歩行者や車などのデータを集め、通行量に合わせて車線数を変えるなど、交通も最適化するという。
その未来図は、一言でいえば「スマホのような街」とも言える。
スマートフォン上で閲覧ソフトやゲーム、動画など多くのアプリが動くのは、グーグルの「アンドロイド」といった基本ソフト(OS)のおかげだ。
同じように、SWLが都市向けのOSを提供し、その上でさまざまな会社が自動運転車で配送サービスを展開したり、自転車のシェアサービスを提供したりする。
そればかりりか、新都市から生まれる新たな技術を”知的財産化”し、ほかの都市にライセンス販売するとも。
会社関係者は、自治体の資金が限られている中で、こんな計画を実現する方法がどこにあるかと自信をのぞかせる。
ところが住民からは、「トロントの中に監視都市ができあがるのでは」「そこまで大量のデータを集める必要がどこにあるのか」という不安を訴えた。
確かに、スマートな社会とは、日々集積されるデータを利用すればいくらでも監視される社会ともいえる。
そしてそのスマートさは、脆弱さと背中合わせなのだ。
計画では、道路や公園など公共の場所から大量のデータが収集される。
SWLはこうしたデータを、事前に本人の同意が事前に得られない「都市データ」と名付け、「匿名化した上で誰でも使えるようにする」とし、既存の個人情報保護法などと別の枠組みでデータを管理すると提案している。
”別枠”とは、これまでプライバシー保護の対象は、主にスマートフォンなどから生まれる個人情報だったが、都市から生まれるデータを丸ごと保護するということである。
計画が実現して「都市OS」が定着すれば、スマートフォンで起きた「プラットフォーマーの支配」が都市全体に及ぶことになりかねない。
ところで、ウクライナで2015年~16年に起きた停電は、電力会社の制御システムに感染したウイルスだったという。
ウクライナ政府は、ロシア政府の仕業だと非難。
ついでに、トランプ大統領が当選した2016年の選挙について述べると、サイバー空間とソーシャルメディアも活用してメールや情報を盗みだし、ソーシャルメディアで偽情報を拡散させ、社会の対立をあおったのだ。
最近、中国のハッカー集団が三菱電機をサイバー攻撃して、三菱の技術と関わる鉄道、軍事、などの情報が大量に流出したことを考えれば、その"暴走"の度合いも計り知れないものがある。
従来は、ハッカーといえば諜報活動が主流であったが、最近目立つのが重要インフラのハッキングである。
三菱電機への攻撃は、中国のハッカー集団の仕業といわれている。
ハッカー達は、中国にある三菱電機の関連会社に目をつけ、ネットワークの弱点を見つけ侵入し、国内の本社や拠点と結ぶ通信中継装置(ルーター)を経由して滑りこむことに成功した。
社員名や所属などが記録されているサーバー情報にアクセス。より広範な情報に触れることができる中間管理職のパソコンを探し出した。
ウイルスを遠隔操作し、サーバーに保管されていた機密情報に不正アクセスを繰り返していたという。
三菱電機といえば鉄道など日本のインフラと様々なカタチで関わるが、ウイルスは、三菱電気を攻撃する攻撃するためだけに作られた「特注品」だったという。当然に”国家ぐるみ”ということが想像できる。
他にも、スマートな街で保護された人間が、きわめて免疫に弱くなり、ウイルスに感染しやすくなるとか、サイバー攻撃を受けると、電車や車やドローンから水道・電気まで暴走しかねない危険性と隣り合わせの街ともいえる。
イギリスの哲学者のバートランド・ラッセルは、”人間はどうして失敗するのか”という点に関して、面白い比喩で語っている。
"むかしむかし、あるところに鶏がいました。この鶏は卵からかえってこのかた、毎朝毎晩農家のおじいさんからエサをもらっていました。
そこで、この賢い鶏は、おじいさんは永久に自分に餌をくれるものだという認識をえました。
ところが、翌日、その鶏は小屋に入ってきたおじいさんによってひねり殺されてしまいました。"
スマーティストな街とは、個人のプライバシーを犠牲にしつつ、人の不便さと不快を消し去る街ともいえそうだ。
ところで、2017年の芥川賞作品の村田沙耶香「コンビニ人間」が、世界的に読まれているという。
グローバル化した現代世界に生きる誰もが、文化的な差異を超えて「私」の姿を認めるからだろう。
「コンビニ人間」には、次のような日常の風景が描かれる。
「コンビニストアは、音で満ちている。客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる優先放送で新商品を宣伝するアイドルの声。店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音に、店内を歩き回るヒールの音。全てが混ざり合い”コンビニの音”になって、私の鼓膜にずっと触れている」とある。
コンビニは、かりそめ感と匿名感のある小宇宙で、「普通」から排除されたり違和感をもつ人が、ようやく世界と関われる場として描かれる。
主人公はコンビニ的規範に同化することによって、大きなシステムの”小部品”もしくは”機能”と化してして生きることに、安らぎを見出す。
裏返すと、”普通”とは違うものをどれほど”排除”して社会が成り立っているかということ。
最近話題の韓国映画「パラサイト」は、お金持ちの家の地下室(シェルター)に寄生する人々を描いていたが、ひとつのキーワードは、”匂い”であった。
我々の世界では、日々快適に暮らすには、無臭で清潔感が求められる。
その分”匂い”に敏感となる。シンボリックにいうと、地下の”匂い”を発する人は、社会からはじかれる。
今のところ、「スマートシティ」の未来図に、そんな”地下室”の視野は欠落している。