2020年2月、森友学園を巡る補助金詐欺事件の判決が大阪地裁であり、前学園理事長の籠池泰典被告と妻諄子被告に有罪判決を言い渡した。
判決は、籠池被告が国の補助金など計約1億7000万円をだまし取ったと認定し、「手口は巧妙かつ大胆」と悪質さを指摘した。
多くの国民は、森友学園問題の本質は、そんな補助金詐取にあるものでないことをしっている。
発端は、財務省が鑑定価格9億5600万円の国有地を約8億円も値引きして学園に売却したこと。
一番のポイントは、異常なまでの国有地の低価格売却に関して政治的関与があったかどうかということ。
財務省は土地の地中にあるごみの”撤去費用”などを挙げたが、実際に大量のごみがあったかどうかは確認されていない。
学園を巡っては安倍晋三首相の妻昭恵氏が建設予定の小学校の名誉校長に一時就くなどしていたため、官僚が政権に忖度(そんたく)があったのではないかという見方が有力である。
しかも、安倍首相は値引きが発覚直後の2017年2月に、自身や夫人が取引に関与していれば辞任するとまで、国会で答弁した。
答弁をきっかけに財務省が国有地売却に関連して学園との取引に関する交渉記録を廃棄したり決裁文書などを”改ざん”したりしたことが発覚した。
その際、文書改竄を命じられた近畿財務局の職員が自殺している。
政治家への忖度と、公文書管理をめぐる政治と行政のゆがんだ実態といえば、加計学園の獣医学部新設問題が発覚したが、都合の悪い文書を「怪文書」扱いしたことにも表れた。
最近の安倍首相主催の「桜を見る会」でも、野党に要求された直後に文書を官僚が破棄していた。
籠池氏は逮捕されるにあたって、国策捜査 忖度政治を批判し、問題の本質をズラして自分たちのみを悪者にしてこの問題の幕引きをはかろうとしていると怒りを露わにした。
ただ、籠池氏経営の幼稚園でものごとの判断の充分にできない幼稚園児に「集団自衛権賛成」「安倍首相頑張れ」などと言わせる教育こそ”忖度の極致”ではなかったか、と思う。
ところで、「忖度」ということに関していえば、日大アメリカンフットボール部のタックル問題が記憶に新しい。
日大アメリカンフットボール部の選手が危険な反則タックルをした問題は、当該選手とそれを指示したとされる前監督、前コーチの主張が真っ向から食い違う展開となった。
しかし、記者会見の内容を振り返ってみると、具体的で矛盾のない選手の説明の方が真実を語っているという印象を受けた。
例えば、反則タックルをした宮川の記者会見の中で、個人的に注目した場面は、最初は「(タックルの前にゲームを止める)審判の笛は聞こえていたのか」の質問に対して、宮川選手は「(相手QBが)投げ終わっていたことには、気づいていました」とはっきりと認めたことだ。
それは、試合中の傷害事件としての刑事責任を問うには重要なポイントなのだが、逃げるのではなく、処罰されるのを覚悟しているということをうかがわせた。
また、「あのときに戻れたら、今度はどうするのか」と問われた時、それまで「いかに指示があったとしても、やった自分が悪い」と繰り返していたのに、「次は絶対にやりません」とはいわなかった。
宮川選手は言葉に詰まってしばらく考え込んだ後に「わかりません」と応えたことだ。
精神的に追い詰められた当時の心境がよみがえってしまったのだろうが、その返答にかえって宮川選手の誠実さを感じた。
そしてもうひとつ、宮川選手の言葉で最も印象的だったのは、記者会見の臨んだ動機として「このままだと、私ひとりが悪者になってしまう。すべてを語ろうと思った」という言葉だった。
この言葉は、森友学園問題で逮捕された籠池夫妻の心境にもあてはまることではなかろうか。
「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」という言葉がある。追い詰められたネズミが自分より大きく強いネコに対して、いちかばちかの反撃にでるという例え話だ。
ある共謀犯罪の中で、誰かひとりを悪者にしようとすると、追い詰められた人物がすべてを語って真相が明らかになることはよくあることだ。
ここでは、それを「窮鼠の逆襲」とよぶが、今はSNS社会だけにそうした逆襲の余地はいくらでもあるといわねばならない。
先日アメリカのトランプ大統領が大統領選挙に際して、ロシアに働きかけサイバー攻撃によって民主党のヒラリー・クリントン陣営に打撃を与えたというロシア疑惑で「弾劾裁判」にかけられた。
議会の多数派を共和党で否決されたが、ロシア疑惑は「ロシアンゲート」という言葉ができるくらい、かつて共和党ニクソン大統領が不正な手段で大統領に就任したことと比較されている。
ロシア情報機関と関連が疑われるハッカー集団が民主党全国委員会(DNC)の情報システムに侵入。その後の、ヒラリー・クリントン候補に不利な電子メールの大量流出に繋がったという。
ただ、ロシアンゲートはいまだ”疑惑”だが、ウォーターゲート事件の方は、「窮鼠の逆襲」によってその全貌が明らかになっている。
この事件の発端は、1972年6月にワシントンにあるウォーターゲートビルに5人の男たちが侵入した出来事にある。
ニクソンの敵対陣営民主党本部に、犯人たちが盗聴器を仕掛けようとしていたのだ。
今だと、サイバー攻撃によって情報を盗みだすことができる。
最近の新聞記事で、イスラエルと対立するイスラム過激派組織ハマスは、複数の「美女」の偽アカウントをフェイスブックなどに作って若い兵士に連絡。
「写真を送ってあげる」などと兵士をだまして特定のアプリのダウンロードを促し、個人のスマホからデータを盗み出そうとした。
ハマスの戦略は功を奏し、数十人の兵士がハマスの”ワナ”にかかったという。
さて、5人の男達の民主党本部への侵入事件の疑惑は ホワイトハウスに向けられ、まさにこの時から大統領執務室では事件との関わりを もみ消そうとする陰謀が始まった。
そしてこの事件のもみ消し工作を命じられ担当したのがジョン・ディーンという、当時33歳の若者。
ホワイトハウスで働いていた彼は実行犯の口封じや関係書類の消去を その手で行った。
ところで、5人の実行犯の中で ただ一人所在が判明した男マルチネスという人物がいる。
マルチネスは、キューバ人で、革命で資産を奪われ37歳でアメリカに亡命してきた。
父は キューバでホテルを経営していたが、カストロがれを奪って、反体制派の人々も たくさんカストロに処刑された。
そこに、CIAからカストロたちキューバ政府を倒すために 働かないかと誘いが かかった。
「国家の安全保障に関わる重要な任務」という言葉は、マルチネスにとって殺し文句だった。
そして諜報活動のトレーニングを受けて、”会社員”を隠れみのに作戦ごとに駆り出される工作員になった。
ウォーターゲート事件の時もそうだった。しかし、マルチネスば他のメンバーの”質”に失望させられたという。
マルチネスの証言によれば、民主党本部のドアは オートロック。ガムテープを貼り鍵が掛からないように細工し、メンバーの一人にテープを剥がしたか確認したが、彼は剥がしていないことがわかったと語った。
一方、この事件のもみ消し担当のディーンのキャリアは特別といってよい。
31歳の若さで大統領の法律顧問に抜擢されたスーパーエリート。
なんといってもワシントンの中でも 最重要な判断は全てホワイトハウスが下す。
年齢を 一切問わない実力主義はニクソンは、若手を抜擢しながら、国交がなかった中国や敵対していたソ連との関係を改善するなど歴史に残る仕事を行った。
ウォーターゲートビルで男たちが逮捕された日は、そんなニクソンの絶頂期であり、当初はそれがニクソン政権の屋台骨を揺るがす事件になろうとは思いもよらない展開だったにちがいない。
そのニクソンが抜擢したディーンは、 「大統領の法律顧問」という仕事であったがそれは表の顔にすぎなかった。
ディーンによれば裏のの内容は、政権に批判的な記事を書く出版社に圧力をかけたり、反政府デモの参加者の情報を集めたりすること。
つまり 表には出せない案件を裏で処理する”何でも屋”といってよい。
ウォーターゲートでの一報は、ディーンにとって自分の力をアピールするチャンスだった。
実際その朝 たくさん電話がかかってきた。他の関係者を国外に逃亡させようか、物証は どう処理しようか。ディーンのもとには、次々に指南を仰ぐ声。
事件に関与した高官は皆それぞれの理由で責任を逃れようとしていたのである。
それに的確に答えながら実行犯たちに裏で裁判費用を渡し、厳重な口封じ工作を進めた。
実は5人の実行犯を指揮したのは、ニクソン政権で秘密工作を数々 手がけてきたハワード・ハントという人物。
ベトナム戦争がらみの国内工作でも暗躍しており、彼を探られれば”政権の闇”が暴露されてしまう。
既に検察官は、犯行に ただならぬ点を感じており、ホワイトハウスに捜査が及ぶのは確実だった。
ディーンは政府高官と相談し、「事件は ハントたちが独断でやった」と口裏を合わせることにした。。
3か月後 検察は実行犯たちのみを起訴し、捜査を打ち切った。
ディーンは、執務室に初めて呼ばれ大統領よりじきじき感謝され、ニクソンは、大統領選挙に無事再選される。しかし 事件はこれで終わらなかった。
そのわずか1週間後、完璧なはずの処理が ほころびを見せる。
実行犯のハントが、肝がつぶれるほどの高額な金を要求してきたのだ。 この脅迫に応じたとして、一度で終わるかどうかもわからない。血の気がひいた。
もみ消しを行ったのは、上官たちが困っていたからで、それは 自分の手柄にもなると 自分の力で対処してみせると必死だったディーンだった。
しかし、自分は 法律家として越えてはいけない一線を越えたかもしれないという思いがこみあげてきた。
改めて刑法の専門書を開き、たとえ顧客を守る目的でも司法への妨害は 罪だと知り 愕然とした。
動転したディーンは、ハントが残していたメモなど関わりのある書類を自らシュレッダーに かけた。
間もなく 実行犯たち全員の有罪が決まった。すると 彼らの代理人からディーンに直接更に12万ドル欲しいと要求が入った。
このままでは、「自分は一生 標的にされる」と意を決したディーンは、ニクソンと補佐官たちに、実行犯の脅迫はエスカレートし これ以上隠せない。全てを公表してほしいと直訴した。
しかし、大統領はディーンの直訴に、興味を示さなかった。
それから3か月ディーンは、誰の助けも借りられない中、自分は どうすればいいのかと苦しみぬいた。
間もなく新聞にディーンが、「もみ消しの主犯だ」という驚きの記事が出る。
すると再び大統領に呼ばれ、ある書類にサインを求められた。なんと「事件の責任を取って辞める」と書かれた辞表だった。
これを機会に、ディーンの気持ちは定まった。全てを暴露する。つまり大統領を相手に”窮鼠の逆襲”を行うことにした。
連邦議会において、この件には 大統領も関わっているとぶちまけた。
生々しいディーンの証言は、全米に衝撃を与えたが、事態は ディーンの想像を超えて進んでいった。
ホワイトハウスが逆襲してきたのだ。ニクソンは徹底的にディーンを調べ上げ弱点をついてきた。
間もなくディーンはニクソン陣営の議員から執拗な追及を受ける。ディーンの僅かな記憶違いを追及し、全ては曖昧な記憶だと主張してきた。
直属の上官だった 大統領の補佐官も、首席補佐官も ウソだと言い、ニクソンは、堂々と国民に向けて上官たちは真実を述べると思うと語った。
ジョン・ディーンの一世一代の告発はホワイトハウスの権力の前にあっけなく握り潰されたかに思われた。
ディーンは、自分がこれまで命をかけて戦ってきた仲間にすっかり裏切られ、深く失望した。
結局ディーンは"もみ消し"に関して有罪となるも司法取引で収監を免れた。
ただ、連邦議会で”盗聴”されていた可能性に言及したことが、思わぬ展開を見せていく。
録音機の存在に直感したもうひとりの側近が、大統領のスピーチライターのブキャナンだった。
ニクソンが大統領になる前からのつきあいだが、側近を自認する彼も録音テープの存在は知らなかった。
今に このテープを証拠として提出するよう求められるのは必至と考えたブキャナンは、中国やソ連との外交政策に関する会話は保存して 他は廃棄するようにアドバイスした。
録音機の本体は、ホワイトハウスの西側大統領執務室の下の使われていない部屋に極秘で置かれていて、この部屋を訪れた各国首脳との極秘会談もすべて録音されていた。
ウォーターゲートに関する決定的なやり取りもあったが、提出テープでは、その部分が削除されていたことが判明する。
ニクソンが残そうとこだわったのは 音声だけではなく、最新式カメラを使用してフィルムであった。
ところがニクソンは、そのテープを捨てず、それが彼の命とりとなる。ではなぜニクソンは、テープをすてなかったのか。
ニクソンは雑貨商の息子に生まれ苦学して弁護士になった。やがて 政治家になりいわゆる 「赤狩り」で辣腕を振るうも
攻撃的な言動は不人気だった。
初めての大統領選では、つみ上げた実績をアピールしたものの人気者のケネディに敗れたばかりではない。ケネディは愛されスキャンダルも見過ごされたことに苛立った。ニクソンは ひどく思い悩む人で、不当な仕打ちに悩み続け”復讐”することだけを考えるようになっていった。
また、猜疑心が強かったニクソンにとって、録音テープは他人の言質を取る武器であり、自分の栄光を証明するたった一つの味方だったのかもしれない。
そしてウォーターゲート事件の時期、まさにニクソンは新たな栄誉を手にしようとしていた。
歴代政権が成し得なかったベトナム戦争終結は、ニクソン大統領のクライマックスとして記録されるはずだった。
だが 捜査当局は粘り強く録音テープを提出するよう迫ってきた。それをニクソンが拒否すると、それに反対する司法長官や検察官もまとめて解任した(土曜の夜の虐殺/サタデーナイトスローター)。
これに国民は猛反発し、ニクソンは 一気に世論を敵にまわすことになる。
国民がテープを聞いて驚いたのは、大統領の言葉遣いで、その内容はホワイトハウスの権威を汚すに十分な内容だった。
隠されてきた素顔が暴露された時、もはや ニクソンに政権を守る手は残っていなかった。
辞任の日 ホワイトハウスをあとにするニクソンは高々と手をあげた。ニクソンの辞任によって、ウォーターゲート事件は幕を閉じた。
ウォーターゲート事件は、今日にも多くの教訓を残している。少なくとも、あの事件では権力者が不正を行った時それを裁くシステムが機能していた。
しかし今日、虚実をないまぜにする政治手法が蔓延し、その機能が麻痺しつつあることだ。